kr_ryo 徒然日誌 <2006年5月27日分>

三國志製作記141〜城の個性、勢力の争い〜

SWGとの比較を考えていくと、どんどんどんどんSWG2が作りたくなってくる今日この頃(^^;;うーむー、いかん、SWG2を作ろうかいな(^^;;Aしかもですな、多分SF物ではなく、古代中世ものだって、作れちゃいます。が、三國志がどうしても作れない(ToT)だめ、やっぱりできない〜!。・°°・(ToT)・°°・。

こりゃあいったいどうしたことか?連載141回も迎えながら、ここにきて失敗か?!( ̄□ ̄;)

いつものごとく、何が問題かは、SWGと比較したためより一層はっきりしてきました(@_@)なんのことはない、城ですよ。城。城に個性がなさ過ぎる!!

SWGのときも星系に個性がないから2ではもっと個性を出してね、というご要望がありました(^^;;星系自体には確かに個性ないですよね。これは、星系それ自体に個性を与えるより、複数勢力が所有している星系、ということ自体に個性があるとみなしていたわけです。というより、星系の個性とはなんのこっちゃ?ということです。今なら多分、もっといろいろ作れます、作りた〜い(≧▽≦)

ひるがえって三國志の城。確かにいろんな勢力自体の、広がり自体が個性的、とも言えます。シナリオによる個性ですね。各勢力の位置、所属城、それらの集合で個性が生じる、と。

ところが、初期のシナリオの群雄割拠時代だとか、ゲームが進んだころの状態とか、勢力の広がりがばらばらだったりむちゃくちゃだったりすると、個性もへったくれもありません。無秩序的な広がりといえばわかってもらえますでしょうか?勢力、という感じがしなくてなんだかごちゃまぜ、という感じ、そう、こうなると、攻めるのもだんだん単に城を攻めることの繰り返しに思えてきます。

ある程度きっちりきれいにまとまっているから、ひとつの勢力として認識できるし、弧城を攻めるんでない、勢力を相手に戦っているんだ、という気にはなります。しかし、なんだか、単にひとつの城を順番に落としている、という感じ、しませんか?

そうそう考えていくと、よくあるシミュレーションゲームにおいても、城でなく、領域、たとえば国やエリアだった方が、その土地も個性的に見えたり、まとまっているように見えておもしろかったりしませんか?古いものの方がエリア制、新しいものの方が個城制だったりしますが、はっきりいって私はエリア制の方が好きですし、おもしろかったです。

じゃあどうして今作っている三國志は個城制なのかというと、その方が作りやすい、というだけです(^^;;エリアを色分けするのって、ものすごく手間がかかりそうな感じなんですよね。多分方法はあるんでしょうけど、ここまで深く思いついていなかったから、まあいいか、というところはあります(^^;;A

エリア制なら、そのエリアの形自体が個性的です。実は個城制だったとしても、周辺城との接続を考えればエリア制と実質は同じです。違いは、見た目と感じだけです。ということで個城制を採用していたんですけど、ふむ、やっぱり個城制はどうも没個性になりやすいですね〜どれも同じように見えてしまいます…まあ、実際そうなんですけどね(--;

個城制だったとしても、なんらかの特徴があったり、戦術マップで違いがある、ということなら、個城制でもまったく没個性とはいえません。となると、戦術マップすらなく、内政もそれほどいろんなことをするわけではない、ということになると、個城は個城、まったく没個性的にならざるをえない…

だいたいですね、よーく考えてみると、ゲーム上で違いを表現できるような個性が各城にあったか、というと、なかったんじゃないか?と思うんですよね。蜀の山、呉の長江、洛陽や長安といった大都市、こういったところを除けば、どれも同じようなもんです。なんと、実はそもそも没個性だったんです。あれ〜!

それだからいや、というわけではないんです。問題は、敵の大勢力と決戦だとか、しぶとい敵勢力を殲滅する、とか、城が勢力の一部として、その取り合いをする、というようなシーンであるはずなんです。他とは切り離されたような感じの一城一城を一城一城落とす、というようなプレイではない、ということですね。たとえ没個性だとしても、敵の大勢力が個性的であれば全然問題ないわけです。逆に、たとえ個性的であっても、一城一城が一城一城でしかなければ、あんまりおもしろくはない、ということのはずです。

そうです、問題は城に個性がうんぬんというより、勢力対勢力のぶつかりあいがなく、城対城の繰り返しでしかない、ということに起因しているんだと思います。単純な話、個城制にしたがゆえです。もちろんエリア制でないことも原因です。え?!なんでか?

SWGもそうですけど、個城制は、城同士の接続がエリア制よりも少なくなります。SWGは疑似立体接続のため、部分的にエリア制より以上に接続があるんですけれども、当然三國志ではそんなわけはなく、エリア制よりも接続は少なくなります。蜀桟道なんかを再現するにはちょうどいいんですが、接敵が少なくなる、というデメリットがあります。それはとりもなおさず、個城対個城に結果としてなる、と。つまり、戦力の集中が容易なわけです。

それを意識しているわけでもなかったんですけど、SWGはやたらと接続が多い星系があります。そのため、意外に戦力を集中させても、集中して攻め込むことがしずらい、と。で、三國志のマップも、できる限り城間の接続を多くしてみました。無意識にかつてのエリア制に影響されているわけですが、当然のことながら、あえて隣合っていても接続させないことがあります。蜀の山並なんかはそうですね。防御に有利、というわけです。

そうでもしないと、一本道を全軍で攻め込むという方法が成り立ちやすくなります。それは城対城の繰り返しでしかなくなる、と。もちろん後背の味方がうまく守られているとか、勢力の大きさが守兵攻兵の量に影響するとかいうレベルでは、城対城というより勢力対勢力なんでしょうけど、実際問題として向き合った城対城は城対城でしかない、と。

城対城になってしまったら、勢力対勢力のぶつかりあいというより、物量の多寡で決してしまいます。特に城に個性もないとすれば、下手すると城対城の繰り返しで終わってしまいます。一度優位に立てば、それで終わりなんですからね。ところが実際はそうでなかった、と。蜀の山、呉の長江が守りとしてあった、ということもあるんですけど、本当のところはどうなんでしょう。袁紹を倒した曹操が、なぜ孫権も劉備もぶっ飛ばせなかったか、が、実はシミュレーションとして重要なのです。物量だけでいけば、いつでも倒せれたはずです。なのに、できなかった。

以前検討した際には、北方異民族対策のため曹操といえ南方にさほど動員できなかった、という意見を述べたことがあります。赤壁で戦った曹操軍は、周瑜軍3〜5万より多少多い程度の7〜8万ほど、しかも旧劉表の兵の方が下手すれば多かったかもしれないうえ、水戦にも地理にも不慣れな曹操軍自体はほとんど戦力にならず、大戦争というよりかは旧劉表軍対周瑜軍という、ほとんどいつもの戦い並だった、というものです。

また、曹操は本気で攻めこむつもりがなかった、共存共栄しようとしていた、という意見もあります。しかし、赤壁や漢中に攻めてるのは事実ですし、むしろ、動員できてなかった、というのが実体ではないでしょうか。袁紹軍相手の時期ですら公称7万で戦ったとされますし、当時は異民族はともかく、周囲が敵だらけなので、攻め込むための軍団編成は難しかったでしょう。袁紹に勝ったら勝ったで、今度は対北方異民族防衛と、旧袁紹家残党対策で兵が割かれたはずです。もちろん朝廷をかつごうとする反動勢力対策も重要です。

つまり、国内対策のために手を取られ、対外的に攻め込む余裕がなかった、というのがシミュレーションすべき内容なんじゃないか、ということなんです。まずもって、先進地である国内がゆらいでるのに、後進地の呉や、戻るのに難儀な蜀を無理やり攻める必要がなかったということでしょう。あに隴を得て蜀を望まんやと曹操自身話しています。それだけ、国内統治が難しかった、ということでしょうか。

だからといって、ほら内政コマンドだ、というのは短絡的ですけども、必ずしも領土が増えたから兵も増える、とまでは言い切れません。攻めて攻めて中原領域を支配できて、ボーダーの長江や蜀桟道で止まった、と見るべきでしょう。とりあえずこの辺がお互いにとって物理的にも心理的にも境界だから、攻めまくっていて見ている余裕のなかった内政改革をしよう、と。大漢400年分の行政改革です。曹操が漢を取り潰す意思があったのかなかったのか議論がありますが、いずれにせよ、行政改革するつもりは十二分にあったでしょう。もしかすると漢を取り潰す意思は本当になかったのかもしれません。そのために、呉も蜀も攻めずに残した、とも見えませんか?魏、呉、蜀が漢帝国の下の一王国である、と。

こういった、単純に見えて複雑な事情があるならば、ますますもってシミュレーションしずらい(~_~;)当然、そんなわけないぜ、呉も蜀も強かったから、魏は攻めれなかったんだ、という意見もありましょう。が、より不利な体勢で袁紹軍に勝った曹操軍が、より有利な体勢なのになぜ孫権や劉備を本気になって倒そうとしなかったのか、疑問です。この疑問のいにしえからのひとつの解答が、赤壁で曹操は大敗北した、というものです。曹操の大軍は赤壁で壊滅し、以後復活することはなかった、と。

しかしまあ、船は焼かれたとはいえ、曹操軍自慢の陸軍は、あえて船に乗っていたとも思えません。本当に何十万もの華北の大軍がいたとして、劉表軍から接収しただけの数の軍船に乗り切れたと思いますか?大軍が本当なら、ほとんどは陸にいたでしょう。狭い船に乗っている理由なんてありません。だったら、船が焼かれても別にどうってことはありません。それなのに曹操軍は壊滅したことになっています。

曹操の兵が船酔いと風土病に苦しんだのは事実として、船に乗っている、というのは、船に乗れるだけの兵数でしかなかったということでしょう。残りは旧劉表軍の水軍のほぼ全軍で、それを相手にするには長江下流防御軍も残さねばならない周瑜軍はさすがにつらい、という程度、でしょうか。その上曹操軍も自分からは戦をしかけてません。劣勢の周瑜軍から戦を仕掛けないのはともかく、優勢の曹操軍が留まる意味がありません。結局、赤壁にいた曹操軍のほとんどは旧劉表軍で、かつ、周瑜軍とどっこいどっこいの数しかいなかった、ということが一番合理的な判断です。

いかにも赤壁で大軍が消滅したことが三国成立の一因と言われてきたところ、実は曹操軍は実体ほど動員兵力が少なかった、というのが私の考えです。そうだとすると、よほどどことも兵力不足が深刻なのではないか、と。それでも大勢力にでもなれば余裕も出てこようもんですが、10万100万なんて夢のまた夢、城兵が数千、勢力内でかき集めて数万、それも決戦専用で、長期戦になると補給の関係で維持ができないから、臨時で集めてすぐ進軍し、決戦してすぐ帰還して解散する、と。動員した兵がずっといる、ということ自体が兵農(?)分離の進んだ現代の発想なのかもしれません。つまり、数なら多いよ農民兵、というわけです。下手すると城兵すら偵察など用の数百レベルだったりするかもしれません。そうそう、合肥の張遼は孫権軍を数百数千で抑えたといいますが、奇襲を受けて動員増援が間に合わなかったというのが真相なのかもしれませんね。

さらに、三國志でも、李世民の物語でも、やたらと武将の一騎討ちで勝負がつき、勝負に負けた側の兵がばらばらになりやすい、というのも、専門的な訓練を受けた兵でなく、徴兵動員された素人兵が多かったからなのかもしれません。張飛の地獄のしごきの印象があるからいつも訓練している専門兵ばかりいるように思えますが、よくよく考えると、いつだって劉備の兵は少ないから目の届く範囲で訓練していたわけですし、最後の特訓は対呉戦の動員中、普段の少数専門兵の訓練ではなく、動員された大軍の訓練であって、だからこそ訓練も厳しくなる、と。

よくあるシミュレーションゲームの印象も含め、守備兵、動員兵が数千数万数十万のレベルで常時存在しているように思っていましたが、よーくよく考えるとおかしいですね。また、三國志にせよ、春秋戦国秦漢戦争にせよ、何十万もの大軍が常にいるような表現がなされているように思えますが、だいたい古代は国民皆兵、徴兵が義務・税のひとつであるからこそ、急場の動員が可能で、すぐ数十万の軍隊を整えることができた、と。それを常に兵営にいて、毎日訓練している兵、としてしまうから、戦力の集中が簡単にできてしまう、と。武将の毎日の訓練はせいぜい数百の手兵、常備兵相手でしかなく、だからこそ決戦時には大量の素人動員兵が、武将が一騎討ちに負けただけで逃げ散る、と。

物語を読んでいて、毎日訓練している兵がどうしてそうそう簡単に逃げ散るのかと思ったら、確かに兵を訓練しているとはいえ、それは少数の常備兵相手でしかなく、決戦時の動員兵は訓練の対象ではないのであっさり逃げ散るもんだ、と(ToT)これでようやくつじつまがあいました(^^;;そう、常備兵なんてほとんどいないんです。小勢力でも大軍の動員が可能なのは小勢力だからこそ戦場が近場であるがゆえ、大勢力になると、動員して決戦場に送るだけでも大変、ましてや長期戦なんてしようもんなら、兵糧の輸送やなんかの労役も含め国力の疲弊は避けられない、だいたい戦争もしないのに無駄に大軍を集めるなんて、まったくもって意味がない、それどころか反乱を誘発しかねない、と。秦の滅亡がそれに近いものがありましたね。

とはいえ、北方国境守備は漢の国是です。なんのための万里の長城でしょう。だからこそ、曹操は袁紹滅亡後も北方守備を怠らず、それがゆえに、南方に向けるべき兵の動員数は無茶しないレベルでしかない、せいぜい数万だったと考えられるのです。もともとの戦乱による国力低下も考えても、曹操は無茶をしなかった、ということでしょう。また、姜維にせよ諸葛恪にせよ、後代の連中の無茶な動員は、確実に国力を損ね、滅亡の遠因を作ったとされます。それも決戦動員が原因です。常備兵がそもそも決戦に必要な分もいたなら、国力が損なわれる、ということにはなりません。

うーん、どうやら新しい知見が開けたというか、よくあるシミュレーションゲームとまったく違う発想というか、常備兵をためて出撃する、という感じと全然違うので、どうしよう、うーむ、となってきました(^^;;長くなったので、これは次回まわしにしましょう。

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