kr_ryo 徒然日誌 <2006年6月18日分>

三國志製作記143〜動員兵という新発想〜

前回、大量の常備兵はいない、ということからはじまってこれまでの常識がひっくり返るような検討が進みました(^^;;さらには実験を繰り返してこそ、能力やなんかが把握できるようになる、という話にもなりました。何度も繰り返してこそ、わからないものもわかるようになる、ということです。ただ、その記録をプレイヤーが紙と鉛筆、エクセルやワードでするか、プログラムがするか、はまた別の問題としてありますね。

内政や訓練がうまくいっているかどうかは、どうやってわかるかというと、実はなかなか素人にはわからないはずです(^^;;それがわかっていれば厭世の声が起きるわけもなく、あっさり負けたりすることもないでしょう。玄人にはわかるかというと、わかることもあり、それでもわからないこともある、ということになります。イチローでもどんな球をもヒットにできるわけではない、ということですね。

だからこそ、能力がはっきり数値で表せているのは非常におかしく、逆にその数値があまりに絶対的で、1の違いが極端な結果の差に現れるのもおかしい、といえますね。能力が見えないからといって非常に不利になるわけでなく、実験でわからない程度の能力の差なら、それほど大きな問題ではないんだ、ということなのです。

まあ、1の違いが大きな違いである、数値の比較こそが楽しい、というものもあります。それが兵器やなんかの機械の性能差の違いだったりして、SWG2を早く作ってみたい、という思いになるんですよね…最近SFを読んでる影響がこんなところにも(^^;;で、これと違って三國志では、人が相手なので性能、いや、能力差がわからないことが普通である、と。

さて、常備兵は少なく、動員兵を基本とする場合、どう動員するのか、どれだけ動員できるのかが問題になります。村で何人、城で何人、というような動員をするはずですが、無理な動員は国力を損ないます。それでも動員する、という秦の始皇帝なみの選択肢もあっていいわけです。もちろん国民のことを第一に考えるプレイヤー諸氏(^^;;;におかれましては、国力を損ねない範囲の最大数の動員をかけたいと思っているはずです。が、それがわかりゃあ反乱も黄巾の乱も起きないのが当然。かといって、集められる程度でいいよ、といったら、ほとんど集まらないのもこれまた当然です。血気に逸る若者ばかりではありませんからね。

そういう意味では、集まりやすいかどうかという見方で、判断する、というのもいい考えかもしれません。動員余力があって適切か過少な動員なら、すぐ集まるけれども、無茶な動員だったりもはや動員余力がなく益州疲弊せりならなかなか集まらない、と。これもまた、やってみてこそわかるというものです。まあ、曹操が攻めてくるっていうような緊急時に、なかなか集まらないというのも考えものですが…(--;)どの城からどれだけ兵を集められたか、というのは、記録されていてもおかしくない要素です。これは記録することにしましょう。

税収も大きな判断要素です。どれだけの国力のある城でどれだけの税収でどれだけの兵が養えるか、というのは大きな問題ではあります。このレートはきちんと定めるべきでしょうが、ま、要はバランスですんで、変更変動可能要素としつつ、私自身の実験が必要ですね(^^;ほんでま、これまた記録要素でしょう。太守の内政における影響、というのも、実際に統治されてみないことにはわかりにくい面もあるんでしょうし、統治される側の本音も統治者はなかなか知り得ない面もあります。

ただ、無言の行動によってわかる面もありましょう。それが税収と人口増減です。国勢調査は現代日本でも数年に一度しか行いませんが、戸籍による把握や比較はとりあえずはできます。徴税も、戸籍に基づき申告納税ではなく賦課納税で、これまたこの村で何銭、と決められているはずですんで、それがほんとに集めきれたのかどうかで、太守の能力はとりあえずわかります。それが、無言の行動により人口減少が起きていれば、結局集めきれなくなって太守の責任問題になります。それを無理やりな取り立てを行うことで、さらに人口減少が進む、この悪循環になります。(取り立て完了に時間がかかると、悪化している可能性はある。取り立て不能もありそう。戸籍調査も時間がかかるがやってあかんことはない)

と、本題から話がずれてきました(^^;常備兵式は、常に兵士であっても良いというような者を集めてずっと兵にしているわけですから、なりたい者がものすごく多いわけではありません。また、無駄飯食いがずっといてるわけですから、それはそれで、数が多くなくてちょうどいいくらいの物資の減り具合、という点があるんでしょう。国レベルで数千から数万、といったところかもしれません。これに対し、動員兵式は、どこかを攻めるとか守るというときに一時にどかんと兵を集め、期間限定で物資を使用するわけですから、大軍を一時に集めて後は解散する、という感じになります。正社員中心かバイト中心か、という感じですね。で、三國志の時代は良くも悪くも動員兵式です。だから一時に何十万もの大軍が動員されています。これが多くのよくあるゲームでは常備兵式になっているため、なぜだか何十万もの常備兵になる、というおかしな状況になります。

とはいえ、常備兵式は経緯、というものを記録しなくて済むため、プログラムとしては非常に楽なんですね(^^;A動員兵式だと、動員した理由や、動員期間、連続した動員のペナルティなどを記録して残しておかなければなりません。農繁期に動員できない(が、やってしまって不作を招く)という兵農分離に通じる問題が出てくるんですよね。動員する方としてはできるだけ大軍を、かつ、国力に影響の出ない範囲で行いたいと思うはずなんです。しかしながらたいてい無茶をやってしまい、国力に影響が出る、と。

この影響の出る国力、というのも、内政値が下がって収穫に影響が出る、というのがよくあるパターンなんですけども、よくよく考えたらこれは結局動員兵力が減る、ということにつながるんですよね。ならばダイレクトに動員兵が減ってもいい、と考えられます。

さらに、常備兵式は兵は結局は消耗品なんですよね。常備されれば、民に戻ることはありません。後は死ぬか最後まで兵として生き残る(よーく考えたら、ゲームスタート時からほったらかしで、何十年と生きている兵もいる!)かどちらかです。だからこそ、戦闘シーンでも全滅で終わる、というパターンになりがちです。

しかし、何十万もの兵力が全滅するはずもない、と考えられるように、動員兵式では士気が崩壊して逃げ散る方がありえるパターンです。動員兵は負けても逃げ帰って、また動員されて戦場に戻ってくるんです。下手に全滅でもしたら、それこそ国力が激減します。逃げ帰るか、降伏させるというところでしょうか。攻めてくる方も、皆殺しにしてしまったら国力が激減した土地を得ることになるので、降伏や逃亡を見逃す可能性は高いでしょうね。

こういったことは、常備兵式だと見られない発想です。もちろん負ける側は焦土戦術よろしく最後の一兵まで戦わせようとするんでしょうけど、常備兵式だとまさに戦いつづけ、動員兵式なら兵が逃げ散って終わり、という感じになりやすいでしょう。本当は常備兵式でも逃げ帰るはずなんですが、なぜかよく玉砕します。日本人が作るからでしょうか?(~_~;)

と、よくよく考えると、以前疑問だけ残った、兵隊にとられて国力が下がった城について、しばらくして徐々に国力が回復するとして、そこで兵隊が戻ってきたらどうなるか、という問題がここで再登場します。たとえば限界いっぱい10万の大軍を興すとします。地方はもはや1兵も出せない状態だ、ということが限界なわけです。その軍勢が遠征で勝ちまくって1年たったとして、地方は再び兵を興せるだけの国力を回復しているとするかどうか。回復しているとすると、10万の帰還兵の分だけ国力が増大します。回復していないとすると、この10万の大軍が1戦のもと破れさった場合、一気にこの国は兵も出せず滅亡するわけです。回復しているとすると、戦争していなければどんどん右肩上がりであることが前提です。回復しないなら、怖くて戦争なんてできません。戦争すればそこかしこで焦土ができるわけですから…

この問題のひとつの解答は、たとえ限界いっぱいの兵を興したとしても、国力は変わらない、ということでしょう。つまり、兵にとられる人口減少が問題なんでなく、それだけの兵力を支えていく兵站がもたない、ということです。10万の兵に1年も無駄飯を食わせるだけの蓄えを持っているほど豊かだったかどうか、というところです。そうすると、10万の兵が死のうが帰ってこようが国力自体は変わりませんが、10万の兵がずーっといてること自体、そのうち国を破綻させることにつながる、ということです。兵に取られることよりも、兵のために取られる食糧財産の方が問題なわけです。そのうち民は苛政は…とばかり逃げ出すことになるでしょう。

では、戦争を起こさずずーっとじーっとしていて、いざ大軍を興したとして、10万の兵を何年も前線に張り付けることができるか。それだけ慎重に兵糧やなんかを蓄えるとします。前漢の武帝は、それまで匈奴相手にずーっとじーっとしていた国是を転換、一気に大軍を何度も送り込みました。衛青や霍去病という名将が勝ちまくって戦利品も大量に得たんですけども、やっぱり財政破綻寸前にまで国が傾きました。開戦後は敵の兵糧を奪いつつ進撃したといえども、そもそも大軍を興して出撃体勢を整えるまでで限界いっぱいになってしまっていた、というところでしょうか。

ということは、余裕があるわけでなく、10万の兵が限界である、ということ自体、何年も前線に張り付けること自体が危なそうです。100万の動員力を持つ国の10万の兵なら、おそらく何年かは前線に張り付けることができたでしょう。逆に10万が限界の国ならば、何年もじーっとしていたとしても、たかがしれている可能性があります。じーっとしていたとしても、国力が右肩上がりにどんどん伸びるわけでもなく、ずっと10万が限界なままであれば、数年たって、まあ、数か月は余裕を持つことができる、という程度になるわけです。

というのも、10万を3か月だけ動かすことと、10万を6か月動かすこととは、倍に増えたように見えますが、これにより10万を6か月動かすかわりに、20万を3か月動かすことができるようになっているわけではないからです。逆に20万を3か月動かすことができる国は、10万を6か月動かすことはできるとも思えます。つまり、最初に10万やら20万やらの兵力を興すことができること自体、それだけの国力がある、ということなんです。10万を6か月、薄く長く動かすことができるように兵糧やなんかを節約したり準備したりすることは、最初に兵を20万興すことと全然質が違うと思えるんです。

もちろん逆にも考えられるんですけどね。10万20万を単に興すだけなら簡単、それを3か月から6か月、1年もずーっと前線に張り付けることができるような兵站を備えていること自体、豊かで国力がある、と。ついさっきまで、苛政は…と、こちらの方向で考えていたんですけどね(^^;Aどっちが正しいんだろう、というと、どっちも正しい気がします(@_@)

兵を10万20万、50万100万と興すことができるのは、それだけの人口を抱えていなければなりません。田舎の太守が100万の軍勢を準備できるわけはありませんが、魏ならとりあえずはできそうです。それだけの人口がいること自体、国力があると考えられるでしょう。

が、食いはぐれが兵になっただけ、とするならば、100万の軍勢は100万の餓狼でしかありません。現地調達せよとばかり出撃させることは、曹操でもやってたことです。100万を食わせるだけ豊かだからではありません。もちろん現地調達先が豊かならともかく、同じような状況だったら、反乱が起きる前に兵を退かねばなりませんが…そんな話もありましたね。で、100万をとりあえず興し、とりあえず攻めこませる位まではなんとかなるわけです。そっから先は…ま、ナポレオンだって、ロシアでえらいめに会うわけです(*_*)

本来常備兵式は、常備兵をずーっと維持できるだけの国力があることが前提です。ここでいう国力は、兵站がしっかりしている、豊かである、という意味での国力です。これに対し動員兵式は、人口比で兵数をどんどん揃えることができます、が、人口を国力と言いかえられるだけで、何千万もの人民がいても食うや食わずやという状況であれば、さらに100万もの無駄飯食いを養える余裕があるわけもありません。民は飢えてもいいから、というなら別ですが…(--;)もちろん100万をとりあえず3か月動かせる国が、10万を6か月動かすことはできるでしょう。が、1年2年ならどうかというと、かなりの負担がかかりそうです。いずれにせよ、民が飢えかけてたりかつかつならば、1万だろうが100万だろうが、無駄飯食いがいること自体危険です。1万だろうが100万だろうが、民は3か月は薄いかゆだけで我慢するんでしょうが、それが6か月1年にもなれば、いい加減逃げ出したくなります。もちろん、3か月なら隠してきた蓄えを使うこともあるでしょうが、1年2年なら…同じことです。

だいたい、1年間も働き手をとられたうえで税負担も重くなる、ということは、動員兵が常備兵になっていることに近いんです。しかも数だけは動員兵として大軍である、と。常備兵式は兵数が少ないことが前提なのに、兵数は動員兵並、期間は常備兵並ということは、ものすごく無理しているんですね。悪の枢軸国並です(^^;Aと、いうことをゲームでどう表現するか、さあ、そこが次の問題です(@_@)

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