kr_ryo 徒然日誌 <2006年8月6日分>

三國志製作記147〜戦争の物語〜

さっそくにプログラムに戻ったはずの三國志、なんですが、なんと……また止まってしまいました( °〜 °)いや、Windowsではなく、プログラム製作の方です(TдT)最初は大量に作り込んでいた内容をきれいにしようと思っていたんですけど、あまりに量が多かったり、別の部分と密接に絡まっていて、そこを直せば他の部分に影響が出て、そこを直せばまた別の部分が…というように、カプセル化がうまくいっていない、という状況もいっぱい出てきます。

だいたい1オブジェクトに100以上のメソッドがついてたりして、なるほどこのオブジェクトは便利だった…っていやいや、直すとなるとちとしり込みしそうな量です。もはや量が質を変えてしまっています。直すんであれば、きちんとオブジェクト図から設計し直した方がいいのかもしれません。

なんとなく作っている間に設計を超えて作り込んだ部分が、だんだんオブジェクト間の結びつきを強めているようです。頭の中のイメージがそのまま作り込まれているわけですね。それは全体における位置づけにおける命令、というより、次から次へと手続指向的に順番に命令が並ぶ、旧来からの発想そのものになったりしています。

文章を書くのにたとえて言えば、注釈や説明を、後にもっていったり、ハイパーテキストのリンク先に用意したりするんじゃなく、同じ文章内にだらだらっと続けて書くみたいなもんです。その方が書くには楽なんですよね。しかしながら、修正が非常にしづらいことがよくわかります。注釈が地の文にはまっているので、下手すると文全体を見直さなければならなくなったりします。リンク先に注釈があれば、注釈だけをどう直そうが、地の文がどう推考されようが、両者に関係がありません。そんな感じです。

で、設計をやり直そうとUMLツールで書き出してみると……以前からずっと検討しているような内容が、またもや他との結びつきがどうなっているのかわかりにくくなってきたのです。またもやルールの問題です。え、またもや?です。やっぱり三國志は私の手には負えないのか?(TдT)

私の好みでは、たとえば城にいる連中は太守の命じる通りに行動する、というものです。太守を定めたのなら、その城の武将などには太守が命じるべきで、君主が太守の頭越しに命令するのはいかがなものか、というわけです。

で、同時に、命令量は少ないというものです。細かい細かい内政をさせないし、細かくなくても単なるボタンを押すというだけの命令もさせないことにしたい、と。そうすると、太守の能力で自動的に処理される、というような感じになりやすいわけですが、今度はそうすると、他の武将がまったく不要になる、と。なんと、いつもの武将余り現象です。もう宿痾ですな〜(TдT)

前回の検討でも登場していましたが、地方には有力な武将なんていらないから大丈夫、というお話をしました。そ、そうではあるんですが、じゃあいたとしたら?太守の能力だけが重要で、後は戦争のときだけ、というのはあまりにもったいがない。それでもいいじゃあないか、と言えればいいんですが…

たとえば、当時の官吏は県令が出世コースの出発点だったそうです。県令、つまり県城主ですね。太守も郡城主であり、刺史や牧も州治所城主であったりするわけですから、皇帝の武官である朗や県令辺りでようやくまともな官僚と認識される、つまり、城主たる太守の配下なんてのはまともな官僚ではないわけです。いっそのこと実は太守の配下は県令だということにしましょうか…?…おもしろいかもしれません(^^;A

とはいえ、登場するのはたいてい武将であって、官僚ではありません。そのため登場人物は武将といい、文官より武官の方が圧倒的に多い、と。で、まさに県令やら太守やらは1人でも別にさほど問題がないわけですが、軍団では有力な武将が多数いないとそれなりにやりにくい、と。やっぱり三國志は戦争の物語なんです。内政の物語ではありません。戦争してなんぼ、です。

たとえば曹操だって袁紹だって孫策だって、攻めまくってます。劉表は戦争してないじゃないか?いやいや、孫堅一族とかなり戦争やってます。劉焉劉璋はどうか?劉焉は軍権と行政権ある刺史としての牧を復活させて乗り込んでます。で、あの劉璋の人となりにして、劉備入蜀に武官があれ程必死で抵抗したことを見ても、かつてはお話には出てこない苦労があったはずです。

それで、当然のことながら武官武将は戦争してなんぼ、です。特に兵も常備兵ではなく動員兵であるはずなので、戦争のない時期の訓練につぐ訓練というシーンは、直属少数の常備兵相手なだけであって、まさに手持ち無沙汰になっているはずです。そのうち、魏の武将たちがまさにそうですけど、戦争しなくなると貴族化しだして、だんだん怠惰になってきます。それ以前は、戦いに次ぐ戦いだったはずです。内政、なんてのんびりした話はめったにありません。

ということを考えあわせると、いつ戦争するか、ということだけが重要になってきます。袁術が攻めてきた!曹操が攻めてきた!です。自分から攻めることの少なかった劉備はかえって珍しかったんでしょう。

それはそうと、そういう状況における配下武将とは、戦争のときだけ目立つ連中であります。普段は鍛練してたり狩りでもしてるんでしょう。文官がごとく内政しているなんてシーンは滅多に出てこないことを考えても、それは言えましょう。と、さぼってる龐統を懲らしめようとする督郵がごとく張飛なんて話もありましたが、あれは懲らしめようとする、ということが張飛にとって大事なんであって、政治がきちんとできてるかどうかを判断うんぬんする行政官監察官として向かったわけでもないでしょう。あえて張飛を遣るという劉備の発想も、そう考えるとたいがいですが(^^;A

そうだとするならば、誰を太守にするか、ということは君主にとって大事なのは当然、いつ攻め、誰を軍に含ませるかということも大事になる、というか、それだけで足りるという話になります。どうも内政しなきゃ、内政がなければなんかしなきゃ、という発想が抜けきれません。困ったもんですなあ〜!

とはいえ、よーっぽどそこいら中で戦争がなきゃ、退屈極まりないゲームになります。しかしながら本当はみんな戦争に明け暮れていたはずで、劉備も劉表の客将時分の時だけ、戦争があまりにないので髀肉を嘆じています。たとえば徐州時代だって袁術や曹操や呂布と戦いまくってます。曹操と袁紹が延々戦っていたからこそ、南方は平和だったわけで、曹操からしてずっと戦っています。やっぱり戦争しまくるゲームなんですな。武将が休んでる間もないくらい…!

ところで、群雄割拠時代は、各群雄は一城二城に拠って戦っています。それが州レベルになったり三国になると、ある城の防ぎが突破されただけで総崩れになったりします。兵数の差異はありつつ、やっぱり国レベルになるとそれなりに中央集権的になっているようです。というのは、孤城の戦いではなく、兵力の選択と集中が行われているんです。常備兵なら前線に張りつかせることも容易ですが、動員兵ではそうもいきません。まずは動員させなければなりません。ならば、常時戦争状態というわけではなく、戦争の準備状態、計画が大事になります。当たり前なんですが、プログラムでは意外に難しい。

というより、このゲームは、内政やなんかの数値上げではなく、どこに兵をいつまで動員させるか、ということに尽きるのかもしれませんね。無駄に動員するとまさに無駄になり、しかし遅れると窮地に陥る。うーむ、なかなか難しい、というより、どうやって作りゃあいいんでしょ(^^;A

そしてですね、こういう動員計画ということ自体、文官の仕事なんです。諸葛亮や曹操がきっちりやることができ、諸葛恪や劉備はあんまりうまくなかったというところですね。劉備はまわりに強力な武将がたくさんいても、まともに大軍を動員できるような人物がいないがため、常に少数で戦うしかなかった、と言えましょう。関羽は魏を恐れさせた?最後の荊州時代、たかだか数万の兵力が全軍であって、後方には兵がいない、というような動員をしています。魏がおびえたのは関羽の武勇であって、その兵力ではなかったはずです。

あまりに無茶な動員をやれば国が傾き、かといって動員をしなきゃ戦に勝てない。どの辺が適切な範囲か、また、適切な動員計画とはいえ、実際にきちんと実行できるかどうかどうかも問われる、と。こういう後方任務こそ文官の仕事ではあります。そして、うまくやれる人物がそこそこいれば、それ程数はいらない、と。武将は武将で、集められた兵を率いて大暴れすればいい、と。こういった適切な役割分担ができるような人員が揃ってこそ、天下に名を馳せることができる、というものでしょう。だんだん見えてきたような…(^^;A

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