kr_ryo 徒然日誌 <2006年10月8日分>

三國志製作記153〜特殊ルールでシミュレートする〜

数学は暗記だ、という受験界でベストセラーになった本があります。ピタゴラスやガウスみたいな天才でもなければ、定理や公理なんて思いつくはずがない、学問なんてすべて、そもそも過去の天才たち秀才たちの業績の上に乗っかって、ちょびっとずつ付け足していくものなのに、たかだか学生が必死に考えたからって覚えてないことを思いついて使えるようになるわけがない、というような内容でした(大分意訳(^^;;)

そういう意味ではゲームも同じで、やっぱりどこかしら過去の改良からスタートしているわけです。つまり、大部分は過去の焼き直し、マネであって、少しずつ改良改変独自性を付け加えているわけです。我が三國志も光栄の三國志の影響から逃れにくいのも、やっぱりそれだけよくできており偉大だったわけなんですな。孫悟空がお釈迦様の手の平から逃げられなかったというのと似てますね。

とはいえ、まったくの物真似ではどうしようもありません。ここはおもしろいルールを考えていかなければなりません。ところがシミュレーションゲームの場合、物真似…というより、展開が物語に似てれば似てるほど、おもしろいわけです。ところがなぜだかやっぱり物語どおりにはなかなかならない。シミュレーションゲームがなぜ物語のような展開にならないのか、やっぱり物語が異常であり得ないことが起こってしまったからなのか、ルールが物語を再構成するようにできていないのか。

ゲームが、普通にやっていたら物語どおりにならないからといって、イベントで物語どおりにさせてしまう、という展開は個人的には非常に残念ではあります。だったらゲームの意味ないじゃん!という感じで(~_~;)桶狭間の戦いが必ずしも異常だったわけじゃなく、厳島の合戦もあれば河越夜戦もあります。大軍の油断をつくというのは戦の常道で、必ずしもとんでもないことではないのであれば、そういうルールがあればいいだけです。

たとえば、何度も例にあげるボーテックの銀英伝4の亡命ルール、あれがイベントでなく、メルカッツだけでなく誰でもが亡命してくるというのが、ゲームの幅を膨らませています。もともと銀英伝では亡命は普通にありましたから、ルール化してもおかしくないわけですね。あと、地球教徒による暗殺ルールでもあればもっと幅が出たかもしれません(^^;A

ということを考えていけば、物語の特徴をつかんだルール化がゲームの幅をかなり膨らませることは間違いありません。対象が決まっているイベントではありません。そういう物語独自の特殊ルールです。たとえば呂布や劉備や、そういえば献帝も行った放浪ルールというのが独自ルールです。ベースルールを考えれば、次は特殊ルールを考えるべきなんです。ボードゲームでは普通に存在したのに、最近のコンピュータゲームではあまりみかけませんね…?

三國志独自の特殊ルール。まずは放浪は間違いなく必要でしょう。劉備なんて何度もやってます。呂布は本来ならもっと逃げるべきだったんです。馬超も孫策だってやってるんです。こういう連中が別の英雄に取り込まれたり(馬超)家臣ともども独立し抜いたりする(劉備、孫策、呂布)というのは、なかなかもって歴史の不思議です。やっぱり人徳なんでしょうか?放浪中の劉備勢からぽろぽろ関羽や張飛が曹操勢へ抜けていくという絵はあんまり見たくはないですが、ありえないことではないはずです。現に陳登や陳羣達は徐州にとどまりましたし。

それから外交。対董卓連合のように、とりあえずみんな寄り集まることは集まるけれど、そう簡単には統制は取れないということはよくあります。だいたい魏呉対蜀、蜀呉対魏のように、ほとんど実際の戦争には効果がないこともありました。せいぜい牽制程度ですね。だから、同盟国連合国を手足のようには動かせない、ということが普通です。また、そうであるからこそ、連合や同盟はかなり簡単にできたりします。

もっとも、曹操から兵を寄こせといわれた諸侯はなぜかかなり嫌がってますね。やっぱり諸侯連合とか魏朝とかではなく、漢朝の重臣としての曹操には逆らいがたいから、仮病でも何でも使って拒否したがってるんでしょうか?それだったら逆らっているのと同じような気が…(^^;それとも兵を出したが最後、次から次へと要求を出されて取り込まれるとでも思っているんでしょうか。これはありがちですね。

外交は結局国家間の口約束であり、君臣間が完全に上命下達な以上、言うことを聞いたり聞かなかったり約束を守ったり破ったりな関係は、国家間しかないわけです。約束は守ることもあれば守らないこともあり、なんでもありな感覚がおもしろい…はずです(^^;A物語上も諸葛亮はじめ外交こそが権謀術策の根本として語られています。

この外交、やっぱり10年とか10ターンは絶対攻めて来ない同盟とか、完全に指揮下に入れれる共同軍などは、やっぱりよろしくないでしょうね。それよりもわりと簡単に頼めるけども履行は全然あてにならないとか、味方のふりして突然攻めてくる共同軍とかの方が物語ぽくないですか?さらに相手の自由意志でしかない…もちろん、あんまり返事だけよくて実行が伴っていなければ、ペナルティがあってもおかしくはありませんね。

……いや、なによりも三国志に特徴的な内容が必要なんでした。三国志のあのシーンが、三国志の外交の特徴をよく表すという……!外交といえば諸葛亮。諸葛亮の赤壁前の時もそうですが、なんでか知りませんが、この時代の外交は、ケ芝やら禰衡やら、単身敵地に乗り込み、威嚇をがんがんやってくる相手におびえず舌先三寸で成果を勝ち取る…または煮られたり切られたりするわけです。まさに命懸け。少なくとも軍勢を率いている武将なんかよりよっぽど度胸と根性がいります……もっとも、各地の名士同士のできレースだといううがった見方もできますが(^^;Aきっと説得に失敗して君主が切り殺そうとしたら、名士仲間が「他国の使者を切るのは道義にもとりますぞ!」とか言っていさめてくれるんです。

それはそれとして(^^;A現代外交みたく外交団の折衝とかではなく、この時代の外交官には、まさに合従連衡を一人でまとめあげる知謀と度胸がいるわけです。で、相手はたいがい敵対意識ばりばりなわけで、その敵を動かすには動かざるをえないような内容で説得するわけです。そういう意味では、動かざるをえないようなことを思いついたときだけ使者が出張る意味があるんであって、やみくもに外交を求めたわけではないはずです。

どういうことかというと、諸葛亮は勝算があって呉に使いに行くことを志願したんであって、劉備が八方塞がりになってなんとかしてよ孔明!とか言ってきたので仕方なく行った、というわけではないんです。ということは、むやみやたらと外交の使者を送り出せばいいわけではなく、使者となることを志願してくるのを待つパターンの方が多かったわけです。もちろん敗色濃厚の呂布が袁術に娘付きで使者を送るなんてパターンもありますが、足元を見透かされただけであっさり失敗していますね。

そういう切羽詰まった状況で切羽詰まった使者を送ってもどうしようもないところ、諸葛亮のようにちっとも切羽詰まったように見せず、まるで対等の同盟国がごとき余裕の態度で接する、というのも、諸葛亮がそれをできると自分で考えたからです。なんの手だてもなく送り込まれたわけではありません。あほうなことを言ったりおびえたりしてたら、最初の血祭りにあげられますからな(~_~;)

そういう意味では外交はコマンドというより配下武将によるイベントに近い感じです。とはいえ、まったくのイベントであるというのもいただけません。それではゲームになりませんからね(*_*)ただ、そうなるとあくまでもコンピュータ、まったく君主たるプレイヤー様の思いとはかけはなれた阿呆な進言をしてくることもありえます…というかそれが普通でしょうな。物語では荀ケや郭嘉がすごいアイデアをひっさげてやってきてくれますが、コンピュータではそうそううまくいい内容を持ってきてくれるとは思えません…それができるなら並の人を超える人工知能ができてるも同じですからね(^^;A

結局コンピュータは人のアイデアをなかなか超えることができないから、細かいコマンドの山ができあがるのかもしれません。で、武将はただのコマに成り下がる、と。そうなると武将数が多かろうがなんだろうが、能力順にしか使わないから、武将余り現象が出る、と。ふむー!じゃあ、人のアイデアを超えるようなルールを作ればいいわけなんですけど…ルールがアイデアを超える??

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