kr_ryo 徒然日誌 <2006年10月29日分>

三國志製作記155〜目的達成システムとルール遂行システム〜

何を隠そう私は法学士様v( ̄^ ̄)>(ただ大学卒というだけの意味(^^;;)なんで、ルールやらシステムやらは非常に大好きな話なんですね。特にプログラムは、自然科学というより多分に社会科学的に考えるべきことが多いですから、なじみもイメージもしやすいものがあります。

ということで、パソコンが今のように簡単に買えて使える時代になる以前からシステム好きが高じていて、法システムを題材にした本も買ってたようです…読んで線まで引いているのにまったく記憶に残っていません(≧▽≦)きっと何か仕組みを作りたかったんでしょうねえ。

ひるがえって今や簡単にプログラムを作れるようになっているのに、中身側の問題で停止したままになっております。いい加減煮詰まってそうなので、今回はシステムについて考えてみたいと思います。我々日本人は、システム化や組織化が下手くそだという論議があります。

確かに個人の能力に頼っていて制度や組織はまったく使い物にならなかったり、害になったりすることはよくあるように見えます。たとえば、制度や仕組みがかっちり定まっていなかった明治維新〜明治政府の時代、維新の英雄や新進の官僚達こそが西欧列強の植民地化を防ぎつつ列強に伍して大国化に至る道筋をつけたものでした。対して大正昭和になる頃には、肥大硬直化した政府や軍が無謀な戦争に突き進んでいった、とされます。現代も肥大化した行政を改革するということが重大なテーマになっています。

しかし、一方でトヨタのカンバン方式など、日本発の生産システムは世界に誇るべき内容であったりもします。かつての西欧列強は統合してECとなることでようやくアメリカと匹敵するのに対し、日本はあいかわらず単独でかなりの影響力を有しています。維新で吹っ飛んだものの、そもそも徳川幕府の統治システムが優れていたからこそ、平和が続いていたともいえましょう。そう考えると別段システム化や組織化が下手くそとも見えません。

ここで組織化やシステム化が下手だという根拠について考えると、たとえば大きな功績を立てるのは組織でなく個人の能力に頼っており、組織ですればもっと大きな力が与えられたはずなのにそれができてない、ルールが曖昧で担当の裁量で決められることが多く、不正を防げない、というようなことです。もっとも、前者については、硬直した組織が組織のルールを押しつけて優れた個人の能力が発揮できない、ということの方がむしろ問題になっているはずです。そうであれば、組織自体の改良ができにくい、というべきでしょう。

後者については、これもそもそも明確かつ公正なルールが決められていれば裁量の余地はないわけで、ルールの改良ができにくいというべきなんでしょう。それよりも、担当の裁量で決められているのに賄賂や不正が少ないことの方がより驚くべきことのような気がします。とはいいつつ、最近は福島や和歌山など、地方権力者の不正が明るみに出ていますが、それは権力者のお話。外国では公然と末端官僚から賄賂を要求されることはよく耳にする話です。

それはともかく、組織の硬直化とルールの曖昧さは、実は表裏の関係にあります。ルールがきっちりしていれば組織は硬直化するでしょう。そしてどちらかというと、行政などの硬直した組織の方がより一層非難の対象となりやすく、組織では動けないが個人が最大限に力量を発揮している方が称賛されやすいという印象です。ということは、結局問題はルールが曖昧で組織の意義が小さく、個人の裁量で柔軟に対応していることが、かえって日本と日本人の強みであると言えます。

もちろん法に触れないなどの最低限のルールがぶれてはいけません。それでもルールがなくとも状況に応じた対応を即座に柔軟に行える、これこそが組織がいけてなくとも世界に伍している日本の実力です。そう考えれば、トヨタだけでなく強い企業は、現場からのルール改善が盛んです。

となると、あるルールをかっちり決めることでできあがるシステム化とは、日本の特質とはかなり相いれません。原則としてシステム化はきっちりルール化されていてはじめて意味をなします。毎回違った状況違ったルールでは、統合なんてできないというのが現状のシステム化です。特にコンピュータプログラムによるシステム化は、コンピュータ自体が曖昧では動けないため、明確にされておくべき必要があります。これがますますシステム化と実際の業務との乖離を招きやすくなります。簡単に言うと使えない、動けないシステムです。

ところで、パソコンは何でもできると言われた時期がありました。かつてより今の方がますます何でもできるようになってきているんですけど、今ではむしろネットやメールができる、という意味で使われることの方が多くなっています。パソコンはひとつのシステムです。エクセルなどのプログラムもひとつのシステムです。しかし、特定業務システムと比較すれば、まさになんでもできるとしか見えません。逆に特定システムはあるルールに基づいた、ルールをシステムとしたもの、パソコン自体やエクセルなどは、ルールではなく、何か特定の状況に対応して利用するというシステムである、と思えます。

データベースと連動した特定システムであれば、帳票やデータの利用がエクセルなんかよりはるかに便利だったりします。ところがルールに外れた、それも悪い意味ではなく、ちょっとしたデータの加工なんかだとまったくできなかったりします。エクセルなんかではこれがまったく逆になります。もっというと、パソコン、ここではWindowsなどのOSを意味しますが、パソコン自体はエクセルなどのアプリケーションプログラムがなければまったく使えないですが、エクセルもIEもワードも何でも動かすことができます。

特定システムの厳密さとエクセルなどの曖昧さは、結局何に焦点を当てているかによります。ルールの遂行か、目的の達成か、です。エクセルはその気になれば、与条件だけで勝手に計算して必要な結果を取り出せる機能が豊富にあります。表を作るだけではないんです。ルールの遂行では、ルールだけを利用して表現できればいい、しかし目的の達成のためにはありとあらゆることができるようになっておく必要があります。そのため、エクセルには膨大な単機能があります。そしてここが肝心ですが、ルール遂行システムは、すべてが関連づけられていて、流れに沿って実行していきます。対して目的達成システムは、膨大な単機能が共通の仕様で動かせるという程度の統合で、基本的にばらばらにしか使えません。それを統合するのは使う人の方なんです。

さてここまで検討して、一気に三國志製作の話に移ります(^^;;これまでのシミュレーションゲームの発展は、単機能の量質を増やすことにありました。つまりエクセル型、目的達成システムを目指していたわけです。天下なら天下統一という目的達成のために、考えられる機能=コマンドをいかに変えいかに増やしていくか、ということです。しかし、ここでエクセルなどと実は違いがあると私は考えます。どういうことかというと、エクセルなどは目的は問うてないのです。目的は使う人の側にあります。そのため、機能は豊富ですがそれらすべてを使って達成すべき目的なんてありません。個別の機能の目的はあります。が、それらの機能を統合してする目的はないんです。人に必要なのは機能と結果だけです。売り上げの集計か、実験結果及び推測するシミュレーション推移グラフの作成か、そういう目的は、最終的には問うていないから何でもできることを目指して機能が豊富なんです。

対してゲームは、目的は決まっています。することできることも決まっています。後はどういう順番で何をいつするか、という手順の組み合わせにすぎません。将棋や囲碁や麻雀での自由=できることは極端に限られています。ところが、そのできることの手順はほぼ無限です。手順自体に価値があるものもあれば、馬鹿な手順もあります。また、麻雀のように配牌の運(確率)か、相手の出方(将棋や囲碁、もちろん麻雀も)という不確定要素もあります。手順を組み合わせて目的を達成する。実はゲームとは、ルール遂行システムなんです。ということは、やみくもに機能は増やしてはいけないんです。そして、流れを持っていなければならないんです。最も肝心なことは、決められた曖昧でないルールがないといけないんです。曖昧なルールのゲーム、ルールがプレイヤーの裁量で決められるなんてことはゲーム自体に反するんです。もちろんプレイヤー同士でルールを決めてもいいんですけど、ルールの適用をプレイヤーの裁量で行ってはいけないんです。それをズルといいます。一度手を打ったら遡って変えてはいけないんですね。

もちろんルールを曖昧にしてできるだけ目的達成に近づけやすくしていくことも考えられます。目的達成のための豊富な機能を搭載することもできます。そしてどちらもそうすることでつまらなくさせるだけなんです。ゲームにおけるルールは、むしろ、目的達成を簡単にはさせないためのものでもあるんです。逆に言うと、こういうルールでいかにうまく目的達成できるか、を競うものなんです。それなのに、ルールの側が歩み寄って目的達成がすぐできる豊富な機能があったり、曖昧でどちらにも、つまり有利な方に取れるようなルールでは、途端につまらなくなるわけです。

ルールで極限まで手をしばり、それを乗り越えて単一の目的達成をすること。これがゲームです。そしてこれは、その対象に関することであれば何でもできるようにすることであるシミュレーションとは対極にあります。エクセルはもともとシミュレーションソフトとして開発されています。いろんなデータでシミュレーションが簡単かつ柔軟ににできるようなソフトです。シミュレーションとして作ればゲームでなくなり、ゲームとして作ればシミュレーションでなくなる。なるほど、シミュレーションゲームとはなんて難しい取り合わせなのか、と(^^;;;

index

〔TopPage〕

このページへのリンクはフリーです。
このページについてのご意見、ご質問などは、kr_ryo_green@yahoo.co.jpまでお願いします。
Copyright 2006© kr_ryo All rights reserved.
訪問件数