kr_ryo 徒然日誌 <2006年11月19日分>

三國志製作記157〜10万人の統制、3000万人の統制〜

それっぽいルールが同時にゲームをゲームたらしめる制限たらしめる、これこそがゲームデザインの王道とようやくにしてわかってきたこの頃(^^;;前回10万の大軍の駐屯の話があったんですけど、今回は進軍についても思いついたので、まずはここからお話したいと思います。

10万でも100万でもなんにせよ大軍がいざ進軍するにあたって、大将から順番でも先鋒から順番でもどっちでいいんですが、順に兵がついていきます。ほんの10万です。街道があったらその、馬車が通れるような街道を縦隊でえっちらおっちら大行軍です。平原であっても勝手に横に散ったらだめです。どこへ行くのかわからず迷子になりますからね。だいたい平原ったっても砂漠じゃないんですから林もあれば灌木もある、岩も川も沼もあって、だいたいそうは簡単に通りにくいはずで、やっぱり踏み分け道を歩いたり獣道を通ったりするわけです。

三国時代より昔の春秋戦国時代の主力兵器は戦車=馬車だったんで、そんなにひどいところばっかりではなかったでしょうけども、なんにせよそんなに広がってはいけません。なんてったって指揮官についていかなきゃなりませんからね。100人が横1列に並んでるとしても、そういう隊列を延々と1000は眺めつづけるわけです。もうちょっと現実的な横10人なら10000です。

何が言いたいか、要は行列を作るということは、順番にずーっと歩いていくわけですね。最初の連中が出て何分というより何時間たってようやく最後尾が出発するという感じです。劉備が新野で住民を引き連れて逃げ出した時、最後尾から順に蹴散らされてましたね(住民はその後どうなったんだろう?)。これもそうですが、順番に歩くということは、目的地に付くのがかなり遅くなるんです。横から狙われたら包み込めばいいんですけど、前からいきなり現れたら、少ない兵力で戦わなければなりません。だから、まずは陣を作ってから、すなわちみんな集まってからそれから戦うというのがとりあえず基本でしょう。

そんなことしてられない、迅速に移動しよう、というのであれば、部隊を分けて複数のルートで移動させることになります。そうしないと結局延々長い隊列になりますからね。もちろん部隊は分けるにしても移動するのは同じような道のりでもいいんですけど、きっとたいがい、狭くなってるところがあったりとか、道が限られているとか、あいつらは街道を歩いてるのに俺達はなんでこんな沼地を歩いてるんだ、とか、やっぱりルートは根本的に分けた方がいいはずです。

そう考えると、10万の大軍は移動させるだけでも大仕事です。量が大きくなってある閾値を超えると、質も変わってしまうといいます。現在のように通行量がものすごい多いと道路の整備が重要になってきますが、普段は大軍が移動することを想定していないこの時代の街道は、あっと言う間に閾値を超えるでしょう。そうそう、だいたい兵だけじゃあなくて輜重部隊、つまり補給物資を満載した荷車や人夫もいます。下手に街道にこだわったら身動きが取れなくなってしまうかもしれません。

こうやって考えていくと、大軍を1人の将軍が率いて移動させるというのはかなりの無理があるということが考えられますね。先頭に立って移動しているとしても、後ろの方がどうなっているのかわかりません。中軍であれば先頭は誰が進んでいるのか?後軍であるなら先頭はもはや着いているのか戦っているのかすらわかりません。早い話が大軍であることはもはや指揮不能状態なんです。

将軍の意思を全軍に伝え、意のままに操るためには、かなりの量の下級将校や伝令が必要になるでしょう。それですらタイムラグがある。そうであるなら下級将校ではなく部隊長くらいにしておいて、軍団を分割した方がまだましです。10万の軍より1万の軍が10である方が結局は有効に使える、というものです。10万の軍を集めているのに結局指揮できずに烏合の衆になるんです。ここからさあ、ルールに引き戻します。1将軍が2万までしか兵を持てないとか、身分に応じて持てる兵が変わるとかではなく、上限なんか設けない、と。ただ、増えれば増えるほど効率が悪い、移動は遅いわ戦闘命令は聞いてくれないわ、挙げ句に兵糧が足りずに戦闘にたどり着く前に逃亡があいついだり。これも能力によって変わってくるんでしょうけど、2万なんて制限を設けずとも、2万程度で効率が悪くなれば、そのうち勝手に2万程度で納まるというものなんです。

この辺は前回のお話の、自由であればあるほどかえってみんな同じようになって自由でなくなるというお話と反対の結果になるように思えますね。が、自由なのは実は2万までの制限の方なんです。1000だろうが2万だろうがまったくなんの問題もないんです。1000なら1000のよさも弱さも、2万なら2万の強さも困難さもあるはずなんです。それがまったくない。だからこそどんな武将であっても同じように上限いっぱいの2万の兵を預けるわけです。

それに対し、将軍の能力や活動内容にもっともあった兵数というのがある、というのは、自由なように見えていわば細かい制限があるわけです。だからこそ多様性にもなる、と。みんな同じようにはしないんです。能力によるというのも別段能力が高いから多く兵を有せるというわけなんですが、能力が低くても多く兵を有することはできることはできる、が、半分の兵でも同じ攻撃力であるなら、わざわざ倍の兵をもたせる必要はないですね。それでももたせたいかどうかは趣味の問題でしょう。

軍団はわかりやすいですが、内政はどうでしょう。なんてったってこれまでのゲームでは進化はよいことだ、とばかり、制限なく、次から次へと生産力を上げまくり、建物を建てまくり、していましたからね〜!これに制限を加えているのは武将数か金か、というばかりのもののところ、おっと、制限あるゲームがありました。シヴィライゼーションです。

シリーズ3をプレイしたことがありますが(というか、まさにプレイ中(^^;;)建物をやたら建てても費用はかかるし、人口も増えすぎると不満がたまったり反乱したり。地形や技術によっては、適切な規模が自然にできています。もちろん、がんがん建物を増やしたりしてもかまいません。実際私も、全土で発展させました。しかし、必要のない施設が増えすぎて維持費がかかりすぎていたことに、後からようやく気づきました(^^;;どこかで聞いたことのある列島改造論に基づく、きつねと熊しかいない(しかも彼らにとっては大いに迷惑ん)道路とか、作っていた人より通った人の方が少ない橋や建物に近いものがありますね。

効果もあるが行き過ぎるとデメリットがある。食べ物もお酒もダイエットも運動も、生産も販売も、建設もお金も寿命も、何かしらあまりに増えすぎるとデメリットがあるようです。それこそが自然であり、それを無視して効果ばかりを追うのが文明とゲーム(^^ゞいい面しか見ませんからね。で、ゲームも効果に伴う反作用で上限が自然に決まるのがよいわけです。

おっと、内政から外れましたね。三国時代の内政が、これまたよくわからないところが問題なところ、法と執行は大きなテーマだと思います。商鞅から始まる秦の法治主義が行き過ぎることにより、反乱と漢の興隆が起きます。とはいえ、反乱にせよ内乱にせよ、これは法治が極限まで落ちているから起きるといえましょう。黄巾の乱や董卓の乱はじめ、従来秩序の破壊、つまり法治の悪化が加速したとはいえ、もともとは腐敗政治という法治の悪化という土台があったわけです。

曹操が法治を回復しても、曹操自身が従来秩序から外れていたため、反感を買います。そもそもの身分にしても、その能力主義的方法にしても、従来秩序、つまり儒家的身分主義的法治から反していたのです。もっとも、その従来秩序が腐敗を招いたわけではあるのですが…対して諸葛亮は、まったく新しい秩序を構築したわけです。諸葛亮は法家出身です。後漢の儒家ではありません。が、一定の成功を収め、名宰相と言われることになりました。残念なことに中身があまり詳しく語られませんが、法や規則に関する出来事やエピソードが、諸葛亮に多いですよね。

そう考えていくと、生産力というより統制力がこの時代の内政の基本に思えます。軍隊ではもちろん統制力は非常に重要ですが、民主主義が登場するまで、内政も統制の問題です。もっとも、民主主義は政府を民衆が統制するという、これはこれで統制の問題です。

統制が緩すぎれば、張飛や腐敗官僚のように生産は衰え、民は離反し、治安が悪化するでしょう。が、統制されすぎれば、始皇帝のように、何を失敗しても死刑となって、生産は向上するものの、やっぱり民は離反し、そのうち反乱が起きるでしょう。緩すぎず、厳しすぎず、もちろんこれは統治者の能力と行動の問題で、コマンドでどうこうできる問題ではありません。……ん?本当にそうか?戦争ばっかりやってて内政を省みなくても、それでも能力が優れていればいいのかどうか。同じ人物が、戦争もしつつ内政もできるなら、戦争していなければ内政はもっとできるんではないか?

いろいろ疑問に思いながら、新しい視点が開けたこそ、いろいろわからないことも増えていくものです(≧▽≦)

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