kr_ryo 徒然日誌 <2006年12月17日分>

三國志製作記159〜製作記の卒業、そして製作へ〜

のっけからいきなりではございますが、どう考えてももう4年も作れていない三國志なんて、ちょっとやっぱり無理があるかと思うのですわ。これまでいろいろ考えてきたことは、それはそれで見識を深めるのに役に立ってきたわけなんですけども、逆にそれが考えすぎの結果を招き、たとえばシミュレーションの泥沼にはまり、ゲーム性との間で揺れ動いたり……

よーく考えたらですね、ゲーム的ルールはどう考えても妥協であったりするわけです。SWGの生産制限しかり、城と城との間の移動しかり、なんなりかの妥協、それはバランスのため、ルールのため、おもしろさのために少々変でもかなり変でも無理にでも採用したりするわけです。それはまさに、ゲームのためのルールであって、論理的に導き出せたり史実に応じたりするわけではありません。それこそ、結果としてそうしなきゃ仕方がない、ということもありえるわけです。

ところが、そういうのはあまりこういう製作記のお話になりづらいわけです。たとえば、LNKLNC製作もプログラム技術面でのいろいろな示唆を与えてくれます。しかしだからといって、こういう機能をつけるのにどうこうとか、こういう使い方が便利だとかの話を製作記として書けるかというと、そりゃあ、苦労話ならできます。けれどもこういう使い方が合理的ですよね、というような検討を紙上ではしないわけです。それこそ作ってみて使ってみてから、いいのか悪いのか考えます。

もちろん実用のためのLNKLNCと、ゲームのための三國志ではかなり内容が異なっています。シミュレーションである三國志は、歴史のようにその内容を紙上の表現で検討することは十分可能です。そしてそれがシミュレーションへのこだわりの泥沼にはまっていく原因になるわけですね。

つまりですな、ゲームはどこまでいっても割り切りの世界であって、極限まで現実に精密に近づこうとするシミュレーションとは、方向が逆なんです。そして、製作記を書けば書くほど、その内容はシミュレーションとしてのディティールを追い求める方向にしか話が進まず、いつまでたってもゲーム化できない!と、今頃気づいてしまいました!Σ( ̄□ ̄;)

シミュレーションゲームですから、もちろんシミュレーションするべきところはシミュレーションするべきでしょう。単なる陣取りゲームで、マップがそれっぽいからこれは三國志、これは世界大戦、というものもありますが、もちろんそれはシミュレーションゲームとは言えません。が、シミュレーションしすぎて、矢玉の数から兵糧の粒まで表現しだすと、もはやゲームにはなりません。辛気臭いだけです。

そして、シミュレーションとゲームのバランスがゲームデザインの妙であり、おもしろいはずのところなんですけど、それをこうやって製作記の形で表現すると、やっぱりシミュレーション重視になってしまうんですね。そうしていくと、ゲームにならない、と。

シヴィライゼーションをやりこんでいくと、シミュレーションという感じが段々薄まっていきます。これはやっぱりゲームです。ゲームだからこそおもしろい、と。科学の進歩も領土拡張も戦争も、いかに効率的にいかに狡猾にいかに精密に進めるか、であって、ああ、この文化が…とか、この順番の進歩が歴史的だ…とか、史実にこだわっても、勝てません。だいたい重要な都市改善の紫禁城なんて、名前は歴史的ですけど、効果も内容もゲーム的でしかありません。

そんなシヴィライゼーションを作るとして、これを製作記で作ろうとすれば、もう、自己撞着というか意味不明の文章になるはずです。……首都周辺では汚職が少ないんですが、領土が広がると、辺境に行けば行くほど汚職が増える、というのが、やっぱり普通ですね。これを政治形態、たとえば民主主義や共産主義を発明すると、汚職が減る、というのはおもしろい発想でしょう。しかしそれでは、そういう政治形態を発明できない時代では領土拡張がかなり厳しくなるので、第二首都を築造することができるようにしましょう。第二首都という名前はあまりおもしろくないので、紫禁城という名前にしましょうか……

ゲームとしてこういうルールを見るのはそれを知るため、まあ、いいでしょうけど、そうであってもルールを読むのはやっぱりしんどいです(*_*)それは、かなり(わけのわからん)よく知らない理屈を理解しようとするのと同様、そういう、ルール前の文章は、書いていても読んでいても、きっとおもしろくありません。だいたい私自身がそうですからね(・_・;)

ということになると、いきおい文章がシミュレーション、史実重視に偏ってきます。さもなくばゲームやルールの評論でしょうか。これではいつまでたってもゲームになりません。なるほど、ここまで製作記をつづけてきましたが、いつまでたってもゲームにならないわけです。どうやら私はシミュレーションの評論をしようとしていたのであって、シミュレーションゲームを作ってきたわけではないようです。嗚呼…!( °O °;)

ということで、本業回帰というか、ゲームの復活として、一度リセットします。もう4年もやってて成果をあげずにプロジェクト終了というのはあまりにおしい、といいたいのに、うーん、ゲームが作りたいんであって、三國志評論をしたいわけではなかったのに、三國志製作記を書けば書くほど、評論になっていたと、今の今まで気づかなかった、ようやく目が覚めた、という、すがすがしい気分です(^^;;

ここはひとまずじーっくりお休みして、シミュレーション三國志を頭から飛ばします。シンプルにゲームを作るため、やっぱり何もかも忘れないといけません。それにはこういう製作記とは違うことをしないといけません。プログラムを作るのはやっぱり楽しい、プログラムが思い通り動くのは楽しいもんです。LNKLNCを久々改良して、そう思いましたよ〜!ゲームの楽しさだって、くそ、この皇帝レベルは絶対コンピュータが卑怯なことをしているはずだ!しかし、この下のレベルではもの足りぬ…という感じでシヴィライゼーションで体験しています。まだ、ゲーム製作にかける思いは枯れてはいません。しかし、三國志にかける情熱は、自分の評論でがんじがらめになって、小さくちじこまってしまいました(TдT)

今後はだまってSWG2を作っているかもしれません。三國志製作を復活させてるかもしれません。が、できあがるまでは黙っています。SWGだって黙っていたからできたのかもしれません。建艦制限なんて、たとえば当時こうやって製作記を書いていれば書くほどおかしいとしか言えないわけでして(^^;;だからといって当時のプログラム技術ではそうでしかできない、と。そうすると、できるものもできなくなる、と(TдT)

評論や評価は、簡単にできます。だからこそこの製作記も4年も続きました。しかし、実際に作るのはものすごい勢いと決断と割り切りが必要です。あーだこーだではなく、これ!です。反面、できなくても、できそうでなくても、なんとかして実現したいことはなんとかして実現するまでねばります。そんなこんなは、こういう製作記で表現するのは、できあがってからでしょう。できる前にあれこれ言っても仕方ありません。

こうやって書いてきて、ようやくふんぎりがつきました。いつもタイトルは後付けなんですけど、今回は最初、仮題は武将の話、でした。それが書いていくうちにいつの間にかとうとう最終回になってしまいました。

しかし、卒業は、新たな出発でもあります。将来、三國志製作記をやめたことが、三國志製作の最大の勝因と言えるかもしれません。もちろん三國志製作記をつづけたことが、三國志製作最大の勝因だったかもしれません。いずれにせよできなきゃなりません。日曜プログラマーはプログラマーです。日曜徒然日誌製作者ではありません。プログラムを作ってこそのプログラマーなんです!

いつもこの製作記を楽しみにしていただいていた方々、ご愛読ありがとうございましたm(__)m今後は日曜プログラマーkr_ryoの卒業と本当の意味でのプログラム製作への再出発を応援いただければ幸いでございます\(^O^)/そして必ず、おもしろいゲームをひっさげてまた帰って来ますよ\(^O^)/

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