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■デジクリトーク

狼少年ヒン。

白石昇


●狼少年ヒン。

 白石昇です。

 最初に電話連絡があった翌日、十一月二十四日に著作者のアシスタントを名乗る人から電話がかかってきた。前の日にかけてきた人間とは違う声だった。一通り挨拶をしたあと、どうすればいいでしょうかね、とアシスタント氏は私に問う。

 私は極力安い価格で皆さんに読んでいただけるようにしたいので、日本の出版社を通さず、泰国の出版社から出版したい、という当初からの自分の意志を告げた。

 じゃあどこがいいですか? とアシスタント氏は聞いてきた。私は、泰語版の原本を出版している出版社が許可さえ貰えばうちでやってもいいと言っているから、あそこでも構わないのではないか、と答える。

 いやああそこは印税率が低いんですよね、と即座にアシスタント氏からそんな答えが返ってくる。

 そういえば、彼はここ何年か、他の出版社からしか本を出してないし、実際に連絡を取った際にあの出版社が私に対してとった対応を考えてみれば、そんな事情があるのも肯ける。

 そういうことなら原本出版元にこだわる必要はない。私は心の中で付けていた仲買業者リストの、一番上に書いていたその出版元をためらいなく外す。

 私は、泰国の企業であるならそんなにコストに影響しないだろうから、どこでも構わない、と言っていくつか彼の本を出版している会社の名前を挙げてみる。アシスタント氏は受話器の向こうで少し考えているようだった。

 よく考えればそれは当然だった。彼の著作が外国語に翻訳されたことは私の知る限りでは今までないし、日本語に訳された泰語の本が日本人が絡んでいない純粋な泰国の企業からから発売されたことなど、ほとんどない。

 ようするに、どう言った手順で物事を進めていったらよいか、著作者側にもよくわからないのだ。

 アシスタント氏は再度、翻訳は許可します。ただ、一度お会いしていろいろと話し合う必要がありますね、と言った。私もその意見に同意した。

 ただ、当方とても忙しいので、いつ時間がとれるかわからないのです、木曜日か金曜日くらいには時間をとるようにします、またこちらからの連絡を待っていて貰えませんか? アシスタント氏はそう言葉をつなげる。

 私も再度同意し、そちらからの連絡はメールでも構いません、泰語でメールを送っても構いませんのでよろしくお願いします、と言って受話器を置いた。

 しかし、週末には連絡がなく、更に何日かが過ぎていった。電話があってから二週間近くが経過しようとしていた。

 彼は売れっ子で有名人だから忙しく、時間がなかなかとれないのは致し方ないが、私は非常に不安だった。口頭では翻訳許可を貰ったが、メールや郵便物が来ない以上、私の手元にはなにひとつ形になったものは残っていない。それに、私が外出中に電話があるかもしれない、と考えると、部屋を空けることさえ不安だった。

 このままでは自分が狼少年だと後指さされても仕方がない立場だと言う事実に耐えきれず、私は再度著作者側に手紙を書いた。連絡してくれ、という内容の手紙だった。

 せっかくなので、自分がちゃんと該当作品を読んだ、と言う事実を主張するために、手紙の本文中に作品中の文体をパクって小ネタを効かせた文章で書いた。そして私はそれを、十二月十二日に郵便局から書留郵便で送った。

 しかし、よくよく考えてみればその手紙は、こちらがちゃんと作品を読んでいることは主張できるが、これからビジネスをするパートナーに対するものとしては非礼な文書だと受け取られてもしかたがないふざけた文章だった。

 もしそれで向こう側を怒らせて、ようやく踏み出した第一歩を後退させてしまったら元も子もない。まさに諸刃の剣。
 
 
 

 しかし私はそれで駄目になるのならそれでもいいと思っていた。

 なによりも向こうからの連絡待ちでずっと待たされる今の状況に耐えられなかった。駄目なら駄目で、早いところトドメを刺して貰えれば、翻訳作業を中止して次の仕事に移行することができる。
 
 
 

 自分だけがその作品を読むのなら、何も日本語の文章に変換する必要などないのだ。

 それになによりも、中途半端で無意味な居心地の悪い時間が流れていくのに、これ以上耐えられそうにもない。

 翌日の昼、電話が鳴った。

 ごっめんなさああああい。凄く仕事が忙しくてついつい遅くなってしまいましたああああ、電話に出たのが私だということを確認すると、アシスタント氏はまずそう言った。とりあえず私のパクリ小ネタを織り込んだ手紙は即効性を発揮したようだった。

 つづく。
 

初出・【日刊デジタルクリエイターズ】  No.0997 2001/12/18.Tue.発行

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