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思い出のJStarワークステーション

 2003年7月1日 22:36:49

 とある事業所の情報システム部門の部長に就任することになった。とはいっても、自分がコーディングするわけではなく、ユーザとメーカの間を取り持つ役目である。

 最近の利用者の目は肥えているので、データベースといえどもワープロ並みの反応速度を要求されることがある。「直感的」な操作は無い、と信じてはいるのだが、使いにくいウィンドウソフトはたしかに存在すると思う。
 そこで、一度原点に立ち戻ってみることにする。私は幸いにも、数年間にわたって富士XEROX社のJStarワークステーションで仕事をしていた。JStarにて、今で言うデスクトップ・パブリッシングで一冊の本を書いたこともある。以下は私の記憶をたどり、参考書(上谷晃弘。JStarワークステーション。丸善、1986、ISBN4-621-03070-1)を元に、現在でも役立ちそうなJStarの思い出をつづったものである。

● 富士XEROX JStar

 米国のXEROX社といえば、もちろんコピー機で有名な、あの会社である。過去形になるが、同社がコンピュータを作っていたことがあった。高価だが画期的な製品で、市販の製品名をStarという。1981年から販売されたらしい。翌年には日本語化されたJStarが富士ゼロックス社から提供されるようになった。
 イサーネットによるLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)、ワークステーションとサーバ、ビットマップディスプレイ、マウス、ディスプレイ上のデスクトップ、ウィンドウ、アイコン、WYSIWYG(What You See is What You Get)のワープロ、今では当然のように使われているこれらの概念の歴史をたどると、Starに行き着いてしまう。もちろん、現代のコンピュータに対するApple社のMacintoshなどの貢献は無視できないほど大きいそうだが、元祖について知っておくことも無駄ではなかろう。
 なお、私が使ったのは、おそらくJStar-IIと呼ばれる次世代の装置であるので、すでにMac等からのフィードバックが入っていたと思われる。最初に使ったのは、タイル型の決して重ならないウィンドウのタイプであったが、その後、今のパソコンでも見られる、重なりを許すタイプのウィンドウシステムに移行した。今参照している参考書は1986年刊で、写真では、ウィンドウは重なっているように見える。

 使った人しか分からない事項として、立ち上がりが遅かったことが挙げられる。スイッチを入れて20分ほど経過しないとログオンできないのだ。そのため、朝一番にスイッチを入れ、常時スクリーンセーバーが出た状態にしておき、帰りにスイッチを切る、というのが毎日の日課であった。また、結構頻繁にフリーズした。今のウィンドウシステムと同様で、無理なマウス操作をすると完全に操縦不能になり、またもや20分の立ち上がり動作が必要となる。
 資料によるとCPUはAMD社(今ではAthlonで有名な、あの会社)のビットスライス・マイクロプロセッサを使っていたという。ビットスライス・マイクロプロセッサとは、CPUの多くの機能を盛り込んだICチップで、組み合わせによって所望のCPUが完成する、というものである。
 通信にはイサーネットを使っているのだが、TCP/IPとはプロトコルが異なるので、お互いに全く見えない。今ではネットワークはつながるのが当たり前だが、LANが出始めの頃は、各社が独自のプロトコルで自由にエーテル(ether)空間を利用して良いのであった。そして、そのようにイサーネットは設計されていたのである。

● OA用のワークステーション

 JStarは内部的にはMesaと呼ばれる、PASCALに似たオブジェクト指向言語によって記述されていたという。しかし、利用者はMesaを直接触ることはできず、つまりJStarでまともなプログラミングはできない。利用者はXEROX自身によって開発されたワープロなどのアプリケーションを利用するだけである。この点が、いわゆるワークステーション、つまり、UNIXとC言語で操縦するエンジニアリング・ワークステーションと決定的に異なる点である。

▼ ワークステーション

 ところで、そもそもワークステーションとは何か。その当時、コンピュータ利用といえば、大型機やミニコンに端末で接続して、タイムシェアリングという、あたかも一台のコンピュータを利用しているかのように見せかけるOSを使用していたのである。そうでなければ、バッチ処理といって、プログラムとデータを待ち行列に待機させ、順番が来たら(つまり運がよければ!)実行される、というものであった。
 それに対して、一人の利用者に一台の計算機を操作させよう、というのがワークステーションで、プリンタや良く使う図書館的なファイルは、同一LANに接続されたサーバ計算機に置いて、みんなで利用しよう、ということである。

 イサーネットは500mしか伸びないのでせいぜいビルの1フロアにしか張れず、一つの部門で一つのLAN、外部とは通信サーバ経由で通信する、という分かりやすい図式が当初はあった(と思う)。

▼ ビットマップ・ディスプレイ

 今時、DOS画面といっても、その存在すら知らないWindows利用者も多いのではないだろうか。第一、DOSとか文字端末とか、バーチャルでない実物を見た人がどれくらい生き残っているやら、である。
 わずか20年ほど前、コンピュータの画面には文字しか表示されなかった。プリンタの出力もタイプライタの印字と同じで、文字だけであった。しかし、コンピュータ言語はもちろんのこと、ワープロも表計算ソフトもデータベースも、WebページのHTMLの元祖のGMLですら、文字表示の時代に開発され、発展したのである。コンピュータは数値計算、文字列計算、そして記号処理の装置であり、今でもその側面は大きい。

 だから、私のように少し以前の計算機の経験のある者にとって、パソコンの画像処理の発展は実に驚異的であった。
 何、質問がある?、文字も図形の一種なのだから1ピクセルずつ描画できないのは変だ、ですって?。文字はパターンジェネレータと呼ばれるROMに焼きこまれていて、5x7ドットとかの構成は変更できず、VRAMは2KB(80x25文字)とかしかなく、VRAMの中身は文字コードで、ハードウェアが実時間で表引きして表示するのである。当時は、たとえ白黒2値であっても文字をビットパターンで表示するなど、とんでもない贅沢であった。

 JStarのディスプレイは手元の資料によると、17インチ(後期にはもっと大きかったように思う)で1024x808ドット、白黒2値である。一インチ72ドットで構成され、今ではWindows等ですっかり慣らされてしまった、字画の省略された漢字が表示されていた。
 ちなみに、JStarの仮名漢字変換は私の大好きな文節単位の変換であり、JIS準拠のキーボードにはシフトキーの位置に濁音と半濁音のキーがあって、たとえば濁音シフトを押しながら「か」のキーを押下すると「が」が入力される、というシステムで、富士通オアシスの親指シフトに匹敵する、高速入力が可能なキーボードであった。Windowsでは、VJEと呼ばれる(いささかマイナーな)日本語フロントエンドプロセッサでは、この操作性が可能である。

▼ 文書処理

 JStarは、控えめに言えば、ワープロの親玉である。ドキュメントプロセッサ、という言い方もあったが…。
 その道のマニアはTEX(通常の文字列で数式等を表現して、印刷時に本のような出力にしよう、という体系。HTMLの直接打ち込みをイメージすればよい)などという荒技を使っていた時代である。
 JStarは今のウィンドウシステムのまともなワープロと同様、画面で見えたままが印字される(WYSIWYG)。つまり、フォントの形も大きさも、数式も図形も表組も、相似形で表示され、画面上で編集できる。少し正確に言うと、JStarでは単にキーボードから打った時点では巻物なのだが、編集命令を出すとページごとに割り振ってくれ、それからまた編集も可能なのである。

 マウスは2ボタンで、今のWindowsとほぼ同様だが、右ボタンは範囲の終点を指示するボタンである。初期にはボールが金属でできていたので、机の上を行勢い良くこすると慣性でしばらくボールが回って、カーソル(ポインタのこと)を遠くに効率よく持って行けたものである。ただし、今時のウィンドウシステムのマウスはソフトで工夫されているからご安心を。

 マウスで指示した後は、キーボードの左にあるファンクションキーで動作を指示する。「対象を指定」→「動作を指示」の、今ではおなじみのウィンドウ操作のパターンであるのだが、XEROXご自慢のファンクションキーが面白い。
 つまり、代表的な操作をハード的なボタンにしてしまったのである。資料から抜粋すると、
  開く、プロパティ、移動、転記、削除、同様、探索、繰返
 Windowsなら、「開く」はダブルクリック、「プロパティ」は右ボタン、「移動・転記・削除」は切り取り・コピー・貼り付け、探索は検索に相当する。「繰返」は操作の繰り返し、「同様」は便利なキーで、最新の対象への複数のプロパティ操作(斜体の肩文字にするなど)が自動記録されていて、新しい対象を「同様」の見栄えに変更するのである。

 なお、初期のキーボードにはなぜか矢印キーとテンキーが無い。表計算ソフトはあるにはあったが、今ほど活用されてはいなかったし、データベースソフトもあまりに簡単で、当時はこれでよい、ということだったのであろう。私の感想では、キーボードはあまりにワープロに特化しており、マウスの一見便利な操作性も、いわゆるフォトレタッチソフトでは早くも破綻していたから、結果的にJStarが時代に取り残されてしまったのも、しかたがないかな、という感じである。

▼ デスクトップ

 今では見慣れたデスクトップである。画面の上方にはメッセージウィンドウとシステムメニュー(といっても見えるのは小さなボタン)がある。誰が発明したのか、あのいまいましい「ゴミ箱」アイコンは無い。しかし、Windowsと違って、デスクトップから全てのアイコンを排除することはできない。道具箱アイコンがあって、文章を作りたい場合はそこ(クラス)から文書ファイル(インスタンス)を引き出すことになっている。
 テキストファイルとフォルダに今も残るアイコンのデザインは初期からあって、文書とフォルダと呼ばれていた。ディレクトリではなくフォルダという言い方は、ここが元祖ではないかと思う。サーバのフォルダは特別で、ファイルドロアという書類棚のイメージである。電子メールとプリンタのアイコンがあって、これは大型機のバーチャルマシンの仮想紙カードリーダ・ライタとラインプリンタを想起させるから、Starといえどもしっかり計算機の歴史を踏まえていたことが伺える。
 アイコンのデザインは凝りに凝られており、今見ても新鮮である。

 ウィンドウの要素としては、ボタン、テキストボックスは当然として、タイトルバーやスクロールバーなど、見た目はほとんど現在のウィンドウシステムと変わりない。メニューは目立たず、そのかわりにいわゆるツールバーボタンが並んでいる。
 プロパティシート(プロパティ(属性)の指定などでポップアップする補助ウィンドウ、つまりダイアログウィンドウ)には、おなじみのラジオボタンやチェックボックスの代わりに、グラフィック可能なボタンが並んでいて、昔のカーラジオのボタンの感じである。

 プリンタは当時としては珍しいレーザプリンタで、独特の字体の、ものすごく美しい印字であった。信じがたいが、ベクトルフォントではなく、ビットマップのフォントがハードディスクに入っており、もちろん日本語では泣きそうなくらい沢山の領域を占めていたと思う。

● 用途は…

 高価なマシンなので主に大きな企業のマニュアル作成に使われていたようである。聞き及ぶところでは、電子メール系を活用しようとした、とある企業の導入例は失敗とされている。もちろん、このころにはグループウェアなどという概念は無かった。

 やはり、計算機といえども時代を飛び越えることは不可能であった、ということであろう。
 ワープロに関する限りは、やっと最近になってJStarの操作性が再現できたと感じられる。上述したように、Starに投入された基礎概念は革新的で、今のパソコンはすべてStarの後続機と考えても良い状態である。だが…、
 電子メールは社内的には大型機でもミニコンネットワークでも使われていたが、やはりUNIX系のネットワークに注がれた膨大な努力が無ければ、今のような世界的な広がりにはならなかったであろう。
 表計算ソフトは、XEROXは画期的な作品を別に完成させていたにもかかわらず、JStarに搭載されたのはありきたりのもので、今のようなビジネス万能ソフト的な使われ方にはあまり寄与しなかったと思う。
 純正のデータベースは簡単なものであり、ミドルウェアも無かったから外部のデータベースも活用できず、残念ながら計算機としては中途半端であったと思う。
 そしてなぜか、Macintoshと違って、デザイン分野には進出しなかったのである。

 私自身は、マイクロソフトのWindows 3.0/3.1にロータスAmiProやWordPerfectが移植された時点で、JStarがあればなあ、ということは無くなってしまった。インターネットはあれよという間に普及してしまい、表計算ソフトはパソコンが主戦場で圧倒的に勝っており、DOS時代からまともなデータベースはあった。
 エンジニアリングワークステーションを必要としていたグラフィックソフト開発もパソコンでできるようになり、データベース活用の鍵を握るミドルウェアもあっという間に当たり前になってしまった。