つきいち日記へ戻る  

98伝説

04/04/01

 月刊アスキー別冊「永久保存版」蘇るPC-9801伝説

 以下は書評ではなく、この特集誌を見て想起した思い出である。

 このところのパソコンのリバイバルブームの一つなのか、ついに、NECの 「国民機」PC-9801までもがターゲットになったようである。ただ、同書付属のエミュレータはゲーム専用で、BASICもDOSも使えないようである。
 NEC98に関しては、エミュレータ探しには困らないようだから、むしろ、ゲームの配布方法の一つと考えるべきだろう。
 さすがに、私といえども、98のゲームでやってみたいものが多少あるから、この路線が長続きしてくれればよいなと思う。

● 思い出のNEC PC-9801

 正直に言って、98には良い思い出が無い。だから、ここで話題にするかどうか多少迷ったのだが、下手をすると永久に次の機会は無い、と思いなおして、記述しておくことにした。
 とあるエミュレータ本の紹介を引用すると、「国民機と呼ばれた16ビットPC。『一太郎』とエロゲーでベストセラーだ」といったもので、多少表現が下品だが私の印象も近い。
 16ドット漢字のキャラクタ画面があり、当初から640x400の高精細グラフィック画面を持っていた。CPUは十分高速であったし、5インチフロッピーは当時としては満足な容量であった。職場のパソコンがソフトやプリンタの都合で98だったから、自宅にも一台用意しておくことにした。購入したのは、当時の標準機の9801 F2である。
 しばらくして職場が変わり、そこでは日本IBMのパソコンがふんだんに使えるようになったので、自宅の98の実用価値は無くなってしまった。当時の16ビットパソコンは高価だったので、買い換える気力は出ず、DOS/Vが出回るまでは悶々とした日々が続いた。
 趣味のプログラミングのために、NEC純正のFORTRAN 77と仮想ドライブのためのRAMカードと浮動小数点機構ICを追加した。なかなか楽しかったが、時代とは完全に食い違った使い方だったと思う。

● 98はどう使われたか

 先輩は98を上手に職場で使っていた。一太郎はもちろん、dBASEで名刺管理し、WORDSTAR(だったか)で英文を打っていた。
 まあとにかく、あの時代は日本でパソコンといえばNEC98のことであって、主にオフィス用途で使われていた。
 私はといえば、MS-DOSが必要な場合はIBM 5535と呼ばれた(電池は無いが)ラップトップ機などでμEMACSあたりのエディタで文章を打っていたと思う。
 何を隠そう、私は98が大嫌いであったのである。その理由は、

▼ キーボードが気に入らない。なぜかJIS配列にはIBMの方が忠実だった。マニアの再三のクレームにもかかわらず、ついに98のキーボードがまともになることは無かった。この一点だけでも、98が続かなくて、本当に良かったと思う。

▼ 漢字表示が汚い。16ドットの漢字が上下左右くっついて表示されるのである。見つづけた人の脳が悪くなるのではないかと思われたほどの醜悪さであったが、結局、これも最後まで、まともにはならなかった。

▼ 高価。DOS/Vが出始めると、目を覆わんばかりの情況になった。

 なぜ、それにもかかわらず98が流行したのか。他社は高価な業務用パソコンとホビー用パソコンを厳格に分けていたが、98の場合は一つで何役にもなっていたことが大きいと思う。今のWindows機も、ほとんどそのまま、ゲーム機にも基幹系の端末としても使える。NEC 98は、日本でのPCに対する感覚が未熟な時代にも、一人まともな「パソコン」だったと思う。

● 98が残したもの

 NEC98が今に生きている分野については、冒頭で紹介した特集誌の指摘が適切と思う。
 98の教訓は、今は便利で欠かせないと思っている計算機システムも、結局は思わせられているだけで、明日突然に消えてなくなっても、代替品がいくらでもある、ということであろう。たしかに、98からDOS/Vへの移行時に多少の戸惑いがあったようだが、まるで何事も無かったかのように、ワープロもコンピュータゲームも、98の時代と変わり無く、今日もパソコンでやっている。