「クソッ!あいつは、ブロスはどうした?はやく冨田を追え!」
ドタバタという足音に、フェザは目覚めた。それほど長い時間眠っていたわけでもないらしい。後頭部がまだズキズキと痛んだ。
ロープで縛られているらしく、体がまったく動かない。小さな窓から漏れる月明かりが、部屋の中を映し出していた。明滅を繰り返すディスプレイや、その他うず高く詰まれた機械の山。どこかの倉庫の一角らしい。
部屋の中に気配を感じて思わず息を殺した。入り口付近に動く影があった。
――流石に見張りはいるか。
ロープ抜けぐらいはできるが、ここがどこだか分からない以上、今は好機を待つときだと、フェザは思った。
「バカめ!このビルから逃げられると思うなよ!」
一階でエレベーターから出てきた冨田とアギトは、物々しい軍勢に囲まれていた。
刀を持った者、ナイフを振り回している者、銃を構える者。全ての視線が冨田に注がれていた。
「…結構な送迎ですね。」
冨田がさして気にもしないようにつぶやいた。
軍勢の中心から出てきたラッチマンは、銃を片手にまくし立てた。
「いいか、お前は今から人質だ。要求をネフィス側にのんでもらうまでは、絶対解放せんからな。ここにいるのは私が密かに集めた精鋭部隊だ。護衛一人でどうにかできるなんて考えるなよ!」
「精鋭部隊?ただのチンピラの集まりの間違いではありませんか?」
「ほざけ!…行け、冨田を拘束するのだ!」
じりじりと軍勢の輪が狭まってゆく。アギトが初めて口を開いた。
「…どうするんです?この数は少々やっかいですよ。」
軽く嘆息してから、冨田はアギトに向き合った。
「…いつまで丁寧語でしゃべるつもりだ?アギト。
無理をしなくても、いいぞ。」
その瞬間、アギトの顔が狂喜にゆがんだ。
「それじゃあ、遠慮なくやらせてもらうで、肇さん。」
アギトが一歩前に出る。
「かかって来いや。こちとら、しばらく暴れてなかったから溜まっとるんやで。」
口調の変わったアギトに、ラッチマンの軍勢が襲い掛かる。あるものは棍棒を、ある者は刀を、アギトに向かって振り下ろした。
大きな金属音がした。アギトは、いつの間にか取り出した二本の短剣でそれらの攻撃を全て防いでいた。
「精鋭部隊?笑わせる。この“双牙<ソウガ>のアギト”の名前を知らないようじゃ、雑魚にすらなれないよ。」
アギトの体がわずかに沈み、次の瞬間には攻撃を全てはじき返していた。人が飛ぶ。
振り下ろされた刀を避け、左の剣が血しぶきを飛ばす。その間に右の剣は別の者を切り裂き、その勢いをもって蹴りを放つ。
殴り飛ばされたチンピラがラッチマンの足元に転がった。
「ええい、何をしている!近接攻撃がだめなら撃て、撃て!」
照準の赤い光がアギトに集中する。が、引き金が引かれるよりもアギトの動きの方が速かった。間合いを一気に詰め、チンピラの一人に迫る。ひるんだチンピラにアギトが笑いかける。
「わかっとらんなぁ。銃ってものはな、弾丸より速く動けるやつには、通用しないんやで。」
爆発音がして、部屋が大きくゆれた。フェザはとっさに手をついて体をかばった。近くには鋭利な機械のパーツが置かれているのだ。だが、それがいけなかった。
見張りの男がこちらに向かってきた。フェザが意識を回復したことに気づいたようだ。
「へへへっ、お姫様のお目覚めかい?ああ?」
薄明かりに照らされて男の表情が見えてきた。精悍な顔が、うれしそうに目を光らせている。
「やっぱり犯るなら、意識がちゃんとしてないとなぁ…。泣き叫ぶ顔が一番だぜ。」
フェザは周りに目を走らせた。すぐ近くの何かの機械のケースが壊れて、鋭い切断面をさらしている。
「たいしたもんだよ。女の子一人でこんな大企業に挑んで。ジミーを捕まえたところまでは褒めてあげるよ。でも、詰めが甘かったな。…ほら、このCD-ROMが欲しかったんだろ?」
男はこれ見よがしにCDをぶらぶらさせた。
「ルナ人は嫌いだって言うやつがここいらには多いけどよ、俺はそんなことは気にしねぇんだ。へへっ、すぐに昇天させてやるよ!」
CD-ROMを放り投げ、男が迫ってくる。
急いでロープをパーツの切断面で切ると、フェザは男の顔にカウンターパンチを叩き込んだ。男がひるんだ隙に背後に回りこみ、精一杯の力で押し飛ばした。男は瓦礫の山に突っ込んだ。
CDを拾い上げて、すぐに逃げようとしたフェザだったが、背後から声がかかった。
「いってぇな… お姫様にしちゃ、元気が良すぎるんじゃねぇの?」
さっきの男が立ち上がってこちらを見ていた。拳銃の銃口もこちらに向けられている。
「何かあったんスか?ブロスさん!」
騒ぎを聞きつけたのか、出口である唯一の扉からチンピラが三人、入ってきた。状況をすぐに察し、銃をフェザに向ける。
出口は封鎖され、囲まれている。絶体絶命だった。
「さて、降参するかな?お姫様。」
周囲をさっと見回す。倉庫なので天井は高く、窓は二階ほどの高さにあった。
フェザは見張りだった男に向き合った。
「思い出したわ。あなた、私を気絶させた人ね。」
「おや、あの瞬間の顔を覚えていてくれるとは光栄だね。」
「借りは、返すわ。」
言って、フェザは体を沈ませ、反動をつけた。すかさず銃声が鳴り響く。しかし、すでにそこにフェザはいない。虚を突かれて銃声がやむ。すると上からダーツの矢が降り注がれた。反動を利用して高くジャンプしていたのだ。
出口をふさいでいた男が二人、倒れる。ブロスは間一髪のところでダーツを避けていた。
「へっ、大した身の軽さだが、上に逃げれば格好の標的だぜ!」
すぐにブロスはフェザを狙った。そのとき、鼻を突く奇妙な臭いに気づいた。
――これは。
見渡すと、フェザの放ったダーツの一本が壁のガス管を貫いていることが分かった。
「くそっ、ルナ人のくせしやがって!」
一人残ったチンピラがフェザに向けて発砲しようとしていた。
「バカ!やめろ!!」
ブロスは叫んだが、遅かった。
発砲による高温に、漏れ出たガスが引火した。
すさまじい爆発が倉庫の中で起こった。フェザはとっさに体を丸めて、爆風を受けた。防弾チョッキが脱がされていないのが幸いだった。細かい破片をチョッキで受けながら、爆風の勢いでフェザは二階の窓を割って外へ飛び出した。
窓の外は四階ほどの高さだったが、隣のビルの屋上にうまく着地することができた。そのままフェザはラッチマンのビルから脱出した。
・
・・
・・・
「…美しい。」
双眼鏡を片手に持った冨田がつぶやいた。
「あれが…『黒い天使』…依頼を請け負う盗賊…」
呆気にとられてアギトもつぶやく。
「もはや都市伝説だな。やはり見ものだったよ。あの身の軽さ、只者ではない。うちにスカウトでもしてみるか?」
「俺の仕事がなくなるやないですか。」
「はは…冗談だ。」
アギトはフェザが消えたビルの屋上に視線を戻し、つぶやいていた。
「やっと・・・見つけた・・・」