ACさまざま日記




ACは甘えていると言う人もいますが、私に言わせるとACの回復というのは山あり谷あり崖ありの大変な道です。そんな道すがら、感じたことを日記形式で書いていこうと思います。
ちなみにここの音楽は「人はみな 人生の旅人」という思いを込めて旅の音楽にしてあります。



親も神ならぬ人間

私が高校生だった頃、親は確かにひどいことをしました。けど、神ではない人間は、時にそういうことをしてしまうこともあるでしょう。
ひどいという感情に囚われていたら、精神的に成長することはできません。

最近、1人暮らしをしたいと思っていました。それは逃げ道のつもりはなかったのですが、逃げ道でした。

今、親と生活することは、これから経験するかもしれない結婚生活の良いトレーニングになるのではないかと時々思います。
親は私を大人として接しています。一見良いようですが、親のマイナスの感情を受けとめなければならないこともあるのです。
でも、それもトレーニングですね。(11/01/07)



高校時代の心の傷

私が親につけられた心の傷をこうして語ると、「いい大人なのに親を持ち出すんじゃない」と思う人も多いでしょう。

でも私は、高校生の時に精神保健福祉センター(今の名称)に、何度も「親がそれなのに当時も親は、秘密厳守のカウンセリングの場でも、猫をかぶって「そんなことはしていません」といい親のふりをそのたびにしていたのです。(11/01/06)



トラウマが解けていく

いまさらですが、私はひどい男尊女卑の家庭に生まれました(例えば嫁にはおかずがないとか)。
そして、両親にとって私は初めての子どもでした。なので不適切なしつけをいろいろして、精神的に繊細な私はトラウマを結構抱え込んでしまいました。

そのトラウマを抱えて生きるのは、とてもつらかったのです。
一般的に親がほめられるとうれしいものですが、私は「こんなにひどいトラウマを押しつけたことを知らないくせに」と親に恨みを持っていました。

でも、時が過ぎて、ここに書いたような自分の感情がわかり、トラウマが次第に解けていくようになりました。

来年はきっといい年になる。私は、そう確信しています。(10/12/31)



障害年金をもらいたい

私はうつ病患者です。それも主治医が精神障がい者保健福祉手帳を何度も考えたほどです。
前に書いたでしょうが、高校2年の時にひどくいじめられ(許せないことに担任教師がいじめを煽った)、初めて発症しました。死のうと思いましたが、当時斎藤雅樹投手が全盛期で、よく励まされました。
幼い頃から家族の影響で巨人ファンでしたが、この時初めて自分の意志で巨人ファンになりました。

うつ病を再発させながらも何とか勉強して、志望大学の理学部数学科に入りました。そこでパソコンに触れ、興味を持つようになりました。そしてソフトウェア開発会社に就職し、自分のパソコンを買うことになるのです。
そのパソコンで、趣味の範囲内ですが、いろいろなことをしました。
パソコン通信、ソフトを使わないHP作成、ML管理者、エッセイメルマガの発行、RPG作成、ブログの作成や更新、作ったRPGに関する小説書き、その小説のメルマガ発行の手続き…夢中になって風邪をひくのは日常茶飯事です。
そのせいか、親は「働ける」と思ってしまうんですね。ところが、実際にコールセンターで5日働いただけでダウンしてしまいました。

身体はもうボロボロです。調べたら障害基礎年金2級に当てはまりそうなので、受給するべく動き始めています。さかのぼって受給できるようなので、親元を出ることも考えています。(10/12/25)



ひさしぶりに親の愚痴を書きました

私は女ですが、女の集団が苦手です。

何から何まで同じ行動をしないと仲間外れにしたり、意見をはっきり言わず遠回しに嫌味を言ったり、いい悪いは別にして、そういう女の集団の考えは私には合いません。
ところが、私は小学6年の時の担任の薦めで中学・高校と女子校に入ってしまいました。そして、その学校ではびこっている女の集団の考え(男子生徒がいませんから、学校中で広まってしまいます)を受け入れられずに、よくトラブルを起こしました。

そして不幸なことに、両親はそういう女の集団の考えがあたりまえと考える人でした。なので学校でトラブルを起こすたびに、どうしてあたりまえのことが聞き入れられないんだと、私には理解できない説教を、何度も何度もしました。そのうち私が「あの学校の考えはおかしい」と言うようになっても、聞く耳持たずでした。それどころか、私に虐待をして(例えば顔を叩いたりとか)何とか「女の集団の考え」を身につけさせようとしました。

「女の集団の考え」はあたりまえではありません。その考えを受け入れられなくても、きちんと社会で生きている人はたくさんいます。両親はいないと言い続けましたが、自分の周囲の数例・数十例を知っているだけで、世界中の事実を知っていると決めつけられては困ります。
そういう考えを無理に身につけさせようとして行なった虐待が、心の傷として残って自己肯定ができなくなって、病気を引き起こしたのです。しかし両親はいまだに私の自己肯定を受け入れません。まあ、もう自分で受け入れてしまっていますが。(10/03/15)



暴走した愛情

みんなと同じことはやりたくない。それがわがままじゃないということに、やっと気づいた。エニアグラムの1つの性格であることを、ずっと知っていたにもかかわらず。

私は学校でみんなと同じことをやりたがらないため、親、特に父親から何度も何度も何度も注意され続けた。でも私には理解できなかった。それを性格でなく、欠点とみなした親は、しつこく、しつこく、しつっこく、私に否定的な言葉を吐き捨てた。

それがトラウマになっていることに、親はいつ気づくのか?
悲しいことに、一生気づかない可能性もある。それを覚悟しなければならないだろう。(09/05/21)



家事のトラウマを癒す方法

主治医に、「家事が完璧にできなければ生きる資格がないなんてことはない」と先日の診察で言われました。

その時は聞き飛ばしたのですが、後になって「ああ、そうだな〜」と思うようになりました。

今日から気をつけるようにしたのは、どんなにささいなことでも家事らしきことをした時は自分をほめることです。
ものすごいトラウマに今まで襲われていたのです。ちょっとゴミをふき取るくらいでも、すごいことだと思うのです。
今まで「これくらい当たり前」と思っていて、自分を愛していなかったのでしょうか。アファメーションの効果かもしれません。(09/05/07)



反抗なしに自立はできない

反抗しないで、親の「お気に入り」のまま巣立ってほしい。それが親の自立に関する望みであろう。
私はこれができない。親の望み通りの人生が嫌だからだ。それはそんなに悪いことなのだろうか。

親から精神的に自立するために、反抗的な態度を見せれば、親(特に父親)は怒る。殺されるのではないかと思ったこともある。

自立するために家事を身につけようとすれば、母親の完璧な家事に「私はこんな風にはできない」と落ち込んでしまう。そしてわざと家事をさぼる。後ろ向きの努力をする。
そして、家事を完璧にできないと男性から愛される価値がない、ひどい時は生きる価値がないと思ってしまう。

それでも、20kmくらい先に出口が見えたような気がする。(09/04/27)



感情を支配する父親

私の父親は最低の男だ。自分の言うことが世界中で正しいと思っている。ただ常識通りに行動しているからといって、私が反論すればすぐ怒鳴る。そして叩く。コミュニケーションができないのだ。

今まで何回もカウンセラーなどの所に行ったことがある。父親はカウンセラーのことを素直に聞く「ふりをする」。そして、家に帰ってきて長々と「カウンセラーに関する反論」をくどくどと聞かされる。卑怯だ。これではカウンセラーも何も手が出せない。
要するに、父親の考えに合わない他人の考えはすべてシャットアウトというわけだ。

そして不幸なことに、私は父親の考えで動けばうつ病になるように生まれてきてしまった。それも私がひとりっ子だったら、父親も子供はそういうものだと思ったかもしれない。しかし、弟がいる。しかも父親の考えどおりの。なので私は弟を憎み、うつ病になってなかなか回復しないのである。

父親の言う通りにしてたら心身ともにもたない。なぜそれがわがままなのか(激怒)。

それはどういうことかと言うと、まず、父親は女を召し使い代わりにして、あれやれこれやれと(特に夕食の支度に関して)言い出してもたないというのがひとつ。もうひとつは、私を自分のような常識ガチガチの人間に変えようとして、それが私の生まれ持った特性に合わずもたないということである。(09/04/19)



馬鹿な男が憎い

どうして世の女達は、わがままな男の命令を聞くの?

聞けば聞くほど、馬鹿な男は調子に乗って、どんどん命令をして、女を召し使い代わりにして、「女は男の命令を聞くものだ」という馬鹿な考えをあちこちに振り撒き、女をたとえ殺しても平気になったりするのに。

私はその「馬鹿な男」がいっぱいいるせいで、心を痛めて神経がおかしくなってしまった。

馬鹿な男どもを許せない。憎くて憎くてたまらない。
何十人も殺した事件の犯人より憎く感じてしまう。私の自律神経を壊した張本人だからだろうか。

その「馬鹿な男」の代表格が父親だから困るのである。私は、父親のせいですっかり神経が参ってしまった。この害のある人間関係から抜け、馬鹿な男に虐待されている女達のためにも、立ち上がりたい。

だが、そのためのパワーがないというから、困ったものである。

なお、私は「男はみんな馬鹿だ」と書きたいわけではないので念のため。素晴らしい男性もたくさんいらっしゃることは知っています。(09/04/05)



家事が大嫌い

家事をしなければならないと思うと、朝からゆううつになる。
家事が大嫌いということが、大きな短所のような気がしてならない。勤勉とか親切とか心が純粋とか、そんな大きな長所をはるかに上回る短所のような気がしてならない。
「家事が大嫌い」という私を、誰も受け入れてくれなくて傷ついた。みんな、いかに私を家事好きにしようかと努力するばかりだった。そうすることがかえって家事嫌いを増幅させていたのだが。

最近、「私は自分が大好きだ」と1日100回言うようにしている(あるメルマガで知った方法)。すぐに効果は現れないだろうが、家事で落ち込んでいる時に、「私は自分が大好きだ」と言えるようにはなった。(09/03/26)



本当の問題

先日、洗濯をやろうとして、なかなか開かない洗剤にイライラ。掃除機を取り出して、近くにあった灯油タンクが外れていたことにイライラ。こぼれた洗剤を吸って、掃除機のコードがなかなか収まらないことにイライラ。
#後で生理直前ということに気がついたが

そんな風に、家事が大嫌いなことより、家事が大嫌いな自分を自分で愛せないことが、本当の問題なのだろう。

もっと言うと、私をまるごと愛してくれなかった親の言葉が頭の中でこだましていることが本当の問題なのだろう。

その記憶を消すのは、すごく大変だ。それが本当の困っていることなのだろう。

…でもなかったり。

母親はある宗教に入信しており、私の問題について何かと言えば宗教的な理由を探す(例えば先祖を供養していないとか水子がいるとか)。決して自分達の反省をしようとはしない。困ったもんです。(09/03/19)



家庭や子供を望むだけで…

とある銀行に行って、待ち時間に女性週刊誌を読んでいたら、気分が悪くなった。夫が妻に向かって「さっさとご飯作って」とか何とか言っていたからである。

なぜ「女は家事」なのだろうか。まるで当たり前のように男は女に「家事をやれ」などと命令できるのか。偉そうに。
なぜ女は、結婚しただけで自分の姓も、仕事も、親も、自由も奪われ、屈辱的な家事を押しつけられ、大変な育児をやらされ、そのあげくに夫からのDVに耐えなければならないのか。家庭や子供を望むだけでこんなことになるなら死んだほうがましだ。

頭のどこかに、それは違うのではないか、という思いを持っている。そうでなくては、つらすぎて生きることができないからだ。
私のこの不安を、「こうすれば良い」に変えるためには、どうしたらよいのだろうか。(09/03/15)



本当に不幸なのは…

私は…不幸な家庭に育ちました…でももっと不幸なのは…私がカウンセラーなどに状況を話して…その人が親を呼んでアドバイスするんです…そうしたら「家のことをべらべらしゃべりやがって」と父親には殴られ…母親には「外の人の言うことなんか信用しちゃいけない」と説教され…つまり両親は私の「うちはおかしい」という考えをいつも否定し続けていることです…。

カウンセラーや精神科医が何と言っても、ほとんどの場合親は聞き入れてくれません。あるいは聞き入れる「ふり」をして、家に帰ってからその人に対する文句を言い続けるのです。
文句があるならその場で言って、とことん話し合った方が、長い目で見れば良いことなのに、それをしない。卑怯とさえ言える。

何がそんなに怖いのだろう。カウンセリングは秘密厳守である。精神科医にいたっては秘密を漏らしたら警察に捕まる。だから家のことが他人にどうこうなどとは考えなくて済むはずだ。

私には何だかんだと注意しておいて、自分たちの悪い所がわからない、あるいは直面したくないというなら単なる傲慢だ。そんな親には娘に注意する資格なんかない。
だが、これが当てはまりそうだというのだからあきれる。特に父親は、自分は普段身勝手ばかりしているくせに人の身勝手は許さない。常識ならば悪い所があっても直さない。そういう男に母親は振り回されて来た。

母親はお寺の住職に「こんな男と結婚して…」と言われた意味がわからないようである。合わせているつもりで振り回されているのに気づかないのだ。
また、住職は私を見て「この子の言うことはすべて正しい」ともおっしゃった。「1人の人の言うことがすべて正しいなんてことはない」と母親は不思議がるが、私の言うことを真剣に聞いてほしいという意味ではないかと思う。(09/03/08)



昨日何があったかというと

何があったんだ、と考えている人もいると思うので。 昨日、父親が仕事のストレス(だと思う)で、私に当り散らしたんです。
怖かったです。

働いてない私にとばっちりが来たのでしょう。

でも、繰り返しになりますが、私は親から押し付けられたトラウマで、うつ病になって、毎日不安定な日々を過ごしているんです。
父親が考えるほど楽をしているわけではありません。

父親が暴言を吐いたり暴力をふるうたびに、私の心は傷つくのですが…。トラウマだってあるのに、その上数時間イライラして過ごさざるを得なくなります。つらいです。

わかってもらえないのがとても悲しいです。(09/02/22)



精神的に幼い父親

私の父親は、何か気に入らないことがあれば女に八つ当たりする(特に仕事で)のが当然と考えています。
そのせいで私がたくさんたくさん傷ついたことはわかってくれません。わがままに育てられてそこまで考えられないのでしょう。
今日も「(働いてないくせに)何やってるんだ」と当たり散らされました。すぐ自分の部屋に逃げましたが、正直言ってかなり傷つきました。

私の心をここまで傷だらけにしたのは誰?
私の言うことをろくに聞かずに、感情ばかりで虐待したからこんなことになったのでしょう?
心がぼろぼろになって、身体もぼろぼろになって、だから働けないんだよ。
それわかってる?

…たぶん、こんなこと言ったらまた顔を叩かれておしまいでしょう。
そんな父親に怒りがわきます。(09/02/21)



家事をやるのが怖い

多くの男は「女が家事をやるのが当然」と思っている(非常に残念だが)。家事は重労働なのに、「男が仕事をするのが当然」と考えているので、女は働いていないんだからと、「ありがとう」の一言も言わない。それで家事をどんどん押しつける。それも見返りなく忙しく働くことを要求される。
もっと悲しいことに、妻が外で働いていても、家事を妻に全部やらせる男は多い。仕事を抱えながら家事をするなんてさらに大変なのに、それに気づかない男はあまりにも多い。

家事がどれだけ重労働なのか、知らない男はたくさんいる。それを知らないから、「家事は全部妻にやらせる」などと気軽に言えるのだ。私にとってはそれは虐待に感じられる。
好きなテレビも見られない、好きなおかずも食べられない。それだけではなく、女にはおかずがなかったりする(私が生まれた直後父親の実家で実際にあったこと)。

家事に給料はない。とても忙しく働くのに、金銭的な見返りはない。そんな屈辱的な仕事なのに、多くの男は「お金を稼いでないんだから」という理由で、妻に「自分への服従」を要求する。服従しなかったら殴る男までいる。

これが男女差別でなくて何だろう。しかも女は少数を除いて、出産後主婦になることを強いられる。なのに男は「お金を稼いでいない」という理由で屈辱的な家事を押しつける。

いま家事をすると、そういう地獄を許すようで怖いのだ。…ただ、母は、家事をするとよく「ありがとう」と言ってくれるのが救いだが。(09/02/19)



本当の理由

私のうつ病(というより家事のトラウマ)がここまで悪くなったのは、お父さんのせいだ。
お父さんが、母親に「男は仕事さえできればいい」とわがままに育てられ、その事実と対決せず、すぐキレてもどうにかなっていたから、娘の私がこんなことに苦しむことになってしまったんだ。

そう、お父さんにわめきたい。まるで思春期の第2反抗期のように。そして、お父さんが自分の人生を振り返って欲しい。
だが、それはできない。思春期でないからではない。すぐキレて、顔を殴られてひどい言葉を浴びせておしまいだからだ。だから、私が「男として最低だ」と思うようになってしまった。(09/02/17)



忘れる前に書いておきます

昨日、父親がパチンコに勝ったからという理由で、夕ご飯を母親と私におごってくれました。
服も買ってくれるというので、私は、前のがひざに穴があいてしまったので、部屋着のズボンを買ってもらいました。母親は、前のがよたよたになってしまっていたので、スラックス(パンツ)を2本買ってもらっていました。

ふだん悪口ばかりなので、両親(特に父親)が悪い人だと思われたら嫌なので書きました。(09/02/15)



大好きなお父さん、なぜわかってくれないの?

大好きなお父さん、なぜわかってくれないの?

私はお父さんのことを知りたい。
なぜ、そんなに男尊女卑なのか。
なぜ、いつもムスッとしているのか。
なぜ、仕事がそんなに嫌なのか。
教えてほしい。
なのに、返ってくるのは、いつも暴力。

顔を叩いたって、何も変わらない。
いや、ますます関係が悪くなるだけ。

なぜ、そのことに、気づいてくれないの?(09/02/12)



理由ある反抗

私の母親は朝食を食べる前にいろいろなことをする。朝食の支度だけではなく、父親を車で送ったり、以前は掃除や洗濯までやっていた。
私はそれをしない。家事をする前にさっさと朝食を食べてしまう。それに関して、母親から嫌味を言われたことがある。だが私は、面倒くさいから朝食の前に家事をやらないのではない。お腹が空いてめまいを起こすからやらないのである。
私と親との関係は、万事この調子だ。親は自分の感覚でいろいろ言うが、私には合わないことが多い。それで私は自分の感覚で方法を考え出すのだが、親はそれを「理由なき反抗」と取る。そして反抗しない弟を溺愛する。

これが困る。私だって反抗したくて反抗しているのではないのだ。親の言う通りにできないように、生まれてきてしまったのだ。親がそれを責めるから、心の中に「親に従いたい自分」と「親に従えない自分」が同居して、葛藤を起こし、必要のない罪悪感を抱えてうつ病になったりするのだ。(09/01/19)



家事のトラウマ… Part3

父親がリビングで寝転がり、母親がキッチンで食事の支度をしている。よくある家庭の風景だが、私はこの風景が大嫌いだ。すぐに具合が悪くなり、その場を逃げ出してしまいたいと思う。
そうやって、両親は私に「男は女より偉いんだ、だから男は寝ていられて、女は忙しく働かなければならないんだ」というメッセージを伝えてきた。そういうことじゃないと頭ではわかっていても、あの風景を見ると、すぐに、コンマ何秒で「男は女より偉いんだ、…」とフラッシュバックしてしまう。まるでスイッチを入れると電気がつくかのように。
特にテレビがついていたりすると(たいていついているが)事はやっかいだ。父親がいつも自分の好きな番組がついているのが当たり前と思うからである。母親はいつも父親の機嫌を見ながらテレビを見る。これが嫌だ。そして食器の後片付け。これも女がやらされる。そして男は好きなテレビを見る。その上キッチンでは祖母と母親両方の愚痴を聞かされる(これは昔の話だが、トラウマだ)。祖母が脳梗塞で入院してしまった今も、幼い頃のそんな「虐待の象徴」をすぐに(本当にコンマ何秒で)思い浮かべてしまうのだ。あまりに強烈すぎて、どうしていいかわからない。

以前「いい人がいたら結婚しようと思っているんでしょう?」と主治医に聞かれた時、思わず「はい」と答えてしまったが、かなりの部分嘘だ。専業主婦という仕事がいかに屈辱的か、特に育児がいかに精神的に大変か、トラウマにすらなっている私は、出産後も続けられる仕事を持ってからでないと、怖くて結婚できない。「専業主婦になるなら死んだ方がまし」とすら思う。「家事をひたすら女にやらせる男は最低」とすら思う。本音を言うと、(男に)家事を(全てでなくても)まかせられること自体不愉快だ。だから自分1人だけに関わる家事(部屋掃除とか)も自主的にやるのもつらい。「家事なんてこの世からなくなってほしい」と何度考えたかわからない。
この「家事は嫌々やらされるもの」というトラウマ、追い払おうと思っても何かの拍子で戻ってくる。最初に書いたように、家庭の風景を見ただけでフラッシュバックが起こるのだ。(08/12/17)



家事のトラウマ… Part2

11月22日朝日新聞朝刊社説「子どもの暴力」はこんな綾小路きみまろさんの漫談から始まっていた。「会社では課長はヒラをいじめ、ヒラは家に帰り女房をいじめ、女房は子どもをいじめ、子どもは学校で自分より弱い子どもをいじめるんです」
そして「いらだちの芽を早めに摘み、漫談のネタになるような連鎖から子どもたちを救わなくてはならない」と終わっていたが、私はこの社説とは別の意味で笑い事ではないと感じた。なぜなら、この連鎖で父親・母親・クラスメートからいじめられ続けてうつ病になったのは私だからだ。暴力にならないからと言ってこの連鎖を放っておいてはならない。特に女の子は(男の子に比べて暴力で発散しにくい分うつ病になりやすい)。
その次の日の朝、母親が近くで掃除機をかけ始めた。そうすると、どこからか「お前は女として失格だ」という声が聞こえてきた。そこまで意識しなかったが、たぶんずっと前から潜在意識にそんな思いがあったのだろう。しかし、家事に関して屈辱的な思いをたくさんしてきた私が、家事に関してのトラウマを抱え込み、嫌いになるのは当たり前である。今までそこまで意識したことがなかった。
結婚する前には、相手と十分過ぎるほどよく、深く話し合って、どんな人かをよく見ることが大事だと、ある本で読んだ。また、「結婚前は両目を開けて、結婚したら片目をつぶれ」ということわざもある(私の母親はなぜか後半だけを知っていて、結婚したら何でも我慢しなければならないという意味に取っていたが、それでは単に相手を見る目がないのではないかと思う)。それに関して、私は今まで男性の前で自分をさらけ出すことを恐れていた。特に家事に関しては。そのくせ愛情だけを持とうとしていた。とりあえずはもっと自分に自信を持って、ボーイフレンドとよく語り合うことから始めたいと思う。

60代の美容師の友人に「男の人は(女の人に)口ではかなわないから手が出てしまうのよ」と言われた。本当なんだろうか。男性がエロ本を読むのと同様に、仕方ないことなんだろうか。(08/12/06)



家事のトラウマ…

これから書くことは私がこれまでの人生で有言無言共に学んできたことです。男尊女卑だと怒る人もいると思いますが、これは私のトラウマを癒す上でどうしても必要と判断したので書かせてください。

この世は未だに、結婚する上では女性の方が不利なようである。と言うと、今は女性も働くことができる、と反論されるかもしれない。女性が出産する時に退職を強いられるという問題もあるが、私はそのことについて書きたいのではない。
未だに「後家行かず」という言葉がある。そんな言葉使わないよと言われるかもしれないが、「結婚できなかったらどうしよう」と思う独身女性や、「離婚することになったらどうしよう」と思う既婚女性はかなりの率にのぼるはずだ。この感覚が、男性側の結婚生活での身勝手を助長し、その分女性側が我慢し、果てはそれが「結婚したら相手に合わせなければならない」という真理を間違った形で広めているのである。
私の所属するお寺では、住職(男性)いわく「結婚して、夫が宗教を許さないので退会させてください」と言う女性が結構いるそうである。…これだけ聞くと、何か問題あるのと反論されるかもしれない。だが私はこのことを言う例をあまり知らない。
要するに私は、家事、もっと言うと父親の世話、さらに言うと父親に関わることすべてを「男の身勝手に我慢すること」と考えているのだ。もっと正確に言うと、「相手に合わせること」と「身勝手に我慢すること」には一線があると思うのだが、そのボーダーラインをどこで引いていいかわからないのである。母親は私から見るとかなり我慢しているように見えるので、母親の感覚で引くことはできない。なので結果、父親に関わることすべてを拒否することになってしまうのである。
女性は結婚の幸せに酔い、「夫にすべて合わせます」と言ってしまいがちだが、人間そんなことが続くわけがない。そうやって結婚を後悔するほど我慢し続けて身体や心の調子を崩したり、我慢し切れなくなって離婚したり、不倫したり、愚痴を言い続けるようになったり、姑になった時に嫁に当たり散らしたりなどのさまざまな不幸を抱えた女性を、私は幼い頃から、書籍やテレビも含めればたくさんたくさん見てきた。

私は自ら望んで親を選んだわけではないのに、父親の身勝手で我慢を強要され続け、ストレスを抱え込んだあげく、心身共にボロボロになってしまった。せめて結婚生活だけは幸せにできるよう、ボーダーラインを引こうと思うのだが、正直なところ「まだ精神的パワーが要求されるのか」とうんざりしている。母親と祖母だって私を「家事のストレスのごみ箱」扱いした。おかげで私は家事の途中にPTSDを起こすほどになってしまったのだが。
また、母親は周囲の世話をしすぎだと思う。それで「こんなに世話をしなければならないのか」と考え、相当のストレスになった気がする。それに母親は外で世話を焼く分、家では私に当たり散らすことも多かったからよけいそう思う。

…いや、はっきり言うと、家事自体がすでにPTSDです。私はそう思います。(08/10/19)



死にたくなるが…

 私は最近、養護学校の教師になるという夢を持っている。

 身体の調子が悪いのに、無理して勉強するので、よけい体調が悪くなってしまう。
しまいには死にたくなるが、なぜだろうか…。 (04/05/30)



晴れた休日が怖い

 先週の土曜、快晴だったのに、私の気持ちは晴れませんでした。朝から洗濯をしている母親を見て、雨でも降らないかなという気持ちになってしまっていました…。喜んで家事をしているように見える母親が実はそうではないことを、私は知っているからです。

 母親はその手の愚痴を、全部私に言って晴らそうとします。私が嫌な顔をすると不思議がるか、よけい愚痴るかします。
 なぜそんなに不思議な顔をするのですか。私は幼い頃、そういう愚痴を祖母と母親両方から延々聞かされてかなり傷ついたというのに、まだ傷つけたいのですか。

 将来のためというもっともらしい理由をつけて、私に身勝手を押しつけるのはやめてほしいです。家事訓練という名のマゾヒスト育成はやめてください。私の人格を壊したいのですか。
 わがままな男と結婚したのは私のせいではないのに、程度を超えた世話を母親がしなければいけないのも私のせいではないのに、なぜその程度を超えた世話を押しつけられたり、やらないと愚痴られたりしなければいけないのですか。

 単に嫌なことを、押しつけたいだけではないのですか。
 家事訓練という名のマゾヒスト育成をして、私もそういうわがままな男と結婚させ、苦労させていじめたいのではないですか?

 そんな邪推のひとつもしたくなる母親の愚痴をまた聞かされて、こんなことを考えてしまいました。(02/07/15)



逃げられないトラウマ

 どうして、他では許されないことが家事関連では許されるんだろう。
 家事がうまくできない若い女性への、年輩の女性の視線はとても冷たい。新入社員への、年輩の上司の視線に比べて数倍冷たいと思う。教育的な意味もなしに激しい嫌みなどの精神的虐待を続け、家庭が戦場となり主婦たちがストレスをためる原因になる。
 会社で新入社員にそんなことをすれば、上司のほうが責められるだろう。ところが家庭では、家事ができない女性のほうが責められる。矛盾していないだろうか。

 誰だって、最初はうまくできないのである。にもかかわらず、なぜ若いうちから、家事の出来ない女性だけが、責められ続けなければならないのだろう。なぜ年配の女性の嫌がらせを否定すれば、いじめられなければならないのだろう。

 人によってやり方が違うというのは、当たり前の話である。なのになぜ、家事のやり方が少し違うというだけで、責められ続けなければならないのだろう。
 特に理由がないのに、なぜやり方が違うというだけで、ケンカの原因になるのだろう。

 なぜ母親が若い頃嫁姑戦争で負った心の傷を、私が処理しなければいけないのだろう。自分の負った心の傷だけで手一杯だというのに…。

 なぜ幼い頃から、「お前は何もできない」とけなされ続け、親に可能性をつぶされ続けなければならなかったのだろう。

 そんなひどいことをやってきた親が、事実が公開されずに社会でいい評価を与えられているのを見ると、たまらなくなる…。 (02/05/28)



家事の傷が吹き出している

 前2回は今日、手書きの日記を書き起こしました。
 ところで最近、昔の記憶がどんどん出て来ています(特に家事関係)。たぶん心の傷が治っていく過程に入ったのでしょう。
 今までの経験から判断すると、どんどん書いて吹き出させようとするでしょう。ここを作った理由のひとつに、それがあるのですから。(00/12/07)



家事に関する心の傷

 私にとって、家事に関する心の傷は深い。想像よりはるかに深い。
 例えば、私の母親は朝食を食べずに洗濯や掃除を始めることがよくある。私には真似できない。ふらふらになってしまうからだ。
 ところが母親はその手の無償の世話が大好きだ。それはいいのだが、そういう人が陥りがちな欠点を知らない。世話に疲れると押しつけ的な嫌がらせをするのだ。
 これが単なる他人だったら別にいい。人生の最初で世話してもらわなければいけない親だから困るのだ。むこうには「誰のおかげで…」という切り札がある。その切り札を使って、大人になってからその犠牲をすぐに求めようとするのだ。
 正直言って、私に母親の真似はできないだろう。あのようなことは、世話好きの人間でないとできる技ではない。それなのに、その技を求めできないと嫌みを言う。しかも嫌々やると機嫌が悪いときに当たられる。
 これはいわゆる「ダブル・バインド」である。おそらくそれが傷を大きくし、AC回復の最終段階まで残るはめにまでさせたのだ。完璧にやらなければいけない、ニコニコしてやらなければならない。そんなふうにできないように追い込んでおいて、機嫌が悪いとガタガタ言うのはひきょうだ。どうすればよいのかわからなくなる。人を悪者にして自分を慰めようとしているのだろうか。
家事が抵抗なくできるようになりたい。なりたいが、どうしていいのかわからない。

 親の嫌みというのはひどい。心を傷つけることも少なくない。しかも私にはできないことや今すぐは不可能なことが多いから困るのだ。そしてわからないと暴言が飛ぶ。弟にはやらないのに私にはやる。何か反論されると切り札的な言葉で押さえつけようとする。
 わからないのだろうか。時期が早すぎる要求が私の心身をつぶしていることが。いずれ親の要求程度ではつぶれなくなるだろうが、それはもう少し先の話である。それをいまやろうというのは無茶だ。
 言えることはただひとつ。私は親の暴言ほど子供でもないし、価値の低い人間でもない。暴言を黙って受け入れなければならないほどの。(00/04/16)



外の人間関係と家の人間関係

 「なんでそんなに薬を飲まなきゃいけないの」
 「気のせいじゃないの」
 「明るく考えなきゃ」
 …簡単に言わないでくれ! 多感な時期にあり余る程の暴言を受けて育った私は、明るく考えるだけでも結構大変なんだ!!…さすがに、あの恐怖の時代から時は流れ、深かった心の傷はかすり傷程の浅さになり、明るく考えることも習慣になりつつあるが。
 私がなぜ勤めて身体を傷めたか知っているのだろうか。親は人間関係でストレスをためたからだと思っているようだが、実際はまったく違う。
 だいたい私の両親は、外の人間関係が冷たくてストレスがたまる関係、家の人間関係が暖かくてストレスを解消する関係と決めつけるような所がある。親自身がそうなのだろうが、みんながみんなそういう状態である訳ではない。例えば、DV(近親者間暴力)に悩む人はどうなのだろうか。こういう人達は家の人間関係でストレスをためている。私もその類に近い。
 職場の人間関係は、正直言って家庭より心地良かった。むしろ、家の人間関係をストレスのたまる関係のままにしておいたのが良くなかった。普通に考えてもストレスのたまる就職したての頃に、本当に安らげる場所が身近にないというのは致命的だ。
 こう言うと親が泣くような気がするが、いまの私にとって家は安らぎの場所ではまだない。家を本当に安らげる場所にするために、私の心からマイナスの落ち込む心をできる限り追い出したい。
 というのは、まだ過去の影響があるのだろう、家にいると「自分はダメな人間だ」などと必要もない落ち込み方向に考えることがよくある。以前はもっとあった。いま私は、つとめて前向きの方向に考えを持っていこうと、いつも自分に暗示をかけている。(00/03/29)



親の言葉がわからない

 親が私に対して文句ばかり言う。欠点とは言えないような欠点をよくつつく。なぜ私は、ただ親からすると理解できない性格だからといって、こんなに文句の種にされなければならないのか。
 正直言って私はゴーイング・マイウェイという性格である。世代の常識に従い、世間の目を唯一絶対神として生きてきた両親にはわからない考えらしい。だからといって、考えを否定する権利はない。私は考えを否定しない忠告というのを望んでいるのだが、親は考えを否定して怒ることしかできない。
 わかりやすい例では、私は高校を卒業するまで学校の雰囲気に溶け込めず(雰囲気が合わなかったせいもある)、教師やクラスメートからひたすら悪く言われていた。それを見かねた親が協調性を教えるために「みんなと同じようにしなさい」と注意したのだが、私の性格からするとなぜみんなと同じようにしなければならないのか、みんなと同じにすることと協調性とは違う(今でも違うと思っているし、それは正しいと思う)と考えるので意味がわからないのである(これはエニアグラムのタイプ4の特徴なのでしょうがない)。ところが親や教師やクラスメートは「頭の回転が早いのだからわからない訳がない」と言いながら「みんなと同じようにしなさい」と10年以上にわたって言い続け、わからなければ殴る蹴る嫌みを言うといったひどい虐待をしてきた。結局私は大学に入学していろいろな人に出会いそれなりに受け入れてもらったことで、やっと協調性というのを知ることができた。親からの言葉で理解したのではない。経験で理解したのだ。仮にそんな経験がなく親からの言葉を聞き続けていれば、私は一生協調性というものを理解できなかっただろう。
 一事が万事この調子だから困る。今でも正直にわからないと言えばみんなは逃げていない自分の欠点から逃げていると言われるし、あまりにひどい言葉が続くので精神的健康のために心の扉を閉じたり怒られているその場をタイムアウト(興奮した心を静めるために別の場所に移動すること)しようとすると「素直に聞く謙虚さがない」と怒られる。
 親の注意が理解できないのがそんなに悪いことなのか。器用にもいろいろな所からわかりやすい忠告を拾ってくるのが、そんなに悪いことなのか。親は「他人だったら優しく教えてくれるだろうが、本当に心配しているのは家族であり親なんだから」と言うのだが、虐待を受けた身には優しさが心地よいこともあるし、親と同じことを私にとってわかりやすく教えてくれるので助かっている。
 そういうことが親の心配や忠告を否定することとは私は到底思えない。むしろ尊重しているとさえ言えると思うのだが。(99/10/26)



悪者にされる私

 親が私の人格をわかってくれない…。
 私の両親は、言ってみれば「世渡り上手」だ。自分の考えと合った人だけと付き合い、合わない人はさらりとこなし、規則みたいなものは不満でも守り、ゴタゴタを極力起こさず…そういうふうに生きてきた。それだけならいいが、そうしなければ世界を生きられないと信じている。それが私には限りなくつらい。なぜなら、私は親とほぼ正反対の性格を生まれ持ってきた人間だからだ。当然、ほぼ正反対の生き方をするのがおおげさに言えば運命とさえなる。ところが親は、そんな私を今言ったような理由で真っ向から否定するという訳だ。それでは世界を生きて行けないと。しかし私の親と正反対の性格の人、逆に言えば私と同じような性格の人で、世界できちんと役に立って生きている人はいくらでもいる。それをいくらいろいろな例で説明しても、親は「自分たちの話を聞こうともしない身勝手者」の一点張りなのだ。
 というより、親はそういう注意の途中に私が「ちょっといいかい、そういうことじゃなくて…」と言っただけで怒り出すのだ。かといって、試したことがあるがひたすら黙って聞いていても怒る。これも試したことがあるが納得したふりをして、後で違った行動に出ても怒るのだ。結局親から怒られないためには、1日24時間1年365日、ずっとずーっと、親のような生き方をするしかないのだ。そうしなければ「自分たちの話を聞こうともしない身勝手者」と怒鳴られてしまう。こんなにつらい話はない。
 よく私は「私の悪いところばかりつついてる」と反論する。そうすると親は「あんたは外で親の悪口を言っている」と言ってくるのだ。家で言うより外で言う方が悪い、というのが言い分だが私が外で言う理由を知っているのか。家で散々つぶされ、先程書いた理由で家では何も言えず(言ったら「自分たちの話を聞こうともしない身勝手者」にされるのが関の山だ)、精神不安定状態になって誰かに言わないと心身ともにもたなくなるのだ。また言わずにおくと精神不安定がますます進み、何かの拍子でパニックを起こす。誰かに言っても怒る。パニックを起こしても怒る。ほんとに何をしても怒られるという最悪の状態である。
 しかも、きっかけがほんのささいな事なのに、今やそれからは成長している昔のことやら持ち出して延々と怒り続けるのだ。ちょっとの口答えだけで、「おまえは人の話を聞きやしない」とやら何やら延々と…。そしていろいろなことを都合よく組み立て、無理やり私を悪者に仕立て上げるのである。だから自分のことを親には話せない。こういう時に私を悪者に仕立て上げる材料になってしまうからだ。
 しかも、私は父親が冷静に叱っているところを見たことがない。父親の私へのしつけは、頭に血が上っているときの反論を許さず、無理やり私を悪者に仕立て上げるひどい暴言と暴力だけである。そして母親はその味方をするからたまらない。後で父親が落ち着いたときに私の味方をしてくれるのかと思えば、しないのである。
 頭に血が上っているだけに、ひとりよがりで独善的な発言になるのは想像がつく。そんなときに本当に子供のためになるしつけなんかできるわけないのだが、私はこんなしつけばかり受けてきた。母親が冷静に叱っているところがあったかどうかは記憶が怪しいが、感情で怒ったことが多かったのは確かである。
 私が落ち着いてから話をしようとして、その場を逃れようとするとまた「人の話を聞きやしない」と怒られる。でも、そのほうがよほど有意義な話ができると思うのだが。
 親は私によく「感情のコントロールができていない」と怒る。しかし、よく考えるとできてないのはどっちの方だ。家では何でも良くて外では何でも悪いということはないだろう。怒る父親に対しては、私は明らかに父親より冷静に話す。しかしいくら理性で話しても、反論している限り私は悪者にされるのである。と言うより、「私がわたしである限り」と言った方が正確かもしれない。(99/10/17)



馬鹿にされた傷

 疲れる。家族のすべての行動が、私を馬鹿にしているように見える。 母親に「馬鹿になんかしていない」と言われても、信じられない。有言無言の非難行動、私を軽視するようなことばかりだ。
 外でパニック行動を起こす私を、母親はものすごい身勝手者のように責める。これがたまらない。場の使い分けがなっていないというのだ。とんでもない。あんた達が家で吐けないような状況をつくるから、こうなるのだ。ひたすら私を悪者というか最低の人間にして、要するに「吐く資格もない」というようなシグナルを送っておきながら、吐くことを求める。こんな勝手なことはない。馬鹿にされている意識の不満が積もり、いろいろなことが積もり積もり、神経の糸がパンパンに張って、それがパニック行動となってあらわれるのだ。
 そんな苦しさも知らない。知らないのはいいが、知らないくせにガタガタ言う。それが耐えられない。
 私の普段の生活の苦しさを、親は1/10も知らない。知らないことより、知らずにお気楽者みたいな言い方をチクチクされるのが許せないのだ。
 私が家事に対して持っている異常な傷心と毎日戦っていることも理解していない。それと毎日戦いながら、異常な傷心を追い出しながら、何とか慣れようと毎日相当なパワーを使って家事をやっているのである。その大変さも知らずに、ちょっと具合を悪くして省略したら怒る。まるで何でやらないのというふうに。それが嫌でたまらない。
 とかく私を変な理屈をつけてわがままな身勝手者にしたがる。だから「馬鹿になんかしていない」と言われても、信じられない。
 馬鹿にされた傷を癒すってつらいんだから。(99/07/28)



不必要なストレスだらけの毎日

 「健康的な毎日を送る秘訣」というのがよくある。きちんと食べてきちんと寝て、ストレスをためないで…というのが多い。こういうのに照らし合わせると、私が体調を崩してばかりいるのも当然のように思えてくる。何しろ、いま書いた3つのどれも満たしていない。
 食事に関しては、親と同居しているので栄養バランスがどうこうと言いたいのではない。落ち着いて食べられる時というのが存在しないのだ。常にどこかびくびくしていなければならない家での食事。これでは栄養も毒になってしまう。
 睡眠に関しては、疲れて遅く起きれば地獄が待っている。かといって、早く寝ようとするとストレスで寝られない。というより夜のほうがストレスがたまりにくい環境のため、えんえんストレス解消のために時間を費やして寝るのが遅くなってしまうのである。私はそもそも朝型の体質なのでそうなると心身ともにストレスがたまる。そして遅く起きれば家族達から無言の非難を飛ばされるのだ。
 そしてストレスをためないというのが一番難しい。私自身がストレスをためないように気をつけていても、家にいるだけで解消が追いつかないほど大量の不必要なストレスが降りかかるのである。
 ただ隣の部屋でパソコンを起動して小音量の音楽をかけただけで文句を言う弟。単なる勝手に過ぎないのに肩を持つ母親。私はそんな時間がなければ、それこそストレスでつぶれてしまう。そして弟は自分の部屋を抜け出し、1階の別の部屋を占領する。それも親は文句を言わない。私はそれでも迷惑なのである。何かの用で1階に降りただけで怒られるからだ。例えば何かの飲み物や精神科の薬を飲む、コンタクトレンズをつけはずしする、食器を洗う、洗濯をするなどである。
 こういう生活に絶対必要なことだけで怒られてはたまらない。悪いのは私ではないとわかっていても、どこか心がびくびくしてしまう。私が一番困り果てている、ストレスの猛獣である。(99/07/23)



腹を立てる価値なし

 毎日毎日逃れようのない家族の私を馬鹿にする行為にストレスがたまり腹を立てる生活が続いている。しかし、今日の朝ふと思ったのだが、こんな人達に腹を立てる価値があるのだろうか。
 これは最近よく見ているテレビ番組「人気者でいこう」の「芸能人格付けチェック」の影響かもしれない。知る人ぞ知るように、高級な問題を出して全問不正解だと「映る価値なし」として画面から消えてしまう。
 家族達は私の感情の尊重もできない。私の子供時代からそうである。私を感情のごみ箱にする。家族を感情のごみ箱にするような人間に腹を立てる価値があるだろうか。せっかく貴重な才能を生まれ持ってきたのにもったいない。
 幸いにして私は「図に乗る」という性格ではない。家族を「腹を立てる価値なし」と思ったところで馬鹿にしたりはしない。親不孝といわれるかもしれないが、このまま腹を立て続けて成長しないのと腹を立てるのをやめて才能を生かすのとでは、どっちが親不孝だろうか。
 それに私は十分虐げられてきた。この辺で虐げられてきた自分を解放してあげてもいいだろう。(99/07/20)



無神経な言葉

 私はかって親を始めまわりの大人たちからこれでもかと言うほど悪く言われた。それが原因で、すぐ自尊心が落ちて精神不安定になるという一種の精神障害を抱え込んでしまった。
 そんな地獄のような悪口に囲まれた時はやがて去り、けなしてばかりいた親は最近では何とか私をほめるようになった。しかし、最後に余計で無神経な一言を付け加えるのである。「心をコントロールしなきゃね」・・・。
 いったい、誰のせいでこんな精神不安定に悩まされていると思っているのか。私は毎度のこの言葉に激怒している。
 もちろんもう回復終期に入ってしまったため、親のせいにしても何も解決しない。それはそうだが、私の精神不安定の原因が親にあることは変わらない。
 AC回復というのは、親のせいで起こった障害を自分で取り除かなければならない。もう親を恨む気持ちはないが、だからといってまだ癒されていない傷をつつくことはないだろう。原因を作った人に注意されると非常に嫌な気分になるのだ。(99/06/21)



精神的に追いこむ家族

 私の両親は虐待的なほどの男尊女卑の考えを持っている。一時代前の考えと言いきっていい。
 何しろ男は勝手し放題でも許される、女は男の気に入らないことをしてはいけないという状況である。母親は何だかんだとごまかすが、要するにそういうことなのである。それを何度言っても認めない。
 私は幼い頃からそんな環境で育っているため、絶えずびくびくする悪い習慣がついてしまった。常に自分を悪く見るのである。実は男たちが都合のいいように、たいてい私が悪者にされるのである。こんな勝手な話はない。
 最近は回復が進んできて、びくびくするたびに私は悪くないとよく自分に言い聞かせる。そのうち言い聞かせる必要もなくなると信じているが。(99/05/16)



欠点ばかりの人はいない

 私はトップページに書いたようにマインスイーパが大好きである。
 先日、ルールを知っている人が私の遊んでいるところを見て驚いていた。何にそんなに驚いたかというと、私の解く速さである。「私が考えているうちに次々と開いてしまう」とその人は言っていた。
 思えば私は昔から頭の回転が速い。ところがこれを親は悪く言った。なんでそんなに素早く言い返すのかなどと。私が内心気に入っているところはことごとく欠点扱いされた。そして私は自分が欠点ばかりの人間と思いよく落ち込んだ。
 しかし、よく考えると欠点ばかりの人はいない。勝手に欠点にされていることすらある。裏を返せばはるかによい長所だったりもする。
 「私は何一ついいところがない」と落ち込んでいる人はかっての私の例をあげるまでもないほどよくいるが、そんなことはありえない。「いいところ」が何かの原因で見えなくなっているのである。(99/04/02)



家庭が私を否定する

 家庭が安らぎの場だなんて誰が言った。いや、理想はそうだろう。
 しかし、私は「安らぎの場」と思える程の「愛」を親からもらえなかった。そう言うと親は反論する。愛してあげたじゃないのって。けど、私は人間として愛された記憶はない。条件つきの愛だった。言うとおりにすれば愛してもらえたが、しなければ・・・。
 私は昔から「みんなと同じ」ということが大嫌いだった。私自身はこの性格がとても気に入っているが、親はそうじゃなかった。父親は殴る蹴るで「みんなと同じ」ということを覚えこませようとし、母親は説教で説き伏せようとした。ところが、こういう性格だからそう言われてもわからない。わからないとさんざん怒られ、また同じことをされた。親はしつけをしてあげたつもりだろうが、これは虐待である。人格を否定している。
 それだから今も私の心には「自分が最低の人間だ」的な感覚がある。最近は癒されてきたせいか元気な時には出てこない。ところが何かの拍子でちょっと神経的に疲れると、とたんにこの考えが出てくるのである。そうなるとはまってしまう。家族の誰かのため息すら私を否定しているように感じる。そして精神的にバテるのである。
 それを母親は、「どうしてそんなに気にするの」と言い出すのである。とても頭に来たが、なるべく落ち着いて自分の精神状況を話した。そうしたらどうにかわかってくれたが、今度は「(パニック)発作を外では起こさないでくれ」である。正直言うと親の悪口も外では言うなというのである。安らぎの場ではない家で出せというのは無理な話だ。それにパニック発作は今日気がついたが、心の中の傷ついた子供(インナーチャイルド)の泣き声である。愛してほしかったという。
 私も癒しが進んできたので落ち着いて言い返せるようにはなったが、親が癒しを邪魔するような注意ばかりするのでその言葉を頭から追い出すのに困る時がある。
 まあともかく、今日は落ち着いて言い返せたので自分を誉めてあげようと思う。あと、インナーチャイルドは・・・明日相談に行こう。(99/03/19)



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