ビデオ『Auschwitz: Surprising hidden Truth』の紹介文
アウシュビッツ:驚くべき隠された真実!
ディーン・Ireboddによる
アウシュビッツ − ドイツ人達が少なくとも100万人のユダヤ人を殺人ガス室で、「チクロンB」と呼ばれる殺虫剤を悪用して殺したといわれる悪名高い戦時中の収容所です。
アウシュビッツはホロコーストのためのキャッチフレーズになりました。
それは、この全ての虐殺の母の震源地だったそうです。
そこでは、ドイツ人達は彼らの巧妙な工学技術を使って、彼ら無力な犠牲者を工業的に可能な高い効率で大量殺害したと言われています。
最初に彼らは、化学薬品の屠蓄場に何千と押し込まれ、それから彼らの死体は矢継ぎ早に火葬炉で燃やされました。
しかしその物語は、詳細な調査に耐えられるでしょうか?
このビデオは、アウシュビッツで何が起こったかについての生存者の一般的な主張の幾つかを調査します。
この状況に於ける問題の幾つかは以下の通り:
そう主張される通りに、ガス室を犠牲者で満たすことは可能か?
他のユダヤ人によってだけ監督されたユダヤ人は、彼ら自身の大量虐殺に協力したか?
彼らの生命を得ようと努力する2000人のユダヤ人を閉じ込めるのに、どんなドアが用いられたか?
火葬の工程は本当にどれほどの効率があったか?
彼らが見たことを世界に話すために、何人のアウシュビッツの収容者が生き残ったのか?
このビデオは、これらとその他の質問への、資料と専門家の証言によって支持された回答です。
結果は、もし衝撃的と言わなければ、仰天するほどです。
生存者の主張は、一方で技術的な面だけでなく物理的な現実とも矛盾し、他方では、大部分の人々がそう考えていることとは違う、アウシュビッツの驚くべき真実を明らかにします。
このビデオを見れば、貴方は貴方を取り巻く世界を違った目で見るでしょう!
オンラインまたはダウンロードしてそれを見てください;そしてそれから友人や親類にそれを送ってください! それは無料です!
注:このビデオは、その内容精度の確認の為、二人の主要なホロコーストの専門家によって、事前チェックされています。
それは、付録の文書に省略された問題の議論やソースと、ほんの少し触れた映画の短い部分を含みます。
ビデオ『Auschwitz: Surprising hidden Truth』の最後にある解説の訳
献辞
このビデオは、20年も先んずる1992年の、最初のアウシュビッツ神話のビデオ『David Cole Interviews Dr.Franciszek Piper』、別名『デヴィッド・コール・ビデオ』を製作したデヴィッド・コールとブラッドリー・R・スミスに捧げられます。
著作権
このビデオの製作者は、このビデオの所有権を放棄し、公共の場所にそれを公開します。
それは教育目的のためのみです。
それは営利目的のためではありません。
謝辞
彼のビデオ『Last Days of the Big Lie,』によって、最初にDario Gabbai(ダリオ・ガバイ)を、そしてホルスト・カーンを知った事に於いて、エリック・ハントに特別な感謝を送ります。
それで私は、彼らの証言を私のビデオに使いました。
ハントは最初に、スティーブン・スピルバーグのアカデミー賞受賞ドキュメンタリー『The Last Days』でガバイに出会い、それからUSC Shoah財団ウェブサイト上で、より長いガバイの証言を見つけました。
ダリオ・ガバイに関する詳細な情報は、彼のビデオの中にあります。
パーリアス=村八分者(インドの下層民という意味)
デボラ・Lipstadtの締めくくり部分の引用(ビデオの最後の方にある)は、ホロコースト否定論に対する合意の「戦略方針」を示しています。
この方針は、おそらくバラク・オバマのスピーチライターに伝達された、このビデオの最初にある、ホロコースト否定論者への彼の最上位の非難を説明します。
それはオバマの悪魔の陰謀ではありません;それは、単にオバマの関係者に近づいた、彼らがそのスピーチを見たかったグループです。
村八分方針は、大学の歴史学部に効果的でした。
2000年代後期の6000億の銀行緊急援助についての映画『Inside Job』(2010)で、大学の経済学部がそれが起こることを予測しなかったという論点が作られました;ある種の腐敗と倦怠が学部全体に広がりました。
映画は幾つかの特定のプロの例を挙げます。
それは、歴史学部についても類似しています。
ダリオ・ガバイは多くの主要なアウシュビッツドキュメンタリーやローレンス・レーの本に於いて特集されます。
私は、一人でも、ガス室を疑った歴史学教授は言うまでも無く、ガバイが目撃者であるか疑った/批判した、歴史学教授が居たとは思いません。
デボラ・Lipstadtの講演の締めくくり部分の訳
「最終的に、私はこう述べて終わります。ワレワレの目的は、大量虐殺の否定が、それほど不埒で、それほど卑怯だとみなされ、それに関わる誰もが村八分を言い渡される社会を構築することです」
政治的な影響
ホロコースト神話は、ドイツ人が彼ら自身についてどう考えるか、ユダヤ人が彼ら自身についてどう考えるか、パレスチナ人がどう扱われてきたか、に影響します。
それはまた、アメリカが第二次大戦に参戦する為の過去にさかのぼった正当化です;そして、第二次大戦を「正義の戦争」とみなす手助けをします。
しかし、それが正にこれらの論題であることに注意して考えてください。
それが影響を及ぼす他の幅の広い大きな問題があります。
チフス
私の様に、アウシュビッツにはサッカー場があり、ガス室が無かった事を確信している地点に居るなら、これらの要点は殆どの人に対するように貴方を驚かさないけれども、基準点となります。
そこで、驚くべきものとなるのは、チフスによる死の数です。
私がMattognoの本で示した一つの経過では、その2、3ヶ月間にキャンプの30%が亡くなりました。
チフスに罹った誰もが死ぬわけではないので、チフスに感染した割合はより一層大きいでしょう。
同様に、アウシュビッツには水泳用プール、日曜日のオーケストラ・コンサート、芝居と映画劇場があったことは、私には大きな事件に成りません。
私が大きな事だとわかるものはチフスによる死です。
私は、当時、シラミを駆除するのが非常に難しかったことを知っています。
私は、何人のソビエトの捕虜がチフスで死んだのだろうかと思います。
DDTは、チフスをほとんど根絶させたようです。
私は、今日のシラミと、死に至る病気をもたらした、かつてのシラミの違いを、一部の人々が理解していないと思います。
チフスは実際にまた、結局はシラミも殺してしまうでしょうが、それまでにその微細な排泄物が、人が掻いたときに、人々にそれを伝染します。
シラミは卵を産みます、それは簡単に洗い落とされないように、糊を持っています。
今日では、シラミ用の櫛を使う際に、糊を溶かすローションを髪に塗ります。
↓第二次大戦中のソ連の防空壕↓ |
http://img692.imageshack.us/img692/9909/civildefensegaschambers.jpg |
アウシュビッツのガス室だとされる施設は |
どうみても当時の防空壕とそっくり |
火葬時間
全ての遺体(一回に2千人を処刑したと主張されるその一回分)を火葬するのに、過小評価で計算して6日かかります、実際は丸一週間かかったでしょう。
私は1日に24時間動作している火葬炉に基づいたけれども、カルロ・Mattognoは、固形燃料(コークス)のために生じる「鉱滓(こうさい=酸化物のかす)」、取り除き辛い鉱物の付着物ゆえに、それをこすり落とす為の計4時間の休止時間を必要とする構成だったろうと説明します。
従って、これらの炉が一日に最高20時間だけ稼動でき、結果は全体の工程がより長くかかると述べる方がより正確です。
ビデオには、あまりに複雑だったので、私は一日に24時間稼動に基づきました。
カルロ・Mattognoの『Auschwitz: The Case For Sanity』ページ282−3を見てください。
パニック(恐慌)
人々がガス室で狼狽するであろう理由は明らかですが、ビデオに入れなかったもう一つの理由があります。
二酸化炭素の増加はパニックを誘発します、そしてガス室のユダヤ人は窮屈な地下室で彼ら自身が吐き出す二酸化炭素を再呼吸するでしょう。
これを示す事実は、アメリカ人が「waterboarding」と呼んだ拷問方法を使った時です。
2002年8月1日のBybeeメモは述べます、誰かがwaterboardをされている時「これは、個々の血中の二酸化炭素レベルの増加を起こす。
この二酸化炭素レベルの増加は、呼吸しようとする努力を刺激して増大する。
この努力に加えて布が「窒息と初期のパニック」即ち、溺れ死ぬという認識を生じる」
出典:
www.fas.org/irp/agency/doj/olc/zubaydah.pdf,page4.
または
www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB127/02.08.01.pdf
ガス室に変えられた死体置き場?
後発のホロコースト史家ラウール・Hilbergは、彼の本『ヨーロッパのユダヤ人撲滅』の中で、火葬場IIとIIIが、元来は死体置き場として設計されたことを決して示しませんでした。
Hilbergは、「Leichenkeller」(死体地下室)という言葉が、ガス室の湾曲表現だと暗示しました。
1990年代の同じ視点は、おそらくジーン・クロード・Pressacの本『Auschwitz Technique and Operation of the Gas Chambers』から始まった、火葬場IIとIIIの地下の部屋は死体置き場として予定されたけれども、ガス室に変更されたという新しい主張から来ています。
この新しい断定は、疑いなく1976年にアウシュビッツ書庫の火葬場IIの青写真を発見した、フランス人のホロコースト否定論者ロバート・Faurissonによって出版された研究からの思いもよらない副産物です。
Faurissonは、彼のブログに書きました:
「1976年3月19日、私はアウシュビッツの国立博物館公文書保管所で火葬炉の建築計画を発見しました。
1945年以降慎重に隠して置かれた計画。
そして、正当な理由:それらは「ホロコースト」に反論する例でした!」
−2010年9月14日のエントリー
http://robertfaurisson.blogspot.com/2010/09/look-back-at-my-discovery-on-march-19.html
彼は、このビデオが示すのと同じく、それらの部屋は「ガス室」や「脱衣室」とは名付けられていない、と説明します。
いやはやこの部分は、ガス室の湾曲表現/暗号だという説明に至りました。
しかし、後にこれは、改造された死体安置所という見解に、幾分弱められました。
「ガス室への改造」見解も不合理です、なぜなら、それらは元々、死体安置所として設計されていて改造されました、改造は階下から上の階へのベルトコンベアを含んでいます; それは、チクロンBペレットに含まれる毒ガスを素早く蒸発させて消散するための熱い空気の送風機と循環機構を含んだでしょう; そしてそれは、死体置き場には適した容量だけれども、殺人ガス室には不十分な、弱い換気システムの大きな強化を含むでしょう; 更に、より高い火葬の容量のために、巨大なレンガのシリンダー炉を含んだでしょう。
言うまでも無く、ガス室の施設と死体置き場は、交換可能なそれではありません。
そして、戦時中のユダヤ人の千マイルのこの施設への輸送と、到着次第の処刑について:それらの輸送が遅くとも1942年の早期から回転を始めたと言われますが、火葬炉の建設は1942年の晩夏から開始されたのです!
それゆえに、もし神話が真実なら、「最終的な解決」が既にアウシュビッツで1年を通して運行されていたときに、それらの建物は、建築の第一日目から大量ガス処刑施設として設計され、1942年の末に死体安置所から改造されなかったでしょう。
以下の史実の変更を見てください:(続く画面の写真で線を引いてあった文)
『ヨーロッパのユダヤ人撲滅』ラウール・Hilberg著
1967年版 Leichenkeller(corpse cellar)
1985年版 Leichenkeller(corpse cellar)
The hydrogen cyanide, solidified in pellets, was shaken into the Leichenkeller through shafts, into the Badeanstalten through side
2005年 Ree著
the facility's function was changed
designed originally as mortuaries
No one knows the exact date on which the SS leadership ordered the transfomation of the building.
このビデオを論駁しようとする人の試みの一つに、ハンガリー系のユダヤ人が処刑されるキャンプに入ると、火葬炉は全ての死体を処理できなくなったので、ドイツ人は屋外に巨大な穴を掘って、何千もの余分な死体を火葬した、と言うでしょう。
カルロ・Mattognoは、その思い込みはどの様に間違っているか、『Auschwitz: Open Air Incinerations』(2005)という本を書きました。(フリーダウンロードwww. holocausthandbooks.com/index.php?page_id=17)
Mattognoの要点の一部は以下の通り:
1)貴方がアウシュビッツで地面を4フィート掘れば、水が出ます
2)2、3千人を屋外で木の丸太で燃やすには、大きな穴、巨大な薪の束が必要で、そして巨大な煙の雲が出来るでしょうが、1944年のアメリカの航空写真はそれを示しません。それらに小さな煙は見えますが、この規模では有りません
3)アウシュビッツの輸送記録には、屋外での大規模な火葬に必要であろう薪やコークスの搬入の増加はありません
4)証人とされる人は、凄くお互いに矛盾しています
本をダウンロードして確認して下さい
人々が反論で述べるであろうもう一つのことは、カール・ビショフSS少佐からハンス・KammlerSS准将への1943年1月29日の書状で、そこで火葬場IIの地下の部屋の内の一つを指すのに「ガス処理地下室」という言葉が使用されます。
カルロ・Mattognoは、彼の本『Auschwiz: The Case For Sanity』の55ページから、これに答えて、おそらくこの地下室に、チクロンBを使ったシラミ駆除の計画があったことを述べます。
Mattognoは「最も合理的なシナリオは、1943年1月の終わりに向けて、チフス流行を抑制するために必死のSS当局の、火葬場IIのLeichenkeller 1を一時的にシアン化水素を使用するガス室として使う計画です。
『Vergasungskeller』(ガス処理地下室)は、明らかに、それらもまた『Vergasugsraum』(ガス室)と名付けられたBW 5a と 5b[私のドキュメンタリーで示したシラミ駆除施設]から引き継がれたシアン化水素[シラミ駆除]ガス室です」(pg.60f.)と書きました。
Mattognoは、この書状が書かれた月に、キャンプで4500人の収容者がチフスで失われたと指摘します(page58)。
Mattognoの仮説は、それらの地下室に本物の収容者用シャワーを造る(pp. 149-155)、つまり衛生施設として少なくとも一時的にその死体安置所を使う計画が在ったことを示す文書によって支持されます。
収容所当局は、火葬にするまで死体を保管するために必要な地下室は1つだけだったかもしれず、他の地下室をシャワーと服とベッドのシラミ駆除のために使用できたかもしれません。
しかしながら、この計画は、チフスの流行が抑制されたため、そして、戦後の壁の調査で、高シアン化残留物が検出されなかったので(チクロンB(シアン化水素)のactive agentは壁材のiron compounds(サビ)と反応し、long-term stable iron cyanide compoundsを形成します)、完全には実行されなかったようです。
ガス処刑の噂
アウシュビッツでのチフスの死はそれほど巨大なので、私はガス室神話が、幾分はこれへの復讐なのか、あるいは、生き残った収容者の妄想から部分的に始まったのかと疑問に思います。
サミュエル・クローウェルは、彼の本『シャーロック・ホームズのガス室』の中で妄想という主題を出しました。
しかし、しばらくこれを調査した者として、私は多くの嘘吐きに出会いました。
私はまた、彼らの第二次大戦の経験について嘘を言うプロテスタント系のアメリカ人達が居る事も直接知っています。
しかし、それは複雑になります。
あまりに多くのユダヤ人がその様に話すホロコースト物語を、私に指摘させてください:
1)彼らは列車から降り、誰かが、彼らの両親や彼ら自身に、そこから出るだろう唯一の方法は、遠くの煙突を通り抜けるだけであると話します。
それは証言者が、彼らが聞いた話を彼ら自身の話として繰り返しているだけでありそうです。
または、ユダヤのイディッシュ語系の地下放送のメンバーが、その受信範囲に不安/疑惑/不協力を撒き散らそうとしていたかもしれません。
しかし、もし毒ガス処刑が極秘の作戦だったなら、Kaposと看守は本当に人々にこれを話しているでしょうか?
ユダヤ人のkapoが、今到着したユダヤ人に対して、その情報をその様な冷淡な方法で、たとえそれが真実だったとしてさえ、話す見込みの無いことは言うまでもありません:「あなたの両親が、煙突の煙の中に居ます」!
2)家族が到着し、はからずも「労働に適する」列に居る兄弟姉妹の一人は、彼らの両親と別れたくないために、知らずに「ガス室」の列に移り、そうして両親と共にガス室に行きました。
一方では、それは痛ましい話なので、話されるのでしょう。
しかし他方では、それはおそらくドイツ人が、どの列に加わるか幾らかの自由を与えて、少しの満足と彼らが望む誰と生きるか、人々を自己満足させておくためでしょう。
しかしたぶん、後に彼らはチフスで死に、彼らは到着時のガス室で死んだと、それは考えられたのでしょう。
しかし、シェパード犬達が吼え、看守が「急げ急げ!」と叫び、メンゲル医師が何とかしていつも立会う、本当に厳格な生と死の2列の方針があったとして、列を変わることは許されたでしょうか?
貴方が研究者であれば、これら二つの話は、ありふれています。
ソビエト人の捕虜
バルバロッサ作戦に於いて、この時(1942年8月)までに約300万人のソビエト兵士がドイツの囚人になっていました。
もし、彼らが同じ規模でチフスに罹っていれば、ソビエト捕虜の、チフスの流行した最悪の期間(更に、ソビエト捕虜は食料不足でもありました)の死は、40000人のアウシュビッツのユダヤ人より、100倍高い数字になったでしょう。
ソビエト捕虜の死は、戦争の語られない大きな恐ろしいエピソードですか?
1942/43年の冬は、ロシアで非常に厳しく、ドイツの供給路が停止する原因となりました。
それに加え、ドイツ人は300万人のソビエト捕虜を世話する準備がありませんでした。
したがって、その冬の間続いたソビエト捕虜の大量の死は、意図的なものではありませんでした。
それでもやはり、彼らはドイツの保護管理の中にありましたので、ドイツ人に責任がありました。
火葬炉のデザイン
続く画面は火葬炉を説明するTopf社のパンフレットからで、彼らは中に遺体の入った大きな棺を入れるため、より大きなマッフル炉を造りました。
アウシュビッツの大量虐殺の後ろに居る人が、一度に4つの遺体を一つのマッフル炉に入れようとしていたなら、人は、それがより大きな空間を持つので、彼らは少なくともこのより大きなモデルをTopf社から買ったと思うでしょう。
どちらにせよ、それぞれのマッフル炉に4つの遺体の水分では、それが正常に働くのには大きすぎる温度低下をもたらすので、私はビデオからその点を省きました。
サッカー場
彼らのアウシュビッツの概念に合わない為、アウシュビッツがサッカー場を持つという概念は、多数の人を驚かします。
そして実際、それはすっかり覆い隠されています。
例えば、米国ホロコースト追悼博物館のウェブサイトで、彼らのアウシュビッツ・ビルケナウの地図は下水の穴などの緻密な詳細が識別できるけれども、サッカー場は確認できません。
しかし私には、サッカー場の存在は、大事件でも意外な事実でもありません。
それについて衝撃的なところは、ガス室だと申し立てられた施設が、そこから明瞭に眺められることです。
私は最近デイビッド・コールのビデオで説明されるこの点を見直しました。
コールのビデオには、おそらくCIA局員のBrugioniの本からとった、その1944年の良い航空写真があります(Mattognoは、彼の本『アウシュビッツ:屋外での焼却』で、それを論じます)。
ガス室だと疑われている施設は、サッカー場からの明瞭な眺めに入ります。
戦争終盤の時点で、ドイツはその建物を視界から遮る為に、周辺部に小さな木を植えましたが、申し立てられる虐殺が始まった何ヶ月も後です。
その理由は、収容者が列車で到着し、彼らが最初に見る物の一つとしては2つの火葬炉があることは、良く見えなかったからです。
それらの木が小さすぎるか、まだ植えられていなかったかして、1944年8月の航空写真の中では、際立ちません。
それらの木の内、生き残ったものは、今日ではかなり大きいです。
火葬の過程
火葬の働く道のりは、熱が体の水分を蒸発させて、そしてそれから高温で体を燃焼させます。
終わったときに、「灰」だと思われているものは、実際には主に粉々にされた骨です。
正に炉の中の熊手によって、殆どの人がそれを灰と思うように、骨はバラバラにすることが出来るでしょうが、しかし大部分は砕かれた骨です。
正しい用語は、「火葬残留物」です。
触れなかった話題
私はもちろん、アウシュビッツのガス処刑が神話であると信じる理由の全てに触れたわけではありません。
シアン化残留物の無い壁、HCNを落とす屋根の穴の問題、エリ・ヴィーゼルの様な詐欺的な著名な証人、連合軍の心理戦部門、等々には触れませんでした。
ドイツの工学:食事療法者とカートの寸劇
http://www.youtube.com/watch?v=Ay6N33y_UG4
これはジョー・Bodolaiによって作られたカナダのショーです。
それは後に、サタデーナイトライブの寸劇『スプロケット』に発展しました。
私は、大部分のアメリカ人がドイツの技術的な効率とデザインに注目したと思います。
これはそれゆえの、彼らが狂った椅子に座っているという、単なるパロディです。
ゾンダーコマンド
彼が標準的な物語を(彼が直接関わった演技によって)話すのが得意なので、私はダリオ・ガバイを使いました。
その通り、彼はペテン師ですが、標準的な物語を提示するコメンテーターとして、彼はいい仕事をします。
それは同じ事を言うテキストをハイライトするより有効です。
例えばガバイは「選択」ついて、そこでユダヤ人が列車から降りて、少しだけが作業用に選ばれたが、残りは直接ガス室に送るのに選ばれたと述べます。
それは、標準的なアウシュビッツのガス室の物語です。
ガバイは、収容所に来た1000人のユダヤ人のうちの100人であるにも関わらず、彼らの誰も彼もが見たと言うように、もちろんメンゲレを彼自身で見なければなりません。
私は一度だけでも「私は作業の列に選ばれました、しかしその日、この人、メンゲレは見ませんでした」という証言を聞いて見たいです。
しかし、本当にユダヤ人を殺すのが目的ならば、全てのユダヤ人をガス室に選んで、ドイツ人は単にソビエトの捕虜を労働に使ったでしょう。
ゾンダーコマンドは、物語のそんな馬鹿げた部分です。
彼らは、伝えられるところでは、殆どのユダヤ人が殺されてガス処刑される人間がどんどん少なくなった、まさしくその最後になるまで決して反乱を起こしませんでした。
ただそれから、彼らが次のガス処刑に選ばれるのではないかと心配した為、彼らは反乱を起こしました。
すなわち、彼らが全てのユダヤ人を殺すのを手伝ったので、彼らはもうすぐ失業し、それで彼らの番になるだろうと。
ただそれから、彼らは反乱しました。
それは信じられないほど、勇敢ではなく臆病です。
もしユダヤ人が他のユダヤ人を殺す為に選ばれたなら、きっと彼らは最初の月に、彼ら自身の人々を殺すことに問題が生じることを願って、自殺的な反乱を起こしたでしょう。
そして、輸送された2000人のユダヤ人が彼らと共に反乱を起こすことを信じて、反乱できたでしょう。
物語は、ゾンダーコマンドがダイナマイトを持ってさえいたとします。
さらに、近郊の写真が示すとおり、彼らは沢山の木がある収容所の端にいました。
ドイツ人は極めて少なかったという状況の推測が付け加わります。
それは、進化論や遺伝子と同じくらい、直接の臆病さや男らしさの問題ではありません。
女性と子供を救う為、不利な戦闘で彼らの人生を犠牲にした何例もの男性がいます。
ゾンダーコマンドが現実の話であったなら、それは確実に最初の月に起こったでしょう。
このビデオの中にフィリップ・ミューラーの場面が2、3あります。
彼はホロコーストの最も重要な目撃者とされる一人です、そして、ラウール・Hilbergのようなホロコースト歴史家のガス室の情報元として使われます。
私はビデオの中に、彼がペテン師である理由を入れることが出来ませんでしたが、彼は確かにそうなのです。
ここに、カルロ・Mattognoによる、彼がペテン師である理由の論文があります:
http://www.ihr.org/jhr/v10/v10p--5_Mattogno.html
このビデオの一場面で、どの様にフィリップ・ミューラーがガス室を、どうして他の国が何もしなかったかについての罪の問題にすり変えるところに注目してください。
(5:27辺り)「そして世界は何も言いいませんでした?
私達は世界によって、人類によって捨てられたと感じました」
それは、しばしばイスラエルに関連して、物語で地政学的な罪の意識操作をむさぼる方法です:想像の状況の中で巧妙に哲学的に。
しかし同時に、ゾンダーコマンドの馬鹿げた話の背景はどの様だったか、殺すユダヤ人が全く居なくなって、それで彼らが次になるかもしれないと心配し、その時点で大胆になると決めるまでは、彼らは反乱さえしなかったことを考慮してください。
ガス室のドア
ウーベ・ボウルのアウシュビッツ映画のガス室のドアに関して、そのドアは部屋の内側に開くように見えます。
(それがドアの枠に対して押し付けられているように見えるので)
言い換えると、それは厳格なSSの男(ボウルの演じる)と逆の側へ開くように見えます。
しかし、殺人ガス処理室が本当に存在していたなら、ドアは明らかに外側に、SSの男の方に開いたでしょう。
さもなければ、多数の死体がドアが開くのを妨げたでしょう。
中の2000人のパニックになった人を支えているのが、薄っぺらな錬鉄の金属のバンドと木片だと気をつけてください。
ウエブスターの辞書は、錬鉄を「鉄の商用形態。丈夫で、可鍛性で、比較的やわらかい、・・・」と記述します。
他のドキュメンタリーと情報源
ビデオを見てください:
『One Third of Holocaust』(ホロコーストの3分の1)
『Buchenwald: Dumb Dumb Portrayal of Evil.』(ブーヘンワルト:悪のバカバカな肖像)
「ホロコースト・ハンドブック・シリーズ」と呼ばれる無料ダウンロードの素晴らしい本のシリーズがあります。(www.holocausthandbooks.com)
貴方の興味がより科学的な角度にあるなら、Germar Rudolf による本がためになります。
可能なら、寄付してください
ホロコースト否定運動は、資金繰りが苦しい活動です。
殆ど誰もが財政的に苦闘しています。
もっと何かしたくても、財政状態のためそれが出来ない、私のような人がいます。
現時点で寄付をしてくれる人は極少数です。
見てくれて、読んでくれて、ありがとうごさいます。
おわり 2012
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