超暇人MSX

彼らへの評価は世界の政治を映す鏡

米英仏に騙されたドイツ

第一次大戦末期の1918年2月に、最後まで抗戦するドイツに対し、米国のウィルソン大統領が「無併合、無賠償、無報復」を停戦の基本条件として提案し、11月に交わされた休戦条約でも、ドイツは「損害の賠償」だけ負担することになっていました。しかし、1919年のヴェルサイユ講和条約では(大戦とは関係無いのに)ドイツの植民地は全て取り上げられ、21年1月には、現実的に支払い不可能な額の賠償金を課せられます。これは、人類史上初の近代兵器の総力戦で、欧州の主要な国が消耗し尽くしたため、その穴埋めをドイツに全て負わせようという、とても短絡思考な 「勝った者が全部取る」 でしたが、このように、最初に約束を反故にし、ドイツ人の恨みを買ったのは、英・仏・米という後の第二次大戦時の連合国側だったのです(ここでもう一つ知っておいてもらいたいことは、無関係の米国の突然の英仏への応援が無ければ、ドイツは第一次大戦を少なくとも五分以上に戦っていたということです)

結果ドイツは、1ドル=1兆マルクという有り得ない超インフレになり、もしドイツが崩壊して賠償金が全く入らないと困る英仏等も 「ヤバッ!」 と青くなります。結局、賠償金を払える仕組み = “大戦で無傷の、言わば一人勝ちした米国がドイツに融資 → 米英仏側はマルクを安定させ、ドイツはマルクで賠償金分割払い → 英仏等から米国へ戦債等の元利分割返済 → 米国もうかる?” という米国のドーズ案が24年に採用され、しばらく上手く回りましたが、“賠償金は現実に払える限界の額である3分の1にするけどマルクはダメ、相手国の通貨で払え”という米英仏側により美味しい29年の米国ヤング案が採用されると、“「マルク終わった」と投資家はドイツを引き揚げ米国に流れ込む → 一時的に米国は超バブったが、ドイツが崩壊すれば米国の欧州への貸し金(当時の米国GNPの7%)も焦げ付くだろうという不安発生 → 全投資家戦々恐々チキン状態 → ある日米国の株価大暴落 → 世界大恐慌” となったのです

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シオニズムと反ユダヤ主義

この世界大恐慌をもたらしたドイツの超インフレを利用して、あらゆる貿易と国際間マネーゲームで異常に大儲け、そのくせ、一切ドイツを救済しなかったのが、ドイツと米国の経済を握っていた(一部の)ユダヤ人でした。第一次大戦開始前後のドイツに於けるユダヤ人平均収入はドイツ人の4倍近く、欧州で一番ユダヤ人を要職に就かせ、儲けさせた国はドイツだったのですが、このドイツの苦境にも、元々自分達は 「国際的なユダヤ」 でありドイツ人だとは考えていないユダヤの投資家は 「我々は自分達で金持ちになっただけ、我々は合法的に稼いでいるだけ、ドイツ国家だとか、ドイツ国民だとかそんなことは一切関知しない」 というワケです。それまでドイツで親ユダヤだった人達も、ユダヤとはこれほど “アコギ” なのかと驚き、呆れ、反ユダヤ思想を持つ人が激増しました。

ただし、「反セム人(anti-Semitism、ユダヤ人が言うのはとても変な使い方。セム人=セム語族にはアラブ人も含まれているが、そのパレスチナ人を迫害しているのはユ・・・)= 『反ユダヤ主義』 者がユダヤ人を差別している」 というユダヤによる宣伝は、それよりずっと以前から行われています。シオニズムの創始者、ユダヤ人のテオドール・ヘルツルは、政治的なシオニズムの理由を強化するため(←当初はユダヤ人自身の多くが「今更何で?」と思っていたため)にユダヤ人に対する憎悪を煽ろうと考えました。彼の日記の有名な一節が在ります。


 「ユダヤ人の受難は必須である・・・より悪化することが・・・これは我々の計画の実現を援助する。・・・私には素晴らしいアイデアがある・・・私は反ユダヤの輩に、ユダヤ人の富を削減することを解いて実行させる。・・・反ユダヤの輩は、彼らがユダヤ人への迫害と弾圧を強化するという点、それにより私達を応援する。反ユダヤの輩は、我々の親友である」(1897年、彼の日記パート1、16ページより)

 「従って、大衆の潜在意識に於いて深く埋め込まれた効果である反ユダヤ主義は、ユダヤ人を害しない。私には実際にそれが、協調をもたらす多数による教育によって、ユダヤ人の個性を築くのに有利であると分かる」(1897年、彼の日記パート1、68ページより)
 

当時、イギリスによるユダヤ人のための占領地があってもユダヤ系住民の増えないパレスチナ(そりゃ、欧州の近代化された国に住んで現に暮らしていける人が、敵が囲む砂漠の開拓地に自主的に行くワケがないよネ(^^;))に、一人でもユダヤ人を送り込みたい急進的なシオニストは、上記のようなシオニズムの考え方を実行するのに(分かりやすく言うと、ユダヤ内の貧困層を欧州から追い出して、パレスチナに住まわせる為に、ユダヤ人を欧州の邪魔者にさせるのに)、何か策は無いかと考えます。

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ドイツの貧民を救いユダヤの金持ちを規制せよ!

そこに、ヒトラー率いるナチ党が登場(党自体は1919年結成、ヒトラーは21年から党首)、簡単に言うと “反共産党、金融業への規制、国際間マネーゲームは一切禁止、貧民に厚く金持ちに薄い政治、無職者の為の公共事業、米英ユダヤから独立した独自貿易経済圏の確立” をモットーに、国民の圧倒的な支持を受け選挙に勝利して政権奪取、しかもこれらの方針を実行に移しただけで、あっという間にドイツの経済を当時の欧州一健全な状態にまで建て直してしまったのです(おお、公約を守る政治家の偉大さよ!)

(自身も4分の1はユダヤの血が流れ、ユダヤ人をよく知っていたとされる)ヒトラーがユダヤ人を嫌っていた事は事実でしょうが、特にユダヤ人にターゲットを絞らなくても、共産主義者も、金融業者も、国際間マネーゲームも、大金持ちも、全てユダヤ人のテリトリーですから、それらを規制すれば、必然的に殆どがユダヤ人に対する規制となります。また、(ヒトラーは、大金持ちや共産主義に迎合する嘘八百のマスメディアが大嫌いだったので)新たに作った宣伝省も、特に意図しなくともドイツのマスメディアを仕切っていたユダヤ人の無力化を意味するものでした。

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ドイツの国家社会主義経済圏

国際間の大口の貿易をする際に、例えば予め「穀物の何々を何トンとトラクター何台を交換する」と年度の初めまでに両国間で決めておけば、そこにお金は介在しません。仲介する金融業者もインフレもデフレも為替も関係無くなるのです。これに近い方法を採用して実行したのが、ドイツの超インフレを経て国際金融システムに不審を持ったヒトラーの国家社会主義労働党=ナチスです。米国によって農産物の輸出を妨げられる南米の多くやユダヤ嫌いの中東の一部等の国は、この方法に賛同し、ユダヤ米英経済グループからドイツ経済グループに乗り換えました。そして、実際に彼らの国の経済も潤ったのです。

なお、国家社会主義と言いますが、社会主義(共産主義)ではなく、修正資本主義+銀行排除です。米国の様に全く自由主義で商売をさせれば、行き着く所は当然に、一定以上の金持ちが独占しどんどんと大金持ちに、それ以下の人はどんどん貧乏にと、正に今の破綻した米国経済の様になりますし、何ら生産的でない国際「銀行」=金貸しの親玉が、仲介と金貸しだけで一番の金持ちになって国を経済支配するというおかしな事になります。そうならない様に、銀行と大金持ちと国際間の投資家に規制を加えようという方法です。

銀行と金融と貿易というユダヤ人のテリトリーを損なうドイツの経済圏が広がるにつれて世界のユダヤ人からドイツへの有形無形の圧力は日に日に強くなり、その反動でドイツ国民のユダヤ人に対する感情も更に悪化していきます。そしてそれは、ドイツの政策にも反映されます。世界のユダヤ連合とドイツは、1932〜33年辺りから、すでに冷戦状態にあったのです。米国で親ドイツだった、当時は反共(=反ユダヤ)のフォード自動車グループや、GM、GE等も、米国自体の政策に従って遂にはドイツと疎遠になっていきます。

逆に、当時を代表する国際的なユダヤ財閥で、急進的なシオニストであった米国のロックフェラー・グループは、前記したヘルツルのシオニズムの理念を達成するため、これ幸いと積極的にナチスの財政を支援します。彼らは、ユダヤの内でも一部の貧しい人々が、風当たりの強くなったドイツを離れて、とりあえずは住居と生活保証の有る(当時既にイスラエルと呼んでいた)イギリスのパレスチナ占領地へ移住する事を狙ったのです。この目的のためにナチスとロックフェラーは第二次大戦の最後まで繋がっていたのではないか?と言われるほど、ロックフェラー・グループはナチスを支援しました。

第二次大戦時に、世界で唯一日本政府に対し多額の軍備資金を“貸した”のもユダヤ系財閥です。当時の国土が日本の15倍、工業生産力10倍、人口5倍の米国が近々日本と戦争する事 = いずれ日本が負けて米国に占領されることは、日本に対して今の一部の中東の国に対するよりずっと酷い経済制裁を行っていた欧米各国の支配層の全員が知っていたのですから、その確実に負ける日本に軍備資金を貸すということは、すなわち日本敗戦後の米国による日本への支配に入り込むプランが有った(というより、東アジアで唯一欧米の植民地政策に屈しなかった日本政府を破壊し、アジア全土を米英ユダヤ経済グループに取り込むシオニストの作戦の一環だった)わけでしょう。
 米英の誤算は、日本が彼らの考えより10倍も強かった所為で戦争が長引き、一旦欧米の支配を逃れた東南アジア各国が目覚めてしまった事と、戦後の混乱に乗じたソ連と共産主義者にまんまと中国や北朝鮮を取り込まれてしまったことです。当時の共産主義にユダヤ人が深く関わっていたことを忘れてはいけません。当時の米国にも、ドイツにも日本にもソ連にも、金を貸すユダヤが居ました。
 ユダヤは常に争うどちら側にも付きます。現在の米国にもロシアにも中国にも。リスクマネージメント? 或る島にAグループとBグループが在って、彼らが仲良しなら仲介者は必要有りません。グループ間の隔たり/対立が有る場合に、双方に取り入って利益を得るのが仲介者です。童話に 「翼が有るから鳥だと言い鳥の王宮に出入りし、牙が有るから獣だと言って獣の王宮に出入りし、鳥と獣の双方にお互いへの悪感情を吹き込んで争わせ、双方から利益を得て王の様に振る舞ったコウモリ」 の話がありますネ。

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1939年9月の第二次大戦勃発以前、1930年代のユダヤ

ナチ党がドイツ第一党になって政権をとったのは1932年、ヒトラーが総統になったのは34年です

 
私はドイツを噛み砕いてやる」(1932年、ユダヤ人に支援された(というかユダヤ人の??)フランクリン・ルーズベルト、後の米大統領)

ユダヤはドイツに宣戦布告する:世界の全てのユダヤ人は団結する」という1面トップ見出しに続く全面記事で
「全世界のイスラエル人は、ドイツに対して経済と金融の宣戦を布告する。新しいドイツのシンボルの鉤十時の外観は、古いユダヤの戦争のシンボルを復活させたものである。1400万人のユダヤ人は一丸となってドイツに宣戦布告するために立つ。ユダヤの卸売商は彼のビジネスを、銀行家は銀行を、店主は店を、乞食は彼の惨めな小屋を置き去りにして、ヒトラーの眷属に立ち向かう聖戦のため、力を結集する」(1933年3月24日、ロンドン・デイリーエクスプレス紙)

「ユダヤ人そして非ユダヤ人のうち、この神聖な戦争に参加しなかった者は、今ここでそうするべきです。貴方達のドイツ製品の不買は十分ではありません。貴方はドイツ製品をあつかったり、ドイツ船舶やドイツの出荷をひいきにするどんな商人や店主とも取引を拒絶しなければなりません。我々は、その存在に依存する彼らの輸出取引を破壊することで、ヒトラー体制を徐々に蝕んで、ドイツ人を正気にします」(1933年8月6日、WABCラジオ放送)

「ドイツとの戦いは現在、全ての労働組合の会議と、世界の全ての一ユダヤ人による、あらゆるユダヤ人のコミュニティで、月例として行われています。この戦いに於ける我々の分担が、一般的に重要であるという仮定には理由があります。我々は、精神的そして具体的な全世界がドイツに対する戦争を起こします。ドイツは再び大きな国となって、彼女が失った領土と植民地を取り戻そうと努力しています。しかし、我々、ユダヤ人の利益の為、ドイツの完全な破壊を要求します・・・」(1934年1月Mascha Rjetsch、ヴラディミール・ヤボティンスキー)

我々、ユダヤ人は、ドイツに戦争をもたらすだろう」(1934年、ユダヤ連合運動全国会長デイビッド・A.ブラウン)

戦争を望んでいないヒトラーは、戦争しないだろうけれども、我々はそれを彼に押し付けます、今年ではありませんが、直ぐに」(1934年4月、ロサンゼルス、エーミール・ルートヴィヒ・コーエン)

「ドイツはユダヤ教の敵であって、死に至る憎悪に付きまとわれなければなりません。現在のユダヤ教のゴールは以下の通り;全てのドイツ民族に対する無慈悲な運動と国の完全な破壊。我々は、あらゆる取引の封鎖と、原料輸入の停止、そして、全てのドイツ人、女と子供への報復を要求します」(米国ユダヤ人教授 Dr.A.クーリッシャー、1937年10月)

「たとえヒトラーが、最後の瞬間まで彼を滅ぼす戦争を避けようとしても、彼はその彼の願いにも関わらす、戦争を遂行することを強制されるでしょう」(1938年『The New Holy Alliance』、エーミール・ルートヴィヒ・コーエン著)

ドイツに対する我々の戦いは、可能な限界に届かせなければならない。イスラエルは攻撃されている。ゆえに、我々はイスラエルを守ろう! 目覚めたドイツに対して、我々は目覚めたイスラエルを向ける。そして、世界は我々を防御するだろう」(1938年、ユダヤ人の作家ピエールCreange の本『Epitres aux Juifs』)

ドイツは我々の第一の公共の敵である。彼女に対して慈悲無しで宣戦布告することは我々の目的である。人はこれを確信しているだろう:「私達がその戦争を導く!」」(1938年11月9日、newspaper Droit de Vivre、バーナード・Lecache)

ドイツへの精神的、文化的な封鎖を編成して、この国をバラバラにすることが、我々の仕事です。無慈悲な戦争を起こすことが我々の責任です」(1938年12月、『The Right to Live』バーナード・Lechache著)

今、目論まれている戦争は、世界中にユダヤの覇権を確立するためである」(1939年3月29日、米ジョージ・モーズレイ准将、ニューヨークトリビューン紙)

「アメリカ、イギリスとフランス、北と南アフリカ、そして忘れてはならないパレスチナに住む何百万のユダヤ人は、ドイツに対して、その終わりに絶滅させる戦争を起こす決心です」(ユダヤ新聞、Central Blad Voor Israeliten in Nederland、1939年9月13日)
 

片や英米を煽ってドイツとの戦争を迫り、片やナチスを金銭的に支援するという、全くもってシオニストのやり方は、世界に破壊と混乱をもたらすことを・・・

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ドイツのポーランド侵攻について

第一次大戦で敗戦し、弱体化のため4つ(オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア)に分割解体されたハプスブルク王国(=オーストリア・ハンガリー帝国)の内の、新たにオーストリア国となった国民(99%以上がゲルマン系)としてはドイツに併合されたかったのですが、それは戦勝国側によって禁止されました。また、ドイツはポーランドが海に繋がる土地を確保する為に1772年以来プロイセン領であり、後に『ポーランド回廊』と名付けられた土地を割譲させられたので、東プロイセン地域と分断されてしまいました。

   ドイツが奪われた領土(現在で言う植民地?)に於ける住民投票   北部シュレスヴィヒ地区(1920年3月14日実施)    ドイツに帰属したい    51724票    デンマークに帰属したい  12808票   西プロイセン(1920年7月11日実施)    ドイツに帰属したい    96889票    ポーランドに帰属したい   7977票   東プロイセン(1920年7月11日実施)    ドイツに帰属したい   353655票    ポーランドに帰属したい   7400票   ザール(1935年1月13日実施)    ドイツに復帰したい   477199票    現状維持         46513票    フランスと併合したい    2249票  

ドイツ統治以外の国ですから、ナチスやドイツによる洗脳とか、不正とか、強制などは物理的に有り得ません。むしろ反ドイツ側による不正は有り得たでしょう。この様に、当時のオーストリアを始めとして、大抵の元ドイツ領(植民地)の国民も、ドイツ帰属に戻りたかった事は、数字でちゃんと出ているのです。それを許さなかった、というより無理やりドイツを分割解体したのが、英・仏・米です。

ドイツ国家を建て直したナチ党は「もともと英仏米側が停戦の約束を破って領土(植民地)を奪ったのだから」ということで、まずオーストリアを(当然無血)併合、これは両国民が望んでいたことですし、大戦の記憶も生々しく余り新たな戦争を望まない英仏等も黙認します。続いて、『ポーランド回廊』奪還のため、ポーランドに侵攻します。当時のポーランドは、1795年に滅亡した(ロシア・プロイセン・オーストリアにより分割された)国を再建するという名目で、第一次大戦で敗北したロシアとドイツの領土を取って国を弱らせる為に1918年、両国間に作られた国でした。『ポーランド回廊』の返還は国を分割されたドイツ国民の悲願でしたが、ポーランドはドイツの返還要求を拒否したため、この悲願達成は軍事行動なしでは有り得ませんでした。ドイツのポーランド侵攻に続いて、遅れてはならじとソ連もポーランドに侵攻します


1918年の建国から第二次大戦までのポーランドの雰囲気

「ウクライナでのポーランドの恐怖は、今日のヨーロッパでの何より最悪である。ウクライナは絶望と破壊の国となった。殺人行為は増加した。ドイツ人は拷問されて、死ぬまで苦しめられて、手足を切断されて、死体は冒涜された。村と宮殿は襲われ、放火され、爆破された」(1921年のシレジアでのポーランド人の襲撃について、1930年『Les frontieres orientales de l`Allemagne』ドクター・ルネ・マルテル教授著)

「オストプロイセン(東プロシア)は、疑いなくドイツ領です。これは、私の幼少時から、国民投票で確認する必要も無かったというのが私の意見です。貴方の安心のために、ケーニヒスベルクの公衆集会で、あなたの東プロシア人に、これを話してもかまいません」(1927年12月10日、後に暗殺された?ポーランドのマーシャル・ジョセフ・ピウスツキ大統領のドイツ外務大臣への手紙)

「我々は、ドイツとポーランド間の戦争が避けられないことを知っている。我々は、組織的に精力的にこの戦争の準備をしなければならない。現世代は、グリュンワルドの新たな勝利が歴史の1ページに書き込まれることを知るだろう。しかし我々は、このグリュンワルドから出てベルリン郊外で戦う。我々の理想は、西のオーデルとラウジッツのナイセ川に沿った境界によってポーランドに領土を取り、酒宴のためにプレゲルからプロシアを吸収することである。この戦争に於いて、捕虜は作られないだろうし、人道主義的感情の居場所は無いだろう」(1930年、ポーランドMosarstwowiecz新聞)

「ポーランドの少数民族は消滅していくようです。ポーランドの政策が、それが紙の上だけでないことを確かめます。この方針は冷酷に確立され、世界の世論、その国際協約、あるいは国際連盟の観察はありません。ウクライナはポーランドの支配の中で地獄に向かっています」(1931年12月14日、イギリス、マンチェスターガーディアン紙)

「ポーランドはドイツとの戦争を望んでいる、そうしたくても、ドイツはそれを避けることは出来ないだろう」(1939年夏、ポーランド軍の将校の兵隊を前にした演説)

「戦争の最初の日にドイツを侵略するのはポーランド軍になるでしょう」(1939年8月15日、パリのポーランド大使)

「我々は、彼がヒトラーと戦う我々を助けるなら悪魔と契約する準備ができている。聞け、ヒトラーだけに対するのではない、ドイツに対するのだ。今後の戦争では、世界の始まり以来見られなかったほどの流れで、ドイツ人の血が流されるであろう」(1939年8月20日、ワルシャワ新聞、Depesza)
 

当時のポーランドは、ドイツ系を含む少数民族や反対勢力を迫害(虐殺??)する、あまり品の良く無い国であり(それは、反対する民族を大量に抱えたまま英・仏・米が無理やりポーランドを作った所為でもありますが)ナチスが政権を取る前の1930年辺りから、既にドイツに対して敵意むき出しで臨戦態勢にあったことが分かります。少なくとも、大手マスメディアや教科書が言うような 「発狂者のヒトラー率いる悪魔のナチスが、何の前触れも無く突然ポーランドを侵攻した」 という一方的な 「ネタ話」 と事実は全く違うわけです。
 米国が “少数民族を迫害する独裁国” と “米国自身で決定した国” に対して、軍事侵攻して (現に米国はそういう類の主張をしては、何度も複数の国に侵攻している)、政権を破壊し、米国の言いなりになる政権を作る事を “正義” だと主張し、貴方がそれを認めるのなら、ナチスドイツのとった行動は正に “正義” そのものでしょ? しかも元々は、20年前に半ば騙し取られた彼らの領土が半分で、ドイツ民族が大勢住んでいる国なのですから。

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引き起こされた第二次世界大戦

第二次世界大戦は1939年の9月に、ドイツが侵攻したポーランドを救うという口実で、英仏によるドイツへの宣戦布告によって始まりました

 
「彼がそれを望もうと望むまいと、我々はこの戦争をヒトラーに押し付ける」(1936年ラジオ放送、イギリス、ウィンストン・チャーチル)

ドイツは強力になる。我々は、それを粉砕する必要がある」(1936年11月、ウィンストン・チャーチルから米国将軍ロバート・E.ウッドへの書簡)

「今、我々はヒトラーに戦争を強制しました、彼がこれ以上平和的にヴェルサイユ条約の一部でも破棄出来ないように」(1939年、ワシントン、英国大使ハリファックス卿)

たとえ、我々ユダヤ人が肉体的には貴方と共に塹壕に居なくても、我々は事実上、貴方と共に居ます。これは我々の戦争です。そして貴方は我々のために、それと戦っているのです」(1940年2月10日、Les Nouvelles Litteraires)で、我々の戦いなのに何で共に塹壕に居ないの?(^^;)

敵はナチズムではなくドイツ国家である、そしてこれを理解していない人々は、何も理解していなかった」(1940年9月、チャーチルの主任カウンセラー ロバート・ロード・バンシッタート)

全国社会党員や彼らの友人達が、この戦争はユダヤ人によってもたらされると叫ぶか、囁くとき、彼らは完全に正しい」(1940年10月8日、シカゴ、雑誌『センチネル』)

「我々は、どうにかして米国を第一次大戦の中に引きずり込んだし、我々がパレスチナとユダヤ人についての軍隊として要求するなら、米国のユダヤ人に、また米国をこの(第二次大戦の)中に引きずり込ませることが出来る」(1941年9月、チャーチルへのワイツマンの手紙)

私やドイツの誰でも1939年に戦争を望んだというのは誤りです。それはユダヤ人か、ユダヤ人の利益の為に働く国際的な政治家によって求められ、一方的に起こされました。私はぞっとする様な第一次大戦の後、イギリスやアメリカに対することなど1秒も願いませんでした」(1945年4月、アドルフ・ヒトラー)
 

このページの中盤に並べた戦前のユダヤの発言と、これらを合わせて考えてみれば、誰が第二次世界大戦を望んだか、始めたかは一目瞭然だと思います。メディアが執拗に繰り返す 「狂ったヒトラーと悪魔のナチスが、世界征服を企んで第二次大戦を始めた」 という話は、全くデタラメであることも、お分かりになるでしょう。

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そして第二次世界大戦終戦

 
「我々は、極悪なプロパガンダでこの戦争に勝ちました・・・そして今、我々は、ますます始めます! 我々は、この極悪なプロパガンダを続けます、我々はそれを、誰もドイツ人の良い言葉を受け入れなくなるまで、彼らを支える他の国の同情が全て破壊されるまで、そして彼らがもうどうすれば良いか分からなくなるほど混乱するまで、増強します。ここに達したとき、彼らは彼ら自身の巣を汚染し始め、しぶしぶではなく勝者に従いたいという苛立たしい気持ちを持ちます、その時にのみ、勝利は完全になります。それは決して明確ではありません。再教育は、英国の芝生のような完全なしっかりした養生を要求します。一瞬の怠慢によって、この歴史的に取り除けない“真実”という雑草が現れるでしょう」(1945年、前英国主任宣伝家セフトン・Delmerからドイツの国際法グリム教授への手紙)

「私はジョー・ケネディ(ロンドンの米国大使)に、1938年のルーズベルトとN.チェンバレンと彼との話を尋ねた。彼は、英国はその手に戦う用意が無く、それで、あえてヒトラーとの戦争に向かわないのが、チェンバレンの信念であったと・・・彼らがワシントンによって絶え間なく駆り立てられなければ、フランス人もイギリス人も、ポーランドを戦争の動機にしなかっただろう・・・アメリカと世界のユダヤ人が英国を戦争に追い立てたのだ」(1945年12月27日、米国防衛大臣J.フォレスタルの日記)

「ヒトラーとドイツの人々は、この戦争を望みませんでした。我々は、ヒトラーの平和の為のいろいろな請願に答えませんでした。現在、私達は彼が正しかったことを認める必要があります。彼が私達に提案したドイツとの連携の代わりに、現在の巨大な帝国主義的なソビエトの勢力が立っています」(英ハートリー・ショークロス卿、ニュルンベルグ裁判)

「ニュルンベルグ裁判が開催されるように取り計らったのは、経験豊かな忠告と最も貴重な証拠を提供した世界ユダヤ人議会でした − 世界ユダヤ人議会は、戦争中にもそのような遥かに広範囲の、ドイツ外務省にさえ伸ばされるコネクションを持っていたので、英国のシークレットサービスよりも早く、それを受け取っていました」(1949年11月27日ロンドン、モーリス・Perlzweig世界ユダヤ人議会の英国部門チーフ)

「第二次大戦前のドイツの許されざる犯罪は、世界貿易システムからその経済を解き放ち、世界金融がもはや利益を得られない、自身の為替システムを構築しようと試みたことです。・・・我々は間違った豚を屠殺してやりました」(1960年、『第二次世界大戦』ウィンストン・チャーチル)

「私達は、戦争中の(反ヒトラー)運動中に理解したくなかったものを、その後完全に知りました、この戦争はヒトラーに対してではなく、ドイツに対して仕向けられたものだったと」(オイゲン・ゲルステンマイアー、1954年以降ドイツ連邦議会の議長)

「ヒトラーの政治的な教義は、この戦争の中に私達を投げつけませんでした。(戦争の)理由は、新しい経済を築いた彼の成功が増大していくことでした。戦争の根は妬み、貧欲さ、そして恐怖でした」(J.F.C.フラー陸軍少尉、歴史家、イギリス)

「我々は、ドイツをヒトラーから救う為、大陸をファシズムから救うため、戦争に行ったのではありません。1914年と同じく、つまらない高貴な原因ではなく、我々がヨーロッパに於けるドイツの覇権を受け入れることが出来なかったからです」(1989年9月17日、Sunday Correspondent)

「我々は、ヒトラーから離れた悪魔の怪物を作りました。従って、私達は戦後それを否定することが出来ませんでした。結局、我々はその悪魔に対して多数を動員しました。それで、私達はこの悪魔のシナリオで私達の役割を果たすことを強いられました。決して私達は、私達の国民に戦争がただの「経済防衛対策」だったことを示せませんでした」(1992年、米国外務大臣ベーカー)
 

この様に欧米の政治家は、第二次世界大戦の本当の主催者が誰だったか、ちゃんと知っていますし、時には暗示的に大衆にバラしているのですが、その話が決して大手メディアを賑わせる事は有りませんそれは即ち、現在も第二次大戦を主催した同じ勢力が世界を仕切っている事を表しているのです。

注1.東京政府が戦後50年間も中国や周辺国に謝り続けた理由は「米国の圧力」です。     米国を中心とする欧米では、今でも教育やメディアを通じて、「邪悪な日帝が、    世界征服を企んで、アジアやアメリカを侵略した。連合国はその邪悪な政権を倒    した」と宣伝、洗脳を続けています。(そして、彼らの言う邪悪な日帝に「軍備    を増強しなさい」と、せっせと金を貸したユダヤについては触れません。珍しく    触れる場合には、貧しい国王の願いに答えてあげたという美談に仕立てます)     天皇や日本の主要な政治家に、中国や周辺国に謝らせる事によって、ユダヤ米    英体制を確固たるものにする為に「日本やドイツは邪悪だったので、正義の連合    国が退治してやった」という、ニセ証拠作りをしているワケです     2001年の米国を中心とした侵略後のイラクの様に、第二次大戦前の欧米植    民地政策により内戦混乱ほぼ無政府状態になっていた中国や朝鮮半島に、日本が    「日本になりなさい」と兵を送ったのは、当時の観点で邪悪だったでしょうか?     現代のカナダやメキシコが内乱無政府状態になっても、米国は兵を送らないの    でしょうか? そうして、いつものごとく米国に都合のイイ政権を建てないでし    ょうか?     戦前の欧米各国は日本やドイツに対して、酷い経済制裁を行っていたのですが、    もし中東各国が「もう石油は売らない」と米国に対して経済制裁を始めたら、米    国政府は「私が悪うございました」と謝るのでしょうか? いつものごとく中東    に兵を送って爆撃しないでしょうか?     当時の日本がとった行動は、国として極普通の行為ですよネ。正義とか悪とか、    米英(や中韓)の宣伝する「日帝の世界征服プラン」じゃなくて(^^;)     米国になつかない政府に対し、反政府組織を作成し支援、内乱を起こさせて、    事態の収拾を口実に派兵し、米国の傀儡政府を作る事は正義である     米国になつかない政府に対し、経済制裁や村八分を行って虐め抜き、反発した    事を口実に派兵し、米国の傀儡政府を作る事は正義である     ユダヤはパレスチナを占領する権利がある。英国はアイルランドを併合しても    正義である。遥かに遠い南米やアフリカやアジアの欧米植民地は正当であった     中国や韓国の政府は、通常はアジア人特有の嘘吐きであるが、第二次大戦時の    日本に関してだけは、常に事実を語る。だから連合軍は正義の救世主であった     これが、現在の米国を中心とするユダヤ経済圏の宣伝です。東京政府がイカに    「アメリカ様ぁ」と米国を崇め奉り(あがめたてまつり)ひれ伏して従おうが、    欧米にとって日本より中国に味方する方が美味しければ事の是非を問わず、彼ら    は中国の肩を持つのです。彼らに美味しい方が正しいと言い張るのです。     そして、ロシアや中国は常に自分自身の意志で行動しているでしょうか? 彼    らが(騙されていようが)美味しいと思えば、誰かの言いなりに成ることが無い    でしょうか? 自分に美味しければ正義、それ以外は邪悪、それが権力です。     日本は、組織犯罪国家米国の子分でも、中国の属国でもユダヤの家畜でもあり    ません。独立した主権のある国家です。それを潰そうとしているのは誰でしょう    か? 本当の売国奴は日本のどこに集まって居るでしょうか?

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このページを書く際に参考にした本
 『ヒトラーとケインズ:いかに大恐慌を克服するか』 武田 知弘
 『ヒトラーの遺産:国家蘇生のリーダーシップ』 柘植 久慶

余談であるが、現在のドイツ人が日本についてどう思っているのか?というと、若い人はともかく、40代以上の大半は 「よく知らないが、悪魔のヒトラーの友人で、卑怯な真珠湾攻撃をした、ドイツの商売敵のアジア人の国」 という感じだと思う。ドイツ国民が見事に米英ユダヤ(あるいはソ連)に洗脳された結果かもしれないが、戦後の東京政府が、http://www.codoh.com/node/1452 の様な事をしたので、その恨みもあるかもしれない。
 ヒトラーに関して、ユダヤと白人主義者に共通するウソは“ヒトラーは白人主義者”という宣伝である。ヒトラーが仲良くした日本を含む多くの国が有色人種中心/有色人種の多い国であり、彼はそれらの国にとても親切であった。ヒトラーはどの人種であろうとドイツの敵には断固たる態度をとったかもしれないが、有色人種の国である日本には色々な技術協力や教育者の派遣を行い、かつて日本や日本人に対して米英やロシアが行ったような理不尽な扱いや人道にもとる酷い事は一切していない。