【東京見聞録】(Part1)
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『 新宿フォークゲリラ 』

土曜日の午後、いつもの様に仕事が終わりシャワーを浴びた私は妻に今朝頼んでおいた荷造りが完了しているか確認した。明日は年に2〜3回行われる学術会議,略して「学会」が東京都内で開かれるので今から出かけるのである。しかし学会と言っても私は学者さんでもお医者さんでも無い,普通の人である。まったく説明になっていないが,それよりも今回の学会はなんと「秋葉原」で開かれるのである。秋葉原に会議など開く場所が有ったかどうかと疑問に思ったが,ついでにパソコンも見れるので一石二鳥だ。小さいことは気にしないのである。



正直に言うと、今の私は「学会」よりも「秋葉原」の方が重要なのである。新幹線で行くと交通費も馬鹿にならないので,前もっていつも親しくしている同業者(「つるんでいる」とも言う)を誘って,私の妻の愛車を借りて一緒に行くことになっていた。ここで同行する3名を紹介しよう。

私と同じ学校出身でゴルフの達人の鈴木氏。大阪に長年勤めていたので,静岡に帰ってからも大阪弁がなかなか抜けない内海氏。メンバー最年長で夜の帝王と名高い村松氏である。私がずっと運転して行くことを条件に,高速代金はこの三名が払ってくれるお約束にになっているのであった。ありがたい,これでプリンターのケーブルの一本も買えると言うものだ。早く東京へ行きたい。しかし同行予定の三名の内,村松氏が約束の時間に 40分程遅れて来たので,出発が45分も遅れてしまった。



東名高速道路に入って間もなく,トンネル工事のため片側通行の表示が。早くも渋滞に巻き込まれて,暗雲立ちこめる出だしとなり本日の宿泊予定地「新宿」到着が遅れそうであった。心はすでに東京なので余計にイライラしてしまう。後ろの三人はというと,高速道路に入るやいなや、缶ビールで宴会を始めている。

しかし待てども待てどもなかなか進まない。右の車線が流れ出したので右へ移ると、今まで止まっていた左の車線の方が動き出す。また左へ戻ると右の車線の車が動き出す。急いでいる時に限ってこうなのである。まったくついていない、おまけに後ろでは宴たけなわなので運転手を買って出たのを少々(とっても)後悔するのであった。

結局、普段は二時間くらいで都内に入るところを「5時間」という金字塔を打ち立ててしまった。新宿のランプを降りると、予約しておいたホテル「サンメンバーズ」を発見。さっそくチェックインを済ませて荷物を置いて,我々は南口のホテルサンルートへ向かった。サンメンバーズには駐車場が無いので、知り合いのコネでサンルートへ車だけ泊めてもらう手はずになっていたのだ。「5時頃到着するから」と知り合いのドアボーイの人に電話で頼んであったのだが、万が一、そのドアボーイの人が交代してしまっていて私達が行っても「知らないよぉ〜ん」なんて言われたらどうしようと、心配で心配で夜も眠れなかった、・・・というか、運転中なので心配で居眠りも出来なかった(するなよ)。

サンルートへ到着すると、有り難いことに車のナンバーを見ただけで会釈して丁寧に誘導してくれたので、思わずホッと胸をなで下ろしたのであった。サンルートは良いHOTELだ!。もう、キッパリ断言してしまうのである。しかし予定よりもかなり遅れてしまった。食事に行く予定のチャイナドレスの中華の店は、ここからは遠いので残念ながらあきらめる事になった。我々は西口の前にある「villa」と言うイタリア料理の店に入り、少し遅い夕食をとる事にした。椅子に座り、メニューを開いて気がついたのだが,この店には「ご飯物」が無いのであった。確か看板にはイタリアンレストランと書いてあったのだが・・・。まあ,細かいことは気にしないのである。食事の予定が変更され、いきなり白ワインとソーセージとパスタサラダで「新宿到着を祝う会」が始まった。そして食事をせずにアルコールが入ってしまった為かどうかは知らないが,これから我々一行の「夜の東京見聞録」が始まるのであった。しかし自分で言うのも何だが「見聞録」とはまたご大層な題名である。



イタリアンレストランで程良く良い気持ちにさせていただき,店を出てから新宿駅の西側のガード下の通路をくぐって、一行は新宿北側へ抜けようとした。ガード下の通路では、針金をコネコネしたアクセサリーを西洋風呂敷の上に広げて、わざと書いたとしか思えないゲジゲジ状のまゆげをした女の子が歌を歌っていた。その横では国籍不明の外国人が立ち,ギターを片手にサイモンとガーファンクルしている。そしてサイモンさんの斜め向かいには、高校生風のあんちゃんがあぐらをかいてギターを弾きながらこれまた長渕剛みたいに意味不明の歌を熱唱していた。

長渕君はギターケースを開いて、それを自分の膝の前に置いている。通路は狭いので開いたギターケースは誠に邪魔なのであるが、覗いてみると小銭が八百二十円入っていた。我々四人が覗いていても長渕君は自分の世界に入っている。「おおっ!これがうわさに聞く新宿フォークゲリラか!」。一行はしばし新宿西口ガード下の世界を味わった。しかし・・・、長渕君の歌はヘタであった。だから残念だが聴取料は入れてあげる事が出来なかった。頑張れよぉー!長渕君。

さて一行はガードをくぐり北口へ。そして目の前にあった「やきとり横町」という案内板に吸い込まれていったのである。新宿にもこんなに庶民的な所がまだ有ったのか。しばらく歩いていると店の中から「4名さ〜ん!二階が空いてるよ〜!」と誘われたので、さっそく入ってみた。とってもきたない店だったが、東京の「これぞ庶民の酒場」という感じがして嬉しくなった。

ここで働いているビビアン・スー似のお姉ちゃんは、まったく日本語を話せない様で、こちらが「おすすめは?」と聞くと「スルメ・・・デスカ?」と聞き返す。仕方がない「え〜っとコレとコォレェ〜?!」メニューを指さし注文する方も日本語になってない。結局、焼き鳥とビールを注文した。瓶ビールが出て来たのでラベルを見ると「サッポロ・ラガービール」と書いてある「おおっ!ラガーはキリンだけでは無かったのデスネ?!」。なるべく静岡弁で喋らないように東京人の気分を味わう一行であった。しかし、「焼き鳥の盛り合わせ」を注文したのに、鳥皮だと思って食べたらホルモンを焼いたのだったり、ネギ間はトリとブタが交互に刺してあったりする結構マニアックな居酒屋であった。酔った田舎者のご一行は「おおぅ!これぞションベン横町の焼き鳥だぁー!」と感心しながら存分に飲んで店を後にした。



一行は、ふたたび西口へ戻って歌舞伎町を歩いたのだが,どうも度々ポン引きが近寄ってくる。彼等には我々が田舎者という事が判るのであろうか?。他の歩行者と同じ身なりをしていると思うのだが、どうも我々の方にばかり近づいて来るのである。ポン引きさんに聞くわけにも行かないので、私だけ少し離れて先に進み、一行とポン引きさんを観察してみた。

理由はすぐにわかった。先頭を歩く村松氏が歌舞伎町のネオンの看板を見上げてキョロキョロキョロキョロしているのである。これでは誰が見ても「田舎者の一行が夜遊びに来た」としか見えないのである。私はさっそく列に戻り、村松氏に「あんまりキョロキョロするな」と注意した。しかし一向にポン引き屋さんは我々の方へばかり近づいて来るのである。うーんやっぱり彼等はプロなのだ、どうも田舎者はその「臭い」でわかるらしい。おそるべし!「歌舞伎町のポン引き屋さん」である。一行はまとわりつくポン引きさんに耐えながらも,次なる目標に向けてふたたび歩き出した。


 

 


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