富樫雅彦ディスクレビュー(その4)

と言う訳でレコードレビュー(その4)

富樫雅彦のページへ戻るにはtogasi.htmlです。

「カイロス」(1973年)

双晶と同じコンサートの全て、を記録したものです。「双晶」自体はこのコンサートからの抜粋、というべきものだそうです。聞く限りではこの「カイロス」自体は「双晶」よりアグレッシブな演奏と聞こえます。

音源は聴衆(神谷路花という方だそうです)がカセットテープで録音した、いわゆるオフィシャルブートレグという物になるのでしょうか。佐藤さんと富樫さんは音源を聞いてCD化には納得していて、アートジャケットはちゃんと富樫さんの絵、佐藤さんはマスタリングに立ち会っているそうです。そりゃー、納得するよ、この演奏だもん。さすがにノイズは多いですが、そんな事きにしちゃいけませんぜ

で、やはり二人のディオとしては2002年のコントラストが最新で最後な訳ですが、この後に聞いてもまるで違和感ありません。さすがに1973年だけあって、音の一音一音が尖っている感はありますが。この尖っている音が突き刺さるように脳髄を直撃しますよ。勿論こちらの体調がシンクロしないと唯の騒音に聞こえたり、あるいは構成が無いように聞こえたりするでしょう。もっともこの「構成がない」というのは佐藤さん自身が富樫さんの曲の構成に「よくわからない、どうしてコレとコレがつながるの?」みたいな事を思うそうですね。なのでどうしてもテーマ的なものを変奏的に持ち込むんだそうです。多分富樫さんはリズムの構造で捕えているので音声的なものではないんじゃないかな、と思う今日このごろ。

ま、とにかくこれはサイコーですよ、むふふふふ。

CD自体は二曲構成なんですが、第一部はコントラストにも通じる抑えた感じですが、第二部はもう走りまくり飛びまくり。聞いているこっちももうたまらん状態。素晴らしい。

2006年12月18日記入

「コントラスト」(2002年)

むきー、素晴らしい!
さて、このコントラストですが、同じ名前のアルバムが他にもありますよね。ローレン・ニュートンとの奴。それはそれとして、富樫/佐藤のデュオとしては最後、最新で絶後になってしまう訳ですが。

正直この二人はコンビを組んでいる時間が長過ぎて、あまり新鮮味は感じられないんじゃないかと思ってました。スティーブ・レイシーとのデュオはどんな時も味が一緒、みたいな感じで。

ところがところが、これはイイですね。なぜかしらねど、フリーなインプロビゼーションなのに、凄いポップに感じます。うーん、うーん、なんで芸能生活できなくなっちゃったんだぁぁぁぁ。

ところで、これDVDも出ています。生富樫と生佐藤が語る、演奏するというファンなら買いしかないDVDですので、「CDと同じ曲だしナー」等と思わずに是非買いましょう

2006年12月10日記入

「DEFORMATION」(1969年)

佐藤允彦トリオとしての作品。パラジウムと同じメンバーなのですが、特色としてオーケストラ、声明等の(テープと思しき)音声をバックに歌いまくる、という感じの作品です。パラジウムと同系統なので、買って損のない作品なのです。素敵な作品なのです。が。
じぶんとしてはイマイチ納得のいかない作品。

というのも(テープと思しき)音声がなんか役に立っていない様な気がするからです。自分の思い込みとしては、Jazzとはインタープレイの為の音楽なのであって、インタープレイが発揮できないのであれば、いくら音楽的に優れていてもやっぱりjazzとしては良くないんじゃないか。別にjazzでなくてもいいんじゃないか。プログレ聞いていた方が幸せになるんじゃないか。等と考えるからです。実はこう考えて否定しなければならないほどアルバムとしては良い。よすぎ。しかし、これを良いと認めてしまうと、なんか自分がjazzに執着する意義がないような気がしてむりやり否定しているという(大笑い)

皆さんが想像している以上に静謐な、ストイックで縦横無尽に走る良い作品なのですが、Wave3で展開されたオーケストラをバックにjazzをやるのと同じ苦しさをこちらに想像させてしまうちょっと困った作品なのです。それはそれとしてこんなのもう二度と手に入らない訳ですからファンなら買いでしょう

2007年2月25日記入

「海の伝説-私(legend of the sea - myself)/加古隆」(1977年)

加古隆、富樫雅彦、翠川敬基のトリオで、作品としてはジャズ色があまり感じられず、むしろ現代音楽の作品だ、と言われる方が頷けるような色合いです。一曲めは翠川さんがアルコ奏法で弾いているのでなおさらそういう感が強くなります。リズムもいわゆる中抜きチックなリズムでないので「ホントにコレJAZZなのか?」という感じ。曲によってはサックスや朗読が入ったりします。こっちのサックスが入ったりすると、グッとジャズっぽくなります。でも全般的にフリージャズというよりも現代音楽っぽい感じの作品ですね。

じゃぁつまらないか、というとそうでもありません。スピードが早いパッセージ、フレーズ、リズムのお陰で刺激的な作品です。最近の富樫さんのように間で勝負するのではなく、細かく叩いていいます。いい感じ。

やっぱりフリージャズの作品、としてよりは現代音楽っぽい感じが強く強くします。それは主にアルコ奏法で奏でられる曲があるせいなのかもしれませんが・・・
でも凄いスピードで迫ってくる良い作品です。MOTIONのワンダービートみたいな感じと言いましょうか。それに曲によってはフリーキーなアルコが乗って来るという感じ。

2007年3月12日記入

「トゥワイライト/高橋悠治+富樫雅彦」(1976年)

結構この後も共演が続く高橋悠治(現代音楽系ピアニストとしては世界的に有名)さんとのコラボレーション。ある音列を主体とするインプロバイズ、というコンセプトの半明/(読み方わからん)の一曲目、二曲目は富樫さんから。三曲目の黄昏は中国の詩の音列をオスティナートとしたインプロバイズで、コンセプトは高橋悠治さんから出されたそうです。

正直一曲目と二曲目は「ホントにあんた現代音楽家なのか?」と言いたくなるくらいにフリージャズっぽい、もっと言えば加古隆さんや佐藤允彦さんぽい。そんな感じですよ。だけど悪くない、どころかいいじゃないですか。わりとフツーなフリージャズですわ。

特筆すべきはやはり三曲目のタイトルチューンでもある黄昏でしょう。マウスハープ(高橋悠治+坂本龍一!)にのって富樫雅彦さんのタムタムが不可思議なリズムを刻みます。

私はこれ聞いて「ああゲンダイオンガクってフリージャズなんだ」等と不埓な事を考えましたよ。実際には全然違う訳ですけれども。

正直躍動感とかはちゃめちゃな、とかいう運動を求めるならあんましオイシクないですけれども、こんな怪しいメンバーで、しかもこんなスクエァなインプロバイズ作品なんてもはや地球上の何処を探しても手に入らない訳で、入手するべき一枚と言えましょう。富樫作品の中でも異色作なので、率先して入手すべきとも言えません。が、ファンなら是非に!

余談ですが、またも題名がカブってますよ。誰かチェックする人いないのかなぁ・・・まぁ130枚もLP出していればねぇ・・・

2007年3月26日記入

「スピリチュアル・モーメンツ/富樫雅彦+スティーブ・レイシー+ケント・カーター」(1981年)

1970年代からの盟友、スティーブ・レイシーとTOKで加古隆と組んだケント・カーター(b)とのトリオ。正直、これ良いですわー。ソプラノサックスの音色は正直苦手なんですけど、この作品ではベースがゴリゴリ唸るからなのか、音域の低い方を多用しているからなのか、レイシーさんの作品としては凄い聞きやすいです。

内容は、アグレッシブには叩かないですが、割に軽い感じのスピード感あふれるスタイルで奏でます。特にベースが縦横無尽に唸りまくり、富樫さんがそれに合わせて軽いタッチでダダダダダッ!という合いの手を入れるので、聞いている人間としては凄い楽に、尚且つスピード感溢れる感じで聞く事ができます。やっぱジャズの芯はベースですよね。ケント・カーターさんは派手な感じで唸る訳ではないですが、イー感じでブイブイ言わせてますし、レイシーさんは相変わらずなんだけど、ベースと凄いイー感じで絡んでますので、レイシーさんと相性が悪いワタシでも楽に聞けますよ。これは良いです。傑作だと思います。勿論フェダイーンみたいな「激しい」曲想ではないんですが、同じくらいスピード感溢れる作品だと思います。pjlレーベル自体を支える意味でもみんな買いましょう!(わはは)

2007年5月13日記入

「フェイス・オブ・パーカッション/富樫雅彦」(1980年)

アマゾンのレビューで辛辣な(?)事を書かれてますが、それに対する反論を含んでます。まずこの作品を押さえる上で富樫雅彦というパーカショニストの出自がジャズプレイヤーであることが重要なんです。ジャズプレイヤーはいかに上手く音を出せるか、じゃなくて適切なタイミングで返礼を返すインタープレイの能力が重要であります。特に富樫さんのタイミングは非常にレベルが高く、同時に演奏するプレイヤーが「富樫のドラムは凄い。こっちが欲しい0.1秒のオーダーでちゃんと返ってくる」と異口同音に言っています。これがクラシックなら驚くことはないですが、そもそもどういう音列、タイミングが返るか分からないジャズでこういう賛辞が返るのは驚異的といえます

ギルド・フォー・ヒューマンミュージックでも同じ音を同時ではなく、ちょっとズレさせないといけない、しかもそのズレも規則的ではいけない!と拘ったらしいですし、富樫さんの内在するリズムは非常に高精度である、という事が言えます

この事を踏まえると、(この時代では)富樫さんは自分の要求するタイミングを十全にかなえるプレイヤーとして自分を選んだと。そういうアルバムなんだと思います

同じようなアルバムとしてリングスもありますが、あっちはかなり音形を決めてそれを高精度になぞる事でタイミングの精度を上げてみたのでしょうが、このアルバムはむしろ自分自身との対話を楽しむ、よりルーズな姿勢で音を作り上げている様です。

ですからリングスと違って聞く側もよりルーズにリラックスして利くべきなんだと思います。

発売当時はやはりリングスの幻影があり、「リングスに比べたラナァ・・・」と思ってましたが、今これを聞くと「あー、楽しそうにタイコ叩いてるよな」と思います。この幸福感をそこはかとなく感じつつBGMの様に聞くべきなんだと思います。良いですよ、このアルバム。

2007年5月19日記入

「津波+カフナ/リッチー・バイラーク+富樫雅彦」(1978年)

1978年録音の「カフナ」(スタジオ録音、バイラークソロとデュオ)「津波」(ライブ、デュオ)と二つのCDからカップリング。両方のCDから抜けはありませんから、カフナ、津波両方ゲット出来ておトクなCDです。是非買いましょう。いや、1970年代のフリージャズ再版という冒険してくれるpjlからの発売なんで・・・

さて、内容はというと、当時海の向こうから初来日したリッチー・バイラークが何故か共演したい日本のアーチストとして富樫雅彦さんを指名し、目出度く共演したという事です。まぁこれだけで富樫ファンとしては「偉いぞリッチー・バイラーク」と言いたくなる訳ですが、その後20年たって「Freedom Joy」でも共演した訳でこれだけで「俺はバイラークについていくぜ」とか思ったり思わなかったり。

さて、バイラーク先生はフリー寄りの方ではなく、むしろクラシック寄りの人だと思いますので、フリー寄りのピアニストより、調性があり、なおかつインプロバイズ能力もあるようですので、イー感じに絡みます。初心者は佐藤御大や、加古御大よりも馴染みやすいメロディアスなプレイです。勿論インプロバイズの関係でフリーキーにもなりますが、所々でメロディアスに盛り上げる盛り上げる。また富樫さんもちゃんと合わせるんだ、これが。正直、インプロバイズに鳥肌が立つ、とか、異次元に飛ばされる、というアルバムではありませんが、二人のレベルの高さに噛めば噛むほど味が出る、そういうアルバムだと思います。ちょっと疲れた時にこれを聞くと元気になる、という感じ

2007年5月27日記入

「THE BALLAD - MY FAVORITE/富樫雅彦」(1981年)

これは大傑作だと思います。当時フリージャズの大家であった富樫、佐藤の強力コンビに加えて、高木健司(b)という大変達者な(富樫さん自身が、「あいつは良い」と言っているそうです)プレイヤーを加えて、ストイックにスタンダードを演奏します。

勿論佐藤さんのアレンジもリハーモナイズしまくりで、さらっと聞くだけだとただの美しい静謐な音楽なのですが、聞き込めばこれはやはり現代的なjazzの味がきっちりと確保されています。さらに富樫さんのブラシワークが冴える冴える。佐藤さん、高木さん共に「聞こえるはずのないバスドラムの音が聞こえる」と顔を見合わせるほどに。

余談ですが、この「聞こえるはずのない音が聞こえる」現象はこのアルバムだけじゃなくて、「SONG FOR MYSELF」で菊地さんも「聞こえるはずのないベースが聞こえる」と言っていますし、不肖ボンクラのわたくしも聞こえたりしますので、多分皆さん聞えるんじゃないでしょうか。ホント凄いです。

一見さらっと聞こえるようで、実は非常に深い、私の理想とするある種の極北の音楽といえるでしょう。実際、ジャズの場合はスタンダードを自分のナチュラルな技量で表現する、というスタイルに傑作が多い気がします。マル・ウォルドロンの「breaking at new ground」もそういう意味で傑作だと思うんですが

これはむしろ富樫ファンじゃない人に勧める一枚、といえるでしょう。富樫ファンも聞けば満足できますし。夜明けのコーヒーを飲みながらBGMとして聞く音楽」として企画されたこの一枚。是非手にとってお聞き下さいな。傑作ですよ、傑作。いや、ホントに。

2007年6月3日記入

「KISS OF SPAIN/デューク・ジョーダン」(1989年)

デューク・ジョーダンのバラード主体のアルバム。しかし、バックを勤めるのが我らが富樫雅彦、井野信義(b)ときますから、「バラッド」っぽい作品と言えなくもないでしょう。富樫さんはバラードの、しかもスタンダード主体という事で「やるのはいいけど、俺2の線は踏めないよ」と言ったとか。よく分からないのですが、これはスタンダードの場合、リズムをキープするためのハイハットが2拍目に必ず入るらしいのですね。で、これが出来ないが大丈夫か?という意味らしい、です。ここでボンクラーズなワタシは初めて「あー、スタンダードが出来ない、ってそういう意味かぁ」と初めて分かりましたよ。なるほど、「俺はスタンダードは出来ないからフリーに行くんだ」というのはそういう意味でしたか。
で、製作者は当然そんな事は分かってて、「デューク・ジョーダンなら大丈夫」と富樫さんを担ぎ出したそうです。もともとデューク・ジョーダンのバラード決定版を作る!という意気込みのアルバムらしいので、並のドラマーではなく、間を最大限に生かした富樫さんがピッタリだと思ったらしい。でもさぁ、結構賭けですよねぇ、これ。

結果的にこの賭けは大成功だと言えるでしょう。勿論フリーインプロバイザーとしての富樫さんのファンがアルバムを聞くと不満が残るでしょう。インプロバイズ的にフルに動いている訳でもないし、しっとりとサポートに徹しているので。でもこのサポートに徹した姿はそれはそれで素晴らしいと思います。実際アルバム単体で聞く限り非常に水準の高いバラードアルバムだと思います。良いですよ。勿論フリーのファンが聞くと全然面白くないと思いまけど。という訳で聞く人を選ぶ訳ですが傑作には違いありません。普通のジャズバラードアルバムとしてどうぞ。そして普通のジャズバラードとして聞くならやはり傑出しているアルバムだと思います。

2007年7月8日記入

「いわな/宮沢昭」(1969年)

当時、玄人好みの名人として記憶されていた宮沢昭さんが、「俺だってフリーも出来る」といわんばかりの姿勢でレコーディングされたアルバムです。というのもこの当時、世界のJazzシーンはフリーというイデオムが嵐となって吹き荒れ、特に日本のJAZZヒョーロンは「フリーにあらずんば、JAZZにあらず」という勢いだったらしいです(誇張大幅にあり)

という事で、宮沢昭という方の本来の有り方とは若干違ったアルバムでしょう。特に最初のタイトルチェーンである「いわな」あたりは相当・・・ねぇ。いや悪くないんです。良いんです。が。後続の「河ます」「あゆ」「虹ます」の凄い演奏を聞くと「これでいいのか?」という疑問が大きいですよ。それ位凄いんだ、これが。銀パリ、とまでは言えませんが、ある種それに匹敵する凄いタイトなハードバップなスタイルで攻めまくり。聞いているこちらも悶絶しまくりという感じで。脳内から怪しい汁がばくばく出てきますわ。

それはそれとして、これは非常に良いアルバムです。結局最終的に富樫さんはこういうバップっぽいフリーという世界に帰着したように見えるので、ここが富樫さんの原点っぽい音なんだ、といえるかと思います。

とにかくこれは傑作ですよ。傑作。マストバイな一作と言えるでしょう。

2007年7月16日記入

「エコー/ポール・ブレイ+富樫雅彦」(1999年)

当代きってのインプロバイザーという観点からポール・ブレイと富樫さんを組み合わせてみようという企画から出来たアルバム。

ぶっちゃけ、このアルバムで展開されているインプロバイズが自分の鑑賞レベルからは隔絶過ぎるので、演奏が成功しているのか失敗しているのか自体が全く分かりません。つまり次に出る音が成功している音か、そうでないのかがまったく分からないのです。
富樫さんのアルバムの大部分は自分としては、音として心地好いという部分で評価しておりますが、そういう評価軸では捕えられないアルバムです。このアルバムは所々はっとする位美しい瞬間はあるのです。が、つらなりが自分にはよく分からないので、評価が厳しいのですよ。

ただ、じゃぁダメかというそんな事はなくて、とにかく一音一音の響き、タイミングが美しいのです。でもそれが音の繋がりトしてメロディアスに流れるかというと全くそんな事はないのですよ。それをどう評価するか、でしょうね。このアルバムの価値は。

とりあえずポール・ブレイと富樫雅彦が恐るべきインタープレイの交感能力の持ち主であり、恐るべきインプロバイザである、と言うことは十全に分かります。そっから先は鑑賞者しだい、という事になりますね。

という事で、ポール・ブレイ、富樫雅彦さんのファンなら買いですがそれ以外の人にこのアルバムを勧めづらいという感じです。自分は全然後悔してませんし、満足しておりますが

2007年8月4日記入

「フォー・ユニッツ/宮沢昭」(1969年)

「いわな」と同じメンバーでのフリーフォームな作品。「いわな」の2ヶ月前に録音されたものですが、同じようにヴィヴィッドな作品。一曲目が長いフリーフォームであり、2曲目も同工な作品ですが、俺的には白眉は「スカボロフェア」でしょう。パラジウムの「ミッシェル」と同様、最初は親しみやすい名曲から入ってどんどん「ドシャメシャ」になっていくのがたまりません!ぐはぁ。正直、「スカボロフェア」だけでも十分元取れますよ。是非ご購入を!素晴らしいですよ!B面相当の3〜5曲は比較的メロディアスでいい感じ。正直A面相当の1〜2局目は今となっては(素敵な演奏ですが)宮沢さんの本領を発揮したモノでもないし、この4人の姿を伝えるという意味ではB面の曲の方が正しい姿ではないでしょうか。強く強くおススメです。

2008/6/30記入

「ペイザージュ/渡辺貞夫」(1971年)

ベースがゲイリーピーコック、エレピが菊地雅章、ドラムが村上寛、フルートとサックスが渡辺貞夫さん、という錚々たるメンバーでの作品。ちょっと抽象っぽいけれどもゴキゲンなアルバムです。ちょっとボサが入っているメインストリームなジャズですよ。ここでは多分左手のパーカッションが富樫さんだと思うんだけどなぁ・・・自信まるで無し。
でもスッゴイイイアルバムだと思いますし、聞けば深いしで。素晴らしいです。強く強くお勧めです。

2008/11/04記入

「POESY/菊地雅章+富樫雅彦+ゲイリー・ピーコック」(1971年)

ベースは菊地雅章(p)と富樫雅彦(perc)のデュオ。ピアノはいつもの菊地さんのリリシズムに溢れたフリーという感じです。それにパーカッションの富樫さんも又端正に絡んでいます。
ゲイリー・ピーコックさんは全6曲中3曲の参加。
これまた絶品ですよ。
ただ端正な作品であるが故に動きの少ない単色なイメージを生みやすい曲群ではあります。でのすのでピーコックさんのベースが絡むと途端に色が付いてくる。動きがダイナミックに感じてきます。ベースライン自体はメロディックではないもののベース自体の動きが曲を進行させる駆動力になっている感じ。
とはいえ紛れもなく傑作ですよ、傑作。菊地さんと相性の良い方であれば尚更です。

2009/08/02記入

「MUSICAL PLAY IN JAZZ/宮沢昭」(1969年)

ピアノが前田憲男、ベースが原田政長、ドラムは我らが富樫雅彦、という布陣でミュージカルの音楽を題材に非常に楽しくスイングしているアルバムです。
富樫さんもオーソドックスなジャズを楽しそうに叩いているので、聞いていて非常にゴキゲンになるアルバム。
正直、このプレイヤーでなければ聞けない、という音楽性ではないので長く語り継がれる名盤になるか、というと若干疑問符もありますが、しかし中心が無くなればエッジも立たない。そういう意味で突然聞きたくなってそして音楽が染みる様に聞こえたりするアルバムではないでしょうか。良いですよ、これ。まぁオークションで大枚はたいて買うアルバムではありませんが、非常に元気よくタイコを叩く富樫さんを堪能できます。

2010/05/02記入

「AFFINITY/ヘレン・メリル」(1982年)

ヘレン・メリル(vo)、佐藤允彦(piano)、井野信義(b)、富樫雅彦(perc)、山本邦山(尺八!)という構成からして、真っ当なジャズに全然見えない編成ですが、これが聞くとバッチリなド・ストレートなヴォーカルJAZZっす!しかもバッキングに徹しているこのメンバー、全然手加減してない!マジにバッキングにかけてます、って形で現代的、コンテンポラリーなセンスに溢れています。
いやぁ、マジで尺八はジャズにピッタリですよ、とマジに聞いていて思いますもん。
そうだよ、ジャズの未来はちゃんとここにあるんだよ!
正直、富樫さん達のコンテンポラリーなフリーフォームなジャズを聞くアルバムではありませんが、リラックスしてヴォーカルとそしてバッキングに流れるコンテンポラリーなジャズ、本当の意味でのコンテンポラリーなメインストリームジャズを堪能するアルバムです!

2010/05/02記入

「無限の譜/山本邦山」(1979年)

エリック・ドルフィーのファンでもある尺八奏者、山本邦山さんのアルバム。といっても佐藤允彦(p)、富樫雅彦(perc)との三者対等にコラボレートする傑作アルバムです。
尺八とジャズ?等と疑問に思うかもしれませんが、これが凄いバッチリはまっているのです。
特に全く違和感なくフリージャズのイディオムと尺八のイディオムが融合しており、受ける印象は多分ジャズファンならフリージャズ、尺八ファンなら雅楽としての印象になってしまいそうです。ここから類推するに、富樫さんがフリーに行くしかなかったのは日本の伝統的な楽器のイディオムから発露されるインプロビゼーションはどうしてもアメリカのジャズにならない。日本のイディオムから発展したジャズには実は和楽器のイディオムと非常に親和性が高かった、という事かと。
とにかく聞いていて意外にもフリージャズ色を感じず、むしろ雅楽的な音空間であり、しかもそれであるが故にジャズである、というもう奇跡の傑作です!
日本人なら聞かずには死ねない!

2010/05/08記入

「富樫雅彦 Steve Lacy 高橋悠治 」(2000年)

2000年10月に来日したSteve Lacyとのコラボ。
富樫、Steve Lacy 高橋悠治さん達のインタープレイ。素晴らしいです。CD紹介ページも見て下さい。
富樫さんとLacyさんは今までのデュオと同じタイプのプレイをしているんですけど、このアルバムは間に高橋さんが割って入る事によりケミストリーが発生してます!同じ事をやっているんだけど、今までのデュオとは受ける印象が全然違います。
幽玄の音空間が展開されています。
Lacyさんも富樫さんも「あっち側」に行ってしまったのですけれども、CDが残された事により、二人の作り出した音の一端は確かに残っています。私達はそれに触れられる事の幸運をかみしめるべきでしょう。良いです、これは。

2011/04/10記入

「BECAUSE/後藤芳子 」(1981年)

1981年に八木正生さんの夫人でもある後藤芳子さんのデビューアルバムのバックとして、佐藤允彦、井野信義さんと共に参加。というか、このメンバー、豪華すぎねぇ?夫君の八木さんの人脈なんでしょうか。というか、このアルバム、ごくごく正統的なジャズボーカルアルバムで後藤さんも素晴らしいのですが、しかし明らかにバックのメンバーの演奏が過剰ですよ!富樫さんの傑作「THE BALLAD MY FAVORITE」(1981年)を彷彿される素晴らしいアルバム。
ちゃんと真面目にスゥインギングに叩いているんですけど、随所に現れるフリーな音が素晴らしい。これは良いです!

2011/04/10記入

「Masahiko Togashi Trio/ Live at Kölen」(2002年録音)

山下洋輔(p),水谷浩章(b)という布陣のアルバム。山下さんもドシャメシャなプレイもあり、しっとりと聞かせるプレイあり、またベースの水谷さんが凄い凄い。ブイブイいわせてます!
個人的にはこれが最後のアルバムだから!とか思って全然聞けなかったんですが。聞かなければまだ富樫は生きているんだ、俺の中で!みたいな訳わからないエモーションがあったんですけれども、最近次々に出てくるんで、まぁいいかなという気分に。富樫雅彦は永遠です、という気分です。実際、富樫雅彦に私達はCDをトレイに載せるだけで邂逅する事が出来る。いつだって、どこだって。

2012/01/29記入

「Begin the Beguine/GREAT 3(菊池雅章+ゲイリー・ピーコック+富樫雅彦)」(1994年録音)

菊池雅章+ゲイリー・ピーコック+富樫雅彦というPOESYと同じメンバーでの録音。
POESYと同じく菊地さんはリリックにメロディを奏で、ゲイリー・ピーコックが達者に寄り添う中、富樫さんのブラシワークが冴える、という感じの構成。
正直素敵なアルバムなんですけど、こういう音楽自体が今居場所がどんどん無くなってますよね。
家に帰ってリスニングルームでゆっくりと沁みる音楽を聴く、等という「余裕」が。
もう世界はこういうゆったりとした音楽、クラシックやムーディなジャズの居場所は無いのでしょうか。そんな筈はない、と聴く度に思うのでありました。だって、こんなに凄いじゃん、これ!

2011/02/05記入


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