▼検診にて
毎年受けていた検診なのに今年は初めて肺がひっかかり、別に気にもしないでそのままにしていたら、主人が何度も病院に行きなさいと言うので、主人を安心させるために再検診をうけた。それがまたひっかかり、肺にファイバ−スコ−プを入れて調べるらしい。少しだけ心配になってきた。
▼告知の時
一人で行こうと思っていたのに、夏休みで家にいた主人も行くというので仕方なく二人で病院に行く。忘れもしない平成8年8月16日だった。まるで テレビドラマのシーンのようにすんなり静かに耳に入ってきた。「肺がんの初期です。右上葉腺ガンです。」主人はすぐに聞き返した。『タバコが原因ですか? 』幸いタバコは無関係だった。このときタバコをやめられるとよかったのに主人は吸いつづけてしまった。家に帰るまであまり会話はなかったと思う。
▼本音
最初に思ったのは、長生きできないかもしれない、ということ。次に孫の顔ぐらいは見たいとおもった。まだ子供は上が大学生と下が浪人生だったから、孫の顔を見るまでは5年以上はかかりそうだ。どうしようとかは思わなかった。 悪い物はすぐ取ってしまいたかったから何も悩まず入院日を決めてしまった。
▼家族の動揺
病人の私より主人のほうがすごくショックを受けたようだ。大きなため息ばかりついて仕事も手につかないようだ。まるで主人のほうが大病人に見える。主人を見ていて私はため息がつけなくなった。「お父さんに出来ることは、私に美味しい物を沢山食べさせたり綺麗な物を見せて楽しませてくれる事でしょう。温泉にも連れて行ってほしいし。」と言ってしまった。それから主人は家事と仕事の二足のわらじをはき、まるで別人のように頑張ってくれた。
子供たちは初期ということで、あまり心配していないようで自分の勉強に励 んでいるように見えた。後で聞くと、『動揺していない様にみえたの?』。凄く心配していたが大騒ぎすると母親が動揺するのが可哀想だから、と言っていた 。
▼両親には内緒
運良く両親は北海道に住んでいる。どうしても年寄りに心配をかけたくなくて両親に内緒で入院した。いつもはあまり電話などかかってこないのに親の勘は凄い。2日で家にいないのがわっかてしまい家族は話を合わせるのに困った。手術の前に外泊させてもらい、肺の検査で入院する事、悪いものなら取ってもらうことを伝え心配要らないからと電話した。
退院してから悪い物ではなかったと電話で報告した。両親と一緒に住んでいる弟が仕事で東京に出て来て我が家に立ち寄り、その際、子供たちが『初期だから大丈夫』と言ってしまい、ガンであることが分かってしまった。驚いた弟が病院まで来てくれ、まだ手術前だった私は元気一杯だったが、両親には内緒にしておいてと頼むしかなかった。
同じ家に住んでいるのに秘密が出来てしまい弟には悪い事をしたとおもう。とうさん、かあさん、本当の事が言えなくてごめんなさい。私が60歳ぐらいになったら正直に言えると思うのでそれまで長生きしてくださいね 。
▼訳の分からぬ代物
告知後、主人は色々な本を読みまくり、とうとう決心してある日、大金を持って出かけた。習志野市の何とか言う病院にガンに良く効く薬があると言う。無学な私は聞いた事もなかったが、あちこちの本に最近よく載っている薬で是非飲んで欲しいと言われたが名前を見て驚いた。冬の虫に夏の草と書いて冬虫夏草。多分、虫や草を煎じてある物だとは想像がついた。
どんな苦いものだろうと、これは主人の祈りであり命令でもあった。病院の先生に相談したところあまり良い返事ではなかったが、手術の後なら構いませんと言われた。手術の後主人は早速ビンに入った虫入りの飲み物を数本ずつ病室に持ち込み私の戸棚の中に入れて帰った。飲んでみて苦くもなく嫌いな味でもなかったから安心した。
▼手術
9月3日手術日に決まり、8月22日入院する。お産以来入院などしたことがなくいつも忙しくパートに体育館にと動いていたので少しのんびりしようと腹をくくりベッドに横になる。 3日の朝9時に手術室に入り、5時間かかって無事に回復室に戻る。家族は取っ た肺を見せてもらったそうだ。大きな傷が残ったけれど悪いガンさえ残っていな ければ良いと思った。
▼咳と痰
手術前に痰をしっかり出さないと色々な合併症になる話は聞いていた。次の日の朝から痰が出初め1日テッシュ1箱使うほどだ。一つの痰を出すのに咳を5 、6回しなければいけない。その咳が背中の傷にひびき汗だくになるほど痛い。吸入器を使って痰を出すのもまた傷が痛くて一苦労だ。売店に行く時もロビーでテレビを見る時も大きなテッシュの箱を持参して歩き回った。そんな日が1週間程続いてから大部屋に移り、その後楽しい入院生活が始まった。
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