▼楽しい入院生活
苦しい闘病生活でも楽しい友達が沢山できるものだ。お姉さんと呼んでいた胆石を沢山取った和田さん。大きな胸をゆらしてガハハハと大声で笑い、退院してからも色々な料理を特に餃子と煮物を教えてもらったり、子供の話でもりあがる。 歌が上手でお酒の強い山本さん。朝コインランドリーに行きリハビリがてら洗濯を一緒にして屋上に干す。2つ言うと5つほど返ってくる会話が楽しい。 退院する少し前に、病院の前にあるおそばやさんまでこっそり出掛けて、そばとビ−ルで乾杯して病院のお昼ご飯をそろっと戻したり、傷を見せ合い、思ったよりきれいだよ、なんて言ったね。
でも一つだけ辛かったのは、乳がんが2センチと4センチの二つもあると明るくいった相川さん。手術前に寝巻きを2枚買うように看護婦さんに言われた時「いやじゃなかったら、これ使って」。もう手術の終わっていた相川さんに寝巻きと水差しを頂いた。すぐお友達になれた。でも私が大部屋に入ると相川さんは抗がん剤が始まりすごく辛そうな毎日だった。 何とか抗がん剤が終わり来月の入院日を決めて先に元気に退院していった。でもだんだん痛みがひどくなり特くに腰が痛いというのでヘルニアかもしれないと心配していたが、次の年の5月亡くなってしまった。凄いショックだったが、相川さんのためにも病気なんかに負けないで頑張ろうと誓う。

▼リハビリ
9月22日、痰もなくなり退院出来た。喜んで家に帰ったが、病院の様に楽ではない。土曜と日曜はゴロゴロしていたが月曜に家族が出掛けてしまうと埃が目につき掃除機をゆっくりかけて疲れてしまう。お昼になってもご飯が出てこないので病院が懐かしい。夕食も1品作って休みもう1品作ってまた休む。たった1カ月の入院でこんなに体力が無くなるなんて。10年もバドミントンをして体力には自信があったのに。

家に帰り1ヶ月ぐらいして夜、寝ていて自然に寝返りしていたときは、あかちゃんが寝返りした時と同じぐらいに驚いた。背中の傷が痛くなくなっていたのだ。それまでは、寝返りなんてとんでもない、布団に入る時はそろっと入り背中の後ろに柔らかいクッションを当て寝ていたくらいだったのに。それからはリハビリもどんどんできる様になり、車の運転も背中が痛くないので出来たし、散歩もそろそろ歩いていたら腰の曲がったおばあちゃんにぬかされたが少しずつ距離を伸ばしていった。 自転車に乗っても傷が痛くないので段々自信がついてきた。でもスーパーの肉売り場の冷房にあたると急に傷が痛み出し背中が「つ」の字に曲がった。重い物はまだもてないがバドミントンのラケットなら持てると思い、素振りを始めてみる。ゆっくりなら出来そうな感じだ。今年中にコ−トに入りリハビリしたいと思う。

今までじっとしている事があまりなく、いつも動いていた様に思う。急に時間が止まってしまったような不思議な気持ちだ。神様がこんなのんびりした時間を私に与えてくれたのだろう。ゴロゴロしているのもなかなかいいものだ。息子がス−パ−ファミコンを私の前に置いて「競馬でもやりなさい」と言う。長い一日をゲームで楽しみ、子供がゲームに夢中になる気持ちも理解できた。 主人が会社からノ−ト型パソコンを持ち帰り仕事をしている。ゲームが出来るかと聞くと教えてくれた。 病みつきになり自分のパソコンをほしいと思った。

以前は信号が黄色になっても急いで歩けなかったのに、10メートルぐらいならゆっくり走れる様になったので、11月21日夜、開放している小学校に出かけ主人に相手してもらいラケットでシャトルを打ってみる。力は入らないが『うん、こんなにも出来る様になったか』と感心して嬉しくなる。段々力強く打てる様になっても 肺活量はなかなか増えてこない。フーフーと大きな息を吸いながら友達の声援に励まされ、気がつくと1年が過ぎていた。
手術後最初の試合は手術から1年1ヶ月後、県家庭婦人バドミントン大会。 結果はまあまあといったところだったが、私にとって4試合、それも棄権もしな いで頑張れた事は凄く大きな収穫だった。

▼転院
検診を受けていた病院は、茅ヶ崎市立病院だった。主人の仕事で引っ越すことになり、頼っていた医師が変わるのは心配だ。手術から半年がたっていた。紹介状を書いてもらい、良い病院も紹介してくれた。柏国立ガンセンターに転院した。 前の病院からCT写真X線写真等色々持っていく様に準備して持たせてくれていたのでそれらをみてもらう。『9割は大丈夫です。』何の事かすぐには理解できなかった。 ああ、生存率のことか。前の病院では7割といわれていた。命が少し 延びたような嬉しいような。その夜お祝した。1年間は3ヶ月ごとに通院したが、そのあとは6カ月に一度の通院になった。

▼心配事
癌になった人で転移の心配のない人は一人もいないだろう。一緒に入院していた乳がんの人が言っていた。指先がチクッとしても転移の心配をしてしまうと 。お腹が痛くても背中が痛くても頭が痛くてもいらないことを考えてしまうものだ。そんなに考えても何もいい事があるはずがない。子供も一人は働いていてもう一人は大学2年生になっていた。何かあっても自分の事は自分でやって行く事が出来るだろう。 主人は若い奥さんを連れて来て結構楽しく暮らしてくれると思うが猫のももこちゃんは凄く寂しがるはずだ。

▼老後の夢
私の肺がんを見つけてくれた主人が、去年狭心症で倒れステントを入れる手術を3回した。老後に二人で楽しめるとやり始めていたバドミントンは出来なくなったけれど、何とか頑張って会社に行っている。働くことが趣味の人だから旅行も楽しみもなく全く可哀想なサラリーマンだ。 老後は二人で旅行に行ったり散歩したりのんびりほんわかとくらしたい。出来たら掃除当番、食事当番、洗濯当番を決めて、お互いの時間を束縛しないで自由気ままに。もちろんいつまでも健康で、ゼッタイ肺癌なんかにまけないぞ!!

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