▼癌から卒業の日 【2003年2月6日】
2月6日、一年に一度の癌健診の日。
2週間前にCTを撮りに行って準備をしていた。何時ものように元気に先生の前に行き、先生の「お変わりありませんか?」「ハイ、とても元気にしていました」の挨拶から始まった。
「CTは何も問題ありません。もう手術から6年経ちましたから 、菊地さんはここの病院から、卒業ですね」と、急に言われて慌ててしまう。嬉しい気持ちと、一方、これからは先生に「問題は無いですよ」と言ってもらえないという不安もあり、先生に「一年に一度先生に逢えないのは心配ですから逢いに来たいです」と言ってしまった。先生は「近くの病院での検査は勿論受けて下さい。何か心配があったら何時でも来て下さい。」と言ってくれた。その言葉で私は癌センターから卒業した。

▼両親に告白。 【2003年2月9日】
2月8日。一年に一度、北海道から何時も遊びに来る両親が来た。前の夜から、北斗星に乗って、二人仲良く遊びに来てくれるのが嬉しい。
2年程前までは 二人で相談して四国に行ったり熱海に行ったり、あちこちと忙しい両親だったが、去年からは足が痛いと言って、家でゴロゴロ寝てばかりいる。「柏まで遊びに来たのに、寝に来みたいね」と言って笑ってしまうが、父も80歳だから仕方が無い。
息子と嫁と孫が両親に会いに遊びに来ていた。四世代が揃い凄い賑やかな夜だ。が、両親が寝た後、息子達から、癌からの卒業を両親に伝えるのは今しか無いと言われて悩んでしまう。一生内緒にしょうと思っていたので、今更両親にショックを与える事に不安もあった。
息子が「もし、反対にじいちゃんの病気を隠していたら、お母さんはどう思う」と言った。それは絶対に嫌な事だ。もしそんな事があったら、凄い剣幕で怒ると思う。そう思ったら、年取った両親に「6年前に肺ガンだったけど、もう卒業したのだから心配いらない」と告白しようと決めた。その夜私が寝た後、主人と息子とお嫁さんは居間で翌日「癌卒業お祝いパーティ」をする為に、紙テープを天井から吊るして飾り付けをしていたようだ。朝起きて驚いてしまった。居間がとても賑やかだ。
両親に椅子に座ってもらっていよいよ癌からの卒業を告白した。二人とも目を白黒させて驚いていたが、後で母が言った。「6年前に聞いていなくて良かった」と。
それを聞いて私は癌を内緒にした事も、今癌からの卒業を告白した事も正解だったと思った。
もう内緒の事は何もなくなった。心が軽くなったような爽やかな気持ちだ。

▼メル友と初めての… 【2002年12月26日】
私のHPを見てメールをくれるようになり、もう一年も友達の長野の波多腰さん。去年の暮れ、東京で逢いたいと言われて嬉しくなり、柏まで来て我が家に泊まってと言う。メールは何度も何度もやりとりしていたが、声も聞いた事がないし、顔も、メールに添付して送ってくれた写真で知っていただけだ。
波多腰さんの旦那様は肺ガンで2002年のお盆に亡くなってしまった 。聞いていて羨ましくなる程、仲の良い夫婦だとずっと思っていた。旦那様の闘病の事、亡くなるときのこと、家族旅行の写真、お葬式の喪主の挨拶の事、等など、初めて会ったとは思えないくらい、夜中までも話は続いた。
次の日の朝、あまり起きてこないので思わず起こしに行き「何時まで寝ているの。夜になってしまうよ」と話の続きをしたくて無理に起こしてしまった。まだ私よりも随分若いのに二人の娘さんを育てて頑張っている。これからは娘さんたちのお父さんとお母さんの分の役割を奮闘してくれるだろう。お土産にカスピ海のヨーグルトを持って行ってもらったが、まだ健在かな?

▼話が前後してしまったが。 【2002年5月24日】
大切な嬉しい事を書くのをすっかり忘れていた。 2002年5月24日。息子夫婦に待望の長男が生まれた。お嫁さんは2日も苦しんで卵のようなツルツルの可愛い俊平を生んでくれた。癌の告知の時に思った、「孫の顔が見たい」を現実のものにしてくれた。
自分の子供も勿論とても可愛かったが孫は特別だ。目の中に入れても痛くないと言う言葉があるが、勿論目に入れたら痛いと思うが、本当に目に入れられるなら入れたい程に可愛い。何時間でも見ていたい。何でもして上げたい。
将来はスポーツ選手になってもらって、私は応援団長で世界中を追っかけしたい。サッカーでも相撲でも野球でもなんでも良い。人よりも凄い事が出来たら一芸で億万長者になってくれないかな?考えただけでも楽しい、ささやかな私の夢です。

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