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潜在的であったゲームの需要

 現在、コンピューターゲーム(以下ゲームと略す)は社会的にみて広まっていく傾向にある。70〜80年代には、コンピューターゲームには、「ゲームやコンピューターに抵抗のない特殊な人間の好む特殊な趣味」あるいは、「不良のたまり場に置かれている機械」といった一般的認識があった。しかしながら、「ファミリーコンピューター(任天堂)」が大ヒットしたあたりから、ゲームの社会的立場は、少しづつであるが社会的に認知され始めてきた。このことは、角川書店が雑誌「Tokyo (Kansai) Walker」と同じ位置づけで、「Game Walker」というゲーム雑誌を発刊したところにもみることができる。しかるに、このような現代社会におけるゲームの隆盛には、何らかの素地かあったものと考えるべきであろう。

 人間は、何らかの目的があって、何らかの行動を起こす。すなわち、物理的な見返りがあるゲームを除き、ゲームをプレイすることには何らかの目的がみとめられなければならない。ゲームそのものの持つ特性は、プレーヤーのゲームフィールドに対する能動性である。それ故、物理的な見返りがあるゲームを除いた、ゲームに対するアプローチは、プレーヤーが何らかの環境に対しての能動性の発露を欲していることを意味する。つまり、社会的なゲームの隆盛は、能動性に対する社会的な不満の発露である。
 以上のことから考えるに、1970年代からゲームが社会的に広まった原因は、1)ハードウエアの高度化のみならず、2)社会心理的な能動性に対する不満を背景にしたものである。


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