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社会心理的な能動性に対する不満

 1950年代から70年代にかけて、大衆の能動性に対する欲求を解消する手段となっていたものが、基地闘争、労働運動、安保闘争、大学紛争などの大衆的諸運動である。これらの運動は、個人の情動的な側面において、自らが社会に参加し貢献しているという意識、ひいては自らが社会を変革するという、能動的で支配者的な感情を満足させていた。
 しかしながら、大衆的な諸運動は、1)破防法、労働三法、教育二法等による規制や、2)日本国内の経済的安定による保守化、3)運動指導者層の極端な左傾化、4)日本国内の平等化、組織化による、徒弟制度に似た労働者コミュニティの解体、等によってその力を徐々に失っていった。すなわち、大衆的諸運動は大衆の能動的、支配者的な感情を満足させることができなくなったのである。
 大衆的諸運動に代わって若年層の支配的な感情を満足させる媒体の一つとなったのが、ゲームである。1)学歴社会の高度化による若年層の勉強時間の増加と、テレビの普及は、今まで培われてきた子ども社会「ガキ大将文化」ともいえるものの解体を引き起こした。2)社会における中流者層の拡大と、核家族化、大都市への一極集中は、個人の接する社会的な範囲をきわめて狭い範囲に限定し、都市部の家庭単位でのコミュニケーションの断絶を促した。すなわち、1)および2)によって、個人単位での社会の活動が促進された結果、能動的な感情も個人単位となった。そして、個人単位の能動的感情の対象の一つとしてコンピューターが選ばれ、より容易な形でコンピューターにアプローチする手段として「コンピューターゲーム」が出現するに及んだのである。


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