西光万吉の生地を訪れる


  西光寺の門
 
最新更新日 2008年02月14日木曜日

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  西光万吉について 2008-02-11 更新
  ゴスロリ少女の京田辺にふたり乗りが歌う 2008-02-11 更新
 
 
(イタリック体のリンク先はウィキペディアです。 2007-08-26 記)

 
 
 
ふるさと神戸でゴトウイズミさんと再会
 2006年12月25日に高知歌小屋の2階で知り合った広島の アコーディオン弾きゴトウイズミさんが2008年01月20日に来神したのであいました。ライブ イベントのタイトルは覚醒実験室で、場所は生田神社にほど近いピーズゴトウイズミさんに昨夏さそわれた広島でのお誕生日ライブに 私は行きませんでしたが、広島から仙台に帰る途中に大阪でライブしたろみさんに 会って様子を聞いたことを告げ、ゴトウイズミさんのお誕生日が関東大震災の9月1日ではなく翌2日だということを確認しました。 曜日の関係でライブを一日繰り上げ午前零時を待って出演者で祝杯をあげたようです。ゴトウイズミさんに前年11月の京都でのコトリ木ふたり乗りのライブ画像を見せようと思ってメディアから消さずに残していましたが、トリの田端早苗さんが終わった瞬間にデジカメを床に落として一時的におかしくなったために果たすことができませんでした。デジカメのメディアは帰宅途中の東海道線の車中で復旧しています。 (2008年01月27日日曜記)


水平社宣言の作者西光万吉の生地を訪れました
 2008年1月、近鉄の橿原神宮初詣きっぷの期間中の某日、水平社宣言の起草者西光万吉(本名:清原一隆)の生まれた奈良県御所市柏原北方の西光寺を訪れました。 浄土真宗本願寺派(いわゆるお西さん)の寺の長男に生まれ 「あにぼん」と言われて育ち、水平社が立ち上がるときの中心人物になりましたが、ときの権力の弾圧により 治安維持法違反で懲役刑を被りました。出獄後は国家社会主義者となり 水平社運動の中心からは距離を起きましたが、それでも農民や労働者を組織し 人が人を搾取することのない世界を浄土でなくこの世に創ろうとします。日本の敗戦で それまでの軍国主義を自己批判するとともに一国だけの平和主義も批判し 国際平和協力の和栄隊を組織することを繰り返し提言しますが、ほとんど聞き入れられず清貧のまま 1970年3月20日に和歌山県で没しました。死の直前まで和栄隊の現実化の構想をしていたことが 伝わっています。永遠の二十七歳と呼ぶにふさわしい人生でした。 約十年前まだ上田卓三氏が 健在だったころに寺のすぐ近くに水平社博物館ができたので、そちらに入れば西光万吉の生涯がわかります。モノクロですが 最晩年の証言ビデオを見ることができます。近鉄の橿原神宮前駅の西口から奈良交通の 御所ゆきバス約十五分で郡界橋(ぐんかいばし)下車、運賃は三百七十円、バスに乗るときに 運転手に水平社に行きたいと言えば郡界橋で止めてくれます。 バス停に博物館までの案内地図が出ています。日中は一時間に一本なので事前に時刻を確認してください。 奈良交通の公式サイトで検索できます。 バス停から博物館へは歩いて5分くらい。地区改良工事が完成したため昔の面影は ほとんど残っていません(それゆえ博物館ができた)。
 博物館を出たら川を西へ(博物館から見て左)沿って 5分ぐらいで掖上(わきがみ)小学校に出ます。水平社創立に関わった人の多くが出ている学校ですが、学校のそばに 1931年3月9日に二十五歳の若さで福岡市で客死した1922年ひな祭り岡崎公会堂の山田少年の碑が 建立されています。終戦直後、西光万吉が我が身に銃口を向けてピストルの引き金を引いたとされる 忠魂碑は小学校内にあったらしいのですが、二十世紀の昔と違って二十一世紀の今 よそモノはみだりに小学校の中に入れないので現状を窺い知ることができません。 小学校から御所(ごせ)方面に向かう場合 バス停は掖上農協前の方が近いです。 御所ではバスは近鉄の駅に着き、JRとは別なので要注意。 遠方からJRで来る人は御所駅で降りても近鉄の駅に来るのに迷うのは必定で 御所で降りずに掖上駅から北に歩いて二十分くらい。JRの乗り放題の切符を持っていれば バス賃の節約になります。 (2008年02月11日月曜記)
山田孝野次郎の碑 図書館で借りた西光万吉の伝記の当該頁を開いて
 
 

ゴスロリ少女を癒すべく京田辺にふたり乗りが歌う
 ゴスロリに傾倒する少女が父親を斧で殺害するという痛ましい事件(京田辺警察官殺害事件)が起きた 京田辺市でその一ヵ月半後の11月03日にふたり乗りリトルファットの おじさん達に華を添えるように出演しました。この夏、ふたり乗りはリトルファットのお供で フジロックフェスに 出演を果たしました。 同志社大学の学園祭で無料のライブですが、撮影禁止で敏郎撮影の画像はありません。また、ふたり乗りは 同志社大学出身ではありません、別の京都市内の大学で 信州出身のツバサと福山市出身のサラが出会ってできたEベースと マンドリンのヘナチャコなユニットです。サラの書く歌詞は尋常ではありません。 この地に敏郎が来るのは ほぼ5年ぶりですが、5年前にはまだあった同志社前駅の開業時に寝台電車の車体を再利用した店は 消え失せていました。ふたり乗りはその十九日後にも 京都市内烏丸三条のNTTが開発した商業施設新風館で無料ライブを行っています。 (2008年02月11日月曜記)
さて、ここはどこ? 同志社大学の学生がエンターテイメントだの癒しだの言うのに飽き飽きして敏郎はキャンパスを抜け出し、夕べのリトルファットの 出番まで、むかし巨椋池(おぐらいけ)という水の底だった向島駅を降りて 駅前のあまりに人工的な自然にしばし身を置いたのです。 約八年前、親鸞上人生誕の地である日野で小学生をあやめたてくのはのる(京都小学生殺害事件)終焉の地でもあります。京阪奈の郊外に再び起きた不幸な事件に合掌するよりほかありません。
 
 


   昨年6月8日の対バン食卓ウサギに京都ネガポジで再会しました 2007-05-25 更新
   ハルニレをききながら(実存主義的ジャーナル#15) 2006-11-17 切り出し
 
 
 
 
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