クラス進化論 早わかり


 この文書では、クラス進化論を、初心者向けに簡単に示す。


 《 簡単な紹介 》

 クラス進化論とは、「自然淘汰」「マトリックス淘汰」「クラス交差」を三つの原理として、大進化について「断続的進化」を演繹的に結論する理論(仮説)である。
 原理は自然淘汰だけでない(他の二つの原理が追加されている)という点で、従来の進化論の拡張となっている。
 また、「連続的進化」(小進化の蓄積による大進化)を理論的に否定するという点で、従来の説とは対照的になる。

( ※ 結局、クラス進化論とは、大進化を説明する仮説だ。従来の説は、小進化についてはうまく説明できたが、大進化については「小進化の蓄積」としか説明できなかった。一方、クラス進化論は、大進化を説明するために独自の原理を提出する。)



理論の要旨


 クラス進化論は、ダーウィンの「自然淘汰説」とは異なる、新しい進化論である。両者の結論は、おおざっぱには、ほぼ正反対となる。
 従来の説では、「突然変異」と「優勝劣敗」という原理が働いた。さまざまな突然変異が生じて、そのなかで最も優秀なものだけが残るので、種の個体すべてが優秀なものになる、というわけだ。しかし、この説だと、「優秀なものが残る」という過程は説明できるが、「優秀なものが新たに発生する」というのが、偶然まかせになってしまうので、不自然だった。そのような偶然が起こることは、確率的に、とうてい、ありえないことなのだ。
 クラス進化論では、「優秀なものが新たに発生する」という過程を、単なる偶然まかせにしないで、根拠を与える。それは、「弱者連合」という発想である。
 経済における企業の競争でも、「弱者連合」という例がある。つまり、一番手企業よりも劣る二番手と三番手とが、企業合併をして、一番手をしのぐ企業になる、というわけだ。それと同じことが、生物の世界でも可能だ。それは、「合併」のかわりの「交配」である。
 「交配」があると、両親の遺伝子を受け継いで、両親の遺伝子をともに持つ子が誕生できる。両親は、二番手や三番手であって、一番手に負けてしまうとしよう。しかし、子は、二番手と三番手の優れた遺伝子をともに備えることで、一番手をしのぐことができることもある。(遺伝子GとHは、単独では有利ではなくとも、組み合わせると非常に有利になることがある。)
 これは、「劣者と劣者が交配して、優者となる」ということだ。この原理を、「クラス交差」と呼ぶ。

 「クラス交差」が起こるためには、一番手以外のものが多様に存在していることが必要だ。つまり、劣者を淘汰する自然淘汰の力が弱まっていることが必要だ。
 一般に、自然淘汰の力が弱まって、多様な遺伝子が存在していると、交配によって、多様な遺伝子の多様な組み合わせが生じる。すると、その多様な組み合わせのなかから、新たに優者が登場することがある。その優者は、新種となる。

 「クラス交差」が起こると、求心性選択の中心が、旧種と新種とで別々になる。つまり、中心が二つになる。このことが決定的に重要だ。
 新種は、旧来の種を滅ぼすこともあり、滅ぼさないこともある。新種が旧種を滅ぼさなければ、「種の分化」が起こる。新種が旧種を滅ぼせば、「旧種から新種への交替」が起こる。これが、通常、「進化」と呼ばれる。
 だから、進化とは、「一つの種の全体で、遺伝子がだんだんと変化していくこと」ではなくて、「一つの種のなかで、新たな遺伝子セットをもつ新種が、交配によって急激に誕生すること」なのである。そして、いったん新種が誕生すれば、そのあとは旧種とまったく別の方向に進化していくことになる。なぜなら、別の中心をもつからだ。
 以上のことから、クラス進化論は、「連続的な進化」のかわりに、「段階的な進化」を結論する。
 かくて、従来の説とは正反対のことを結論する学説が、こうして提出されたわけだ。だから、あとは、どちらの学説の結論が正しいか、検証されるべきである。

本論



(1) 従来の説

 従来の説の基本は、「自然淘汰」である。つまり、「優勝劣敗」を原理として、「劣者が滅び、優者が残るので、進化が起こる」と考える。「優勝劣敗」をもたらすのは、自然環境である。結局、自然環境に適したものだけが生き残って、進化をもたらす、というわけだ。
 では、そのことで、進化は起こるか? 現実を観測すると、「一つの種のなかの亜種の発生」というような小進化は、「自然淘汰説」で説明できる。しかし、「新しい種を発生させる」というような大進化は、「自然淘汰説」で説明できない。
 従来の説が正しいとすれば、その原理に従って、進化は連続的になるはずだ。ところが、大進化は、「連続的な進化」ではなくて、「突発的な進化」なのだ。このことは、従来の説に矛盾する。

(2) クラス進化論の基本原理

 そこで登場したのが、クラス進化論だ。
 クラス進化論の基本概念は、「クラス交差」である。(「クラスとは何か」は、ひとまず脇にのけておこう。)
 「クラス交差」の本質は、「劣者同士の交配によって、優者が生じる」ということだ。つまり、劣者である父親と、劣者である母親が、交配することで、優者である子が生まれる、ということだ。
 ここでは、「優者と優者の組み合わせから優者が生まれる」という「自然淘汰説」を否定して、「劣者と劣者の組み合わせから優者が生まれる」という新しい主張を提出している。

( ※ 劣者の形質は、それ単独では、不利である。しかし、不利な形質を二つ以上もつと、不利だったものが有利に転じる、という効果があるわけだ。トランプでも、似た話がある。弱いカードは、単独では不利だ。しかし、弱いカードをうまい具合に組み合わせると、強いカードになる。)

(3) クラス進化論の効果

 従来の説とクラス進化論を比べると、次のように対比される。
   「優者と優者から優者が生まれる」 …… (従来の説)
   「劣者と劣者から優者が生まれる」 …… (クラス進化論)
 では、なぜ、後者の考え方を取るのか? ただの物好きな風変わりな理由からか? そうではない。前者と後者とでは、それによってもたらされる進化の幅が異なるのだ。
 前者のタイプでは、「ごく自然」な変化が起こる。それは、なだらかで連続的な変化だ。すると、「小進化」が起こる。
 後者のタイプでは、「不自然」な変化が起こる。それは、突発的で不連続的な変化だ。そして、新しい種を誕生させるような大進化は、こちらのタイプなのだ。

(4) 新しい種の誕生の理由

 ではなぜ、新しい種の誕生は、後者のタイプになるのか? それは、進化というものへの認識が関わる。進化とは、何か? 
 従来の考え方では、進化とは、「旧種から新種へ変化していくこと」であった。それは、一つの種の出来事であった。
 クラス進化論の考え方では、進化とは、「旧種のなかに新種が誕生すること」である。それは、一つの種の出来事ではない。一つの種から二つの種へと、種の数が増えることである。
 そして、このとき、旧種と新種とでは、別々の「自然淘汰の力」が働く。すなわち、形質ないし遺伝子について、「旧種にとっては不利であるものが、新種にとっては有利になる」というふうになる。ここでは、「新種にとって有利なもの」は、「旧種にとっては不利なもの」なのである。
 だから、新しい種の誕生が起こるためには、「旧種にとっては不利なもの」が存在していることが必要だ。「旧種にとっては有利なもの」ばかりであってはならないのだ。つまり、従来の説のように、「優勝劣敗」が働いて「優者だけ」になってはならないのだ。
 「優者だけになってはならない」ということは、「多様性がある」ということだ。だから、クラス進化論では、進化の原動力は、「優勝劣敗」ではなくて、「優勝劣敗が弱まっていること」つまり「多様性があること」なのだ。

(5) まとめ

 クラス進化論においては、進化のシナリオは、次のようになる。
 まず、自然淘汰の力が弱まる。つまり、多様な劣者が存在して、多様な遺伝子が存在するようになる。ここでは「劣者」が重要である。
 すると、劣者同士が交配する。そして、交配の組み合わせが非常にたくさん生じると、そのなかで、「劣者同士の組み合わせから、優者が誕生する」というふうになる。
 しかも、この優者は、従来の種のなかにおける優者とは異なる。劣者同士の集団のなかにおける優者である。
 この優者は、「旧種のなかで、優者となる新しい遺伝子をもっている」のではない。もしそうであれば、この優者は、旧種に組み込まれて、旧種を進化させるだけだろう。実際には、どうか? この優者は、旧種における優者ではなくて、旧種とは別の範囲にいる優者である。
 その後、旧種と新種とが、それぞれ別個の進化の道をたどる。やがて、両者が競合するようになると、どちらか一方が滅びることもある。新種が滅びた場合には、それは進化の過程として、せいぜい化石に残るだけだ。旧種が滅びた場合には、「種の交替」が起こる。それは、通常、「旧種から新種への進化」と見なされる。
 ただし、注意しよう。ここでは、「旧種から新種への進化」が起こったように見えるが、決して、「一つの種がなだらかに進化していった」わけではない。進化は、クラス交差によって新種が誕生した時点で、急激になされた。そして、そのあとで、旧種が滅びたのだ。

(6) 例示

 クラス進化論の考え方によって、進化の例を具体的に示そう。「旧人から新人へ」という例を示す。
 まず、あらかじめ、基本的形質の違いを見よう。新人の特徴は、「脳の拡大」ではない。旧人(ネアンデルタール人)は、新人よりも、脳の容量はわずかに多いのだ。ただし、旧人では、新皮質でなく旧皮質が多いだけだった、と推定されている。また、肉体的には、旧人の方がはるかに頑強であった。個人同士で喧嘩をすれば、新人が一方的に負けただろう。

 さて。では、進化は、どう起こったか? クラス進化論の考え方で、説明してみよう。
 まず、旧人がいた。その後ときどき、突然変異が起こった。突然変異の遺伝子のほとんどは、不利なものなので、排除された。ただし、致命的な形質でないものは、少数派としていくらか残った。
 ごく稀に、有利な突然変異も起こった。その遺伝子は、有利なものとして、種に組み込まれた。そうして小進化がなだらかに少しずつ進んだ。(ここまでは、従来の説の通り。)
 ただし、そういうふうにして進む小進化は、急激なものではなかった。ごく緩慢に小規模で進むだけだった。急激な進化を起こすような遺伝子は、既存の完成した生命システムには受け入れられず、排除された。こうして、あまり進化が起こらないまま、長い時間が経過した。

 「新皮質を拡大する」という遺伝子が、あるとき登場した。その遺伝子は、急激な進化をもたらす能力があった。しかしこの遺伝子は、旧人には組み込まれなかった。なぜか? もし新皮質だけを拡大すると、脳の容量が巨大になりすぎて、生まれる子供は、母親の産道を通りにくくなり、死産・難産になるからだ。
 「旧皮質を縮小する」という遺伝子が、あるとき登場した。それは、肉体的な運動能力が劣悪になることを意味するので、その遺伝子も、旧人には組み込まれなかった。
 あるとき、それぞれの遺伝子をもつ父親と母親が交配して、両方の遺伝子をともにもつ子が登場した。その子は、「新皮質を拡大する」という遺伝子と、「旧皮質を縮小する」という遺伝子を、ともに備えていた。すると、新皮質が大きくても、旧皮質が小さいので、母親の産道をうまく通ることができて、正常に出産されることができた。こうして、最初の新人が登場した。
 最初の新人は、「新皮質を拡大して、旧皮質を縮小した」というものだった。その個体は、初めのうちは旧人たちのいる環境において、他の旧人と比較してたぶん不利だったろうが、致死的というわけではないので、存在できた。うまく行けば、偶然や環境などの理由によって、ごく小さな集団のなかで、だんだん数を増していくこともあったろう。
 さて。この新人は、旧人とは遺伝子的に交流できなかった。なぜなら、旧人と新人の両方の遺伝子を持つ個体は、死産などになるからだ。(先の例で言えば、遺伝子を片方だけ持つから。)
 こうして、新人の集団は、以後、旧人とは交流しないまま、独自の進化をたどることとなった。すると、初めのうちは、形質の差は小さかったが、さらに「クラス交差」を重ねるにつれて、新人は旧人とはまったく別の種となった。かくて、旧人とはまったく別の種としての、新人が確立した。
 こうして、まったく別の種が、急激に登場したことになる。それは決して、漸進的な小進化の積み重ねによって生じたものではなかった。原理的には、「クラス交差」によって生じたものだった。

( ※ ここでは、旧人と新人の例を挙げた。ただし、あくまで、クラス進化論の例として、簡単に示しただけだ。実際の人類の進化は、これほど簡単な話で片付くわけではない。)
 ( ※ 人類の進化について、付言しておこう。従来の説では、「新しい環境に進出した旧人が、自然淘汰にさらされて、旧人から新人へと進化した」となる。しかし、これは、矛盾をかかえる。新人が誕生した地は、アフリカだからだ。アフリカは、新しい環境ではないし、どちらかと言えば、古い環境である。従来の考え方に従えば、新人への進化が生じたのは、むしろ、新しい環境であって自然淘汰の強い地である、欧州北部となるはずなのだ。ゆえに、矛盾。──なお、クラス進化論では、この矛盾は生じない。アフリカは、人類発祥の地である。しかも、温暖な地であり、自然淘汰の力が弱い。ゆえに、遺伝子に多様性があった。遺伝子に多様性があったからこそ、クラス交差によって新種が誕生したのだ。)

(7) 補足

 以上で述べたのは、あくまで、基本的な核心だけである。ここに述べたことだけで、進化のすべてが言い尽くされるわけではない。
 たとえて言えば、ここで述べたのは、「野球とは、投手が投げて、打者が打つことだ」というような要約である。現実には、捕手や野手や走者や審判などを無視すべきでない。
 本稿も、同様だ。基本的な核心だけは述べたが、それ以外の細かなことは省略している。ただ、それでも、基本的な核心は、しっかりと示してある。本稿を理解したあとで、「概要」を読むといいだろう。
 ただし、いきなり「概要」を読んでもわからないかもしれないので、その前に、次の「追補編」を読んでおくといいだろう。




追補編

 さらに詳しい話を知りたい人のために、「概要」の内容をざっと示しておく。

全体像

 最初に、全体像を簡単に示しておこう。
 クラス進化論では、進化の基礎に、有性生殖を据える。従来の進化論は、突然変異だけを考えていた。突然変異は、無性生殖でも有性生殖でも同様に起こった。しかしクラス進化論では、突然変異だけでなく、有性生殖も重視する。(無性生殖の下等な生物では、突然変異は起こるが、有性生殖は起こらない。この点に注意しよう。)
 有性生殖があると、両親の遺伝子をもつ子が誕生する。二つの個体の遺伝子が一つの個体に集まる。このことが、進化において非常に大きな影響があるはずだ。突然変異はごく稀に偶然的に起こるだけだが、有性生殖における交配はごく簡単に起こる。ある集団に突然変異の遺伝子が出現することはきわめて稀だが、ある集団に別の集団の遺伝子が交配によって混じることはきわめて簡単である。
 従来の説では、進化を起こす原動力は、突然変異の遺伝子が新たに発生することであった。クラス進化論では、進化を起こす原動力は、突然変異の遺伝子がもともと多様に存在することだ。多様な遺伝子がもともと存在していれば、多様な遺伝子の組み合わせから、新たな優者が誕生することもあるだろう。ここでは、突然変異の頻度が高まるかわりに、遺伝子の多様性があればよい。たとえば、均一な遺伝子の集団が、突然変異を毎年1回ずつ起こして千年かけるかわりに、千種類の多様な遺伝子の集団がもともと存在していればいい。
 多様な遺伝子があると、新たな優者が誕生することがある。このことを、「クラス交差」と呼ぶ。これがクラス進化論の基本概念である。これがどういう概念であるかは、かなり面倒な話になるので、後回しにしよう。
 クラス交差によって新たな優者が誕生すると、それは、「新種」となる。新種は、従来からある旧種とは、別の集団をなす。すなわち、新種と旧種とでは、求心性選択の中心が異なる。ここでは、「中心が二つある」という点が、決定的に重要だ。
 従来の説では、「求心性選択の中心が、しだいに移動していく。すると、種全体が、旧種から新種へと、なだらかに移行していく」とされた。しかし、クラス進化論では、旧種の中心とは別のところに、新種の中心が突発的に生じるのだ。このことから、従来の説は「進化は連続的である」と結論し、クラス進化論は「進化は離散的(段階的・不連続的)である」と結論する。つまり、従来の説とクラス進化論とは、「連続的/離散的」という違いがある。これは、「実数的/自然数的」とも言えるし、「古典力学的/量子力学的」とも言える。
 直感的に言えば、こうだ。従来の説では、「中間的な種は必ず存在する」となる。しかしクラス進化論では、「中間的な種は原則として存在しない」となる。数で言えば、「1と3の中間にあたるものは存在するが、1と2の中間にあたるものは存在しない」となる。
 二つの説の結論は、正反対である。どちらの結論が現実に合致するかを調べることによって、どちらの説が正しいかを検証することができる。

基本概念

 「クラス交差」という基本概念について説明する。
 「クラス交差」というのは、一言で言えば、有性生殖において、「劣者である父親と劣者である母親から、優者の子が生まれる」ということである。ここで、「劣者」というのは、「病気」とか「機能障害」というような明らかに有害な形質をもつという意味ではなくて、「最強ではなくて次善である」という意味である。たとえば、金髪が有利で、たいていの個体が金髪であるときに、ちょっとだけ不利な赤毛である、というようなものだ。標準的な形質に比べれば、わずかに不利であるが、別に、致死的というわけでもない。「次善」または「三善」というような意味である。そして、このような「劣者」が存在しているということが、「多様性がある」ということだ。
 遺伝子に多様性がある状況では、交配によって、「劣者と劣者から優者が生まれる」ということがある。もちろん、必ずしもそうなるというわけではなくて、きわめて例外的なことであるにすぎないが、それでも、何十万年かにいっぺんぐらいは、そういうことがある。すると、これが、新種となるのだ。つまりこれが、旧種とは異なる中心をもつようになるのだ。
 なぜか? 理由は、こうだ。ここでは、劣者の遺伝子を、AおよびBと書こう。すると、AとBを両方もつ子は、新種の個体として、標準的である。AとBを一つももたない子は、旧種の個体として、標準的である。新種または旧種として、どちらも標準的であるから、別に不利ではない。しかし、AとBの片方しかもたない個体は、どうか? この個体は、新種の集団のなかでは新種の個体として不利であるし、旧種の集団のなかでも旧種の個体として不利である。どちらにおいても、不利である。だから、AとBの片方しかもたない個体、つまり、新種と旧種の雑種となる個体は、不利となり、排除される。かくて、新種のなかでは、新種に向かう求心性選択が働き、旧種のなかでは、旧種に向かう求心性選択が働く。新種と旧種は分離する。
 こうなると、旧種と新種は、遺伝子的に交流することがないので、それぞれ、別個の進化の道をたどる。旧種の方は、すでに完成状態にあるので、ほとんど何も変わらないままだろう。しかし新種の方は、未完成状態なので、次々と新たな遺伝子を吸収して、急激に進化していく。
 新種は、進化の途中では、個体としては、旧種に劣る。しかし新種は、交配によって、急速に進化していくのだ。すると、ある時点で、新種の個体が旧種の個体よりも、有利になる。すると、新種の個体が増えて、旧種の個体が減っていく。
 「新種が増えて、旧種が減る」という現象を見ると、「旧種から新種へ、進化したのだな」と思いやすい。しかし、本当は、そうではない。進化は、新種が誕生した時点でなされた。一方、新種が増えて旧種が減るというのは、進化ではなく、ただの自然淘汰である。それが起こるのは、進化よりもずっと後のことだ。
 進化とは、新種において、新種独自の遺伝子を急速に吸収していくことだ。それは、どこかの小集団で起こった。その後、新種の小集団がだんだんと個体数を増やしていったが、そのとき新種も旧種も遺伝子的にはたいして変化はなかったのだから、それはただの自然淘汰である。要するに、遺伝子レベルの進化と、個体レベルの勢力争いである自然淘汰とは、別のことなのである。
 人類の歴史で言えば、約16万年前に新人が突発的に誕生したことが進化なのであって、約3万年前に旧人が徐々に絶滅していったことが進化なのではない。また、進化とは、一つの種の遺伝子が旧人から新人へとなめらかに変化していくことではなくて、旧人という種のなかに新人という別の種が誕生して、その最初の新人の遺伝子が急激に変化していくことだ。──クラス進化論は、そう結論する。そして、この結論は、従来の説の結論とは、まったく異なる。だから、どちらの結論が正しいか、検証されるべきだろう。



  【 注記 】

 (1) 立場
 誤解を避けるために、説明を加えておく。本論は「ダーウィン説は間違っているぞ」と批判することが目的ではない。「こういう考え方もできる」というふうに、別の発想を提案している。
 だから、「現状の進化論は、完璧無欠である」という立場の人は、本論を読んでも無駄である。どうせ、あらゆる批判を許さないだろうからだ。
 一方、「現状の進化論には、どんな問題点があるのだろう?」と探りたい人は、本論を読んで、二つの説を比較するといいだろう。新たな発想に気づくはずだ。
 私がなしたのは、あくまで、新しい説を提示することだ。その先の判断は、読者に委ねられる。

 (2) 数学的原理
 クラス交差という原理を読んで、「そんな原理は、どうってことないぞ」というふうに反発を感じた人もいるだろう。その場合には、次の箇所を参照。本質的には、従来の説と比べて、どう違うかを、数学的に示してある。

  → クラス交差の数学的な原理の説明

( ※ ただし、直感的に違いを理解できた人ならば、今の段階では、これを読む必要はない。面倒なだけだ。)

 (3) 早わかりの位置づけ
 この「早わかり」に示したのは、あくまで、初心者向けの概略である。これをもって「クラス進化論の要約だな」と勘違いしてはならない。ここに書いてあるのは、いわば、微積分というものを数式を使わずに説明するようなものであって、一種のわかりやすい比喩にすぎない。
 正しい内容を理解するには、必ず、概要 を読んでほしい。



 題 名   クラス進化論 早わかり
 著者名   南堂久史
 Eメール  nando@js2.so-net.ne.jp
 URL   http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/

[ END. ]