南堂私案についての Q&A


 皆様お待ちかね、「南堂私案を批判する」が登場しました。(名前はちょっと違うが。)
     http://www.nsknet.or.jp/~wakaba/banana/jisnan.htm
     http://www.nsknet.or.jp/~wakaba/banana/
       ( ※ URL は将来、変更される可能性があるそうです。)

 これに直接反論しても、どこかの熟女の対立みたいで、読む方はたぶん、うんざりするだけでしょう。 (「いや、そっちのほうがおもしろそうだ」と期待する人もいるかも。)

 ともあれ、ここでは「Q&A」の形式で、私なりに書き改めて、まとめました。

 なお、上記以外の他の人からも、質問や批判などがいくらか寄せられました。これらについても、ここでまとめて答えます。
  (特に氏名は出しません。失礼になりそうなので。)

 さて、このQ&Aですが、これで読者諸氏に納得してもらえるかどうか。……
 ともあれ、議論というものは、たとえ犬の喧嘩のようなものであっても、それはそれで面白いので、適当に読んでみてください。
 議論のあとの評価や判断は、読者ご自身がなさってください。  



 


 Q1 重複する機種依存文字について、「同じ字形のまま、太字の形で配置する。」(たとえば「∩」でなく「」とする) というのはおかしい。書体差は、文字コードで扱うべきではない。

 A 誤読です。
 ここで言っていることは、「ある記号の別書体を、別コードポイントに置く」ということではありません。たとえば「∩」の太字は当然、そのコードポイントのまま、太字に書体変更するだけです。
 私が言ったのは、「その文字は使ってはいけませんよ」と示すための記号であって、正しく使うべき記号ではありません。
 ただ、単に文字が消えてしまっては不親切なので、太字で「∩」という字形を示して、「そっくりな字形をここにおきましたが、本当は他の文字に直してください」と勧奨するわけです。
 ここでは、参考のためにその字形を示すだけですから、太字である必要はなく、白抜きでもいいし、斜体でもいいし、偏平でもいいし、手書きふうのギザギザ線の文字でもいいのです。
  ※ こうした字形は、あくまで経過的に使われるだけです。
    将来的には、このコードポイントは空白(未定義)となり、さらに遠い
    将来には、ここには別の新たな記号が割り当てられます。
    (欧州通貨単位記号のような新たな記号が生まれるでしょうから。)

  ※ ここで述べた「重複記号の処理法」は、とりあえずの提案です。この方式
    が理想である、と言っているわけではありません。
    JCS案では、重複記号のある箇所に、まったく別の記号を割り当てます。
    つまり、現JISとの間で互換性が取れなくなり、文字化けが生じるので、
    混乱を引き起こします。それよりはマシだろう、という提案です。


 Q2 斜体の「 」なんか不要だ。ワープロでは縦書きで出せなくても、DTPソフトなどを使えば出せる。

 A エディタでは出せません。一般に、組版などによる指定というものは、脆弱なものであり、消えやすいものです。
 組版で指定できるものは原則として文字コードに入れない、という原則はもっともです。とはいえ、多用されるものについては、入れるべきでしょう。たとえば、イタリック体の「 cf. 」など。また、普通の丸数字や、黒地に白抜きの丸数字など。
 こういうものが文字コードに用意されていると、メールなどでも使うことができて、とても便利です。
 「何が何でも原則を守れ!」
 という教条的な原則主義よりは、
 「便利なら使えばいいじゃん」
 という臨機応変( or いいかげん)な態度の方が私としては好きです。
 ま、このあたり、考え方しだいかもしれませんね。
   ※ 別に「何が何でも必要!」とは思いませんが、「あった方が便利」
     ぐらいに考えています。とりあえずの提案であり、議論の喚起です。

   ※ なお、一言。この斜めの「 」は、ワープロ等では出せません。
     というのは、傾きが 45度ほどもあって、大きく傾いているからです。
     ワープロ等で出せるのは、少し傾いている「 」だけです。


 Q3 欧文用特殊文字はあってもいい。現在のJISにも、ラテン、ギリシャ、キリルのアルファベットが入っているんだし。

 A これらの3カ国語の文字は、欧文を書くためにあるのではなくて、日本語の文中で「ケンタウルス座α星」とか、ラテン数字とか、そういうふうに、日本語のなかで使われるための文字です。それらの文字で、ラテン語、ギリシャ語、キリル語を書くわけではありません。(仮にそれらを書くならば、普通、1バイトの文字を使います。)
 すでにそのような(世界標準の)記述法があるのですから、そちらの(世界標準の)記述法で、欧文特殊文字を使うべきでしょう。
  ※ 以上は、すでに私案でも示したことです。ここでは繰り返して書きました。
  ※ 欧文特殊文字は、日本語の文中に全く現れないということはなく、稀には
    現れることもあります。だから、少しぐらい採択するのなら、やむをえない
    でしょう。ところが、JCS案では、300字程度もの領域が、これに食われ
    ます。この文字数は、いかにも多すぎます。その分、漢字が減ってしまう
    からです。日本語の文中でたまに現れる欧文特殊文字のせいで、必要な
    漢字が使えなくなる、というのでは、本末転倒です。JISは日本語の標準
    的な文字コードであって、万国文字コードではないのです。
  ※ ついでに言うと、「ラテン、ギリシャ、キリルのアルファベットが入っている」
    からといって、「JISは万国文字規格だ」などとは言えません。たとえば、
    かなり必要度の高い「ヘブライ文字」「サンスクリット文字」も書けません
    し、すぐお隣のハングルさえ書けませんし、中国の簡体字も書けません。
    それどころか、(正字が不足して)現代の日本語もまともに書けないし、
    まして、日本語の古典となると、見るも無残なありさまとなります。 私と
    しては、せめて1カ国語は、まともに書けるようになってほしいのですが。

      ※ unicode にせよTRONにせよ、多国語環境をめざして、文字コードの関係者
        が、日夜苦闘しているんです。そこへ、JISが横からしゃしゃりでて、「こっちも
        万国文字コードだぞ」なんて威張ったら、笑われるだけです。
        「日本国内でしか通用しないものが、どうして万国文字コードなの? え?」

      ※ どうしてもJISに欧文特殊文字が採択されたら、これらは「機種依存文字」と
        同様の扱いになります。つまり、「用意されているが、標準からはずれた勝手
        な表記法なので、使ってはいけない。」と。
        RFC にもそういう勧告が追加されるかもしれませんね。


 Q4 「世界標準」って言ったって、「欧米」=「世界」じゃないぞ。

 A 誰もそんなことは言っていません。
 「世界標準」の一つは、HTMLです。HTMLで欧文特殊文字を使う記法はすでに確立しています。用例は、私案の文中にも示しました。
 「世界標準」のもう一つは、RTFです。普通のMS-Wordや一太郎などのワープロで、世界標準のRTFで保存すれば、欧文特殊文字は互換性が保てます。
 以上はいずれも、私案の文中に記してあることです。 (使い方も私案に記してあります。)

  【 付記 】
  「HTMLやRTFでは使えるとしても、テキストファイルではダメではないか!」 という意見があるかもしれません。ですが、テキストファイルでは万国語表記ができない、というのは、 原理的なものです。たとえ新JISを使ったって、できないことには変わりないのです。
 仮に新JISによるテキストファイルで、ポーランド語の表記ができたとしても、それを ポーランド語のマシン環境に移せば、(2バイトから1バイトへ)すべて文字化けします。このファイルを読み 取るには、新JISをインストールした日本語環境に変更するしかありません。つまり、「ポーランド語 を使うには、ポーランド語環境を捨てて、日本語環境に変更せよ」という わけです。たしかに、そうすれば、2バイトでポーランドの表記ができます。そのかわり、現地の1バイトのポーランド語のファイルは、半角カタカナや漢字に文字化けして、読み取れなくなります。(それを1バイトで読み取ろうとすれば、今度は2バイトの方が読み取れなくなります。) ……まったく、笑い話ですね。
 それにしても、こういうジョークな案を考えるなんて、JCSって、ユーモア精神に あふれていますね。まったくジョークだらけなんだから。私も負けます。 (私は、論評ではジョークを言いますが、規格そのものをジョークにすることはできません。)


 Q5 フォントやバイトの切り替えで欧文特殊文字を使え、ということだが、1バイトと2バイトの切り替えなんて、本当にできるのかなあ。技術的に難しそうだが。

 A すでに MS-Wordや一太郎で実現しています。ご心配なく。
   ※ 1バイトと2バイトの切り替えは、シフトJISではすでになされています。
      半角カタカナと漢字の切り替えがそうです。
   ※ ついでですが、2バイトと全角とは、必ずしも同じではありません。
     また、プロポーショナルピッチを使えば、2バイトでも文字幅の問題は
     特に考える必要はありません。
     このあたりのことは、私案に記してあるので、そちらを参照のこと。
   ※ 2バイトの欧文特殊文字を実際に使うとしたら、他のアルファベットは
     どう書くんでしょうね。考えたことがあるんでしょうか。
     (1) 1バイトで書く。
         → 2バイトの文字が1バイトの文字2個と誤って解釈され、
           トラブルを起こす。(私案を参照。)
     (2) 2バイトで書く。
         → 愚の骨頂。誰もそんなことはしません。例文は下記。
         An ass is wiser than your head.

  【 付記 】
 「日本語の文中で欧文特殊文字を使うことがあるぞ」
 という意見が届いたので、ひとこと追加します。
 そういうことは、たしかにあります。たしかにね。( 多国語 multilingual の文章ですね。)
 でもね、何だってまた、欧文特殊文字を「日本語として」書かなくちゃならないんですか? 
 日本語の文中にあるにせよ、ポーランド語ならポーランド語として、チェコ語ならチェコ語として、それぞれの言語で書けばいいでしょ。HTML や RTF で。(あるいは unicode や ISO 2022 の多国語環境で。)
 多国語の文章なら、多国語の形式で書けばいいはずです。わざわざ日本語用のJISを使うことはないでしょう。……なんか、話の筋道が、根本から狂っていますね。

   ※ テキストファイルで欧文特殊文字を使いたいというのなら、こんなものを
     300字も新たに採択するより、現JISに用意されているウムラウト(¨)や、
     アキュートアクセント(´)などを、母音と組み合わせて書けばいいでしょう。
     たとえば「u¨」のように。これで、テキストファイルでも、一応は示せます。
   ※ でも、どうせなら、 HTML などで書く方がいいでしょう。たとえば、下記。
        ( MS-IE 4.0 では見えるが、Netscape Navigator 3.0 では見えない。
        最新の HTML 規格には対応していないせいだろうか。 )
             á , ç , ü , ß , æ , Ċ , Ŵ , Ħ
     これらのうち、最後の三つは、JCS案には見出されないようです。つまり、
     JCS案は、普通の方式に比べ、文字が足りない中途半端なものです。
     無理に背伸びをしたって、しょせんは届かないんですよね。

   ※ 以上の欧文特殊文字は、環境によっては見えない可能性があります。
     Windows98環境で、ヘルプに従って、「多国語」のフォントをインストール
     すれば、さまざまな文字が使えるようになります。「タイ語」「ヘブライ語」
     「アラビア語」……など。試しに見るには、ブラウザで言語を変更します。

   ※ コピーマーク  ©  も、HTML では欧文特殊文字と同様の扱いです。
      (これも Netscape Navigator 3.0 では文字化けするが。)


 Q6 JCS案の将来の拡張JIS案では、「約25000字に倍増する」とのことだ。これはなかなかいいではないか。すばらしい。

 A 単に追加されて使えるだけなら、たしかに、すばらしいですね。
 しかし、そのかわり、今までの文書が文字化けして、読めなくなってしまうのです。また、ファイルが開けなくなってしまうのです。(すべて、ではなく、一部だが。)
 小さな長所を得て、大きな不便を忍ぶ、……というのは、それはまあ、その人の勝手ですが、私はいやですね。既存のファイルが行方不明になる、なんて、たとえ一部のファイルに限られるとしても、まっぴら御免です。
 JCSのせいでそんなハメになったら、私はとても困りますね。ま、マゾの人は別でしょうが。

  【 付記 】
 どうせシフトJISを拡張したいなら、むしろ、可変長バイト方式の方がマシでしょう。
 たとえば(16進で) FFFD というバイナリ制御コードが出たら、これにより文字平面を切り替えて、次の2バイトとあわせて、新たな文字を指定する。( unicode の方式やJISのエスケープシーケンスにちょっと似ていますね。)
 この方式なら、制御コード1個ごとに、使える文字は倍増します。制御コードが4つあれば、4倍増えて、5倍となり、約5万字が使えます。康煕字典が約4万7千字ですから、これが収まります。
 2万5千字というのは、いかにも中途半端なので、上の方式の方が、まだいくらかマシでしょう。(ただし、まともに考慮したわけでもないし、お勧めもしません。)
  ※ なお、「可変長バイトは処理が大変だ」と思うかもしれませんが、
    シフトJISは、もともと可変長バイトです。半角カタカナと漢字とで
    バイトを切り替えており、可変長バイトとなっています。

  【 付記 】
 「半角カタカナ排除の一斉キャンペーンでもやれば?」
 という意見があります。実は、このキャンペーンは、すでになされています。たとえば Windows98 では、半角カタカナを排除して、かわりに「MS UIゴシック」という全角の細いカタカナを使うように推奨しています。
 ただ、私見では、今さら手遅れだ、と思います。「2000年問題」では、このバグを排除するように、一斉キャンペーンがなされました。それは世界的な大規模なものでした。にもかかわらず、日本では、その対策は非常に遅れました。
 世間一般にものすごい被害が出るかもしれない「2000年問題」でさえ、一斉キャンペーンの効果はこのありさまだったのです。個人の文書におけるバグのようなものに対処する一斉キャンペーンなど、世間に浸透するはずがないでしょう。
 また、たとえ浸透したとしても、いったいどうすればいいのか? 私のマシンにある半角カタカナの文書やファイル名は、どうやってすべて全角に直すのでしょうか? 
 さらにまた、その際、欧文特殊文字との整合性はどうするのでしょうか? 欧文特殊文字と半角カタカナは領域が重なります。正しく直すには、フォントを調べねばならないでしょう。となれば、自動処理はまず不可能でしょう。膨大なファイルをいちいち手動で直すハメになりそうです。
 「今さら手遅れだ」というのは、このような意味です。
 ただし、
 「過去の文書なんかすべて捨ててしまえ」
 というのなら、話は別ですが。(そのような能天気な人が、上のようなことを主張しているらしい。)

  【 付記 】
 なお、仮に、上のような拡張案が実施された場合、その案は、もはや 「JIS」と名乗ることはできなくなります。なぜならそれは 78JIS,83JIS,次期JIS と互換性が保てないからです。 (次期JIS なら、現在のJISに対する上位互換性がありますが。)
 要するに、上の拡張案は、「新しいJIS」ではなくて、「 unicode やTRONと同種のもの」なのです。とすれば、「JIS」でなく、別の名で呼ぶべきでしょう。たとえば uso-code ,muimi-code などと。


 Q7 タグ字なんて、不要だ。コードポイントの無駄だ。HTMLのタグを使えばよい。

 A どうも、タグ字の意味がよくわかっていないようですね。
 まず、必要性では、あなたにとっては不要でも、別途、必要とする人がいます。
 印刷業界では、タグ字に相当するものを使うことがあります。たとえば ~ & % ^ などの特殊記号を「改頁」「太字」などの印刷上の指定のために使うことがあります。印刷業界ではなく、個人的にも、どうようにして何とか書式を指定したいと考えている人はいます。(それが私案で述べた settext です。ご教示を得たところでは INBUDS外字表記方式 もそうです。)
 しかし、このような特殊記号で書式を指定することには、不便さがともないます。

 ・ そのような特殊記号が本文中でも使われるかもしれないので、混同の恐れがある。
 ・ そのような特殊記号を見ても、何のことか、意味がつかめない。

 そこで、このような特殊記号のかわりに [太] のような字形の独立文字を使ったらいいのではないか、というのが、私案の趣旨です。
 で、この提案を否定するとしたら、次のいずれかになります。

 ・ タグ字よりも ~ & % ^ などの特殊記号で書式等を指定した方がよい。
 ・ HTMLのタグを使う。文書中で  <font size=”4”>例文</font> などで書く。
 ・ HTML とは別の組版形式タグを使う。
 ・ このようなタグを使うことを一切禁じる

 最初の三つは、タグ字のかわりに別のタグを使うわけですが、いずれも見てもすぐにはわからないので、使いにくいですね。かといって、書式指定のタグを一切使うな、というのも問題です。 (使いたくない人は使わなければいいのであって、使いたい人にまで「使うな」と禁じることはありません。)

 タグ字というものは、覚える手間はほとんどありません。というのは、覚えなくても、一目ですぐにわかるからです。
 ひるがえって、文書中でHTMLふうに   <font size=”5” color="#ff0000">サンプル文</font>  なんていう文句が出てきても、初心者なら、何のことかさっぱりわからないでしょう。
 ひるがえって、タグ字ならば、問題ありません。  [大][赤] サンプル文  と書けば、その意味はすぐにわかります。
 ( ※ ここではタグ字でなく、普通の文字で代用しました。ちょっと見づらいでしょうが。)

 さらにまた、HTML のタグを本文中に使うということは、非常に問題があります。HTMLなどのタグは、あくまで裏に隠れるべきものであって、表に出るべきものではないのです。

 【 付記 】
 さもなくば、とんでもない混乱が起こります。
 たとえば <i>  というタグを、HTML タグのサンプルとして文中に掲げたら、このタグがサンプルとしては解釈されず、まさしく HTML タグそのものと解釈されるので、以後の文章がすべて斜体になってしまう……というようなことになります。
 HTML ファイルでもないただのテキストファイルで、HTML タグを解釈する、などというのは、迷惑千万な誤用です。誤用を誤用とわきまえて例外的に使うのならともかく、正式に使おうとすれば、とんでもない混乱が起こります。

 また、HTML タグのかわりに ~ & % ^ などの特殊記号を使えば、同じ特殊記号が、一般文書のほか、印刷業界 ・ settext ・ INBUDS ・ TeX ・ HTMLの特殊記号処理……などで、それぞれ別々の意味で理解されるので、混乱を招きます。
 のみならず、目で見ても、その意味が初心者にはわかりません。(だから settext は普及しなかったのです。「特殊記号を使えばいい」というアイデアは、 settext そのものです。)

 なお、タグ字を使うと、コードポイントが無駄になりますが、それはたかがしれています。せいぜい10個程度です。それによって多彩な表現が可能になるのですから、コードポイントを少しぐらいケチることはないでしょう。
 タグ字には、異体字タグというのも考えられています。このタグ字を使うと、コードポイントはたった一つだけ費やされます。しかるに、それによって、使える異体字は約1万字も増えます。1字をケチって1万字を捨てる、というのは、それこそ無駄です。
    ※ ついでに言えば、異体字用のタグというものは HTML にはありません。
      HTML のタグで代用しようとしても、もともと不可能です。


 なお、タグ字は、あくまで、フォント指定のできないメールや印刷原稿などでの使用を想定しています。フォント指定のできるHTML文書やワープロ文書での使用は想定していません。
 メールなどで使いたい人だけが使えばよいのであって、使いたくなければ使わなくてもいいのです。
 ところで、私自身は、タグ字の必要を感じています。たとえば、今回のこの原稿です。この原稿を、他の人に送ったことがありますが、その際、文中の「」の太字や、「」などの斜体があっても、メールのテキストファイルでは、書式情報が消えてしまいました。(ただのテキストファイルになってしまいました。) もしタグ字があれば、これらの書体を示すことができたのですが。
 (「メールをHTML にして、書体を指定すればいい」という意見もあるけれど、たかが数文字のために、いちいち全体をHTMLにして書体を指定するなんて、そんな手間のかかる面倒くさいことは、やりたくないですよね。しかも、メールにHTML形式を使えば、ファイルサイズは3倍程度になります。[今回の場合、あとで試してみたら、22KBが60KBに増えました。]……こんなこと、やっていられませんよね。でかいHTMLメールを受け取る方だって、いい迷惑です。)

 ついでに言うと、「タグ字を使いたければ、外字で代用せよ」という考えは成立しません。外字では情報の交換ができないからです。
 たとえば  [大]サンプル文  と記してメールを送ったら、その箇所が  [赤]サンプル文  に文字化けしてしまった、となったら、大変です。文字化け以外に、文字の消失(その外字が見えなくなる)も起こります。いずれにせよ、正しい情報交換ができません。


 Q8 異体字タグには問題がある。それで示したタグつき異体字が、すでにJISにある異体字と同じになったら、どうするのだ。

 A そのようなことはありえません。なんだってまた、わざわざ、すでにJISにある異体字と同じ字形を、新たに異体字として加えるのですか? そんなことを決める規格制定者がいるはずがありません。
 たとえば「辺」に、異体字(異体字のタグ字で示す異体字)を新たに指定するとしましょう。その場合、すでにJISにある「邊」「邉」以外の異体字を指定するに決まっています。 すでにJISにある異体字と同じものを、わざわざ重複して採択するわけがありません。
 異体字タグで指定される文字は、副規格として、JISにより正式に制定されるものです。各個人が勝手に制定するものではないのです。
  ※ ひょっとしたら、批判者は、次のように危惧しているのかもしれませんね。
    「JCSのことだから、重複採用するという、間抜けなことをするかもしれない」
    でもねえ、いくら何でも、そんなに間抜けだとは思えませんが。 (以下参照)

 【 付記 】
 ついでに言うと、JCSの委員が文字コードについてどのくらいのレベルにあるかは、JCSの公開レビューを見るとよくわかります。
 「この記号は重要度が低いので、不採択」
 と結論した記号のなかに、現JISの文字が見出されます。 (その記号は、私案でも示したが、「卍」という字。)
 すでに現JISにある記号を「不採択」と結論するのも変ですし、そもそも、すでにあるものについて新規採択の可否を検討するというのも変ですね。ともあれ、この一件からしても、JCSのレベルはよくわかります。


 Q9 「今さら非専門家が泥縄的に、二,三年で用例を採集しても、たかが知れている。」という記述があったが、JCSの委員に失礼だ。

 A 別に失礼だとは思えません。JCSの委員は、文字コードの委員であって、自動車修理の専門家ではないし、エステの専門家でもないでしょう。そんな面で専門家でないからといって、別にどうということもありません。
 漢字についても同様です。各委員に、漢字の辞書編集の経験があるとは思えませんし、また、その専門知識がないからといって、恥じることもありません。どの分野であれ、自分の専門分野とは別の専門分野で、専門知識をもたないからといって、それは別にどうということもありません。
 恥じるべきことがあるとしたら、漢字の辞書編集の経験もないくせに、
「オレは漢字のことはよく知っているんだ。オレは知識豊富なんだ。わかったか。世間の漢字辞書編集者なんか、みんな馬鹿ばっかりだ。頭のいいのはオレだけだ」
 と自惚れることでしょう。
    ※ その可能性はなきにしもあらず。「JIS漢字字典」は、それはそれで
      立派な仕事だが、これをもって「辞書の編纂の経験あり」と自惚れる、
      という可能性もなきにしもあらず。アマチュアにはありがちだが。

 JCSの委員は、たとえば、拓本や宋体や欧陽詢や顔真卿の知識が豊富でないことは、各人が自覚しているはずです。また、漢字の辞書編集のために、いかに多くの原本や文献(歴史的な一次史料)を調査しなくてはならないかも承知しているでしょう。それらの点で自分が専門家でないことはよくわきまえているはずです。 (逆に、漢字字書の方面の専門家が、「おれたちは文字コードの専門知識をいっぱいもっているぞ」などと威張ったら、ふふん、と鼻であしらいそうです。)
 ちなみに、諸橋大漢和は、最高の知識の持主が全生涯をかけて作成したものです。一方、JCSの委員の仕事は、非専門家の片手間です。彼らが「自分たちは諸橋よりずっと頭がいいんだ」「諸橋よりもずっと漢字について詳しいんだ」などと自惚れているとは思えません。
 失礼なのは、むしろ、JCSを持ち上げることです。それは「JCSの委員は自惚れ屋ばかりだ」と言うのと同じで、あまりにも失礼です。JCSの委員は、それほど謙虚さに欠けているわけではないでしょう。
 なお、一冊のちゃんとした国語辞典を作るには、100億円内外のお金がかかります。一方、JCSの予算は、雀の涙です。JCSは魔法使いの集まりではないのですから、完璧な仕事ができなくても、それはそれで仕方ありません。むしろ、現状は、よくやっていると言っていいでしょう。自分たちの非力を自覚するだけの謙虚さがあれば、の話ですが。
 余談ですが、ソクラテスの言葉を思い出してください。
 真実をめざすときに一番大切なことは、次のことです。
    「無知の知」

 【 付記 】
 誤解されると困るので補記しておくが、別に
 「JCSの委員はバカばっかりだ」
 と主張しているわけではありません。各委員が文字コードの専門知識をもち、この分野で大きな業績を上げたことは存じています。
 ただ、それは、文字コードの分野のことです。二千年以上の歴史をもつ漢字の、わが国における歴史的な用例の分野のことではありません。JCSが「現代の漢字」をよく調べたことは称賛に値しますが、だからといって、「昔の漢字までよく知っている」「漢字のことは何でも知っている」ということにはなりません。……そういう当たり前のことを指摘しただけです。


 Q10 国語審議会は神様みたいな絶対的な立場にはないぞ。

 A そんなことは国語審議会自体が自覚しています。「おれたちは神様みたいに偉いんだ」と自惚れているのは、国語審議会ではなくて、他の誰かでしょう。
     ……と書いたら、「南堂だろ!」という突っ込みあり。 (^^);
     私自身は、ドン・キホーテだと思っているんですが。

 国語審議会では、字体について、自らの意見は出していません。単に統計的な調査をしているだけです。その上で、各文字ごとに、「正字が普通ならば正字を」、「略字が普通ならば略字を」、というふうに、個別に統計結果を当てはめているだけです。
 国語審議会が「鴎」について「正字を」と示しているとしたら、それは、国語審議会の意見ではなくて、単に世の中の実態がそうなっている、というだけです。
 この点を間違えてはいけません。
 文句があるのなら、国語審議会ではなく、世間に向かって言ってください。
「世間の者どもよ、おまえたちはみんな間違っているぞ。正しいのはオレだけだ。世間のやつらはみんな馬鹿ばっかりで、頭がいいのはオレだけだ。」
 そう主張するといいでしょう。(……これ、冗談なんですが、まともにこう思っている人もいるようですね。)

 【 付記 】
 国語審議会を神様扱いする必要はありませんが、だからといって、国語審議会を無視してよい、ということにはなりません。その答申は、通常、内閣告示となり、正式な国家的方針となります。
 ま、お上が決めたことを、国民が何でも守る必要があるとは思えません。とはいえ、国語審議会の立場は、「自分たちだけで勝手に決める」ことではなくて、「世間の意見に耳を傾けながら、世間の実状をとりまとめる」というものであり、つまり、政府の方針ではなく、国民の方針です。
 これを無視してJCSが勝手に独自のものを定める、というのは、どういうことなんでしょう。世間の実状を無視してよいということでしょうか。
 すでに「追記」( codejcs1.htm )でも記したように、JCSは国語を決める組織ではないのです。「国語審議会は神様じゃない」からといって、「JCSが神様だ」ということにはなりません。


 Q11 幽霊字の字形は変更するべきではない。少なくても30年の歴史がある文字なのだから。

 A 幽霊字の問題は、たしかに、難しいですね。
 ただ、「30年の歴史がある文字だ」というのは、ちょっと認識が異なります。それらは誤用としての用例にすぎないからです。
 ちなみに、「冤罪」の「冤」は誤字ですが、これはどうしても直す必要があるでしょう。さもなくば、既存の文書が、誤字のまま残ってしまうので。
    ※ 83JISの「冤」は誤字だ、ということは、資料「略字&正字」のうちの
      「data-add.htm」の表に、詳しく記してあります。


 「新たに正しい字形の文字を別のコードポイントに追加すればいい」
 という考え方も成り立つかもしれませんが、そんなことをすれば、既存の文書がみんな間違った文字に固定されてしまいます。で、とんでもない混乱が起こります。
 幽霊字についても、ほぼ同様でしょう。

 ただ、付言すると、幽霊字については、いくらかは話が異なります。というのは、その幽霊字の実際用例がなければ、新たに正しい文字を追加しても、特に混乱は生じなくて、単に古いコードポイントが無駄になるだけなので。

 とはいえ、「字形の変更」や「字形の削除」をしても、古い文字がもともと使われていなかったとしたら、特に混乱は生じないでしょう。
 また、逆に、古い文字が(誤用で)使われた用例があれば、是非、字形を修正するべきでしょう。たとえば、「妛」(山一女)という文字がありますが、この幽霊字を「〓」(山女)のかわりに使っている人たち(この地名の現地に住んでいる人など)がいるとしたら、字形を正しく直してあげないと、不便ですね。

 ま、結局、幽霊字の処理は、実は、一長一短であって、決定的な正答というものはなさそうです。
 というわけで、私としては、一応の方針を示しましたが、それだけのことです。この方針が絶対的に正しいと主張するつもりはないし、押しつけるつもりもありません。
 ただ、幽霊字を残すと、「誤用がそのまま残る」あるいは「コードポイントが無駄になる」というマイナスが生じます。このマイナスについては、十分に理解しておいてください。

    ※ 「字形の削除」をした場合、将来、その字形を復活することも可能
      だし、あるいは、そこに新たな文字を割り当てることも可能です。


 Q12 電子機器と活字との字の差ばかり問題にするが、手書き文字と活字との差は問題にならないのか。

 A まったくその通り。ここのところ、はっきりと認識してください。
 今回、話題にしているのは、印刷物や電子機器などの文字だけです。つまり、公的な場での公的な文字だけです。
 一方、私的な場での文字については、話の対象になりません。個人的にどんな文字を使うかは、まったく自由です。略字を使おうと、崩し字を使おうと、他人の読めないようなミミズの這ったような字を使おうと、個人の勝手です。誰にも見せない日記を書くとき、まる字で書こうが、草書で書こうが、ダビンチのように鏡像文字で書こうが、まったく自由です。そんな個人的な場面のことまで統制しようとするわけではありません。
 ついでに言えば、手書きで公的な文書を書くのも、同様です。役所の窓口に書類を提出するとき、なるべく楷書にした方がいいのでしょうが、とはいえ、どんな字体で書くべきかは、今回の国語審議会では、印刷物の字体以外は問題にしない旨を明示しています。
 今回、問題にしているのは印刷物などだけであり、手書き文字の字形は別です。そんなことまで、「こうしろ。ああしろ。」とは言いません。このことは、国語審議会などが明示しています。JCSだって同様のはずです。私も同様です。この点、理解してください。
 ( 手書き文字の字体を問題とするとしたら、たぶん、お習字の先生でしょう。 )


 Q13 「ローマ数字小文字は、現在、115区の文字が使われるのが原則である。 」ということの根拠は? 

 A これは機種依存文字についての記述です。
 その根拠は、もちろん、「機種依存文字について」のページに記してあります。そちらをご覧ください。
 簡単に言えば、それらの機種依存文字を使っているWindows (つまり MS)の実装上の指定です。
    ※ 「民間企業の指定だけか? JISの規定でもないのに、デカい顔するな」
      と言われそうですが、勘違いしては困ります。「機種依存文字」というのは、
      そもそも、民間企業が勝手に指定したものです。JISで文字の使い方を
      指定したら、それはもう「機種依存文字」ではなくなってしまいます。


 Q14 「JCSは、既存のコンピュータに採用されている外字データをかなり重視している。」ということの根拠は? 

 A 公開レビューをご覧ください。そこで、13区の機種依存文字をかなり多く取り入れています。その他、他の区のもあります。
 ただ、「ものすごく重視している」というわけではありません。誤解なきように。


 Q15 「公開レビュー」ってのは、言葉としておかしくはないぞ。「公開評論」と解釈すればいいじゃないか。

 A だったらまさしく、「公開評論」とすればいいでしょ。私には意味不明ですが。 (評論される側が、自ら「評論」を名乗ってどうするんです。政府と新聞が名前を交換するようなものです。)

仮に、「公開評論」と呼ぶべきものがあるとすれば、むしろ、南堂私案の方でしょう。これはJCS案についての「公開された評論」になっています。
 なのに、JCSが自分の案を「評論」なんて呼ぶのは変ですね。もしそれが正しいとすると、南堂私案の方が「評論」でなく「公式案」になるのでしょうか。つまり、JCS案は「南堂公式案」への「評論」なのですね。うふふ。もしそうなるなら、うれしいですね。

 なお、「南堂私案への評論」とは、冒頭に掲げたページのことです。南堂私案そのものが、「南堂私案への評論」と呼ばれるわけではありません。仮に、そんなことになったら、わけがわかんなくなっちゃいます。
 でも、今でもそうですね。「公開レビューへの公開レビューである南堂私案では公開レビューへの批判がなされたが、公開レビューへの賛成者から南堂私案への公開レビューがなされた。」……わかります?
 なお、読売新聞の記事における紹介では、「素案を公開した」となっていました。だから「公開素案」ならばぴったりだったのですが。あるいは、英語にしたければ、「公開ドラフト」でしょうね。でもJCSにとっては、
 「わが輩の辞書に『素案』の文字はない」
 ということなのでしょうか。誰か、JCSに、ちゃんとした辞書を買ってあげてください。


 Q16 「間」「青」「福」の正字を、「重要な異体字」と言っているが、異体字に重要か否かの区別があるのか? 

 A 異体字としてではなくて、漢字として重要か否かの区別があります。「よく使われる基本的な漢字は重要」となります。
 たとえば、教育漢字はよく使われるので、重要です。次いで、常用漢字がそうです。
 今述べた「間」「青」「福」の正字は、新字が教育漢字に含まれますし、また、正字は人名漢字としてしばしば用いられます。これらの正字は、凸版印刷の頻度調査でも、かなり上位に来るでしょう。とても重要ですね。一方、「屡」の正字は、重要度がいくらか落ちるでしょう。
 なお、一般に、正字は、他の異体字とは区別して、重要視されます。その理由は、言わずもがなでしょう。


 Q17 メーカが勝手に使っている機種依存文字なんか、それぞれのメーカの都合だから、無視してしまえ。

 A それはそれで一論ですね。とはいえ、現在、Windowsが事実上の標準となっています。このような現状を無視して、それとまったく互換性のない文字セットを制定すれば、途方もない混乱が目に見えています。
 「混乱なんか起こったって知ったことじゃない、原理原則が大事だ」
 「ユーザの不便や混乱なんか知ったことじゃない、各メーカを公平に扱うことの方が大事だ」
 というのなら、それはそれで一論ですが。
 ま、私は、各メーカからお金をもらっているわけではないので、メーカに義理はないし、どのメーカにもいい顔する必要はないので、ユーザの都合だけで決めます。


 Q18 Macの機種依存文字はどうするの? Windowsに統一したら、使えなくなるぞ。

 A その通り。たしかに困りますね。でも、仕方ありません。次の(一応)三つから選ぶしかありません。
 ・ Windowsを優先する
 ・ Macを優先する
 ・ WindowsもMacも切り捨てる。

 ま、「公平さ」が大事なら、すべてを切り捨てるべきでしょう。でも、私は、「少数を殺しても、最大を生き残らす」のが筋だと思います。(泣く泣く、ではあるが。)

 一方、「公平さのためには、全員に死んでもらうのがベストだ」という考え方もあるでしょう。昔の日本人はよく集団自決をしましたからね。「一億総玉砕」とか。ま、そういう気持ちもわからなくはありません。(でも私は死にたくないんですけど。……やっぱり、私もいっしょに死ななくちゃダメですか?)

  ※ ところでJCS案はどうやら、「全員殺して、自分だけは生きる」ということ
    らしい。これには麻原尊師もびっくり?


 Q19 「補助漢字にない漢字は、原則として、第五水準に置く。 」ということの根拠は?

 A  私案では、「第五水準」とは、当面は使えない文字です。(将来的には使えます。)
 優先順位の低いものは、第五水準に入ります。というわけで、「優先順位が低い」ということが問題となりますが、その基準のひとつとして、「補助漢字にはない」を採用してはどうか、ということです。別に、それだけが基準になるわけじゃないんですけどね。

 その他、優先順位の低いものを取る基準としては、いろいろあるでしょう。適当に考えてみてください。私はとりあえず、一案を出しただけです。(私案では、漢字の優先順位を定める方法を具体的に詳しく示しました。そちらも参照してください。)

 なお、「補助漢字に対応する文字/対応しない文字」を、ある程度、まとめて配置すれば、補助漢字との対応がわかりやすいので、いろいろと便利でしょう。 unicode にもある補助漢字を、「まったく無視してしまえ」というわけにも行かないでしょうからね。


 Q20 「補助漢字は誤った理解で作られたコードだ」と聞いたぞ。補助漢字なんか無視してしまえ。

 A 補助漢字については、「ほら貝」のページに、田嶋氏へのインタビューがあるので、そちらをご覧ください。読めばわかるとおり、補助漢字は、とても立派な人の作ったものだ、とわかります。私としても氏に敬意を表します。(たとえ完璧なものではないとしても。)
 一方、「補助漢字は誤った理解で作られたコードだ」という批判は、又聞きでなく、自分の目でお読みください。
 すぐにわかるとおり、その批判で示されているのは、
 「補助漢字には若干の難点がある」
 ということだけです。つまり、小さな瑕瑾を見出して、他人の立派な業績について全否定しているわけです。「完全に誤解」だの、「間違った表層的な解釈」だの、「間違った認識」などと、口汚く形容しながら。……これはいわば、小学生が、先生の小さな間違いを見つけて、まるで鬼の首でも取ったように、
「ほれ、先生がこんなひどい間違えをしたぞ。なんてバカな先生だ。バカ野郎、大バカ野郎!」
 と口汚く悪罵するようなものです。
 他人の小さなミスには、大きく目くじらを立てるくせに、自分の調査の「299字(2字不足)」のようなミスには、目をつむる。補助漢字について「実際に使われている多くの漢字を無視する」( 注 )と、ギャーギャー非難するくせに、自分の方では「実際に使われている非常に多くの正字を無視する」ということを堂々とやっている。まったく、たいした人格者ですね。
    ( 注 ) 本当は「漢字」というよりは「国字」。ここでは「一部を全体であるかのごとく
         語る」という詭弁が使われている。だまされないように。
       ※  話は異なるが、上記の「ミス」については、資料「略字&正字」を参照のこと。
         私は別にこのミスは批判しない。この程度は仕方ないと思う。「他人のミスを
         やたらと見咎めて、怒鳴り散らす」というのは、私の趣味には合わない。

 なお、上の批判者は「補助漢字はかくかくしかじかのようにデタラメに作られた」というようなことを主張していますが、そこには、勝手な思い込みや誤解がまじっています。実際にはどうであったかは、上述のほら貝のインタビューをご覧ください。

 補助漢字というものは、そもそも、当時の不十分な環境のなかで、JIS担当者が苦心して作ったものです。あとから出てきた者がそれを非難するのは、ジャンケンの後出しのようなもので、ずるいし、不遜です。
 まして、現在のJIS担当者たる者が、同じJISの立派な先任者を非難するなんて、天に向かって唾するようなものです。いつか、必ずや、自分の顔に降りかかってくるでしょう。
  ※ 以上について、出典などはあえて示しません。関係者ならとっくに知っているような
    ことですし。また、私は、他人のミスを細かくあげつらうようなことはしたくありません。
    (そう言っている割には口が汚いが。……私の顔にも唾が。)


 Q21 「外字の調査するには、全ファイルに対し、『〓』などでgrep検索をかければよい、外字の箇所がわかる。」ということだが、必ず「〓」になっているという保証はないぞ。

 A そりゃ、当たり前です。
 ただ、ここで示した資料については、本人が「『〓』で記しておいた」と書いています。だから私は、こうすればよい、といっただけです。


 Q22 キリルで書かれたアイヌ語なんて、あるのか? 

 A 平凡社の世界大百科事典をご覧ください。ロシアではそうしているとのことです。(これは日本の話ではありませんが。つまり、ロシア語の文字コードには関係あるかもしれませんが、JISには全然関係のない話ですが。)


 Q23 アイヌ語と日本語はいくらか似ているんじゃないの? 共通しているような単語もあるし。

 A 言語がいかに異なっているかは、言語構造自体を言語学的に調べての話となります。細かなことは、言語学的なこととなるので、ここでは詳論しません。そもそも、文字コードとは関係ありませんから、読者にとっては耳障りなだけでしょうね。
 ま、余談ふうに言えば……
 なお、日本語には「神」( < カムイ )のように、アイヌ語が語源となっているとおぼしきものもあります。しかし、このような単語レベルの話は、まったく別のことです。
 たとえば、日本語には「トップ」などの外来語がまじっていますし、英語にも「sushi」などの日本語が取り入れられています。だからといって、「英語と日本語は類縁関係にある」などとは誰も言いません。単語レベルでの言語間の取り込みは、まったく別の話です。


 Q24 専門外字について、複数の専門をもつ専門家についての配慮が足りない。

 A たしかに不足しています。それはその通り。でも、少なくとも一つ、私は用意しているんですよ。そこに注目してください。
 「ひとつしか用意してないのはけしからん、だったら全然ない方がいいぞ!」
 と怒るのでしょうか。としたら、まるで、星一徹ですね。
 「メシが一杯だけだと? 足りるか! こんなもん食えん!」(ちゃぶ台ごとひっくり返す)
 メガネの左門なら、むしろ、こう言うでしょう。
 「わしゃ、一杯じゃ足らんけん、二杯ほしか。もう一杯! ごっつあん。」

 なお、JCS案では、専門外字領域がまったく用意してありません。「複数の専門をもつ専門家」どころか、「ひとつの専門をもつ専門家」についてさえ配慮していないのです。
 一方、私案では、とりあえず一つ用意しましたが、これを二つに増やすことを否定しているわけではありません。二つに増やしたければ、増やしても構いません。
(ただし、その分、領域が削られて、使える漢字の数が減ってしまいます。われわれは、打ち出の小槌を持っているわけではないのですから、「あれもこれも」と全部を手に入れることはできないのです。)


 Q25 「将来的には、ほとんどのマシンが新JISに移行し、現JISは使われなくなる。」という記述があるが、そんなことはないぞ。現JISはいくらか残るはずだ。

 A これは失礼。「現JISはあまり使われなくなる。」が正確でした。重箱の隅を突っつかれてしまいました。
 なお、現在、78JISはあっても「あまり使われない」ようになっています。使ってもいいんですけど、フォントそのものが、今では大変入手困難です。(以前は簡単に入手できたけど。)
 で、たぶん、現JISも、将来はそうなるでしょう。
 これはまあ、私の見込みですが、ただし、私は予言者ではありませんから、予言や断言はしません。「空から恐怖の大王が降ってくる」なんて予言して、はずれたら、カッコ悪いですからね。


 Q26 専門外字や添付外字ってのは、本質的には何なのか? 

 A 本質的には、ユーザ外字そのものです。ただ、使い勝手をよくするため、現状とは次の点が異なります。
 ・ 領域を三つにわけ、それぞれ別個に使えるようにする。
  (現在はEUDCという単一ファイルにより、単一領域で使用する。)
 ・ 三つの領域のうち二つについては、集団の人々が共通して使えるような手段を用意する。
  (専門外字/添付外字)
 というわけですから、仮に、後者の手段が用意されなければ、単に、ユーザ外字領域が三つに分割されたのと同じことになります。

 【 付記 】
 現在のユーザ外字を一種の専門外字として利用する方法は用意されています。たとえば「ハングル」「点字」「漢方用の漢字」など。
 ただし、その場合、既存のユーザ外字領域がすべてそれに奪われてしまい、別途、個人的にユーザ外字領域を使うことができなくなります。
 それでは不便なので、領域をいくつかにわけて、専門分野の領域と、個人的な用途のための領域とに、分離しよう、というわけです。
 なお、JISとしては、実装法を指定することはありません。単にその領域を、使わずに、空けておくだけです。(そのことは私案にも示しました。)

 【 付記 】
 添付外字と専門外字を組み合わせて使うと、外字の利用が簡単となります。
 たとえば、専門外字(または自分のユーザ外字)のうち、好みのものをいくつか、添付外字の領域にコピーして、その外字を使ったメールを書きます。
 あとは、そのままメールで送信するだけです。メールソフトの方で、自動的に、その外字を添付外字として取り込んで送信してくれますし、受け取った方は単にメールを開くだけで、その外字を読み取れます。
 メールを受け取った人が、その添付外字を自分のユーザ外字領域に取り込めば、その外字をあとで普通の文章中で自由に使うこともできます。
     *    *    *    *
 添付外字でなく、HTML で外字を使うとしたら、大変面倒です。メールの形式を HTML にした上で、いちいち GIF 画像をつくって、文中にいちいち画像を挿入しなくてはなりません。同じ外字を何回も使うとしたら、何回も GIF 画像を挿入しなくてはなりません。また、HTML の GIF 画像は紛失しやすいので、もし紛失したら、文書が正しく読み取れなくなります。 (添付外字なら、メールに添付されるので、紛失の心配はありません。)
 また、 GIF 画像は「ファイルサイズが大きくなる」という難点があります。(小さなファイルが多く、圧縮率も低いので。) 一方、添付外字なら、この難点を避けることが可能です。


 Q27 専門外字や添付外字の設定法は、どのような仕様を考えているか? 

 A 私案にも示したとおりです。
 (1) 専門外字は、通常のアプリケーションのように、インストールして使います。
 (2) 添付外字は、HTMLのヘッダや、メール添付ファイル用のヘッダのようなものを使います。
 原理的には以上のようなものです。ただ、実装上の細かな問題は、技術的な話になるので、ここでは取り上げません。詳しく述べたら、それだけで規格書が一冊できてしまうでしょう。話は大変複雑になります。


 Q28 外字エディタというものはありますよ。シェアウェアで。

 A たしかにあります。とっくに試しました。ですが、評価を記すと、営業妨害になりそうなので、書かないことにしました。(……と書いちゃって、ごめんなさい。値段を考えれば、そう悪いソフトじゃなかったですね。)


 Q29 「え゛」を否定するくせに、「新しい顔文字を認めよ」と言っているのはおかしい。顔文字は限られた記号で表現するからこそ面白いのだ。

 A そうかなあ。私から見れば、「え゛」を認めよ、と言いながら、新しい顔文字を否定する方がおかしいと思いますけどね。漫画(など)の風変わりな文字こそ、まさに、「限られた記号で表現する」ことを意図していますから、「え゛」なんてのを入れても無駄だと思いますが。もしその記号が新たに正式になったら、その記号を使わなくなるので。(私が漫画家だったら、そうしますね。公認された文字なんて、使ったってちっとも衝撃を与えないので。)
 一方、顔文字は、いろいろあった方が面白いと思いますけど。よく見る顔文字は、せいぜい5種類ぐらいでしょう。「笑ってニコニコ」「笑いながらシクシク」「笑いながらヒヤヒヤ」「ぺこり」ぐらい。(わけのわからんものはたくさんあるが。)
 これじゃ、感情表現が貧しいですね。私としては憤激したいところですが、残念、それを示す顔文字がありません。せいぜい、これくらいかな。
    (`^) ”     :-<

  【 付記 】
 なお、私としては「え゛」なんてのは(専門外字としてならともかく)正規の文字として入れない方がいいとは思いますが、「どうしてもほしい」という要望が強ければ、入れても構わないと考えています。私は単に「特に必要ない(どちらかと言えば邪魔だ)」と言っているだけであって、「是が非でも排除しよう」と言っているわけではありません。この文字に恨みがあるわけではないし、「是が非でも排除したい」わけではありません。「是が非でも正字を排除しよう」と主張している人たちとは違います。


 Q30 「何が何でも略字を排除しよう」というのは、おかしいぞ。

 A これはねえ。何と言いましょうか。……
 私は別に、「何が何でも略字を排除しよう」とは言っておりません。「鴎」などの略字は、好ましくはないと思いますし、JISに残す必要もないと思いますが、別に、「是が非でも排除しよう」とは思っておりません。そのことは資料の「略字&正字」にも記してあるとおりです。これらの略字は、一応、排除することを前提として、数を数えていますが、排除しないで、これらの略字を残した場合の数も数えています。つまり、「どちらもありうる」というふうに記しています。( conc-jis.htm )
 ま、「鴎」などの略字は、私自身は使いたくありませんが、使いたい人もいるでしょうから、そういう場合には、使っても構わないでしょう。そのために、「略字フォント」や、「現JISフォント」などの併用も許容する、と私案に示しています。
 なお、私自身は、「何が何でも略字を排除しよう」とは言っておりませんが、どこかの誰かは、「何が何でも正字を排除しなくては!」と主張しているようです。「世の中では正字がたくさん使われているのだから、コンピュータでも使わせてほしい」と頼んでも、強引に押しつぶす。正字に対し、親の恨みでもあるのでしょうか。
 私としては、文字コードの場で、そんな国語的な問題を主張してほしくないのですが。


 Q31 「正字、正字」というが、何をもって「正しい字」とするのか? いったい誰が「これは正しい」と決めるのか? 

 A その質問自体が間違っています。
 正字とは、「正しい」字のことではありません。「正」選手というのと同じで、regular (正規の)という意味です。換言すれば、「標準的な」という意味です。(cf.  ほら貝のページ
 では、「何が標準的か」といえば、それは、文字講堂の表紙ページにある「正字とは何か」に示しました。そちらをご覧ください。
 ま、簡単に言えば、歴史的な現実の用例がそれを決めます。誰か一人が決めるのではなくて、歴史的な日本人の総体が決めます。
(もっとも、そういうのが気にくわなくて、「何が正しいかは、おれたちが独裁的に決めるんだ」と鼻息荒く言い張る人たちもいるようですが。)

  【 付記 】
 「何が正しいか」はともかく、「何が間違っているか」は、比較的はっきりとしています。伝統的な用例が見出されず、限られた人名にしか現れないもので、しかも成り立ちが誤記によると推定されるものは、「誤字」と見なしていいでしょう。 (これについては次項で述べます。)
 JCSは一般に、正字を取り入れることには頑強に抵抗していますが、人名用の誤字を入れることにはとても熱心です。
 正規のものは排除して、誤ったものはたくさん入れようとする。──JCSの考え方がよくわかりますね。 (JCSという存在そのものも……? )


 Q32 「喜」の異体字(三つの「七」)を、誤字と見なすというが、いったん誤って楷書になった文字だとしても、ずっと使われ続けているのなら、独立文字としてみなすべきだ。

 A それが一般的に使われているのならば、そうでしょう。たとえば、この字(〓)を使って、「喜ぶ」を「〓ぶ」と書いたり、「歓喜」を「歓〓」と書いたりするのが、一般的に行なわれているのならば、私としても採択に反対しません。
 しかし今は、そのようなことを言っているのではないのです。あくまで人名異体字(誤字)としての話です。(以上の点は、私案でも強調してあります。ここでは繰り返しになりました。)
 そもそも、誤記による人名用の文字を、単に「用例がある」からといって、すべて採択しなくてはいけないのなら、それらの人名用の異体字(誤字)だけで、数が多すぎて、新JISはパンクしてしまいます。となると、普通の正当な文字の方を排除しなくてはならなくなります。たとえば「こめかみ」を記す文字は是非必要ですが、そのような文字を入れるコードポイントがなくなってしまいます。
 新JISでは「欲しい文字をすべて入れる」という立場は取れないのです。「最大でも約4400字」という上限のもとで、優先順位をつけなくてはなりません。順位の低いものは採択を諦めなくてはなりません。
 たとえば、貧乏が身にしみている私には、「欲しくても我慢する」が癖になっています。誰だって、手持ちのお金には限りがあるのです。大金持ちの放蕩息子なら、「あれも欲しい、これも欲しい」と駄々をこねて、「欲しいものをみんな買ってくれないとしたら、とんでもない親だ」なんてわめくかもしれませんが。

  【 付記 】
 ここで言っている人名異体字(誤字)とは、あくまで、上の「喜」の異体字のように、誤字であることがはっきりしているもの(誤字である由来が十分に推定されるもの)に限ります。つまりは、人名にしか見られないような異体字です。
 一方、「はしご高」は、昔から中国にある異体字です。これは人名以外に一般的に使われていたものであり、「誤字」ではなくて、単なる「異体字」です。(「異体字」というより「書体差」だ、とも言えます。詳しくは宋体などについて考察します。)
 さて、私案で「採択すべきでない」と言っているのは、誤字である人名異体字だけです。「はしご高」のような異体字は、人名異体字というより、ただの異体字ですから、「採択するな」とは言いません。人名異体字としての扱いではなく、通常の異体字としての扱いになります。
 人名だけに使われる異体字と、人名にも使われる異体字とは、扱いが異なるわけです。

  【 付記 】
 私案では、上の「喜」の異体字は、使えないわけではありません。異体字タグとの併用により、副規格として使えます。
 この場合、副規格を利用すれば、異体字は約1万字も多く使えるようになります。すばらしいですね。
 JCS案では、人名用の異体字は、せいぜい2000字程度しか収録されないようです。とすれば、「人名異体字をあまり使えない」のは、南堂私案ではなく、JCS案の方です。
 「人名異体字をいっぱい使いたいんだ、数千字を使えるようにしろ!」
 と主張したければ、JCSに向かって言いましょう。私案の方ではちゃんと使えるようになっているのですから。
(なお、異体字タグのほか、人名字タグも使えば、さらに1万字ほど多く使えるようになります。また、文字化けの心配については、私案に説明してあるので、そちらをご覧ください。)

 【 追記 】
 この「喜」の異体字は、「よく使われる人名字」として、例外的に採択してもいいかもしれません。
 単なる人名字としてなら、採択する必要はないのですが、お店の名前の一部分として、あちこちの料理店で使われています。店の名前だと、本人が使うだけでなく、人々が会食の打ち合わせなどでも使いそうですから、あった方がいいかもしれません。
 私案を書いた当時は、ほとんど見ることもなかったのですが、そのあと注意していると、お店の名前や人名でときどき見かけることに気づきました。
 (でも、私案ではもともと「副規格として」採択の予定だったので、たいして差があるわけじゃないんですけどね。)


 Q33 「ろ紙」の「ろ」で、「さんずい + “戸”」という略字(〓)があるが、この〓を「瀘」の略字だとする決定的な根拠があるのか? 

 A 決定的な根拠は、私は持っていません。私は漢字資料学者じゃないんですから、そんな資料は持ち合わせておりません。
 でも、常識的に考えれば、そうとしか解釈できないはずです。略字主義者の大好きな「部分字形の統一」によれば、次のような対応が見て取れます。
        正字 :   蘆 櫨 爐 艫  廬
        略字 :   芦 枦 炉 舮  *(unicode  5E90)
 いずれも、「盧」→「戸」という対応が見て取れます。(部分字形の統一)
 ですから、「瀘」についても同様だ、と考えるのが自然でしょう。
 仮に、「瀘」だけはこの原則に当てはまらない(部分字形の統一を否定する)、と主張するのなら、それを納得させるだけの明確な根拠を持ち出さなくてはなりません。
  なお、「〓」の字形が「瀘」の略字とされる記述は、たいていの字書では見出されませんが、それは、そのような略字用例がないからではなくて、用例が少ないからにすぎません。なぜなら、「瀘」という字そのものが、あまり使われないので、その略字もまた、あまり使われないわけです。(この文字は、普通名詞のための文字ではなく、中国の古い地名を示す固有名詞のための文字だから、あまりたくさん用例がないのです。ただ、中国の古い地名の資料を探せば、略字も見つかるかもしれません。)
 要するに、「〓」が「瀘」の略字であることについては、(当たり前なので) そのことの根拠の資料を特に提供する必要はなく、逆に、そのことを否定する場合には、否定するだけの根拠の資料が必要だ、となります。そして、そのような否定的な資料がなければ、当然、「〓」は「瀘」の略字であると見なすべきでしょう。
  ※ 「〓紙」「〓過」は、否定的な根拠にはなりません。ただの代用字の用例です。


 Q34 「〓」を「濾」の(一種の)略字だ、と書いている人は、JCSだけじゃない。他にもいるぞ。

 A そういう人も、いることはいるでしょうが、世の中の合意を得ているわけではありません。世間の片隅にある意見をことさら採り上げて、世間の常識を無視する、というのには、作為的なものが感じられます。
 JCSは国語的な独自の見解を示すべきではないのです。やりたければ、国語学界かどこかでやってください。自分の意見を勝手にJISという公的な場に持ち込まないでください。
 どうしても持ち込みたければ、まず、その意見を、世間に問うて、その意見を世間に受け容れてもらってからにしてください。世間の合意も得ずに、それを世間に勝手に押しつける、というのでは、自分勝手に過ぎます。
 (ま、1983年にはそれをやった、という前科がありますから、またやろうとしているのかもしれませんが。……年年歳歳人不同、歳歳年年組織似。)


 Q35 「〓」で「ろ紙」を使っている用例は実際にある。教科書などで。

 A それはそうです。しかし、一方、「濾す」を「〓す」と書く用例はないはずです。
 仮に、「〓」が「濾」の略字であれば、「〓す」と書いていいはずです。略字とは、そのように、あらゆる場合で代替が利くものだからです。
 しかし、実際には、そうなっていません。「〓」は、「ろ紙」「ろ過」などの語に限って使われているだけです。
 これはつまり、「〓」は、ある限られた場合に限って、一時的に代用・借用されたものにすぎない、ということです。決して、「〓」が「濾」の略字になったわけではありません。
   ※ 「濾」には「ロ(ろ)」という音読みがあるので、音読みに限り同音の「瀘」で
     代用するのでしょう。つまり、訓読みのときには、代用しない。

 たとえば、「戦闘」を「戦斗」と書くことがあります。これは、同音の簡単な字を、一時的に代用・借用しただけです。「斗」が「闘」の略字であるわけではありません。「編輯」を戦後では「編集」と代用で書くようになりましたが、だからといって「集」が「輯」の略字であるわけではありません。それと同じことです。
 こういう事実が大切なのであって、教科書などに使われているか否かは、事実とは関係ありません。たとえば、教科書が間違った考え方にしたがって、「戦闘」を「戦斗」と書いたとしても、それによって急に「斗」が「闘」の略字になるわけではありません。
 漢字というものは、長い伝統の上にできているものであって、文部省の誤用しだいで変化するものではないのです。

    ※ 教科書に使われているからといって、絶対視することもないでしょう。
      昔の教科書に「天照大神が日本を創った」と書いてあるからといって、
      それが真実だということにはなりませんからね。
       「そんなのは昔だけの話だ」と思うかもしれませんが、今だってそうで
      しょ。「自衛隊は軍隊ではない」なんて、「白馬は馬にあらず」というよう
      なものでしょう。戦前どころか、紀元前3世紀の公孫竜とそっくり。
       口の悪い人に言わせれば、教科書とは、国民を洗脳するための道具
      にすぎないようです。


 Q36 「代用字」(当て字・借字)を盛んに否定するが、そんなものはたくさん使われているぞ。

 A たしかに、このような代用字は、戦後、ひろく多用されています。たとえば:
   ・「戦々恐々」(戦々兢々)   cf. 「戦々競々」
   ・「編集」(編緝・編輯)
 これらはもうほとんど公認されていると言っていいでしょう。私としても、批判するつもりはありません。
 ただ、これらの代用字は、次のもっともな理由があります。
   ・ 「常用漢字外を常用漢字に書き換える」ということなので、やむをえない。
   ・ 元の表記に加えて、新たに別の表記が加わっただけ。(略字でなく)
 しかるに、「ろ紙」では、どうでしょうか。この「さんずい+戸」は、画数こそ少ないとはいえ、常用漢字ではありません。むしろ、漢和字典にもないし、(青少年世代を除けば)国民の大多数が読めないので、易しいどころか、難しい文字です。「易しい文字」に書き換えるのならまだしも、難しい文字に書き換えるのでは、変ですね。(「易しい文字」ではなくて「画数の少ない文字」にしたわけですが。この点では、「緝」→「集」のように、画数があまり変わらない場合とは別の話になります。)
 表記についても、これらは個別に「新たな表記」が追加されただけであって、あらゆる用語について一般的にこの代用が認められるわけではありません。あくまで個別に、その用語ごとに、新たな表記が追加されるだけです。たとえば、「集輯」や「緝集」を「集集」と書くことはありません。(あれば誤用でしょう。)
 また、略字の本質も大切です。「緝」→「集」とか、「兢」→「恐」とか、「闘」→「斗」とか、このような代用(当て字)の用例があるからといって、「後者は前者の略字である」ということにはなりません。両者はまったく別の字であり、後者は単に代用字として使われているだけです。
 たしかに、「〓紙」という用例はたくさんあります。しかしそれは、「〓」が「濾」の略字であることの理由にはなりません。もしそんなことが成り立つなら、「斗」は「闘」の略字だ、ということになりますし、「まだれ」付きの「K」「O」は「慶」「應」の略字だ、ということになります。さらに、ハートの図形は「愛」の略字だ、ということにさえなってしまいます。おかしな話ですね。
 当て字としての用例がいくらたくさんあろうと、それは略字としての用例にはならないのです。

 【 付記 】
 ついでに言えば、いくら代用字があるからといって、「遠慮」「慮る」を「遠戸」「戸る」と書いている風変わりな人は、さすがにいないようです。ただし、世の中には、変な書き方をしたがる人がいないわけでもないようです。たとえば、「登る」を「丁る」、「黄色」を「ム色」、「品物」を「メ物」というふうに。この伝で行くと、もしかしたら、「南堂」→「¥堂」となるのか? ……勘弁して。


 Q37 「〓」は実際に教科書などで使われている。その事実は否定できない。

 A 別に、事実を否定してはいません。あれやこれやと事実を勝手に糊塗しているのは、私ではなくて、他の誰かでしょう。
 たしかに、「〓」は実際に教科書などで使われています。だから、「どうしてもその字を採択したい」というのであれば、使いたい人がいるのですから、それはそれで仕方ないでしょう。「絶対にJISには入れるな」とは言いません。(実際、私案では、副規格として入れる方法も提案しています。)
 ただ、この「〓」をどうしても新JISに入れるというなら、それはそれで仕方ありませんが、その際、事実を正確に述べるべきです。
 この「〓」は、「濾」の略字ではなく、「瀘」の略字です。この字を用いて「ろ紙」「ろ過」と書くのは、代用字・当て字にすぎません。「ろ紙」「ろ過」の場合には、その場合だけ一時的に、「瀘」の略字を代用・借用することはありますが、しかし、この文字を使って、「こす」を「〓す」などと書くことは世間的に認められていません。
 そういうことをはっきり明記するべきです。この「〓」を「濾」の略字だなどと、根拠もなく主張してはダメです。JCSとは、国語についての独自の意見を下すための組織ではないのです。そしてまた、学校とは、デタラメや未確認飛行物体を教える場ではないのです。


 Q38 「新字源」ばかりを尊重して絶対視するのはおかしい。「新字源」の字形が正しいという保証がどこにあるのか。

 A 「新字源を絶対視する」ということは、私案のどこにも書いていません。
 「新字源にも出ているような文字を、基本的な文字と見なして、採択の優先度を上げる」
 と述べているだけです。採択文字の重要性のランク付けのとき、資料の一つとして利用する、と言っているだけです。
 「諸橋大漢和に出ている文字を最優先に採択する」というのでは、字数が多すぎてしまいます。「和英辞典に出ている文字を最優先に採択する」というのでは、選択基準が無意味です。そこで、基本的な(初等的な)漢和字典として、新字源を一つの資料としてはどうか、という提案です。

(なお、JCSは、既存の辞書は重視せず、自分たちの調査資料[&その他]を最優先する、としているようです。これはいわば、自作の字書を最優先するようなものですから、あまりにも手前ミソに過ぎるのではないか、というのが私の感想です。「既存の辞書を補うため、人名用例などで、自分たちで補充調査をする」というだけなら、謙虚でもあるし、むしろ好ましいのですが。……しかし現状では、自分たちの調査を最優先して、めったに見ないような人名用の文字だらけになる可能性があります。)
 さて、この もそうですが、今回の批判(冒頭のもの)には、この種の誤解があまりにも多いようです。
 文章を理解せず、誤解している、という箇所は無数にあります。これまでにもけっこう指摘してきましたが、いい加減、くたびれてきました。(これを書いている現在は、真夏なので、汗もびっしょり出ます。冷や汗も少しは出るので、そのぶん、ひんやりしましたが。)
 ともあれ、何か疑問を感じたら、批判する前に、まず、その文章をよく読んでください。
 「この記述は変だな」と思ったら、まず「自分が誤解しているのではないか?」と考え直してみてください。お願いします。
 ……でも、まあ、私だって、偉そうなことを言える立場じゃないんですけどね。だから、以上は、批判者への悪口というよりは、私自身の自戒を込めている、というふうに受け取ってください。


 Q39 私案で、やたらと古典ばかり重視するのはおかしい。古いからといって、なぜそんなに優先するのか。古けりゃいいってもんじゃないぞ。

 A 古典とは、単に古い文書のことではありません。どこかの土蔵から出てきた古い屑紙の、なぐり書きのようなものを、「古典」と読んでいるのではないのです。国民全体の財産となるような、大きな言語的価値のあるものだけを言うのです。
 源氏物語や枕草子もそうですが、これらは単に古いだけではなく、日本人全体に大きな価値を持っています。現代日本の特殊な専門分野の用語は、ごく一部の人だけの限られた用語ですが、古典というものは国民全体の財産なのです。重みがまったく異なります。
 単に古い文書のことは、「古典」とは呼ばず、「古文書」(こもんじょ)と呼びます。私案では、「古文書を優先せよ」と言っているのではありません。ここに注意してください。

 なお、JCSはしきりに「現代日本語を重視」と言い立てます。(これでもって、正字を排除することの根拠としているのかもしれませんが。)
 というわけで、誤解を防ぐため、ここに強調しておきます。
 古典とは、昔の文書ではありません。現代の文書です。それは、過去に死に絶えた言葉ではなく、今なお脈々と生きている言葉です。
 それに引き替え、現代の言葉とは、いかに短命でしょうか。最も新しいコンピュータの用語は、たちまちにして時代遅れになって死に絶えます。現代の最先端のパソコンが、たちまちにして時代遅れの旧式マシンになるように。
 JCSの重視する歯科用の記号などは、日本語を構成しているとは見なされません。それはたしかに実際の用例がありますが、世間の片隅でこっそりと生きているだけです(地図記号・気象記号などに比べれば微々たるものです)。それは長い歴史もないし、歯科技術が変われば消えてしまうかもしれません。しかるに、日本語の古典は、数百年間に渡って、日本人全体で共有されてきたのです。
 われわれが「現代日本語」と呼ぶ昭和・平成の言葉は、今から百年後にも生き残っている保証はありません。ほとんどはゴミのような言葉ですから、ほとんどはゴミのように捨てられるでしょう。しかし、源氏物語や枕草子は、百年後も生き残っていることは確実です。なぜなら、これらの古典は、数百年の時間を生き抜いてきたからです。それだけの重みを持った言葉は、現代にはほとんどありません。
 JISに採択する文字は、現代だけに使われる新語辞典のようなものであっていいはずがありません。生まれては消える泡沫のようなものであってはならないのです。
 「行く川のながれは絶えずして しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて ……」(方丈記)
 古典とはまさしく「現代の」言葉です。今でもそうですし、将来でもそうです。なぜなら、今でも将来でも、人々の間で、読まれ、愛され、心に生き続けるからです。

 【 任侠稼業 】
  「古いやつだとお思いでしょうが。古いものにもいいものが………ござんす」
   (高倉健)






 最後に

 批判に対して、反論という形になりましたが、生意気な減らず口の部分は、私の未熟さゆえのことです。諸氏のご気分を害したら、申し訳なく思います。お赦しください。
 私案は、すでに示したとおり、あくまで「議論のための一つのたたき台」にすぎません。これは一案として出したものであり、あくまでたたき台ですから、最終的にこの私案のまま制定せよ、といっているわけではありません。
 この私案を見て、良いところがあれば取り入れればよいし、悪いところがあれば無視すればよい。それだけのことです。私案はあくまで「議論のための一つのたたき台」にすぎない、ということを、繰り返し、強調しておきます。





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     氏 名  南堂久史

     メール  nando@js2.so-net.ne.jp

   URL 文字コードをめぐって (文字講堂)  (表紙ページ)

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