電磁場のモデル

                 〜〜 マックスウェル方程式のモデル化 〜〜

               概要

   この文書の目的は、電磁場のモデルを得ることである。
   つまり、アンペールの法則や、ファラデーの法則や、クーロン力
   などの意味を、モデル的に理解する。

   ※ このことは本文書で、初めてなされる。過去の物理学でも試みられてきたが、
     そのすべて失敗だった。 (詳しくは → 文書末の  )





基本原理


 この文書の話を進めるには、前提となることがある。それは、次の二つだ。
  ・ 超球理論(超球と超ヒモ)
  ・ 力とは何か
 この二つを、あらかじめ、十分に理解しておいてほしい。特に、後者については、「マックスウェルのモデル」の箇所を、十分に覚えておいてほしい。
 
 以上のことを前提とした上で、以下の話を進める。
 (いきなり以下の話を読んでも、無意味である。基盤なしには、先の話を進められない。上記の二つを、必ず、しっかり理解しておいてほしい。)


アンペールの法則


 まず、最も基本的なものとして、アンペールの法則(右ねじの法則)を導く。

 アンペールの法則(右ねじの法則)とは何か、ということは、電磁気学の基礎であるから、あらかじめ理解しておいてほしい。わからなければ、ネットで検索してほしい。
 アンペールの法則は、最も基本的なものである。この文書でも、これを基本として、さまざまなことを導き出す。


超球の回転


 まずは、次のことを、最初の基礎原理とする。
 「電子が一定方向に進むとき、電子(超球)は回転する」
 「その回転の方向は、電子の進行方向を向いたとき、左回り(反時計回り)になる。つまり、通常の右ねじとは逆である」
 
 ここでは、「超球の回転」という原理と、「回転の方向を具体的に決める」ということとが、ともになされている。
 このことについては「なぜか?」というふうに問わないでほしい。これは一種の公理である。
( ※ 超球理論では、超球が進行するとき超球は回転する。そのことはあらかじめ前提となっている。そのことに注意。)

 このことを図で考えることにしよう。電子の動きを輪切りにして、断面図を示すことにする。すると、次の図のようになるはずだ。




 大きな灰色の円は、電子である。電子は、画面の奥から手前へとむかって進む。そのとき、電子は矢印の方向に回転する。


アンペールの法則のモデル化


 では、いよいよ、アンペールの法則を導き出すことにしよう。
 まずは、次の図を見てほしい。




 大きな灰色の円は、電子である。(前項と同様。)
 そのまわりに、小さな白い円がある。これらは、光子である。
 今、電流が、画面の手前から奥へと流れているとする。これはつまり、電子が画面の奥から手前へと流れている、ということだ。(電流の流れと電子の流れは、方向が逆である。)
 電子が矢印のように回転すると、光子もまた矢印のように回転する。つまり、中央の灰色の円が回転すると、それにつられて、まわりにあるたくさんの光子も(洗濯機の水流のように)いっせいにぐるぐると回転する。……これが、「アンペールの法則」である。
 (なお、磁場は、「光子の流れ」というふうに電磁気学では理解されている。)


アンペールの法則のモデル的原理


 ではなぜ、アンペールの法則が成立するか? それは、モデル的には、次のように理解するといい。
 「電子と光子との間には、粘性のようなものがある。洗濯機の中央の回転盤が回転すると、水の粘性によって、水が回転水流をなす。それと同じように、電子と光子との間にも粘性があるので、電子が回転すると、それにつられて、光子も回転する」
 こう理解するといいだろう。こうして、アンペールの法則については、モデル的に理解できたことになる。そこで、これを定理として扱う。
 ( ※ 前項の「超球の回転」は、公理のように扱われたが、アンペールの法則は、定理のように扱われる。)


フレミングの法則


 アンペールの法則を得た。ここから、フレミングの法則(フレミングの左手の法則,ローレンツ力)を導き出そう。


フレミングの法則の意味


 フレミングの法則(フレミングの左手の法則,ローレンツ力)とは何か、ということは、基礎的な知識だから、誰でも知っているだろう。ここでは解説しない。わからなければ、ネットで調べてほしい。
 簡単に言えば、次のようになる。(左手で。)
  ・ 中指    …… 電流の方向
  ・ 人差し指 …… 磁力の方向
  ・ 親指    …… 力の方向

 特に、平行する二つの直線を走る電流については、次のことが言える。
  ・ 電流の方向が同じ → 電流はたがいに引き合う  (引力)
  ・ 電流の方向が反対 → 電流はたがいに反発し合う (斥力)


フレミングの法則のモデル化


 まずは、次の図を見てほしい。



 図の左半分は、アンペールの法則である。それによる磁力線は、青い大きな円のようになる。この大きな青い円は、同心円状に、どこまでも広がる。
 とても大きな青い円のうちの一部は、隣を走る電流にかかる。これは、図の右半分に相当する。
 ここで、右側の電子の進行方向が、左側の電子と同じ方向であれば、回転方向はやはり同じ回転方向である。(上図の通り。)

 このとき、力が働く。それは、赤い矢印の方向の力だ。これがつまり、フレミングの法則である。こうして、フレミングの法則の意味は、モデル的に理解された。

 なお、右側の電子の動く方向が、左側の電子とは逆の方向であれば、回転方向もまた逆の回転方向となる。(下図の通り。)

 このとき、力が働く。それは、赤い矢印の方向の力だ。これもまた、フレミングの法則である。(電子の進行方向が反対だから、力の方向も反対となる。)




フレミングの法則のモデル的理解


 フレミングの法則では、電流の方向に応じて、赤い矢印の方向に向かう力が発生する。では、なぜ? 
 それは、モデル的には、次のように理解される。
 「電子が回転していると、光子の流れを受けたとき、光子の粘性を受けて、回転への反発力を受ける」
 
 再掲するが、次の図をもう一度見てほしい。



 右側の電子は、右回転している。ここで、図の上方から光子が降りかかる。光子が粘性をまったくもたなければ、光子は電子に絡みつくこともなく通り過ぎる。しかし、光子が粘性をもてば、光子は電子に少し絡みつく。そのせいで、電子の回転を受けて、上から降りかかった光子は、図の右方向へ吹き飛ばされる。その反発力を受けて、電子はずの左方向への力を受ける。

 このことは、次のように比喩的に理解するといい。
  ・ 光子 …… 水流
  ・ 電子 …… 水車
 水車が回転していて、そこに水流が降りかかる。水車が回転していなければ、水流は何ともない。しかし水車が図のように回転していれば、水流は図の右方向に吹き飛ばされる。その分、水車には、図の左方向へ向かう力がかかる。

 一方、電子(または水車)の回転方向が逆になれば、電子(または水車)にかかる力も反対になる。次の図のように。



 こうして、「粘性」という概念を使うことで、フレミングの法則を説明できた。


クーロン力


 クーロン力は、超球理論とフレミングの法則から、説明される。

クーロン力の意味


 クーロン力とは何か、ということは、基礎的な知識だから、誰でも知っているだろう。ここでは解説しない。わからなければ、ネットで調べてほしい。
 簡単に言えば、クーロン力とは、動かない電荷に働く力である。つまり、フレミングの法則において、動きがゼロになった場合である。
 二つの電荷は、符合が同じならば斥力を持ち、符合が逆ならば引力を持つ。


共鳴


 クーロン力の働く二つの電荷は、動きがまったくないのだろうか? 
 ここで、前述の「力とは何か」という文書を見るとわかるとおり、ここでは「共鳴」という現象が発生している、と考える。
 つまり、二つの電子は、完全に静止しているのではなく、電磁場を通じて、共鳴状態にある。つまり、振動している。この振動は、次の図で示される。



 左側の電子は下方向に動き、右側の電子は上方向に動く。
 半周期ずれると、今度は、その逆になる。つまり、左側の電子は上方向に動き、右側の電子は下方向に動く。
 この両者が、周期的に交替する。それがつまり、「共鳴」という現象だ。(超球理論による発想)
( ※ つまり、二つの電荷は、静止しているように見えるが、実際には微小な振動をしている、ということ。)

 なお、ここでは、次のことに着目しよう。
 「共鳴している二つの電荷(電子)は、たがいに逆方向に動く」
 なぜそうかと言えば、それがエネルギー的に最も安定的な状態だからだ。たとえば。ヤジロベエでも、片方が上がって片方が下がるのであれば、(全体の重心が動かないので)エネルギー的に安定している。一方、両方ともいっぺんに持ち上げようとすれば、余分なエネルギーが必要になるので、そういうことはまず起こらない。
 一般に、共鳴のある状態は、共鳴のない状態よりも、安定的である。たとえば、音叉ならば、二つの音叉が共鳴していると、一つの音叉だけのときよりも、音叉の減衰が遅くなる。つまり、安定的である。
 電子の場合は、音叉のように減衰するということはないが、それでもやはり安定した状態となる。たとえば、たがいの周期を少しずらすと、全体の安定性が悪化するから、たがいの周期は必ずきちんとそろうはずだ。(つまり、空間の振動は定常状態にある、ということ。)


クーロン力のモデル化


 前項のことに、先の「フレミングの法則」を適用する。
 場合分けして、次の二通り。

 (1) 電荷の符合が同じとき
 電荷の符合が同じならば、どうなるか?
 前項で述べたように、電荷の進行方向は逆方向である。つまり、電流の方向は方向である。
 一方、フレミングの法則によれば、「電流の方向が逆ならば、斥力が働く」というふうになる。
 ゆえに、電荷の符合が同じならば、二つの(静止した)電荷には斥力が働く。これがクーロン力だ。

 (2) 電荷の符合が逆のとき
 電荷の符合が逆ならば、どうなるか?
 前項で述べたように、電荷の進行方向は逆方向である。その一方で、電荷の符合も逆方向で合う。とすると、電流の方向は同じ方向である。
 一方、フレミングの法則によれば、「電流の方向が同じならば、引力が働く」というふうになる。
 ゆえに、電荷の符合が逆ならば、二つの(静止した)電荷には引力が働く。これがクーロン力だ。


クーロン力のモデル的理解


 クーロン力は、「フレミングの法則」の特殊な例と見なせる。つまり、そこにおける電荷は、静止しているように見えるが、実際は静止していない。微小な振動をしているだけだ。
 そして、その微小な振動をしているときには、まさしく「フレミングの法則」が働いている。
 そしてまた、「フレミングの法則」は、「アンペールの法則」から得られる。
 結局、クーロン力も、「フレミングの法則」も、最初の基本的な原理から演繹的に得られたことになる。(モデルを使うことによって。)


粘性とは


 残された問題がある。それは「粘性とは何か?」ということだ。
 ここまで、「粘性」という概念を用いてきた。これは、わかりやすい概念だが、ちょっと厳密さに欠ける。そこで、厳密さを高めるために、以下の説明を加えよう。


呼吸


 先に、「力とは何か」という文書で、「呼吸」という概念を提出した。これは、「電子が光子を放出したり吸収したりする」ということだ。しかも、それが周期的になされる。このことから、前述の「共鳴」が生じる。
 このことを、あらかじめ理解しておいてほしい。


粘性のモデル化


 まず、次の図を見てほしい。



 これは、電子が回転しながら、光子を放出しているときの図である。
 電子の回転が遅ければ、放出された光子の軌跡は直線状になるだろう。だが、電子の回転が非常に速ければ、放出された光子の軌跡はラセン状になる。
(そのことは、人が回転しながら、水鉄砲から水を発射する」という状況を想像するといい。)

 ここでは、放出されたものがラセン状の経路を取るわけではないのだが、次々と放出されたものをたがいにつなげると、その接続線がラセン状になるので、ラセン状に見えるのだ。(銀河系の渦巻きも同様。)

 一方、光子が電子に吸収される場合もある。この場合には、光子は、外側から内側へと進む。そのときの図は、次のようになる。



 これを理解するには、次のように考えるといい。
 水槽の底に穴があり、穴には隔壁[仕切り]がついているとする。穴が回転すると、穴に吸い込まれる水流もまた、穴の回転する方向と同じ方向に回転する。
( ※ なお、これは、コリオリの力に似ている。 → Wikpedia 英語版 の 「コリオリの力」の図を参照。)


同心円


 こうして前項では、「光子の放出」と「光子の吸収」という二通りの図を示した。
 一方、「呼吸」では、この両者が周期的に交替する。とすれば、結果は合成されるはずだ。では、その結果は? 次の図からわかる。



 つまり、内向きの方向(中心に向かう方向)と、外向きの方向(中心から離れる方向)とが、たがいに打ち消しあって、円周方向の力だけが残る。
 すると、どうなるか? 外向きの力と内向きの力は消えて、円周方向の力だけが残る。
 ( ※ このことを図形的に知るには、前項の図で、粒子の方向を示す緑色の矢印で考えるとよい。ただし、前項の緑色の矢印は、そのままでは不適切で、場所を移して考察する必要がある。ちょうどうまく、たがいに打ち消しあいが生じるように。)

 結局、こうだ。
 「電子が回転しながら、電子が光子を放出または吸収する。その光子は、円周方向の動きをもつ。ここで、光子の放出と吸収が周期的に交替すれば、外向きの力と内向きの力は消えて、円周方向の力だけが残る。結果的に、光子は円周方向の動きだけを残す。かくて、光子は同心円状の動きをなす」
 こうして、「呼吸」という概念から、「磁場は円周方向に回る」という結論を得た。


同心円の揺らぎ


 議論をもうちょっと正確にしておこう。
 前項では「同心円」と述べたが、これは大局的な見方である。ミクロ的に量子レベルで見れば、事情は少し異なる。
 前々項の二つの図は、大局的には二つが同時に成立するが、ミクロ的には交互に交替する。つまり、呼吸の「放出」と「吸収」にともなって、二つの図が交替する。
 すると、円周状に周回する光子の動きはどうなるか? 中心の電子の方に近づいたり、中心の電子から離れたりする。そのときの電子の動きは、前々項の二つの図の動きだ。(緑色の矢印を参照。)
 というわけで、円周状に周回する光子の動きは、完全な円周を描くわけではなく、ギザギザと波のように揺れる円周状の動きを取ることになる。つまり「揺らぎ」がある。(さらに正確に言えば、呼吸はサインカーブでなだらかになされるから、このギザギザもなだらかな波のような形になる。)

 この「揺らぎ」は、非常に細かなものだ。呼吸の周期と同じであるからだ。通常、無視してよい。特に、マクロレベルでは、無視してよい。だから、通常は「磁場は円周状にある」というふうに、アンペールの法則を記述できる。
 とはいえ、正確にアンペールの法則を記述するならば、この磁場は、完全な円周状の軌道を取るのではなく、細かな揺らぎのあるような円周状の軌道を取る。── 本論のモデルからは、そういうふうに結論される。


エーテル振動との関係


 「力とは何か」という文書では、「エーテル振動」という概念を提出した。次のように。

 複数の量子が共鳴状態にあるとき、これらの量子が直接的に力を及ぼし合うのではない。次の過程を取る。
  ・ 量子Aが空間にエーテル振動をもたらす。
  ・ エーテル振動をしている空間が、量子Bに、振動の影響をもたらす。
  ・ そうしてもたらされた振動の影響が、力だ。

      量子A    エーテル振動     量子B 
        )))))))))))))))))


 では、この「エーテル振動」という概念は、上記のモデルとは、どう関連するか?
 この疑問については、次のように答えることができる。

 「エーテル振動」という概念は、さまざまな超球に当てはまる。特に電磁場に当てはめれば、(アンペールの法則を見るときの)電子と光子の間でなされる「エーテル振動」とは、「呼吸」によってもたらされた空間の振動だ。
 それは何か? 前項におけるギザギザのことである。電子が光子を呼吸するにつれて、光子の放射と吸収にともなって、このギザギザが生じる。これがつまり、エーテル振動だ。(特に電磁場では。)

 ただし、注意しよう。ここでは、ギザギザの「揺らぎ」が重要なのではない。大局的に見れば、ギザギザの「揺らぎ」は消えて、円周方向の動きだけが残る。この周方向の動きが、つまり、「エーテル振動」を大局に見たときに観測されるものだ。
 とすれば、「エーテル振動とは、(光子の)円周方向の動きだ」と言えることになる。(大局的には)

 エーテル振動は、原理的には(電子から見て)放射方向の動きから生じる。だが、放射方向の電子の振動にともなって、(光子の)円周方向の動きが生じる。これは大局的な動きだ。
 この大局的な動きが、エーテル振動として観測されるものだ。

 【 比喩 】
 比喩的に言おう。自転車に乗っている人が、体を左右に振動させる。すると、自転車は、ギザギザの動きをする。次のように。

     /\/\/\/\/\/\/\   →

 自転車に乗っている人から見れば、自分は体を単に左右に振動させているだけなのだが、遠くから観測する人から見ると、この自転車は前進しているように見える。
 すると、「体を左右に振動させることとは、自転車が前進することだ」というふうに見て取れる。
( ※ 自転車のかわりに、「風上に向かって進むヨット」と考えてもよい。)


粘性との関係


 「粘性」という概念との関係を考えよう。


同心円と粘性


 前述の渦のモデル(および同心円のモデル)では、「粘性」という概念を使ってはいない。ただし、結果的に、「粘性」があるのと同様の結論を得ることができた。
 「粘性」というのは、見かけ上のことであるが、そのことは、物理学的にしっかりとした根拠が与えられるわけだ。
 「粘性」というのは、一種の比喩的表現であるが、その比喩を使っても、あながち間違いではない。というわけで、「粘性があるから」というような議論をしても、特に間違いではないわけだ。

 したがって、「フレミングの法則」を説明するときに、「粘性のせいで」というふうに論理を進めても、特に間違ってはいないわけだ。
 つまり、厳密に説明すると、いろいろと面倒になることが、「粘性」という簡単な言葉を使うことによって、簡単な概念によって正しい結論に至ることができるわけだ。

 なお、直感的に理解するなら、次のように理解するといい。
 光子(の超球)の海であるエーテルのなかで、電子が単に回転するだけならば、光子はそのままで動かない。しかし、電子が回転するとき、電子は光子を呼吸する(光子を放出したり吸収したりする)。そのせいで、(放出されたり吸収されたりする)光子が運動しながら、周囲にある静止した光子(の超球)を渦状に掻き交ぜる。そのせいで、周囲にある光子もまた、放出・吸収される光子といっしょに、渦状に回転するようになる。
 比喩的に言おう。水中に円柱が立ててある。この円柱が単に回転するだけなら、まわりに水は静止したままだ。しかし、円柱が回転しながら水を放出したり吸収したりすれば、周囲の水もまた円柱と同じ方向に回転するようになる。
 ( 円柱から放出された水は、水の慣性によって、周囲の水を動かす。円柱に吸収される水も、やはり回転させられる。)

 ともあれ、こうして、光子の「呼吸」(放出・吸収)という現象を通じて、光子の海(エーテル)があたかも粘性をもつかのようにふるまう。


ファラデーの法則と粘性


 ファラデーの法則では、電流に力が働く。この力は、先の説明では、「粘性」という概念を使った。しかし、粘性問う概念はあくまで比喩である。とすれば、本当は、どうなのか? 
 このことを理解するには、次のように考えるといいだろう。

 そもそも、光子の呼吸という現象が起こるとき、この現象は、電子の球面に対して垂直であるはずだ。特に、 ◯ という図形の頂点部分における呼吸を考えると、次の図のようになるはずだ。

   
 この図で、水平線は電子の表面であり、垂直線は呼吸の方向である。呼吸が上下方向に働いても、呼吸は水平線に対して力を及ぼさない。

 さて。ここで電子が右回転したとする。すると、水平線は右に移動し、それにともなって、呼吸の線も傾く。特に、放出のときには、次の図のように、右に傾く。

   
 このように右に傾きながら、光子を放出するのだから、それにともなって、電子には左方向に移動しようとする力が発生する。
 というより、電子が、「呼吸する光子に対して静止を保とう」とすることが、電子が左に移動することに相当するのだ。
 こうして、電子は左に移動しようとする。そういう効果が発生する。
 この効果による影響が、つまりは、(ファラデーの法則における)力である。
 こうしてモデル的な説明がなされた。
 ( ※ なお、 ◯ という図形の下端部分では、上下反転した形になるので、上記の作用は、相殺されることになる。ただし、上方からは光子が降りかかり、下方からは光子が逃げていくので、相殺の結果は、上方の効果の方が多く残る。)

別のモデル


 粘性については、別のモデルを示すこともできる。
 
 まず、電子顕微鏡で見るように、物事の微小部分を拡大して考えよう。電子は、点ではなくて、一定の有限の大きさをもつ、と考える。
 すると、そのまわりでは、回転する電子の回転に引きずられて、周囲の電子がグルグルと回転する。ちょうど、地球のまわりで月が回転するように。
 さて。この回転する地球と月の全体を、新たに地球のようなものだと見なすことができる。すると、そのまたまわりで、さらに別の(外側の)月がやはり回転する。ただし、外側の月は、内側の月よりも、回転速度(角速度)が遅い。
 このようにして、内側のものに引きずられるようにして、外側にある電子が次々と回転していく。……こうして、回転する電子たちの全体からなる場が生じる。しかも、外側のものほど、回転する速度(角速度)が遅いから、図形的には、渦のような図形を描くことになる。

 以上の説明でも、同じような結論を出せることになった。そして、そこでは、「粘性」という概念が役立つ。(粘性によって引きずられる、ということ。)
 
 なお、ここで言う「粘性」の概念は、特に不思議ではない。次のように考えるといい。
 電子が(半径ゼロの)点であるならば、点から放射される粒子は、円周方向の速度成分をもたない。(中心から外側に向かう成分があるだけだ。)
 しかし、電子が(半径ゼロの)点でなくて、一定の大きさをもつならば、電子が回転するときに、円周方向の速度成分をもつ。
 このことは、地球上で物を投げたときのことを考えればいい。地球は点ではなく、有限の半径をもつ。しかも、かなり大きな半径を。そして、地球上でボールを真上に放り投げると、ボールは地球に対して真上に上がる。一方、地球自体は回転しているから、座標系を宇宙に取れば、ボールは地球の回転方向の速度成分を含む。

 電子の場合も同様だ。微小な尺度で見ると、電子は有限の大きさをもつ。そこから放射された粒子は、地球上のボールと同様に、回転方向の速度成分を含む。そのせいで、電子の近傍にある浮遊する粒子に、回転方向の力を与える。こうして、電子の近傍にある浮遊する粒子は、回転する。そして、そのせいで、さらに外側にある粒子も(いくらか)回転する。

 ( ※ 本項で単に「粒子」と述べたのは、「光子」または「仮想光子」のことである。どっちでも同じことだが。)

まとめ


 最後に、まとめと結論を述べよう。


マックスウェルの方程式とモデル


 すでに述べたように、「アンペールの法則」「フレミングの法則」「クーロン力」という三つの原理を、モデル的に得ることができた。
 あとは、その値を定量的に決めれば、方程式を得られる。それがマックスウェルの方程式だ。ただ、これは面倒な数式になるので、ここでは示さない。
 ともあれ、マックスウェルの方程式に至るための基本的な原理となるモデルを、本文書では提出した。

 そもそも、
 「電磁場というものがあるのは、なぜなのか?」
 という根源的な問題に答えるのが、この文書の目的だった。その目的は、果たされたことになる。


 [ 付記 ]
 マックスウェルの方程式は、流体力学との共通性が大きい。流体力学の概念を念頭に置いて、電磁場を流体の場のように解釈して、方程式を作った、と見なせる。たとえば、rot や div などの微分演算子は、流体力学に現れるものだ。
  → はてな用語解説 「マックスウェル方程式」
 このことは、「電磁場を流体と見なせる」ということを意味する。はっきり言えば、「電磁場はエーテルの振動であると見なせる」ということを意味する。ただし、エーテルというものは、19世紀の末に否定された。
 しかしながら、超球理論では、「エーテル」という概念が形を変えて復活した。こうして、モデルと数式とが、見事に合致するようになった。……これは美しい結果だと言えよう。「数式は数式としてだけ理解しておけばいいんだ」という形式主義を離れて、「数式には意味がある」「物事の本質を考えよう」という本質主義が成立することになるからだ。

( ※ 数学でも同様だ。数学の下手な人は、数式だけをやたらといじくり回して、解答を得ようとする。一方、数学センスのある人は、数式の意味を考えることで、エレガントな解答を産み出す。それは物事の本質を一突きで刺すような、短くて完璧な回答だ。……この文書で目的としたのは、物事の本質を突き刺すことである。つまり、数学的にエレガントな解答だ。)


モデルの本質的意味


 超球理論では、電磁場のモデルを構築できた。では、なぜ、超球理論を使うと、「モデル化」ができたのか? これまでの発想では不可能だった「モデル化」が、なぜ超球理論を基盤にすると可能になったのか? 
 それは、超球理論において、独特の発想があったからだ。次のように。
 超球理論には、このように超球についての「回転」「共鳴」「呼吸」という三つの独自の概念がある。それゆえ、電磁気学のさまざまな原理・法則が説明されるようになる。
 こうして、超球理論では、モデル化が可能となる。
 ( ※ 従来の理論では、モデル化はできなかった。この件は、後述(次々項)の [ 参考 ] を参照。)


超球理論との関係


 超球理論との関係を考える。すると、超球ないしエーテルの独自の性質から、次のことが結論される。

 (1) エーテルは通常、静止している。しかし、電磁場においては、エーテルは流体のように流れる。特に、アンペールの法則に従って、エーテルは流れる。
 (2) 等速で流れるエーテルは、物質に何ら作用しない。(超球理論による。理由は次元が異なるから。このことの意味は相対性理論の相対性と同様。)
 (3) エーテルと物質との間に「呼吸」があるとき、この「呼吸」はエーテルの流れの影響を受ける。流れるエーテルのなかに置かれた物質は、「呼吸」がなければ何ら作用を受けないが、「呼吸」があれば、「呼吸」の方向がずれるという形で、影響を受ける。

 要するに、超球としての光子と、電子とは、たがいに直接的には作用し合うことはない。たとえば、作用反作用の法則のように、ぶつかって影響し合うことはない。ただし、波としての「呼吸」通じて、何らかの作用を及ぼし合う。── その作用が「力」である。
 こうして、「力とは何か」ということも、本質的に理解されたことになる。それは、物質同士の直接的な作用ではなくて、超球の集まりであるエーテルの特別な状態(つまり場)と、物質との、波による作用のことなのだ。次の図を参照。
 ( ※ 全体を右に 90度回転させて理解してもいい。図の左側を上にもっていく。光子が上から下に流れるように理解する。)


         超球たる光子が流れる     衝突    電子は(超球の衝突の)作用を受けない
      →  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   →   
                                                   

         超球たる光子が流れる     呼吸    電子は(超球の振動の)作用を受ける
      →  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  (((((( 


 電子は、(光子の)超球の衝突からは作用を受けない。しかし電子は、(光子の)超球の振動からは作用を受ける。これはとても大切なことだ。(つまり、剛体ふうの影響はないが、流体ふうの影響はある、ということ。)

 ともあれ、以上のことは、超球理論における独特の結論である。超球は、(剛体の)「球」というふうにモデル化されることもあるが、この「球」は、われわれのいる3次元空間に存在するわけではない。別の次元(というか、もっと広い9次元)に存在するものだ。
 だから、あるときには(剛体の)「球」のようにふるまうこともあるが、それは決して物質としての「剛体の球」ではない。
 本項における光子の球を、「剛体の球」として理解してはならない。むしろ「仮想的な球」というふうに理解する方がいい。(ただし完全に仮想的なものではない。「3次元世界にはない」という意味でのみ、仮想的である。もっと広い9次元を考えれば、実在的である。)


参考



  [ 参考 ]  (  )
 電磁場をモデル化することは、従来の物理学の立場からも試みられてきた。しかしながら、そのすべては失敗だった。なぜ失敗したか? その理由は、次の通り。

 (1) 剛体力学と流体力学
 マックスウェル方程式を見ればわかるとおり、電磁場は流体としての性質をもつ。特に、運動の方向とは垂直になるような力が働く。こういうことは、剛体力学的な立場からは説明が困難だ。(剛体力学な立場だと、「作用反作用の法則」のように、運動方向と同じ方向の作用しか生じないからだ。つまり、垂直方向の力を説明できない。)
 運動の方向とは垂直になるような力を説明するには、剛体力学的なモデルを取るということ自体が、根源的に間違っているわけだ。むしろ、流体力学的なモデルを取ることが必要となる。

 (2) 従来の量子論
 しかしながら、従来の量子力学は、剛体力学のモデルを取っており、流体力学のモデルを否定してきた。なぜか? 最初は流体力学ふうに「エーテル」という発想を取ったのだが、エーテルの存在が否定されたからだ。(マイケルソン・モーレーの実験。19世紀末ごろ。)
 こうして、以後、量子力学は剛体力学の立場で構築された。「素粒子」という概念もそうだし、「場の量子論」もまた同様である。(これは固体力学ふう。つまり、固体を伝わる波を考える。)
 ここでは「量子は粒子と波の性質をもつ」というふうに表現されたが、その真意は、「基本的には粒子であるが、ときどき波の性質も現れる」というだけのことであり、あくまで基本的には量子を「粒子」と見なす剛体力学の立場を取った。

 (3) 超球理論
 一方、超球理論は、流体力学ふうの立場を取る。流体力学といっても、液体よりは気体を念頭に置いている。超球が気体のように分布していて、それがエーテルとなって、振動を伝える。
 こうして、流体力学の立場を取るようにすれば、理論的な問題もモデル的な問題も、すべてがきれいに片付く。それがつまり、超球理論の意義だ。
 では、超球理論は、マイケルソン・モーレーの実験と矛盾しないのか? 矛盾しない。その理由は、超球理論のページに詳しく書いてある。
 マイケルソン・モーレーの実験は、エーテルの存在をまさしく否定したのだが、ここで、エーテルという概念そのものを完全に諦めてしまうかわりに、エーテルの概念を(この実験に抵触しないように)改める、というのが、超球理論の立場だ。

 比喩的に言おう。「錬金術は不可能だ」ということが経験的に明らかになっていた。そこで「元素は変換されない」という命題を立てた。なるほど、その命題は、化学の範囲では成立する。そこで、ほとんどの科学者は、「元素は変換されない」という命題を信じた。しかるに、キュリー夫人は、その命題を改めようとした。「元素は変換されない」というのは、化学反応では成立するが、放射線科学の分野では成立しない(つまり元素は変換される)という新たな命題を考えた。
 この命題を考えたキュリー夫人は、「トンデモだ」というふうに批判された。「元素が変換されるはずがないではないか。この女は近代科学を否定している馬鹿者だ」と。
 しかしながら歴史的には、キュリー夫人の方が正しかった。なるほど、「元素は変換されない」という命題は、化学の範囲では成立する。しかし、化学の範囲を超えて、別の範囲に踏み出せば、「元素は変換される」ということもあるのだ。

 エーテル概念も同様である。「エーテルは存在しない」というのは、「物質としてのエーテル」という意味では正しい。しかし、「超球としてのエーテル」というふうに概念を拡張すれば、「エーテルは存在しない」という命題はもはや正しいとは言えなくなるのだ。なぜなら学問の範囲が拡張されたのだから。
 結局、マイケルソン・モーレーの実験からは、学ぶべきことがあったのだが、その学び方を間違えてはならないわけだ。従来の物理学は、「あつものに懲りてなますを吹く」というふうだった。ある種のエーテルについて失敗したからといって、あらゆるエーテルを一切合切捨ててしまった。そのせいで、同じくエーテルという名の付いていた別の真実をも、虚偽といっしょに捨ててしまった。かくて、真実を見失った。

 (4) エーテル
 ともあれ、電磁気学では「エーテル」という概念が根本的に重要である。これは流体としての性質をもつ。そこから、「共鳴」「呼吸」という概念も生じる。そこから、ファラデーの法則やクーロンの法則などがモデル的に説明可能となる。
 従来の理論では、そういうモデル化は不可能だった。なぜか? 従来の科学者が無能だったからか? 違う。どんなに有能でも、しょせんは不可能だったのだ。なぜなら、根源として、流体力学でなく剛体力学の発想を取ってきたからだ。
 彼らがモデルを構築するとき、剛体力学のモデルを構築するばかりだった。それでは、決して、電磁気学のモデルを構築することができるはずがないのだ。それはいわば、「解がない」と証明された問題の解を探そうとするようなものだ。
 何事であれ、物事の基盤が最重要である。基盤を間違えれば、そのあとでどんなに頭を絞って考えても、すべては砂上の楼閣となる。……それがつまり、従来の立場では、電磁気学のモデルを構築できなかったことの理由だ。



   ※ さらに参考となる話。
     「剛体か流体か」という認識は、「粒子か波か」という認識に相当する。逆に言えば、
     量子論の「粒子か波か」という問題は、「剛体か流体か」という問題に相当する。
     (認識の仕方で言えば、「剛体力学か流体力学か」ということに相当する。)
     この件は、次のページで(初心者向けに)説明している。
       → Open ブログ  「粒子か波か」   





  このページについて

    氏 名   南堂久史
    メール   nando@js2.so-net.ne.jp
    URL    http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/emodel.htm (本ページ)
          http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/quantum.htm (表紙ページ)



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