第四章 〜錯綜〜
  第一部『遭遇』

  7月3日、僕と清美がつきあって一周年の日の夕暮れ。

「少しは運転うまくなったんやね」

「ま、さすがに免許とって一年経つからな。少しはマシにならんかったら、す

くいよう無いって。」  (とはいうものの、昨日練習中、発進するときにギア

を間違えてバックしてしまい、事故寸前だったなんて言えない…)

「そりゃ、そうね。」

  清美は助手席でニコニコしながらこっちを見ている。うーん、つきあって一

年になるんだなあ、早いもんだなあ。それにしても、たった一年なのにいろん

なことがあったなあ…。

  秋の学園祭で清美を探してたら、清美が男と話し込んでて、思わず叫んだこ

ともあった。結局あれはお兄さんだったってことだけど、いやあ、あれは恥ず

かしかったよ我ながら、ハハハ。そう言えば、涼子先輩とサークルの次期部長

選びの件で話してたのを、清美に見られて誤解されたこともあったなあ。僕と

しては、ごく普通に話してただけのつもりだったんだけどなあ。まあ、学園祭

のときの件と似たようなもんか、妬いてくれるのはうれしいしね。

「あれ、どうしたの、にやにやしてー。浮かれるのもいいけど、事故らないで

よ。車乗ってる以上あんたに命預けてんだからね」

「大丈夫だって、少しはうまくなったんだから」

「す・こ・し・でしょ。あんまり当てになんないんよね、正信の運転。なんか

発進とか言いながらバックしそうだしね。」

「……(図星)」

「あれ、どうしたの? 反論しないなんて珍しいな」

「たまには、おとなしくしてようかと…ね」

「ふーん、事実だからでしょ。嘘つけないね、正信は。ごまかそうとするとい

つも声が震えてるんだから。誰が見ても分かるわよ、この馬鹿正直。」

「それ、ほめてんの、それともけなしてんの?」

「さ・あ・ね☆。でも、嫌いじゃないよ、ばか正直な人って。」

「…」

 クスッ

 まあ、こんな感じで僕らは2人とも機嫌よく、神代の海へ向かって走ってい

る。記念すべき初デートの場所、一年前にも同じように車で来ていた…。ただ、

その時は、僕の運転があまりにも下手すぎて清美が怖がり、終いには怒ってし

まったのだった(ついでに、電柱に接触もしてしまった)。まあ、今となって

はそれもいい思いでなのだが、それ以来今日まで清美は僕と車には乗っていな

い。つまり、2人でドライブするのも一年ぶりということで、いつも以上に浮

かれているんだけどね。

「さ、ついたぞ」

  砂浜沿いの道路で、唯一外灯のついてる辺りに車を止めると、僕と清美は手

をつないで波打ち際へと歩いていった…。懐かしい海、一年前のまま。砂浜だ

が、海水浴場ではないので人影はほとんど無い。わりと街という感じのする神

代だが、ここの浜は結構きれいなのだ。

「懐かしいね、ここ。」

「うん。」

「正信が運転うまくなったら、絶対来ようねって言ってたら一年も経っちゃっ

たんだね。」

「一年かかっちゃったもんな、普通に運転できるまで」

「普通の初心者並みにでしょ?」

「…うん。 けどこれで、いつでも来れるんだよね、清美と一緒に」

「うん、いつでも…。」

  ここは、町からちょっと離れたところにあり、バスも電車も近くを通ってな

いようなところ。神代駅から細い道を10キロばかり進んだところにあるため、

車以外ではまず来れない所だった。

  今その場所で、僕と清美は一年前と同じように波打ち際で海の方に向かって

もたれあいながら座っている。

「こうしてると、不思議なくらい落ち着くね。今日みたいに月が出てなかった

ら顔も見えないくらい、さびしいところなのにね。」

「オレもこうしてたら、いつもの不安が嘘みたいだ、ほんとに…」

……

  あたりを沈黙が包んだが、全然寂しさも、不安も無かった。清美が僕の隣に

いる、僕のことを好きでいてくれている、それだけでよかった。言葉はなくて

も、僕にもたれている清美のあたたかさが、そして、僕ら2人を包む空気が、

そのことを教えてくれていた。

  ザザザァ……

  ただ波の音だけがかすかに響いていた。



  いったいどのくらい時間が経ったのだろう? あまりに静かすぎて、寄り添

ったまま眠ってしまいそうになっていた。

「はっ、今何時だろう?」

「えっ、どうしたの、正信」

「清美、時間大丈夫か?」

「あっ、そうだった! とけい、時計!」

  慌てて、清美は腕時計を見ようとしているが、暗くてよく見えない。

「なあ、もう遅いだろうから、とりあえず車に戻ろう。車なら少しは明かりも

あるし。」

「そうね、今時計見たからってどうなるわけでもないし…。かえろっか?」

「そうしよう、今日は楽しかったよ。」

「わたしも。でも、楽しいって表現も何か変な感じね、今日の場合」

「確かに。でも、他にどう言えばいいかわかんなくてね。」

  僕も清美ももちょうどいい言葉は見つけられなかったが、月明かりでかすか

に覗く笑顔が、言葉の代わりに全てを現していた。

  そして、僕と清美が車まで戻ったとき、


ウワーッッ! キャー 

「なんだ?」

  声のする方を見ると、二つの影がこっちへ揺らめきながら近づいていた。足

音が大きくなってくるから、多分、こっちへ向かって走ってるのだろう。

「な、何なの?」

  その二つの影は、この道路で唯一明かりの点いている外灯の下、つまり僕ら

の目の前にまで来た。外灯の明かりで姿がはっきりと現れる…。どうやら、

若い男女のカップルのようだ。

「だ、誰か助け…ギャー」

  突然走ってきてた男の方が、叫びながら倒れた。

?!

「っ…」

僕も清美も、突然のことに声も出なかった。

「弘幸! 大丈夫? ひ… ウグッ」

  倒れた男を助けようとして、一緒にいた女が立ち止まった時、その女も突然

倒れた。その直前、その女の背中のあたりに、大きな手のようなものが見えた

ような気がした。

「なに?、何が起こったの?」

  僕も清美も、混乱してその場に立ち尽くしていたが、それも事情が分かるま

での、一瞬のことだった。さっきは気付かなかったが、倒れた男女の後ろに、

大きな影が1つあり、その影が外灯の下に出てきたのだ…。

  一見巨大な人のようにも思えたが、ごつごつの岩のような肌、虎よりすごそ

うなむき出しの牙、そんな人間はいない。しかもでかさは2.5〜3メーター

ほどといったところだ。

  悪魔? 鬼? 一瞬の後、僕と清美は、走って逃げようと一斉に後ろに向き直

った。しかし、それ以上足は進められなかった。目の前に何かいたのだ。

  暗闇に2、3の影があったのだ。こっちの影は人ぐらいの大きさだが、直感

的にそれは人じゃない、悪魔だと感じていた。完全に囲まれた! 清美が僕の

腕にしがみついてくる。背後から妙に大きな圧迫感を感じる、さっきの化け物

がこっちに近づいてきているのだろう…。逃げようが無い、かといって戦うに

も武器になりそうなものもない。

  清美はより強くしがみついてくるが、僕にはなにもできない。背後の圧迫感
  
はさらに大きくなった…。



  第二部『暴発』


  ゴォー

  頭の上から何かが落ちてきた! 

  しかし、僕は無意識のうちに振り返ってそれを受け止めていた。落ちてきた

ものは、後ろにいた巨大な化け物の岩のような拳だった。そして、感覚が麻痺

してしまったのか、手や腕には、何も痛みを感じなかった。

「正信!! ……」

  清美が何か叫ぼうとしたが、それ以上は声にならなかった。次の瞬間、背中

を上から下に痛みが走っていった。しかし、それがこの時感じた、最初で最後

の痛みだった。

  ウォォーッ

  僕は、巨大な悪魔の拳を強くつかみ上げると、自分の背中を引き裂いた奴の

上に投げ下ろしていた。

  グッギャア ウォォォォ

  そして、地面に叩き付けられ横たわっている巨大な悪魔の胸の辺りにめいっ

ぱいの力で突きを入れる。

  ドゴッ ゴホッ グォッ …

  巨大な悪魔の胸を突いた拳は、岩のような皮膚を突き破りその悪魔の体の中

に食い込んでいて、手首まで血に染まっていた。

……

「大丈夫?、正信」

「ハア、ハア……」

「正信、まさのぶ?」

「ハア、ハア、き、清美。」

「だ、大丈夫?」

「た、多分、大丈夫…かな。」

  清美が泣きそうな顔でこっちの方を見ていた。

「よかった、よか…った。」

  ついに清美は、僕にしがみついて泣き出してしまった。そんな清美を左手で

そっと抱きしめる。

「よかった、無事…で」

  どうやら、僕も泣き出してしまったようだ。気をしっかり持っているつもり

だったが、頬を冷たいものがつたっていた。

  ようやく落ち着いて周りを見回す。さっき2、3匹いたはずの小さな悪魔の

姿はなかった。逃げたのだろうか? そして、僕のすぐ横には、外灯の明かり

に照らされながら、巨大な悪魔が胸から血を吹いて倒れていて、その下に、イ

ンプと思われる悪魔が下敷きになって潰れていた。これ、本当に僕がやったの

か? この場かでっかい岩のような化け物を…? そっと、その化け物に触れて

みたが、その皮膚はやはり固く、岩のようだった。何気なく自分の右手を見て

みた。手首まで、血で真っ赤に染まっていた。しかし、どうみても傷はなく、

痛みも無かった…。

「ば、化け物ー!」

  声のする方を見ると、さっき目の前で倒れた男が体を起こし、怯えた目でこ

っちの方を見ていた。左肩辺りが真っ赤に染まっていて、腕はだらりと力無く

たれている。良く見ると、よくは知らないが僕と同じ学部の奴だった。

「だ、大丈夫? もう、化け物は…」

「く、来るな、化け物ー」

「えっ」

  どう見ても、周りに化け物はいない。しかも、その男の怯えた目は僕を見て

いる。

もしかして、化け物って、僕のこと…!?

  その男は、何とか、体の向きを変えると必死にはいながら逃げようとし始め

た。近づけば、より逃げられる、そう思うと何もできなかった。清美も、どう

することもできず、震えながら僕の左腕にしがみついている。

  ピーポー、ピーボー、…

  やや遠くにちらちらする赤い光と、明るい光が2つが見えた。それはぐんぐ

ん近づいてきて僕らの前で止まった。警察と消防署の人だった。

  とりあえず、僕らは救急車に乗って病院に運ばれ、ことの一部始終を警察に

話した。さすがに、悪魔を倒してしまったことは、「恐怖で、精神が混乱して

るんだろう」と言われて信じてもらえなかったが、それ以外のことは信用して

くれたようだ。清美に怪我はなかったし、僕の背中の傷も軽い引っ掻き傷程度

だったので、その日のうちに、家までパトカーで送ってもらって無事に帰宅す

ることができた。どうやら、あの道をバイクでで通りがかった人がいて、慌て

て110番通報してくれたとのことらしい。

  なお、あの男は肩の骨を折ってはいたが、大事には至らなかったようだ。一
  
方一緒にいた女の方はというと、背中から肺にかけてえぐられていたようで、

即死だったとのことだ。

  今、僕は家のベッドにいて、悪魔と遣り合っていた時のことを思い出していた。
  
  今回のあの巨大な悪魔、あれには見覚えが無かったが、似たようなのをどっ

かで見た気がする。あのごっつい体つきや、目つきは、食人鬼オーガ、そして、

あの岩のような皮膚はガーゴイルそのものだったな。多分、ハーフだろうか? 

そして、周りにいた人ぐらいの大きさのは、インプ。でも、なんで分かるんだ

ろう?

  そういえば、悪魔とやりあってて、頭の中が半分ぶっ飛んでる途中、陽治や、

父さん、母さんたちの姿に混じって、何か悪魔の姿が頭の中を何度もよぎって

いったな。あれは何だったんだろう? 陽治達の姿を思い浮かべるように鮮明

に、かつ懐かしい感じがしていた。けど、そんな悪魔にあったことはあるはず

ないし、悪魔に親しみ感じるわけはないし…。結局、頭の中が混乱していて目

の前の悪魔の姿と、陽治達の姿とが混ざってしまったんかなあ? 何にせよ、

変な感じだった、あの時は…。

  それより、何であのばかでっかいのを倒せたんだろうか? 夢だったのかと
  
も思いたいが、実際そこにいたし、右手にはさっきまで血もついていたから、

夢じゃない。あの岩のような胸をぶち破った感触だって、はっきり残ってる。

それでいて、傷一つないこの手。

  これが、涼子先輩が言っていた、何か特別な力、超能力か何かなんだろうか? 

直感的に、悪魔のことが分かったのも、あの化け物を倒せたのも、そう考える

と説明がつく。僕は超能力者なのかもしれない。でも、こんな悪魔ぶっ倒すよ

うな超能力者なんて聞いたこと無いぞ! じゃあ、僕って何? あの男が言って

たみたいに、本当に化け物なん? いや、僕は人間や! ちゃんと、この両親

の子供で、兄弟もいて、恋人もいて、普通の人間のはずや! そしたら、僕は、

僕は、いったい…

  ああああっ、もう考えるの止めよう。僕は人間であることは間違いないんだ

から…。

  考えれば考えるほどに疑問は膨らんでいき、頭がパンクしそうになっていた。

更に、あんなことの後だから、体はがたがただ。まもなく考える気力も無くな

り、そのまま眠りに落ちていった。

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