第六章 〜再会〜
第一部『恋人』

  翌朝、僕はベッドの中で目を覚ました。あ、あれ? 確か、昨日電話の後そ

のまま泣き崩れて…で、その後記憶が無い。多分、電話の前で座り込んだまま

寝たんだと思うけど、なんでベッドに…? 何で…? …もしかして、母さん…?。

疑問に思いながらも、とりあえず着替える。

「正信、起きたの!? 早くご飯食べて大学いきなさいよ。遅刻せんように」

  ふう、大学か。また今日も、変な目で見られてさけられるんだろうなあ。そ

んなことをぼんやりと思いながら、気が進まないながらも、ほぼいつも通りに

家を出た。昨日と同じような空気、いつもの和やかな朝の空気とはちょっと違

う。まるで僕の周りに見えない壁があるかのように人は僕を避けて通っていく。

前から走ってくる車でさえ、僕の姿を見ると、端によって逃げるように走り去

っていく。そして、時々僕を遠巻きにして、物珍しそうにこっちを見る奴がい

る。気分は、とてもじゃないが、いいとは言えない。空を見上げても雲一つな

いほど澄みきっていて、風が肌に心地よい。夏らしい最高の天気なのに、いつ

もなら、すっごく大好きな感じの天気なのに、全然気分がおもわしくない。

  何とか無事に駅に着いたが、今日はなんだか駅が遠くてなかなかつかない感

じがした。時計を見てみると、時間はいつも通りか、ひょとすると早いくらい

スムーズについたんだけど、気分的には、いつもの倍くらいかかったような感

じだった。こんな感じで毎日を過ごすのか…。そう思うと、澄みきった夏の空

を見上げる気力さえも無くなっていく感じだった。このまま家に戻ろうか? で

も、戻ってもすることはない。どっか遊びにいくにも、どうせ出かけた先で、

同じように避けられて気分悪くなるだけ。結局大学いくしかないのか…。

「おっはよ、正信。 元気無いぞ、こんなに天気いいのに、気合入れなさいっ!」

「あ、清美。お、おはよ」

  うなだれたまま改札を通ろうとしていた僕に、元気よく声をかけてきたのは

清美だった。僕は、突然のことで、元気の無いあいまいな返事しかできなかっ

た。

「こら、挨拶くらいもっと元気にしなさい」

「う、うん…」

  清美が半ばあきれたような笑顔でこっちを見ている。そのあきれているよう

な表情の中にも、少し心配そうな表情が混じってるのがはっきりと見て取れた。

考えてみれば、清美だってあんなめにあって、さらにあの新聞に僕と一緒に載

ったわけだし、決して気楽な状態じゃないだろうに…。僕の前だからって、精

一杯がんばって明るくしてるんだろうな。

  なのに…、なのに僕がこんなんでどうするんだよ。僕を心配してくれ、大事

に思ってくれてる人が目の前にいるのに、僕のためにがんばってるのに…。そ

れに応えて僕もがんばらな。そう思うと、ちょっと元気が出てきた。そして、

昨日の朝以来丸1日ぶりに、笑顔になれた。さわやかな笑顔どころか、半分泣

きそうな笑顔だったけど…。

「うん、そうでないとね。」

「清美のおかげだよ。」

「ありがと。私、正信君にこんな事くらいしかしてあげられないから…」

「『こんな事くらい…』じゃなくて、『こんなに』だと思うよ、僕は。 すっご

くうれしいよ。 あ、ありが・と…」

  昨晩に続き、また泣きそうになっていた。清美の優しさと、自分自身の情け

なさの両方で目が潤み、息が詰まって苦しくなるのがはっきりと分かった。で

も、ここで泣いてしまったら、清美は…。僕のために精一杯やってくれてる清

美にこれ以上心配かけて、不安にさせるわけにはいかなかった。だから、胸を

押さえ、深呼吸し、かろうじて泣き崩れるのだけは踏みとどまった。

  そして、清美のおかげで2人の間にはいつものような落ち着いた雰囲気が戻

った。そしてその時、『ああ、何とかやってけるんだ』 そう実感し、内心ほっ

としていた。そして、そのまま神代駅につき、いつものように別れ、それぞれ

の学部へといつもように向かっていった。



第二部『旧友』

  その日の夕方。僕は清美と一緒に神代大学教育学部キャンパスから少し上っ

たところにある公園で海の方を眺めている。どうもまっすぐ帰る気になれなく

て、もう少し清美と一緒にいたいと思ってここに来ている。夕方とはいえやは

り暑いが、海から山へ吹き上げてくる風のおかげで意外に快適だ。太陽はより

大きくなり、僕らの周りを朱に染めていく。

「清美ごめんな。なんか巻き込んでしまったみたいで」

「ううん、正信のせいじゃないじゃない。それどころか、正信のおかげで死な

ずにすんだんだから、命の恩人よ。」

「ありがとう、清美。こんな化物みたいな僕でも好きでいてくれて…」

「正信は化物なんかじゃないよ。その力があっても無くても、正信は正信じゃ

ない。やさしくて純粋で、まじめな正信に変わりないじゃない。」

「……怖くないの?」

「…怖くないとは言い切れないけど、でもそれ以上に頼もしいって感じかな。

やさしくてまじめな正信が、私を傷つけたりしないって分かってるし。」

  『信じてる』じゃなくて『分かってる』か……。僕は清美の肩に片手を回す

とを優しく、しかししっかりと抱き寄せた。

「泣いてるの…?」

「えっ、いや…」

  否定しようとそう答えたものの、僕の顔をつたっていくのは、紛れもなく涙

だった。どうしようもなくなって僕は、清美を強く両手で抱きしめた。強く、

強く、絶対離れないように。涙はさらに流れ出し、清美の上にも幾粒か落ちて

いった。

「まさのぶ…」

  清見の暖かい手が僕の背中に回り、優しく抱きしめてきた。

…………    ザザッ

  ふと、後ろの方から物音がして、妙な気配がした。清美を抱きしめていた腕

を少し緩めて、そっと振り返ってみると…。背丈は2mほどですごくがっちり

した体つき、土のような感じの色で、ごつごつした感じの肌、頭に毛はなく、

そのかわり大きく丈夫そうな口から、牙が覗いていた。悪魔だった。それもど

っかで見たことがある… そう、一昨日の朝の妙な夢に出てきた奴とそっくり

…。

「……」

  僕も清美も声はなかった。ただ、清美を強く抱きしめる事しかできなかった。

そして、ゆっくりと後ずさりし、清美を抱きしめていた腕をいったんはなし、

清美をかばうように悪魔の方に向き直った。その間、わずかな間ではあったが、

その悪魔は動こうとはせず、じっとこっちを見つめていただけだった。

  こ、この悪魔、もしかして知っている!? 目の前の悪魔を見ているとなぜ

か分からないけど、妙に懐かしい感じがする、怖いんだけど高校の同級生に会

ったかのような感じもする。それに、この前のごっつい奴の時のような殺気だ

った感じはしない。でも、やっぱり怖い。

  一瞬の沈黙が辺りを包む。僕も清美も、そして悪魔も動かない。少しすると、

悪魔がかすかに動いた。僕の全身を緊張が駆け抜けていく。清美が僕の背中に

しがみつく手に力を入れる。僕はすばやいとは言えなかったが身構えて悪魔を

にらむ。清美は絶対に守る、僕に化物じみた力があるなら、その力で清美を守

る! 自分自身にそう言い聞かせて拳に力を込めた。

「ちょっと待て、エルンスト。戦いに来たんじゃない」

  ふと、悪魔が口を開いて話し掛けてきた。

「ねえ、あいつ何か言ってるけど…。何言ってるの…?」

「『戦いに来たんじゃない』だって」

「えっ! 正信、分かるの?」

「う、うん。なんとなくだけど…、でも、何でだろう?」

  悪魔の話している言葉は、日本語でも英語でもない、まったく別の言語だっ

た。しかし僕にはすんなりと理解できた。しかしそれはなぜかよく分からない。

でも、昔聞いたことがある言葉のような気がする。それにこの声…。

  ところで、エルンストって誰?ここにいるのは僕と清美だけだし、悪魔は僕

の方を見ている。ってことはエルンストって僕のこと?? それより、どうや

ったらこの場を乗り切れるのだろう…、逃げるのか、戦うのか。

  戸惑う僕、後ろで怯えている清美。そして、じっと僕の方を見たまま動かな

い悪魔。まったく持って不思議な光景だった。傍から見れば、追いつめられた

2人の人間と、狩りの成功を確信して余裕を持って構えている悪魔、そんな風

に見えたであろう。実際ほぼその通りだったのだが、悪魔の様子だけが違った。

余裕を持った感じで突っ立っていて、僕らに恐怖感を与えてはいるが、獲物を

目前にした獣のような殺気がないし、獲物をいたぶり威圧するような感じがな

い。ただこっちをじっと見つめているだけだ。その悪魔が、沈黙を破り再び口

を開いた。

「忘れたか? オレのことを。ティーリッシュだ、おまえの仲間の。」

「な、仲間!? ……」

  仲間って…どういう事だ。僕が悪魔の仲間だって!? ばかな。僕は人間で、

悪魔なんて僕らを襲う敵でしかない。何を言ってるんだ、こいつは? でも、

今のところ殺気は感じられない。もし、僕を誰かと勘違いしてるのなら、逃げ

るチャンスかもしれない。相手の機嫌を損ねなければ、戦わずに助かるかも…。

とりあえず、話をしてみるか。だめだったら戦えばいいことだし。

「ティ、ティーリッシュ?…」

  とりあえず悪魔と何か話そうとして、『ティーリッシュ』という名前を口に

したとき、何かが頭の中をよぎった。見慣れない平原、そこに立つ悪魔の姿、

悪魔と天使らしき者が争っている様子…。この前の夢に出てきた光景だ。そし

て、その光景の中に必ず目の前にいる悪魔の姿がはっきりと映っている。

  何か忘れていたものを思い出しかけているような感じだ。何を思い出そうと

しているのかよく分からないけど、目の前のそいつ、ティーリッシュと名乗る

奴は昔会ったことがあり、それはずっと前のことだということ、そして夢に出

てきた光景は、自分が昔どっかで見た光景だということだけは、はっきりと思

い出した。その時、

「エルンスト、その様子だと記憶をなくしたのか…? オレのことも、20年

前のことも全部忘れたのか?」

  そう言いながら、そいつはゆっくりとこっちに歩み寄りはじめた。僕はとり

あえず神経を悪魔の方に集中して、拳にもう一度力を込め、深呼吸をし悪魔を

見据えた。後ろは柵を挟んで崖になっているし、左右に逃げるといっても悪魔

との距離が近すぎて逃げ切れそうにない。いちかばちか、自分の力を信じて戦

うのみ。そんな僕と対照的に、悪魔は殺気も出さず構えもせず、半ば哀れむよ

うな目で僕を見つめながら近づいてくる。一歩一歩、あと、4m…3m…2m

…1

  ハァッ 

  全身の力を込めた右正拳突き。2mほどのある悪魔の鳩尾に食い込んだと思

われたが、拳は鳩尾ではなく、悪魔の左手の掌に収まっていた。間髪入れず、

膝蹴りを入れるがこれも鈍い音とともに左腕でガードされた。バランスを崩し

そうになった僕を、悪魔の右腕が背中にまわって抱え込んだ。目の前10cm

ほどのところに悪魔の顔が迫っている。これまでか、清美ごめん。おもわず目

を閉じる。額の辺りに何かがぶつかった。しかし、なぜか痛くはなかった。そ

っと目を開けてみるとそこには悪魔の顔があり、悪魔が僕の額に、額を押し付

けているのが分かった。

  そして、頭の中に何かがどっと流れ込んでくる感じがして、徐々に感覚が遠

くなっていく。と同時にさっき思い出せそうで思い出せなかった何かがはっき

りとした形になって頭の中を巡りはじめるのを知った。

  意識が消える前、最後に聞いた言葉は「近いうちにまた来るよ、エルンスト」

というティーリッシュの言葉だった。



第三部『記憶』 (設定資料を読んでおくことを薦めます)

 

「よう、エルンスト」

「おお、ティーリッシュか、どうだ今日の狩りの調子は? 獲物は捕れそう

か?」

「うーん、今一つだな。それより、そろそろ人間を狩りに行きたいと思わん

か?」

「ん、思うけどなあ…ここのところ、地上への異空間ゲートがなかなか開いて

ないみたいやしなあ。オレたちが通れるだけの大きさのやつが。」

  見慣れた草原に、オレとティーリッシュの2人でのんきに座って話している。

見慣れた草原といっても、いつもの地上界の草原ではない。人間が魔界と呼ぶ

世界の片隅にある草原である。

  これは…紛れもなく、人間として生きる前の、昔の俺の記憶。今まで完全に

頭の中から失われていて、ティーリッシュに会って蘇った記憶。つまり、人間

『樟葉 正信』ではなく、悪魔『エルンスト』としての記憶…。

  “昔オレは悪魔で、今は人間”。このなんとも訳が分からない記憶のせいで、

僕の頭は混乱を通り越して、混沌としていた。その一方で、昔の記憶は鮮明な

映像として音声も伴い、頭の中を駆け巡っていく。

「なあ、エルンスト。近々天界方面に向かって、同士を募って大規模侵攻する

予定だって噂知ってるか?」

「は? 天界へ大規模侵攻!? 嘘やろ? 大半の悪魔は、天使と違って群れる

のを嫌って独りで生きるもんやぞ。」

「俺達みたいに一人で生きられずに群れてる出来損ないもいるけどな」

「まあ、おれたちみたいなんが例外なだけだろ。ほとんどの連中は、絶対に集

団を作ろうなどとはしないはずなのにな…、なんかの間違いちゃう?」

「俺も最初そう思ったけどな、間違いじゃないらしい。最近、天使どもの群れ

が、異空間ゲートのある空間不安定地帯に大量に出没してるのは知ってるよ

な。」

  ティーリッシュがオレの顔を覗き込むようにちょっと身を乗り出した。いつ

もより真剣なようだ。

「ああ、それは知ってるが。」

「どうやら、理由は分からんが天使どももゲートの占領を狙ってるってことら

しくてな。」

「ゲートを取られたら地上界に行けなくなって、人間を狩りできなくなるって

事か…。」

「そういうこと。人間を食えなくなったら、俺達人食い魔族は生きていけんか

らな。で、仕方なく手を組んで侵攻しようって事らしいぜ。」

「で、ついでに、天使どもを狩って食料の足しにするってことかな」

「ま、そんなとこだろうね。何にせよ、参加せんわけにはいかんだろう。地上

界への出入り口を確保するために…」

「仕方ないか…生きるためだもんな。とりあえず、何とかして生き残ろうぜ、

ティーリッシュ!」

「ああ、生き残ろうな、エルンスト」

  ティーリッシュの差し出した手をしっかりと握り締める。ティーリッシュも

オレの手を握り返して微笑んでいる。やがて、その光景は薄れていき、代わり

に別の光景がより鮮明に頭の中にあらわれてきた。

  殺伐としたほとんど何も無い白っぽい大地、所々に暗くくすんで空間が歪ん

でいるように見える場所、すなわち異空間ゲートがあるだけ。しかし良く見る

と遠くにある丘のようなところで蠢く無数の影。俺の横にはいつでも走り出せ

るように構えたティーリッシュがいる。他にも、たくさんの殺気立った悪魔達

がひしめき合っている。

ドドドッ ウォーーー

  一群れが地響きを立てて飛び出した。それを合図にするかのように、俺もテ

ィーリッシュも、周りの悪魔達も一斉に飛び出していった。その先は、もう思

い出したくもないくらいひどいものだった。剣などで切り付けてくる天使の攻

撃をかわし、腹部に自分の爪を食い込ませる。そして、雨のように降ってくる

矢を防ぐために自分の上に抱え上げる。頭上で無数の矢が肉にに食い込む鈍い

音がする。同時に断末魔の叫び声が耳元で響く。一息つくまもなく、横から槍

や矢が飛んでくる。必死にかわしつつ、時には足に矢を受けたりしながら、天

使を一匹また一匹、爪で引き裂き拳で撲殺する。どこを向いても悪魔と天使の

殺戮の現場と、殺戮によって出来上がった屍しか目に入らず、耳には、数種類

の鈍い音と悲鳴しか入ってこない。見回しても方角も分からないし、逃げよう

にも、通るだけの隙間が無い。さすがに、こちらも無傷ではいられない。矢を

受けた左足が痛む、肩も剣で切られた。

  ゲートどころじゃない! 何とか逃げないと今死んでしまう。そう思うが早

いか、俺は走り出していた。多数の死体を踏みこえる、進行方向にいるものは、

あくまでも天使でも構わず、全力で体当たりし、突破する。その際脇や、二の

腕に痛みが走ったが気にしてる余裕はなかった。とにかく走る。右も左も分か

らず、ただ殺戮の場の間を突っ切っていく。どのくらい天使や悪魔とぶつかっ

ただろうか? 突っ切っていくうち、密集の度合いがやや下がってきた。先の

方に目をやってみると、岩が転がってる程度でほとんど誰もいないように見え

る。これで逃げれる! 瞬間的にそう悟り、岩が転がってる辺りに向かって思

いっきり跳んだ。しかし、ややうかつだった。逃げれるという嬉しさのあまり、

殺し合っている者どもの剣先付近に飛び込んでしまったのだ。なんとか一気に

突っ切ることができたようだが、右の腿のあたりが裂けてしまった。そしてそ

のまま鈍い音とともに地面に崩れ落ちる。

  目を開けると、少し前に大きな岩がありその下にいくらか隙間がある。しか
  
し俺が入り込むにはやや狭く、奥行きもなさそうだった。でも、そんなことは

どうでも良かった。右腿が裂けてしまった今、大した距離は走れない。ならば、

一か撥か隙間に入ってみるのみ! そう思うが早いか、両腕と左足の力で岩の

ところまで体を引きずり、頭から隙間に突っ込んでいった。後頭部や肩が岩と

地面を激しくこすったが、構わず隙間に体を押し込む。

  肩が無事に隙間に入ると、俺の体は崩れ落ちるようにして、隙間の中に滑り

込んだ。体全てが岩の隙間の中に入っても周りにはかなりの空間がある、3人

くらいは入れるだろうか。入口の割に中がこんなに広いってことは何かの巣穴

だったんだろう。しかし、助かった。追手も来ていないようだ、まあこの混戦

で逃げるやつを追っかける余裕のあるやつなどいないか。なんにせよ、ほとぼ

りが冷めるまで、しばらくここで休もう。そう思い、巣穴の壁にもたれてから

だの力を抜いた。

  まったく何なんだよ、この地獄絵図は。戦なんてもんじゃないよ、まったく。

年老いたものも混じってるみたいだし、女子供もいた。敵である天使側にも、

こっちの悪魔側にも…。それに戦い方にしても作戦も陣形もあったもんじゃな

い。敵味方入り乱れ、目的であるはずのゲートなんかほったらかしで、ただ一

人一人が互いに殺し合っているだけ。もう勝ち負けがどうとかじゃない、この

ままじゃどちらかが全滅するまで無益に殺し合うだけだ。もうゲートなんかど

うでもいい、ともかく早く終わってくれ。そうだ、ティーリッシュは…? 自

分が生き延びるのに必死で、完全に見失ってしまったが、無事なんだろうか…。

お願いだ、無事でいてくれ! 悲鳴や雄叫びがどこからともなく響いてくる中、

穴の中でそう思っていた。そんな時入口から見えていた外の光景が消え暗くな

った。

  ザッ、ザザッ …ドサッ

  何かが穴の中に落ちてきたのだった。穴の中は薄暗くてよく見えないが、ど

うやら天使の女らしい。それも、小柄で大人ではなさそうな感じだ。

「いてて…。ふう、助かっ…」

  少女が顔を上げてこっちを向いた。その視線の先が俺に向いた時、動きが止

まった。そして、徐々に震え出し引きつるような、怯えるような表情に変わっ

た。

「た、助けて、殺さないでください… お願い。」

  せまい穴の中だから、かろうじて聞こえるかな、という程小さく震えた声だ

った。

「別にあんたを殺すつもりはないよ。不要な殺生はしないたちでね。」

「助けて、くれるんですか…?」

「ああ、騒がないでいてくれれば見逃してやるよ。今は、自分が生き残ること

が第一だから、体力を無駄にしたくないんでね。」

「あ、ありがとう…。あ、ひどい怪我」

  そう言うと、彼女は俺の方へ身を乗り出してきた。そして、俺の右の腿を二

つの掌で包むと目を閉じて何かを始めた。少女の掌の辺りがかすかに明るくな

り、右の腿の辺りがちょっとあったかくなってきた。しばらくして、少女が掌

を放すと、右腿の裂けて血が流れていたところの血が固まり、傷も少しふさが

り始めていた。

「なぜ、敵の俺なんかを…?」

「助けてくれたお礼よ」

「助けたんじゃなくて、見逃しただけだぞ…」

「どっちでもいいのよ。私にしたら、命拾いしたのにかわりないんだから。だ

から、せめてもの、お礼」

「…」

  そのまましばらくの時が過ぎた…。何分だったのか、何時間だったのかは分

からない。周りの悲鳴やうめき声は決して途絶えることが無かったが、徐々に、

その数が減ってきた。戦いも終わりが近づいたのだろうか…。そう思い始めた

時だった。

  穴の外が急に白く明るくなった。

ゴ、ゴゴゴゴ、 ドーン

  すさまじい轟音とともに、大きな衝撃が辺り一帯を走り、穴の入口から、熱

い空気が流れ込んできた。間違いなく、近くで何かが爆発したのだった。

  衝撃はすぐに収まり、妙な静けさが辺りを包んだ。ようやく気分的の一息つ

いて、顔を上げ目を開けると、周りがさっきよりずっと明るく、外の光景がな

ぜかよく見えた。それは、頭上の岩が半ば吹っ飛んで、穴の入口がかなり大き

くなっていたためだった。多分、やけを起こした何者かが、自爆したのだろう。

しかし、あんなのすぐ近くでやられたら、絶対助からんな。そう思いながら、

外の様子を見回す。が、目に入るものはほとんど屍ばかりであった。今の爆発

で吹っ飛んだのだろうか? 何にしろ、とりあえずこれで助かったと安心した。

しかし、転がってるのは屍だけではなかったようだ。屍と並んで倒れていた一

人の天使の腕がかすかに動いた。続いて顔を上げると、その目が俺の目と合っ

た。そのとたん、苦痛の表情から怒りと恐怖と憎悪が混ざったような表情に変

わり、うめきながらこっちを睨んできた。辺りに妙な殺気が走り、かすかに地

響きがする。

  やばい!! 最後の生命力で自爆する気だ。瞬間的にそう悟った。

「おい、逃げろ! また爆発が起きるぞ!」

  半ば無意識のうちに、少女の手をつかんで穴を飛び出した。背中の方の空気

が異常なくらい緊張した感じになってきている。そして、いくらも走らない

うちに辺りが真っ白になった。鼓膜を破るような爆音が響き、遠くなる意識の

中で自分がなんとなく吹っ飛ばされていくのを感じたが、痛みはほとんど無か

った。

  ここで、また記憶の中の映像が途切れた。ちょっと一息ついて、頭の中でい

ろいろ思い返してみる。確かに、ゲートをめぐる戦に出て、逃げ切った、生き

延びた! と思った瞬間に自分が吹っ飛ばされた。その記憶に間違いはなかっ

た。その時の感覚は、今でもはっきりと体が覚えている。そして、僕はあの時

死んだのか? いや、死んでたら、今こうして生きてるはずはないし…。しか

し、仮に生きてたとしても、今の人間の自分にはどうしてもつながらない。ま

だ何か大事なことが思い出せて無いような気がする。悪魔だった俺と人間の僕、

この二つの自分をつなぐ大事な何かが…。

  そんなことを考えてるうちに、再び、何かが頭の中に浮かんできた。ある出

来事のことが、鮮明な映像を伴って浮かんできた。吹っ飛ばされたちょうどそ

の後の出来事。



「グッ…、グハッ」

  体中を走る激痛で気がついた。確か、俺は天使の自爆に巻き込まれて、吹っ

飛ばされて…。何とか生きてたってわけか。でも、ここはさっきの場所じゃな

い!? 辺りが暗くてはっきりと見えるわけではないが、土の感触がさっきの

場所と違うし、それに草木が生えている。さらに周りのこの草木は魔界のもの

でもない。でも、どっかで見たことがあるようなこの景色は…、地上界!? っ

てことは、吹っ飛ばされて異空間ゲートにでも落ちて助かったのか…

ゲホッ、ゴボッ

  しかし、この傷では生きのびるのは無理かな…、あーあ、せっかくあの修羅

場から逃れられたってのに。

「ねえ、正幸。もうすぐ結婚式、いよいよね。」

「ああ、いよいよだな。これからが本当のスタートだね、美鈴」

  近くで、男女の声がした。痛む体を引きずってその声のする方を見てみる。

ちょうど俺が倒れているのが土手のようなところの上で、その下の細い道を歩

く一組のカップルがいる。「人間に融合なり乗り移るなりすれば、生き延びれ

るかもしれない」とっさにそんな考えが頭をよぎった。でも、今の俺に、人間

に乗り移ってその肉体を奪い取るだけの力が残ってないことは自分が一番よく

分かっていた。また、一方で人間の匂いから直感的にその女が妊娠してること

を悟った。外見では妊娠してると分からないが、かすかな匂いがそう告げてい

た。

「まだ人間になりきっていない胎児となら、傷つき弱った俺でも融合できるか

もしれない!」

  そう思うが早いか、最後の力を使って斜面を駆け降りそのカップルの前に降

り立ち、女の方に飛び掛かった。そして、俺に残された全てを、その腹の中に

いる胎児に送り込んで融合しようとした…。

  そこで記憶の光景はまた途絶えた。しかし、これでようやく全てがつながっ

た気がした。昔俺が悪魔だったこと、瀕死の状態でここ地上界に落ちてきたこ

と。そして、生きるために、人間の胎児に融合したこと…。その子供というの

が紛れも無く僕正信であること。で、その融合した際に悪魔だったころの記憶

が飛んでしまったらしく、今まで20年間、単に人間「樟葉 正信」として生

きてきたこと…。化物じみた力は、悪魔だったころの力のなごりだということ。

  これで、一通り疑問は解けた。これで、全てすっきりするといいのだが、ど

うやらそうもいかない。昔自分が悪魔だったこと、そして今には人間であるこ

と。かつての仲間ティーリッシュが生きていて、僕に会いに来たこと。謎は解

けても、それ以上に気持ちは混乱してきた。ああ、僕はいったいどうしたらい

いんだ。

  しばらくいろいろ考えつづけたが、やがて疲れてきた。一気にいろんな事を

思い出して、いろんな事が頭の中を駆け巡って、疲れ果ててしまった。やがて

意識が遠のいていく…。

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