新幹線 修学旅行は その先に

 北陸新幹線、金沢まで開通。
 春に乗ろうと思ったが日程が合わなくて、そもそも前々から予約してなくて席があるでしょうか?あれっ、平日はガラガラみたいね。
 そうなると利用率向上のためによく駆り出されるのが、修学旅行生。
 公立中学・高校のみなさんは修学旅行の行先が軒並み東京になったのではないかと予想しております。

 修学旅行も結構自主性を重んじるみたいで今時「自由行動は新京極の通りに限る」なんてことはないみたいね。グループを組んでコースを考え、テーマを持って散策する、というのが普通なのかな。

 ということで、石川の修学旅行生にアドバイスが2つ。
 コースを作るときは昔のブラタモリをNHKアーカイブで見ると参考になります、といった全国だれにでも通用する一般的なものではない。「加賀百万石、前田藩邸をコースに入れましょう」である。

 加賀藩ともなると、藩士の数も多い。で、百万石の留守居役、の他にも、毎年何千人のレベルで参勤交代をしていたわけだ。その人たちは、多分前田藩邸で寝泊まりしていたわけだ。ざっと計算してみました。すると今の代だと、なんつーか、7割くらいはご先祖様が江戸の前田藩邸に住んでいた経験があってもいいわけだ。多すぎるか?金沢市周辺部だとこんなもんじゃないかな。
 というわけで「ご先祖が寝泊まりしていた」場所を訪れるというのは、祖先の供養という点からも望ましいのではないかと思うわけだ。そういえばご先祖様がこの辺に住んでたんだなあ、こう思うと急に親近感がわいてきたでしょ。休みとなってちょっと遊びに出ようとしたはいいか、初めての大都会、江戸の熱気に驚いて思わず戻ってきちゃったかも。それを見た先輩が、おまえ江戸は初めてだったな。まずなんか食いに行くか、魚は金沢にまるでかなわないが、上野に団子のうまい店があるんだ、と連れて行ってもらって。うれしはずかし、おっかなわくわく。なんか自分のことのように思えてきませんか?すると江戸について調べようという意欲もわき、理解も深まるものです。水の悪いところだから、浅草の蛇骨湯や上野の六龍鉱泉に出かけるのが楽しみだったのかな、なんて。にゅるふふふ。

 なるほど、と膝を打った引率の先生方、おられますかな?教師側には結構インパクトあるかも、なんですよ。というのは、前田藩邸って今は東京大学!おお、東大が縁故地だと知った生徒たちがその気になって勉強するかも。更には社会の先生、歴史を教えるときに参勤交代のエピソードを挟むと展開に広がりが出て、生徒のやる気を高めるなと、検討してくれるとうれしい。(そういえば、私の祖先がどういうルートで参勤交代したのか教わってないなあ。知れば江戸時代の交通や、道すがらの地方の風物に対するイメージが全然変わると思うが。)
 数学の先生は、自分たちの祖先がどれくらいの確率で東大に住んでいたのか、を計算させてやる気をだすというのをやってみては。私も計算しようとしたんだけど、途中で切り上げて、最後はエイヤ!しちゃいました。ぜひ完成させてください。

 生徒へのアドバイスと言いながら、先生へのアドバイスになってしまいました。ごめんなさい。ここからは生徒へのアドバイス。
 歩いててのどかわくことあるよね。でもお金はできるだけ使いたくない。そういう若者たちのために「100円自販機マップ」のサイトを紹介。
 「暗殺教室」でコロ先生が生徒に配った修学旅行のしおりには載ってそうですが、あくまで漫画の話。しかし現実にもそういうことをまとめてくれている人もいるのです。
 あと修学旅行のしおりに足りない部分を補完するため、拙作「コクれ!青少年」も参考にしてください。修学旅行を機会に告白する。いやあ、青春ですなあ。(コロ先生のしおりには書いてあったのだろうか。)


補論

 データはそこそこ集めたんだけど、結局何割の中高生についてご先祖様が江戸藩邸に住んでいたとおもわれるか、は計算できなかったんだな。

享保6年15歳以上の領内人口
707,677人
うち、御家中15歳以上の男性が
37,716人
御家中全体なら
67,302人
 つまり全体の1割が武士。

 同時代の綱紀の時代、参勤交代の人数は4000人程度。

 でも人数は増減があるようで、文政10年の大名行列絵巻だと全2019人、藩主直属+陪審・従者の士分で1015人。なので、とりあえず真ん中をとって参勤交代の人数は3000人。約半数が武士ということにする。
 すると、一度に江戸に行く武士は1500人。御家中の4%が江戸に滞在した計算になる。
 ただし、江戸に行くのは「現役」ということで、多少補正がいる。
参勤交代は1635年の武家諸法度の改定(三代家光)から1862年の文久の改革(十四代家茂)まで227年の制度。この間が11世代なので、一世代が16.2年。んでもって江戸時代の平均寿命はあてにならんので、将軍の平均寿命51歳からみて、15歳以降の37年のうち、当主であるのは16年と推測。つまり参勤交代についていける現役世代はその期間の43%。すると適齢御家中は16,200人程度。江戸に滞在したのはそのうちの11%程度になる。
 要するに武士の1割が行ったわけだ。一世代の16年のうち8回の往復機会があるが、行く人は8回、行かない人は0回なんてことはなかろうと、、、ここからが大雑把なのだが一世代で3割程度の人は行っただろうと、11世代のうちに、227年、100回も往復したわけだから、武家同士の婚姻があって、半分くらいの士族が「ご先祖様が江戸藩邸に滞在した」なんてことがいえるんじゃないかな。
 この辺は数学やっている人の助力がほしいわけよ。シミュレーションのプログラム組んで視覚化すると結構鮮やかかも。

 明治以降、天皇制で4世代が経過、現在5世代目、中高生はひょっとして6世代目。江戸時代終了時のご先祖様は32人なり、64人なり。四民平等が定着化してで5世代、32人としても、江戸に住んだことがある武士の割合5%にご先祖様がヒットする確率は、この辺は数学の先生が確率を計算してくれないかなあ。

 社会の先生は、生徒たちに「自分が参勤交代プロジェクトを任されたら、どういう旅行日程を組むか?」を討論させてほしいね。「費用があるから距離を問題にしよう。」「碓氷峠は厳しくないか?安全性を考えると東海道に出た方が。」「仲のいい大名を調べてその領地を極力通るようにしたい」「しかし外様ばかりを通ると行く先々で謀反の相談をしているようにも思われる。」「あっ、そうか、長州藩はどうしたって九州の大名の通り道になるな。そこで討幕の根回しをしていたのではない?」「たしかに家康がそこに親藩を置かなかったのは失敗かもね。黒田官兵衛にみられるように、いざとなれば九州で独立って気風はあったんだろうから。」「つまり坂本龍馬がいなくても薩長肥の連合はできていた、と。3つの藩は密貿易で資金をためたんだろ。土佐いらねえじゃん。」「おもしろいけど今は本題から外れるぞ。」「途中で何食べよう。」「本陣では調理は自分ですることになってたそうだね。でも地元のおいしいものを食べたいよね。」「松阪牛とか?」「おい、いつの時代だと思っているんだ。」「でも江戸時代には牛肉食べてたんだよね。」「それは彦根藩の特産、近江牛でしょ。」「じゃあそっち通ろう。」あー、こういう指導を受ける中高生がうらやましい。

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