水たまりの太陽

 病院の一室では、院長と広樹が向かいあっている。
「今日君をここへ呼んだのは、他でもない、クローンのことでだ」
「はい」
「クローン研究は今のところ順調に進んでいる。折よく人間の遺伝子解析も終わった」
 院長の話が進むにつれて、広樹の脳裏に得体の知れない不安が広がった。誠は見知らぬ男のクローンである。しかし、広樹は自分の息子として誠を見ていた。
「ヒトクローンの主な需要は臓器と肢体にある。それ以外はゴミだな。歩き回ったりする必要はないのだよ」
「…今後の計画は?」
「それはまた追って話をしよう。とりあえず、定期的な検診は続ける」
 漠とした不安が広樹を捕える。誠はクローンなのだ。自分の息子などではないのだ、と言い聞かせたところで、消えるわけではなかった。

 授業が終わり、校舎が生徒を吐き出す。誠は自転車置き場に歩の姿を見つけた。心臓の音が大きくなる。
「鈴森君…。朝の話の続きだけどさ…」
「ごめん、俺、急いでる」
 誠は逃げた。
 答えが分からなかった。どう答えても、自分に嘘をつくようであり、本当のことを言うようであった。いくら探しても、砂漠のオアシスは見当たらない。
 誠も人間である。意識の底には、歩と親しくしたい欲求があった。しかし、長い間誠を苦しめた記憶が、それを抑えつけた。
 誠と歩の間の磁場は、時が進むにつれて強力になった。誠はころころと極を変えて、引かれつつ反発しながら、歩と接触しないでいた。

 ある晩、二つの磁石はくっついた。誠は受話器の向こうの歩と話していた。
「人間は嫌いだ。…でも、中西は中西だよ」
 それから、じゃ、と言って誠は電話を切った。

 歩はその言葉だけで誠の気持ちを察したようだった。二人の間には川が生まれた。川は頼りなげな水流から大河へと成長していく。二人の川は、弱々しいが、永遠に続いていくように思われた。
 ある日の帰り道だった。厚着をした人々が、騒がしく寒空を歩く。星は、街に灯る明りに霞んだ。歩が口を開く。
「あのさ…まだ私に『好き』って言ってくれてないよね?」
「え…歩だって。あの時は『嫌い』かって訊かれたんだし」
「…好きだよ、誠」
「へっ」
 駅に着いた。ここから二人は別々の家路を進む。歩はせかした。
「じゃあ、今日メールで」
「もう、ずるいぞ」
 そう言って歩は許した。雑踏は相変わらず騒々しく動いている。これに身を委ねるのは好きだった。誠は考える。
「…もしかして、俺って人間好きなのかもな…」
 街はまだしばらく眠らない。電光掲示板の文字が滑り、自動車のライトが駆け抜ける。

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