三章 「満州国」アヘン専売開始

第3節 アヘン獲得に奔走する「満州国」

  
3 「イランからアヘンを手に入れる」

 阿片法公布によってアヘンの専売開始が近づく中で、熱河のアヘンの入手が石本の拉致で不透明になったために、「満州国」はかねてより進めていた関東庁と同じ方式の外国からアヘンを入手に力を入れた。ところが関東庁のアヘン輸入元であるペルシャは、国際アヘン法で中国への輸出が禁じられている以上、中国に直接売り出すことはできない事情があった。ペルシャは「正当政府」の輸入許可証がなければ輸出しないという取り決めを自主的に守っており、ペルシャとしては「満州国」を承認してアヘンを販売する意向はあったが、「満州国」を正統政府と承認することと、国際阿片法違反のみが問題だった。

●正式な国家と認められない「満州国」

 「満州国」の承認問題は、国際連盟の場でリットン報告書をもとに42対1で承認されなかった。これが日本が国際連盟を脱退する引き金になったことから、満州国を承認するか否かは重大な外交上の問題を含んだことであることは明白である。もちろん、ペルシャアヘンの獲得の話が出た当時はまだ日本が国際連盟を脱退していない1931年の6月のことである。アヘン入手にあたって、ペルシャとの交渉自体は順調に進んだが、日本の外務省は「満州国」のアヘンの輸入及び専売体制の実施が日本に対する非難の材料を与え、国際上の立場を危うくするということで、「満州国」に対して輸入の中止を強く迫った。その結果、「満州国」は熱河アヘンを当てにしていったん断念することになった。

●最後の望み、絶たれる

 専売体制を打ち立てるために日本から満州へ招聘された難波経一がやってきたのは、まさにフリーマーケットからの買い上げを行いつつ熱河アヘンの狙っている時期だった。難波は天津でのアヘンの買い付け に活路を見出し、自ら買い付けに出かけた。天津は熱河、寧夏、甘粛のアヘンが集う中国第二の密売市場であり、そこで大口の買い付けを行おうとしたが、買い付け量が膨大なために隠密に行うことが難しく、表沙汰になることが必定だった。このため、国際的な立場の悪化を恐れた外務省の指示で望みを託した天津の買い付けが中止になると、ペルシャアヘンの輸入を認める風潮がだんだんと日本政府から出てきたのだ。

●輸入は成功したが…

 薬用アヘンの名義で「満州国」はアヘンをペルシャから求めると、ペルシャ政府は「満州国」を日本の属地とみなし、アヘンの輸入が始まることになった。これによって、「満州国」はペルシャからの輸入に頼ることになった。このときの買い付け量は古海忠之の証言を参考にすると三井物産が買い付けて、約二百万両(記憶明確ならず)ほどであったらしい。これまで懸念を大きく示していた日本政府にアヘンの輸入が認められたのは、アヘン入手の必要性を日本政府も気がついていながらも、あくまでペルシャアヘンは最後の手段と思われていたからであろう。にもかかわらず、とうとう実行に移したのはもしも国際的に非難を受けることになっても日本は「満州国」が医薬用として勝手にやったこと」として責任をなすり付ける逃げ口上がせめて存在したからではないだろうか。


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