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■デジクリトーク ボランティアアシスタント。 白石昇
●ボランティアアシスタント。 しかし僕は最近こそ電話で何度かアシスタント氏と電話で会話をしてはいたけれども、、この本を訳すために、八ヶ月近くに渡ってひきこもり生活を送っていたため、ほとんど近所の人と挨拶程度の泰語しか話していない。 だから、初対面の人間とナマ邂逅して泰語会話を交わすことに大きな不安があった。 しかも、今回は法的な契約を前提としたものを含むビズィネス会話である。ちゃんと喋れるかどうか著しく不安だ。間違いなく不安だ。たとえようもなく不安だ。 とりあえず僕は、これは誰かの助けを借りねばならない、と判断して、一人の男の携帯に電話した。 (参考資料 ←別に見なくても構いません) 彼は某王立大学理工学部大学院を卒業後、某国立大学法学部に在籍中という、素晴らしくお勉強が出来る男だった。某王立大学は日本でゆうところの東京大学、某国立大学は京都大学、という風に認識していただいて間違いない。とにかくお勉強が出来るのだ彼は。 そしてしかもお金持ちのおぼっちゃまである。彼の父親は製造業者として全国十都県以上に工場を持っている。 だから、育ってきた環境や、ふだんの生活環境が違う僕から、彼が住んでいる高級住宅街のレストランにてピアノ伴奏で泰歌謡歌われたり、僕の狭苦しい仕事場で冷やしそうめん食わされたりと言った種類の、数々の精神的トラウマをかまされっぱなし、とそう言ったような関係なのだ。 (参考資料 ←特に見る必要はありません) それにも関わらず彼は、僕に定期的に連絡してきたりする奇特な人間である。 著作者側との交渉をボランティアでサポートしてくれるのに、彼以上にうってつけの人間はいない。なにしろ法学部だし、法的な権利関係の話などでは間違いなく力を発揮するはずだ。 しかしいくら僕という藝人を彼が面白がっているからと言って、無報酬のこの仕事を簡単に引き受けたりはしないだろう、と思い僕は携帯に出た彼に向かっておそるおそる話を切り出、 「いいよ行く行く。僕もいきたーい。車で行こうよ僕車出すよ」 二つ返事どころか、おぼっちゃまはノリノリだった。 なんとわたくしは友人に恵まれていることなのだろう。 そして当日午前八時四十四分、僕は待ち合わせの場所である彼が通う国立大学まで出向き、大学内のコピーサーヴィスでこれまでに著作者側に郵送した三通の文書のコピーをとった。 なにしろ、今日彼は僕のアシスタントなのだから、これまでの流れを把握しておいてもらわねばならない。それには書類を渡しておくのが手っ取り早い。 彼が現れたので、僕たち二人は彼の車に乗り込んだ。しばらく走ると首都名物の交通渋滞がやんわりと僕らが乗った日本車を包み込む。動かなくなった車の運転席で彼は、軽い微笑みを称えたままさっきコピーし渡したばかりの文書を読んでいた。ついでなので僕は口頭でこれまでの交渉経過などを説明する。 彼はしばらく僕の話を聞いていたが、ふと、その話を遮るように、 「ねえ今日、会えるのかなあ彼に」と呟くように言った。著作者のことだ。彼の表情はにこやかだった。というより通俗な期待にみちみちていた。どうやら、僕の説明はたいして聞いていなかったらしい。 てめえもミーハーか、 と僕は厭世的な気持ちになって心の中で呟き、 わかんないねだって今日僕はは向こうの事務所サイドの人と翻訳出版について打ち合わせをしに行くのであって彼に会いに行くわけじゃないから彼が事務所にいるかどうかなんてわからない、と一気に言葉にしてから再び、どいつもこいつも有名人とカラむとなると必要以上にはしゃぎやがって、と心の中で呟いた。 とりあえずてめえは今日俺の法律的な部分についてのアシスタントなんだから遊びじゃねえって事は頭に入れておきやがれところでてめえ著作権法わかるよな? と言う言葉を僕がもっと丁寧な言いまわしの泰語で組み立て、一気に質問すると、 「わかんないよ僕まだ二年生だもん。著作権法は四年生で習うんだ」 と無邪気に答える。 ああああダメだこいつ育ちが良すぎて役にたたねえかもしれねえこれじゃタダのミーハー大学生に車出してもらってるのと何もかわんねぇじゃねえか、心の中で頭を抱えた僕の横で、彼は相変わらずニコニコと笑顔のままハンドルを握っていた。 たぶんもうなるようにしかならねえ。 僕はそれ以上ビズィネスの話を彼に振ることはやめ、渋滞であまり動かない車の助手席におとなしく座っていた。彼はそのうちに最近出来たらしい恋人の話を始め、 「ねえ僕は彼女の名誉を尊重して結婚まではやっぱりセックスしない方がいいと思うんだよね」 などとつまんないことをぬかし始めた。 僕は彼に無理矢理見せられたその女のプリクラ写真がことのほか可愛いのにもムカついたこともあって、そのいかにも育ちが良さそうなお嬢さんが彼のために作ってくれたというサンドウィッチをすすめられた以上に食いながら、 「相手の名誉を尊重してるからこそヤラなきゃなんない時だって、男と女にはあるんだよ」と高濃度の毒を含んだ言葉を吐く。 しかし僕が車まで出してくれている彼に対してこんな風に毒を吐いたりするのは、どう考えても間違いなく僕自身がこの翻訳に着手してから八ヶ月目にして、ようやく著作者側と対面すると言う事実に対して、気持ちがうわずっている証拠だった。 車はしだい渋滞から解放されて動き始め、著作者の事務所がある地域に近づきつつあった。 初出・【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1022 2002/02/06.Wed.発行 |
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