■デジクリトーク
●丸く柄付き。
白石昇
●丸く柄付き。
白石昇です。
よーしパパ翻訳手伝っちゃうぞー。
と意訳するとそのような意味になるようなことを言ったのは、ぼくの友人である中国系三世です。
いや別に彼はにっぽん語ペラスラであるし、ぼくの泰語が上達してもぼくとはにっぽん語でしか話そうとしないので、意訳する必要などないのですが、ぼくはなんとなく彼がパパであることを強調したかったのです。
ぼくらが千葉にある大学で初めて会ったあの日から十四年が経過して、今や彼は父親が経営する地元で一番大きな工場の責任者。きれいな奥様と二人の子供がいる立派なパパで、すっかり地元の有力者なのです。
片やぼくはと言えば、何をしているのかよくわからない外国人として地元の皆様に日々冷たい視線を浴び続ける立派な無収入藝人です。ぼくがその視線に四十四万ドルの笑顔を返したりすると無視されることもたびたびです。
まさに人生いろいろなのです。いやけしてひとごとではなく憂慮すべき問題なんですがぼくの無収入と言う問題は。
ぼくはそんな腐れ縁に基づいた彼の御言葉に甘える形で、わかりにくい原文の説明と、自らの下訳の誤訳を指摘していただくために、翻訳許可をもらった翌日から彼の工場に通うことに致したのです。
翻訳許可をもらってから販促のために友人に協力を求めたり、出版社とコンタクトを取ったり、日本での代理先を依頼したり、青パパイヤを刻んだりする慌ただしい日々が始まりました。
ぼくは午前中三十分ほど、彼に翻訳を指導して貰うために工場に通って部屋に戻り訳文を書き直します。これもすべてお客様に読みやすい品質の日本語で書かれた本をお届けするためなのです。
自分自分一人でやった下訳の時点で、ぼくは自分が訳した下訳は茶漉し程度の品質だと思っていました。要するにそれで液体を汲み出したりすることはまだできませんが、丁寧に小さな網目を埋めてゆけばちゃんと余すことなく穴のない容器が出来上がるだろうと思っていたのです。
甘すぎました。
彼から指導を受ければ受けるほど、僕の訳文がとんでもないことが露呈してゆきます。茶漉しなんてもんじゃありません。ぼくが八ヶ月かかって作りあげたものは言ってみれば
テニスラケットだったのです。
丸くて柄がついていると言う事以外に共通点はないのです。確かにすごく遠くから見て外観的にその特長だけを述べれば似ているかも知れませんが、基本的にまったく違うものであり、これで液体を掬うなんて言うこと自体、妄想電波を帯びまくった寝言的発言でしかないのです。
ごめんなさい泰語ナメてました。
ぼくは毎日のように工場に通い、日々募る絶望感に押しつぶされそうになりながら、彼の指導を参考に訳文をいじり、にっぽん語として書き直し続けます。でもテニスラケットは所詮テニスラケットでしかありません。ガットとガットの隙間を塞いで、別のところを塞いだりすると以前付け焼き刃的に塞いだところがまた崩れてきたりしやがるのです。
ごめんなさい翻訳ナメてました。
つづく。
初出・【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1105 2002/06/17.Mon.発行
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