■デジクリトーク
●二千人の視線。
白石昇
●二千人の視線。
白石昇です。平成十四年度一月下旬です。なんか人がいっぱいいるんですけど。
いや招待されたんで花束持って来たんですけどね都内某劇場に。
全公演分のチケットが発売五時間で売り切れたから、買えなかった人たちは当日来て、三角枕と呼ばれる伝統的クッションに寄りかかって通路に座っています。
ごめんなさい。
セリフを半分も聞き取れないにも関わらずタダで観劇しちゃって。ほんとに申し訳ないです大変な思いしてプレミアチケットをゲットした皆様には。
下世話な拙者なのでとりあえず隣に座っている犬巻カオルと一緒に客席を数えてみたんですが、少なく見積もっても二千人以上は入っています。二人とも更に下世話な人間なのですかさずその人数と全公演回数、入場料の平均額をおおまかにかけ算してみました。
その結果、少なく見てもこの一ヶ月で著作者の舞台は、
焼売に換算して一〇〇〇万個。
肉まんに換算して四〇〇万個。
白米に換算して二〇〇〇トン。
鶏肉脂飯に換算して百万人前。
朝日新聞衛星版に換算して約七八三年分。
タイラット紙朝刊に換算して約六八四九年分。
うちのアパート家賃に換算して約八三三年分。
コンビニの時給にして約百八十一万八千百八十二時間分。
レギュラーのガソリンに換算して十一万七千六百四十七リットル
に相当する興行収入を得るということになります。
勢いにまかせて計算してみましたが、計算すればするほど、莫大でますます持ってよくわけがわからなくなって来る金額です。
あ、拙者の生活費に換算したら約一三六年分だ。これで少しわかりやすくなったぞ。
この舞台のプロデュース、脚本、監督、演出、すべての仕事を著作者一人でほとんどやってのけるのですから、そんなにスタッフが多いわけでもありませんし、今回の舞台は、特に設備にお金がかかっていません。舞台には赤い緞帳が張られていて、遠くのお客さんにもよく見えるように大きなモニターが二つ装備されているだけです。
いやあ、一流の表現にはたくさんのお金が集まるんですねへへへへ、などと非常に野次馬的な事を考えておりますと、じきに舞台は開始されました。拙者はとりあえず客席の様子を見ているだろうである著作者に自分の存在をアピールする意味もあって浴衣を羽織って観劇することに致しました。
というよりはアピールとかそう言う以前に著作者がそういったボケを僕に期待しているような気がいたしましたのです。いわば妄想的お約束なのです。
著作者の演出、脚本による舞台が進んでゆきますと、二千人以上のタイ人観客が舞台で繰り広げられる表現に身を任せ、喜怒哀楽をコントロールされてしまっています。
拙者も著作者の手による舞台表現に思い切り心奪われながら、この表現や著作者の美意識をちゃんとにっぽん語に移し替えることが出来るのだろうか、という恐怖に似た感情が芽生え始めます。
じきに舞台が中休みになりました。しばらくすると客席の一部が騒然となります。なんと、著作者が客席に姿を現したのです。著作者は片手にマイクを持って、いわゆる客いじりをしながら通路に座った三角枕当日入場客をかき分け笑いを取り、客からのプレゼントを受け取りつつ客席のど真ん中に進んでゆきます。客席の視線は著作者に釘付けです。
そっちいくぞー、と著作者が左前方を指さし、キャアと歓声が上がります。そっちって、
こっちです。
間違いなく著作者はこっちを狙っています。拙者のボケに対してツッコミを入れるつもりなのでしょう。義理堅い人です。さすが中休みに一人で出てきていきなり二千人の観客の視線を釘付けにする一流表現者です。
と言うかバカですたぶん。
やがて著作者はお約束通り拙者と犬巻カオルの前に来ました。二千人の観客の視線がすべて拙者と犬巻カオル、著作者の三人に向けられます。著作者は犬巻カオルから白い薔薇の花束を受け取りながら、
あー。日本人が来てるー、とぬかしやがります。わざとらしい人です。
著作者は、アリガト、と日本語で言うとサクリと花束を持って去ってゆきました。いつもの拙者なら、アリガト、と安易に日本語で礼を言う泰ネイチヴにはタイ東北弁もしくはラオス語で、どういたしまして、とボケるのですが、正直拙者、二千人の視線にビビってボケ返すどころではありません。
大衆に愛されまくってやがります著作者。
とりあえず、今のまま訳文を市場出荷して、その品質の劣悪さが日本人の間で噂になり、全然売れなかったりしたら、間違いなく今回の興行を見に来ている少なく見て四万人のお客さんを敵に回すことになるだろうなと拙者は思い、その妄想に心怯えるのでした。
しかしじきに舞台の上で始まった第二幕が、そんな拙者のヘタレた妄想をサクリと
かき消してゆくのでした。
いやあしっかり仕事しなきゃ。へへへへ。
あれ? 何だろうこの胃の痛みは。
つづく。
初出・【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1115 2002/07/01.Mon.発行
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