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その昔の自作パソコン

2003年9月7日 12:30:09

 実をいうと現在のところ、パソコン自作は趣味ではない。しかし、パソコン自作の雑誌や特集を読むのはまんざらでもない。パソコンの中身を知るには最適であるからだ。
 たとえば、最近職場に導入した個人作業用パソコンはHP社のHP Compaq Business Desktop d530 SFの基本モデルである。CPUはペンティアム4の2.66GHzで、チップセットは同じインテルの865Gとのこと。パンフレットには当然長所を書き連ねてあるのだが、どの程度良いのかがなかなか分からない。そこで、自作パソコンの特集誌に掲載されたデータが役立つ、ということになる。
 見てみると、865Gは現状でほぼ最先端であり、CPUやメモリに最高のものを組み合わせることができる。CPUは最高速ではないが、その差はわずか20%ほど。メモリもやや低速であるのだが、最高速のに比べてそれほど悪くない。グラフィックは負荷をかけると、ある時点で急にCPUの使用率が100%になってしまうのだが、これはどうやら、1万円程度のグラフィックカードを買い足せば問題解決のようだ。などといったことが分かる。

● その昔は自作といっても…

 マイコンチップの存在は知っていたが、初めて本物を見たのは高校時代で、友人が手に入れた、インテル8008という8bit CPUであった。このCPUは結局はパソコンCPUの主流にはならなかったから、友人が悪戦苦闘していたのも当然であった。次に行ったときにはモトローラ6800 CPUの評価ボードが動いていて、私の初めての機械語プログラムを動かしてもらった記憶がある。
 パソコンはあるにはあったが、高価なので買えるものではなく、計算機を使いたいなら自作するしかなかった。自作と言っても今の自作とはかなり様子が違う。
 ICチップを買ってきて、ボード上ではんだごてを使って配線するのである。回路は雑誌を参考にして全部一から設計し、スイッチや発光ダイオード(LED)を組み合わせて、アルミシャーシの筐体に組み込んで行く。もちろん、ビスの通る穴までハンドドリルで開けないといけない。バスも自分で設計する。

 トランジスタ技術などの雑誌を眺めていると、Z80と呼ばれるCPUが扱いやすいようなので、チップを買いに行った。ちょうど、PIO(8bit並列入出力チップ)とCTC(カウンタ/タイマ回路)とZ80のセットが8,000円で売られていたので購入した。もしかしたら、DRAMメモリも同梱だったかもしれない。DRAMの制御は難しそうだったので、SRAMと呼ばれるタイミングの管理の楽な、ただし比較的高価なメモリを使用することにした。
 最初は入出力装置などなく、プログラムは直接メモリに本体のスイッチから入力する。これは特別なことではなく、ミニコンと呼ばれる装置では最初の読み込みプログラム、ブートストラップを同様に手で打ち込んでいたようである。
 もちろんアセンブラ言語で記述するのだが、アセンブラプログラムは用意されていないから、マニュアルの表を見て、手でアセンブリする。
 止めていたCPUをスイッチで動作させると、計算結果がメモリに書かれるので、本体のLEDで内容を確認する。LEDは計算中には点滅していて、計算の様子がなんとなく分かる。
 CPUのクロックは1.68MHzだったと記憶している(CPUの能力は2.5MHz)。これでもアセンブラではたいした速度で、たとえば8クイーンと呼ばれるパズルがあるのだが、これを解かせるプログラムを書いてスタートさせるとすぐに止まってしまう。故障したのかと何回かスイッチを入れ直したのだが、メモリを見てみると解が残っていたから、1秒以下で毎回計算していたことになる。後に8bit BASICパソコン全盛期になるが、そのBASIC言語での8クイーンはかなりの計算時間がかかっていた。生のCPUのエンジン速度は、その当時でも、人間の想像を絶する速度であったのだ。

● 結局パソコンに似てくる

 毎回スイッチからプログラムを入力するのはたまらないので、ROMと入出力装置を付けることにした。ROMは紫外線でデータを消去するタイプで、殺菌灯が使える。ROMライタも市販品は高価なので自作した。いったんROMが焼けるようになると、スイッチを並べて作ったキーボードもどきや、ジャンク屋で買ってきた紙テープパンチャが使えるようになる。入力は手回しの紙テープリーダである。紙テープは一行に8つの穴の位置があり、通常は英数コードのビットに対応した位置に丸穴が開く。穴はもちろん認視できるから、応用として、ドットで表された文字の形に穴を開けて、お茶の水博士よろしくテープからメモリの内容が読めるようにした。
 ちょうどその頃、テレビに接続するためのモトローラ6847ビデオチップが発売されたので、全自作のビデオインターフェースを付けてみた。これはなかなか楽しい装置で、ライフ・ゲームなどで楽しんだものである。これらの入出力装置は、カード上に作り、CPUカードとバスを介して通信するのである。
 特集誌に載っていた簡単なBASICをROMに焼き、ちょっとしたゲームもできるようになった。
 計算機に詳しい人に言わせると、CPUもICで購入、BASICも打ち込みなのは自作には当たらない、と当時でも言われていた。規模こそ違え、今の「自作パソコン」生活とあまり変わらないような気がする。

 そうこうしているうちに、パソコンが安くなってきてしまった。私が最初に購入したのはNECのPC-6001(オリジナル版)であり、定価89,800円。外部記憶はオーディオカセットである(後に5インチフロッピー)。何と、使われているCPUはZ80A相当品で、ビデオチップは6847であった。搭載されていたマイクロソフトのBASICは、対数関数や三角関数もこなし、文字列処理もできた。
 ショックだったのは家人に自作パソコンよりも画面が美しく見える、と言われたときだった(同じ部品なのにっ!)。これ以降、パソコンを作ることはなくなってしまった。

● 自作パソコンショップは楽し

 自作はしないが、ショップには行く。キーボードその他の部品で使えそうなのを購入したり、最新製品をチェックしたりが目的である。
 実際に私個人がセットで購入するのはブランド品で、かつ、あまり無理をしていなさそうなパソコンである。しかし、もともとDOS/V機は市販品による拡張が前提に作られているので、結局次々と行き着くところまで改造して行くことになる。

 最近流行なのは、店の人に組み立ててもらったような感じのする格安パソコンで、評判も上々という。見てみると、安いものは大手メーカーでは手が出せないような安い部品を使っているようだ。といっても、ほんの少し前には極上のパソコンで使われていた部品と同等のようである。メーカー製のパソコンの上位機種と下位機種の能力が接近してきたために起こった現象とされている。
 手元にある量販店のパンフレットでメーカー製のパソコンの宣伝文句を見てみると、「好評の実用ソフトを搭載」「やさしくて使いやすいスタイリッシュパソコン」「テレビ番組が楽しめる」などと、いまいち破壊力に欠ける表現で、文書作成者の苦労が分かる。結構高価なので、メーカーのブランド力が通じない人には弱い表現と思う。
 とすると、事情に詳しい友人に話を聞いてもらい、たとえば1万円プラス実費を払ってパソコンを組み立ててもらった方が安全、ということになる。おそらく、私が改造に興味がなかったなら、格安パソコンを買い続けているような気がする。ほんの数年前、各メーカーが一斉に横並びの価格を付けたときには、さすがに呆れたが、今は抜け道が堂々と用意されている、ということになる。