04/05/16
blogつまりWeb logが大流行のようである。
そんなもの、続く訳がない、と思いつつ、私も@niftyの「ココログ」を始めてみた。題して、「つきいち日記別館」である。
かつて、さくらだらけのホームページプロバイダのおかげでひどい目に遭ったことがある。だから、いまご覧のVECTORのような落ち着いたホームページはマイペースが保てるのでありがたいと思っていた。
● ココログ
「ココログ」もかなり喧騒たる書き込み場なのだが、設定を工夫すれば煽られるような雰囲気を防ぐことができる。
まあ、そうはいっても、書き込むよりは他の人の記事を見る方が楽しいので、賑わっているのはなによりである。
blog、「つきいち日記別館」を始めた時点で決めていなかったのが、運営方針である(苦笑)。他の書き込みも見てみたのだが、飽きっぽい私ではあのような渾身のコンテンツはとうてい続かないと思った。第一、まとまった考えを書き込む場は、この「つきいち日記」がある。
しばらく続けられるコンテンツとして、読書記録を書き込むこととした。普段から、月に30冊程度の書籍・雑誌は読んでいるし、その中の半数は私の趣味に関するものだから、他の人が見てくださっても楽しく感じられる方もおられよう、と思ったからである。
なお、もちろんだが、毎日読書しているわけではない、気分のむらがあるから、おおよそ一ヶ月以内に読んだ本、ということだ。
● 内容
最初は淡々と書名のみを書こうと思ったのだが、「でっか字ニュータイプ京都」のように、内容を書かないと訳が分からないものがあるし(←実用地図帳である)、丹念な他の書き込みに対して失礼な気もしてきたので、1〜3行程度の感想を添えることにした。
この制約は意外にきつく、言い足りない気分になることがしばしばなのだが、長所もある。最大の長所は、つまらない書籍・雑誌の感想がごまかせる点にある。月に10冊ともなると、間違って買ってしまった気分の本の一部も紹介せざるを得ない。そんなときでも、たった一行では、趣旨があいまいで、批判にもならないだろう。逆に、良い点がいくつあっても一言で済んでしまう弱点もある。
いずれにしてもblogに書きこむような本は、程度の差はあれ、結構楽しんだよ、ということになる。
● 表現の難しさ
感想を短くするために、怪しい日本語になりうる点が、次なる弱点である。新聞記者は短い表現に命がけだと思うが、それでも的確な表現を逃してしまうことがあるそうだ。
科学的な記述では多義に取れる表現が極端に嫌われる。しかし、感想のblogにはその制約は無く、むしろ言葉遊びは推奨されるであろう。
そのように気軽に考えても、日本語文法すれすれになる事態が生じてしまう。後で自分でも書いた趣旨が分からなくなり、修正のしようも無く、表現のみが残る、ということになる。
● 副次効果
本末転倒であるが、どのような本に関心があるのかが自分でも分かる。少し前、どのような本を読んでいるのかと尋ねられ、答に窮したことがあるので、その回答でもある。
というのも、普段大量に読んでいるのはニュースやマニュアルや辞書やパンフレットなのである。普通に書籍・雑誌と呼ばれるものも、同じく文章で綴られているので、すっかり混乱してしまったのだ。
まあ、自分でもあきれるほど文学は読んでいない。この前読んだのは、多分一年ほど前の、塩野七生の「コンスタンチノープルの陥落」と思う(それも電子ブックでだ)。映画を入れると、少し増えるだろう。中学のころは一生懸命に読んだと思うのだが、どんな、と言われても個々のかすかな記憶しかない。
高校を過ぎると、興味が一定になってきて、たとえば講談社ブルーバックスは大量に本棚に残っている。
● どうなるのか
2〜3日書き込みが滞れば、マイペースでやれると思う。今は、内容があまりにみすぼらしく見えないように、コンテンツの充実中である。目標、50記事、である。
いつまでblogブームが続くのか。
中川右介。ブームはどう始まりどう終るのか。岩波アクティブ新書96、2004、ISBN4-00-700096-4
の一部で説明すると、「法則5 大新聞がとりあげたときがピークである」の段階と思う。
Webのニュースによると、blogを支えているのは主にベテランらしく、単に書きこみ場所が移動しただけのようである。そう言いきってしまうと身も蓋も無いので、blogのどこが新しいのかが盛んに宣伝されている。答は一年後にも出るであろう。
blogシステムは単純なホームページに比べて便利な点もあるので、ある程度残る、といった評論家的な答に落ち着くと思う。blogが無くなってもベテランは従来システムに逃げ帰れば良いだけのことで、大きな影響は無かろう。