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レトロマイコンブーム到来

2006年 7月 23日 日曜日

● 組み立てるのが目的ではない

 つい最近、とある技術雑誌で、6502と呼ばれる古い設計のCPUを用いた自作マイコンの連載記事が始まった。CPUは古い設計だが、道具立ては新しくて、Windowsを端末代わりに使い、同じくWindowsで動くアセンブラやコンパイラでプログラムする。ボード自体にはスイッチやランプは付いていない。この記事、なかなかの人気だそうである。
 まあ、一つくらいなら趣味の記事かと許せるのだが、あろうことか、これも最近、8085とZ80のボードを自力で組み立てる書籍が出版された。これまたボード自身にはICしか搭載されておらず、Windowsを端末代わりに使い、同じくWindowsで動くアセンブラやコンパイラでプログラムする。
 これはいったい何が起こっているのか、分析せざるを得ない状況となってきた。

 私もZ80が発売された当時に自分用のマイコンを組み立てたものである。しかし、そのころは端末などというものは高価で手が出ない。もしもコンパイラが使える計算機があるのならわざわざマイコンなど組み立てはしない。計算機は計算させてこそ面白いのだ。

● 作るだけでそんなにうれしいのか

 上述の自作マイコンに共通するのは、どうやら著者が団塊の世代で、マイコン出現当時に自作しなかったと思えることである。いまごろになって、当時を懐かしみ、今ではトホホな性能のマイコンを、現代の技術を駆使して組み立てて、その姿を見てニヤニヤするのは、当人の勝手としか言いようがない。

 当時でも計算機がどういうものかは、かなり正確に知られていた。大型機の紹介番組では、統計や設計に役立つ使い方が示され、図形処理も何とか始まっていた。コンピュータ科学の先達たちは、その成果をおしげもなく一般向け雑誌で披露していた。ミニコンは普及しつつあって、後に私も大型機ともども、仕事で使うことになる。

 だから、高校生だった私は、とにもかくにも計算機が手に入って遊べそうなのに、色めき立ったのである。
 どれくらいの色めきかというと、数少ないマイコンの記事を熟読し、機械もないのにプログラムして動きを想像するのである。ちょうど友人がマイコンボードを購入したというので、いくつかのプログラム(ゲームも含む)を作って持って行き、友人の少々の手直しで動作させた。この成功はちょっとした感動で、今の私の原点であるような気がする。動作してなかったらと思うと、ちょっと恐ろしい。

 そして、そのボードも含め、今で言うパソコンは高価だったから、計算機が欲しかったら部品を買ってきて組み立てるしかなかった、ドリルや半田ごてをつかって。その部品でさえ、まともに買えるのは、大学に入ってからだったのだが…。
 もちろん、完成した自作マイコンには一所懸命に働いてもらった。計算機科学で有名な問題をやらせてみたり、パズルを自分なりのアルゴリズムで解かせたり、そういうのが面白いのである。

● ゲームくらいやってよ

 しかし、そうはいっても、コンピュータゲームの魅力には勝てない。アセンブラで―といってもハンドアセンブラである―ゲームは苦しいので、それでタイニーBASICを導入したのである。このBASICは整数しか扱えないが、配列が使えるし、なにより数式が簡単に書ける。うわさによれば、マイコンでゲームしたいからタイニーBASICは開発されたらしい。
 ゲームするには端末が必要だが、その当時は、スイッチを並べたキーボードもどきと簡単なビデオインターフェースで代用した。外部記憶はカセットテープレコーダが代表だ。

 レトロマイコンを組み立てるのはよいが、それでゲームして面白いのだろうか。面白くなければ、何か工夫が足らないはずである。しかし、書籍の方はそこまで行かず、つまり何も評価されないまま終わっている。
 ゲームと言っても見どころはいくつもある。ゲーム自体の面白さもさることながら、操作性が悪かったり画面構成が悪ければ、矢のような批判が集中するのは、ゲーム雑誌をちょっと見るだけで分かる。ソフトだけでなく、機械自体の性能も試されているのだ。

 レトロなCPUといえども、使い方によっては恐ろしいほどの性能を発揮する。今の計算機の世界を開拓しただけのことはあるのだ。だから、単なる記念品ではなく、正当な評価をして欲しいのである。

● 今どきのマイコン

 現在マイコンと言えば、家電などに内蔵されたコントロール用の組み込みマイコンを指す。レトロCPUをそのまま利用しているものもあるが、たいていは現代風のアレンジがなされ、パソコンの支援下に使いやすく改良されている。Windowsの開発環境も良くなったが、マイコンもほとんど同様の手軽さで、確実にプログラミングできるようになった。
 ありがたいのは、昔のように分かりやすいが、しばしばアクロバットを要求されるのと対照に、コンピュータ科学の成果がふんだんに利用でき、確実に動作するようになったことだ。ただし、その代償として動作がブラックボックス化された面はある。

 今私が取り組んでいるマイコンは比較的小規模なのでOSはなく、どちらかというと動作は分かりやすい。CPU自体は高級なのだが、構成はレトロマイコンブームのマイコンに今のところ近い。
 しかし、世の中、マイコンと言っても、OSの支援下に通信や遠隔のデータベースを利用する方向に進んでいる。そうなると、素朴なシステムとはお別れになる。一人のプログラミングではどうにもならず、SEに近い人はスクリプト言語で動作を記述しないといけなくなるだろう。

 もし、現在のパソコンの支援でレトロマイコンが動かせるのなら、かなり高級な使い方ができるはずである。性能からいって、マルチタスクやネットワークや、ちょっと頑張ればデータベースもできるだろう。
 昔と同じことを、現在の夢のようなパソコンの支援下で達成するだけでは、あまりに情けない。もはや技術も情報も十分にある。バベッジの差分機関が当時の技術の再現で動作したように、レトロマイコンも現在の技術によって、見違えるマシンとしてよみがえって欲しいものである。