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冥王星は惑星ではない

2006年 8月 26日 土曜日 22:20:02

● 冥王星が惑星でなくなった瞬間

 に、我々は立ち会ったのである。報道によると、2006年8月24日の国際天文学連合(IAU)の総会にて、多数決で決めたとのこと。太陽系の惑星は9個から8個になり、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、となる。
 科学の一面を見る思いがする。どんなに有望に思われた仮説でも、検証が進めば白黒がはっきりする。観測が進み、幾多の新事実が発見され、冥王星の地位はとうに固まっていたらしい。それを追認したのである。

● 惑星の定義

 今回明らかになったのは、惑星の定義が難しいことである。

 もともと、肉眼で天を観察してたら、天球を自在に動く天体があり、それが惑星であった。だから、この素朴な定義からは、水星、金星、火星、木星、土星は確実に惑星である。太陽と月の立ち位置は微妙だが、別格であることにまちがいはない(地動説も仮説である、ほぼ全員が事実と認めているが)。
 天王星は惑星としての「発見」以前にも観測されていたらしいので、かろうじて惑星の合意は得られるだろう。
 海王星はヒトの肉眼では―実際に近くに行かない限り―全然見えない。人間より瞳孔の広い動物には見えているのだろうか。この地球よりはるかに大きな惑星が深宇宙を静かに動いていたなんて、太陽系は広い。

 そんなことなので、肉眼で観測、の条件は最初から話にならなかったようだ。今回は惑星が8個どころか12個になる案もあって、歴史的事実の改訂には激しい議論があったようだ。

● 冥王星世代

 異論もあるようだが、「冥王星世代」は冥王星が惑星だった時代に育った世代を呼ぶのが適当だろう。むろん、私も冥王星世代の人間である。太陽系の説明には必ず、この異端の「惑星」が登場していた。いつぞやは、天体望遠鏡で直接見てみたい、たいそうつまらない像であっても、そう思ったものである。

 冥王星は「矮惑星」となったわけだが、冥王星は無くならないし、名前も変わらない。もちろん「発見の偉業」も消えることはない。
 最近の観測によれば、つまらない天体どころか、わざわざロボット観測機を派遣するほどの値打ちのある天体らしい。太陽系の起源を刻んでいる天体だそうな。冥王星以遠にも幾多の「矮惑星」が存在するという。それが何の因果か、たまたま近くにいるのが冥王星、ということらしい。

● 冥王星騒ぎ

 歴史が変わるわけだから、やはりなんといっても、冥王星の「降格」にまつわる話題を見るのが面白い。

 新聞では一面トップで報道されている。教科書の内容や科学館の展示が変わるからだ。それだけでも、大きな社会的・経済的効果があるだろう。どちらかというと、学者からは好意的な意見が多いようだ。

 インターネットで自由に参加できる電子百科、Wikipediaはもろに影響を受けたようで、感情的な書き込みが議論を呼んでいる。いくら客観的事実を書こうとしても、著者の主観混入は免れない。そもそも、冥王星という大項目を選んだこと自体に主観が入っている。だから、その主観の程度が問題になる。Wikipediaだから紳士的だが、議論の内容自体はかなり過激である。それほど、ヒトの琴線に触れる事項のようだ。正直、私もちょっと寂しい。なんだか、付き合っていた友人が急に疎遠になったような感じだ。

 SFなどの物語関係はさらに微妙で、惜しむ声が多い。異端の「惑星」なので、なおさらなのだろう。物語としては、たった一つの例外から話が拡大するのが面白いからだ。実際、冥王星は「矮惑星」の主要な入り口のひとつで、今回の改訂の主役である。

● 太陽系の拡大の実感

 冥王星が晴れて「矮惑星」の一員になったことで、冥王星族やそれ以遠の天体への関心がかえって増すのではないかと思える。冥王星はもはや孤立した最果ての異端児ではなく、全貌が知られていない大家族の一員であり、その海王星以遠天体の最も身近な案内役である。
 米国の冥王星探査機には「新地平」の名前が付いている。いまや、太陽系の惑星を超えた、新世界を開拓する機器にふさわしい名前となった。

 渦巻き星雲が銀河系よりはるか遠くにあり、それどころか天の川銀河と同等であることが分かって、我々の宇宙観が変わったように、新しい太陽系の仲間が増えたのだ。冥王星が深太陽系への案内役として生まれ変わった瞬間に、我々は立ち会ったのである。