肆.慣れも良し悪し


(……だから私は“どうでもいいよそんなこと”って答えたんだよ)
『それはまた身も蓋もない……』
 五月十四日、深夜。
 みのり達はある家の屋根の上で、雑談に興じていた。
 今の標的は、少し離れた別の家の住人に憑いた悪鬼。それが動き出すのを待っている間、暇をつぶすのが目的だ。
 話の種は、最近休日のたびに神社を訪れる客人、溝口のこと。
 今年四月からの新社会人である彼は、昨日同僚が会社を辞めたことをきっかけに、自分の将来に不安を持った。
 そして今日、たまたま話の流れでその悩みをみのりに話したのだった。
 それに対するみのりの返事が“どうでもいい”というにべもない一言である。
(だってさ〜。溝口さんにも言ったけど、結局それは溝口さんの問題なんだから。どうするかなんて溝口さん次第だし)
『それは……まぁ、全くその通りではあるが……』
 もう少し気遣ってやっても良いのでは、と思う皐月雨。
 だが、溝口とみのりは決して仲が悪いわけではない。
 それはたまに二人の会話に同席することのある皐月雨にはわかっていた。
 実際、今日も溝口の悩み話をみのりが容赦のない一言(むしろ一撃)で一刀両断した数分後には、二人はもう和やかに談笑していたそうだ。
 そのときは同席していなかった為、みのりから聞いた話ではあるが、今までの経験から信憑性は高いと皐月雨は判断した。
 他人だからこその無関心さでありながら、十年来の親友のごとく腹を割って語り合う。
 その不思議な距離感こそが彼ら、神明みのりと溝口春樹の関係なのである。
 結局、皐月雨は口出しを思いとどまった。両者がそれで納得しているのならそれでいい。
(それにしても、溝口さんに憑いた悪鬼はこないだ祓ったばっかだよね? なんで調子が悪くなったんだろ?)
 先週、皐月雨の柄で溝口へのお仕置きついでに潰した悪鬼を思い出しながらみのりが尋ねる。
『なに、別に悪鬼が憑いていなくとも、心配事があれば人が憂鬱になるのは当然というものだ。 悪鬼は気力を奪うことで、結果的に負の感情を悪化させるに過ぎんからな。 悪鬼が関与しているとすれば、それは溝口殿の御友人のほうだろうが、悪鬼が憑かなければ辞めなかったとは限らぬ』
 社会の荒波というものはなかなかに厳しいのだろう、と皐月雨は言う。
(そっか……。なんか、大変なんだね、社会人て)
『だろうな。……さて、そろそろ悪鬼が動き出すようだ。行くぞ、みのり』
(りょーかいっ!!)
 みのりは皐月雨の刃を鞘である竹箒から抜き放ち、闇に染まった街路へと舞い降りた。


"ギァアァーーーーー!!"
 みのりが悪鬼と対峙してからわずか数秒後。
 常人には聞こえない、悪鬼の断末魔が深夜の街に響いた。
「ふっ……またつまらぬものを……」
『斬るのが我らの使命だ。面白いかつまらないかの問題ではないぞ』
(むっ……わかってるよぅ。ただ、ちょっと決めゼリフ言ってみたかっただけなのに……)
 むくれるみのり。それには相手をせず皐月雨が言葉を続ける。
『それにしても……。汝は上達が早いな。戦闘感覚の補助なしで、こうもたやすく悪鬼を祓うとは』
(まぁ、結構場数踏んだからね。慣れってやつじゃないかな)
 最初のうちは、皐月雨に宿る歴代の主の戦闘センスを借りて、それでも一夜にやっと一匹祓えるといった所だったみのり。
 だが、上達と悪鬼の増加にともない、ここのところ一夜に3・4回別々の悪鬼と闘い、祓うのが常となっていた。
 そして今では、過去の主の感覚に頼らずとも悪鬼を一瞬で仕留められるほどの腕前に成長したのだった。
『ふむ。慣れというものは非常に影響が強いからな。人の成長は慣れの連続と言い換えられるかもしれん』
(うん、慣れるのはいいんだけど……。なんていうか、飽きた?)
『そうか飽きたか……って何ィィ!!?』
 みのりのいきなりの爆弾発言に戸惑う皐月雨。
(いや、不謹慎なのはわかってるよ? でもさ〜。飽きるってのは自然の摂理だよ? 昨日も今日も悪鬼を追いかけて、追いつくと同時に斬って、また別のを探して追いかけて……。毎日毎日同じことの繰り返しじゃ生きてる気がしなくなるって昔テレビで言ってたよ?)
『な、なんと緊張感のない……』
 生きてる気も何も、本来闘いは常に生と死の狭間を行き交うものだ。
 だが、みのりは強くなりすぎてそのリスクを感じられなくなってしまったのだろう。
 慣れも良し悪しか……と皐月雨は痛感した。
(せめてさー。なんかこう、必殺技みたいなの無いの? 派手にどかーん!! ていくようなの)
 みのりは無茶な要望を出してみる。自分でも、そんな都合のいいものはないだろう、と半ば諦めつつ。
 だが、皐月雨の答えは意外なものだった。
『……まぁ、あるにはあるが……』
「えっ!? ホントにあるの!?」
 思わず声を漏らすみのり。
『必殺、というわけではないが。妖力を“技”として応用する術ならな。一応“術式”と呼ぶことにしている』
(へ〜! どんなの? どんなの?)
 みのりは興味津々だ。
『うむ。今までも妖魔眼などの数種類の妖術を用いてきたが、それらは比較的少量の妖力で弱めの効果を長時間持続させるものだった。それに対し、術式は短時間の間に集中して強力な効果を発揮する。そのぶん消耗も激しいので乱発すべきではないがな』
(なるほど〜。ホント何でもありだね妖力って)
『別に、元からこれほど多様な能力を持ち合わせていたわけではないぞ? 長年の間に少しずつ術者の手によって与えられてきたのだ』
(あ、そうなんだ。それよりさ、皐月雨♪)
『……む?』
(もちろん教えてくれるよね〜? 術式っての♪)
 みのりが期待を込めた声で言う。
『……ふむ、そろそろ“すてっぷあっぷ”の頃合か。今のみのりなら使いこなせるかも知れんな』
(やたっ♪)
『だが、先に言っておくが、これはここぞという時の為の奥の手ぐらいに思うのだぞ。妖力の消耗が激しいのもあるが、乱用して技に溺れてしまってはかえって危険だからな』
(ああ、確かによく言うね。便利だからって頼りきりになると人間ダメになるって。大丈夫、その辺はわかってるつもりだから!)
『そうか。ならば今日はもう悪鬼祓いは切り上げて、神社で術式の修練をするとしようか』
(らじゃ〜!!)
 みのりは意気揚々と家々の屋根を飛び移り、神明神社へと向かった。
(……そだ、ところでさ、皐月雨)
 その途中、思い出したようにみのりが切り出した。
『なんだ?』
(皐月雨の刃ってこんにゃく斬れる?)
『……は? こんにゃく、とはあの食用のか? ……まぁ、こんにゃくぐらい斬れると思うが……』
(……ちぇ。なぁんだ……)
『何故がっかりする!?』
 みのりが某怪盗一味の剣士とその愛刀に思いを馳せていることなど、皐月雨は知るよしもなかった。



 五月十八日、深夜2時。ことさらに月の綺麗な夜、神明神社の物置にて。
『……遅い。』
 皐月雨は何度目かもわからないぼやきを口にした。
 それというのも、いつもの悪鬼祓いの時間になってもみのりが来ないからである。
『“さぼたーじゅ”というやつか? ……いや、今日は術式を使うのを楽しみにしていたしな』
 術式をみのりに使わせることに関して皐月雨は慎重だった。
 十四日から毎日少しずつ力を操る修練を積み、今日初めて実戦で使うことになっていたのだ。
 前日みのりは許可を得て喜んでいたから、飽きから来る怠慢ではないはずだ。
『もう1時間も遅れているな。……やむを得ぬ。こちらから声をかけるか』
 普段は近くにいるとき以外声をかけることはするなと言われているが、放っておくわけにもいかない。
 皐月雨は精神を集中し、妖力に乗せてみのりへと声を送る。
『…… ― みのり……。聞こえるか、みのり? ― ……』
 ……反応なし。だが、魂の共振具合からして届いてはいるはずだ。
『 ― みのり!! おいこら、寝てるのか!? ― 』
 こころもち怒鳴り気味に声を送ってみる。
― ……んにゃ? …… ―
 ようやく妙な鳴き声のような反応が返ってきた。
『― なんだ、本当に寝ていたのか? 仕様のない奴だ…… ―』
― ……む〜? ……皐月雨? どうしたのこんな時間にぃ〜…… ―
 寝惚けた声でみのりが聞く。
『― どうしたではない。もういつもの悪鬼祓いの時間をだいぶ過ぎているぞ ―』
― ……あー。ほんとだ、もうこんな時間……ごめんね〜少し寝てからと思ったら寝入っちゃって〜 ―
『― ふむ、そうか。珍しいな、汝が寝過ごすとは ―』
 今までもみのりが仮眠を取ってから来ることは多々あったが、これほど寝過ごすことはなかった。
― ん〜……今日は寝る前にお酒飲んだからねぇ〜…… ―
『― ……おい。汝は未成年ではなかったか? ―』
― あたりまえじゃん。私、現役女子高生だもん ―
 尋ねるというより、確認の意味で聞く皐月雨に、みのりは全く悪びれずに答える。
『― ……未成年の飲酒は法律で禁止されています。真似をしないようにしてください。……という表記を汝は読んだことは無いのか? ―』
―わかってるよぅ〜。でもしかたないぢゃん。溝口さんが目の前であんなにおいしそうに飲むんだもん。 ―
『―他人が飲んでようが……。……!―』
 途中で言葉を詰まらせる皐月雨。だがみのりは気にせず言葉を続ける。
― 風呂上がり後の一杯は最高だ〜!!ってね。そんなの見せ付けられたら好奇心旺盛な若者としては飲まないワケには…… ―
『― ちょ、待てみのり。なぜ溝口殿が出てくる? いやむしろ風呂上がりとわ……? ―』
― ん〜? そりゃ溝口さんちでの話だもん。そりゃ出てくるよ〜 ―
 微妙に動揺しはじめた皐月雨をよそに、まだ目が覚めきらない様子で言うみのり。
『― ……溝口殿は、一人暮らしでわ……? ―』
― うん〜。だから今日夕食作ってあげたんだ〜 ―
『― ………… ―』
 次々に出てくるみのりの爆弾発言。それにより皐月雨の中で、瞬く間にある仮説が立てられていく。

一人暮らしの男性の家に夕食を作りに

男性は風呂を浴びる

二人っきりで一緒に酒を飲む

ほろ酔い気分で開放的に

愛が二人の境界を消す

(※皐月雨の勝手な想像です)


『― ッッヌッヲ゛ぉォォアーーーッッ??!! ―』
 皐月雨が壊れた。
― わっ? なによぉ〜いきなり叫んだりして〜 ―
『― な、何ということだ……ッ!! いつのまにか二人がそこまで親密になっていたとわッ!? ―』
― ……(゜Д゜;)ハァ? ―
 突然の皐月雨の暴走に、呆気にとられるみのり。
『― ……いや、みのりも年頃の娘……!! ましてや溝口殿は男盛り!! となればこうなるのは自然な流れか?!! ―』
― ……!? ……〜〜!!!! ―
 みのりは皐月雨が何を考えているのか察したらしく、声にならない叫びをあげた。
 酔いとは無関係に真っ赤になっていることだろう。
― ちょ……待ッ、皐月雨!! 何勘違いしてるのよ!? 私はただ……!! ―
『― そうだ……我は、主の幸福を祝福すべきなのだろう……。だが……ッ!! だが我はッ!! 我はァーーッ!! …… ―』
 必死に弁解しようとするが、皐月雨の暴走は止まらない。
― 〜〜ッ!! もー!! いい加減にしないと……!! ―
 みのりは怒鳴りそうになったが、ふと考えて一度言葉を切る。
 そして気を落ち着かせ、声を低くして一言。
― ……折るよ? ―
『― ゴメンナサイ。 ―』
 効果は抜群だ。


― ……だから、あくまで私は大根を半分こするついでに夕食代も浮かせるからってことでその代わりとして作ってあげただけなの!!  私と溝口さんはなんでもないの!! ―
『― そ、そうか ―』
 みのりは数十分かけてことのいきさつを詳細に語った。
 その甲斐あって皐月雨も冷静さを取り戻したようである。
『― だ、だが酔っている間のことは覚えていないのだろう? ―』
― う、いやそりゃ起きた直後は記憶があいまいだったけど。でも今はぼんやりとだいたいのことは思い出したし、そんな別に変なことなんて…… ―
『― ……してない、のだな? ―』
 少し言葉を詰まらせるみのりに皐月雨が念を押す。
― ……ほっぺぷにぷにとかはしたけど…… ―
『― ……は? ―』
― ……いっ、いいの!! 少なくともやましいことはしてないんだから! そ、それはそうと……そう! そういえば、なんで皐月雨そんなに取り乱したの? ―
 みのりがふと気付いた疑問で巧みに話の方向転換をする。
『― む? いや、それは…… ―』
 今度は皐月雨が言葉を詰まらせる番だった。
― 仮に私が誰かとお付き合いしても、別に関係ないはずだよね? ……え? 何、まさか皐月雨…… ―
『― い、いやただ我はだな…… ―』
― 私にぞっこんLOVE? ―
 皐月雨は脱力した。
― あちゃ〜困っちゃうな〜言っちゃ悪いけどさすがに種族(?)の壁はなかなか…… ―
『― ……否。無い、それは無い ―』
― あ、やっぱ? ―
 みのりも元より冗談のつもりだったようだ。
『― 我はただ主の身を案じていただけだ。溝口殿も男だからな。いつ狼になるとも知れぬ。いくら親しくなったとはいえ、慣れも良し悪しだぞ? ―』
― あはは、溝口さんに限ってそれはないよ〜 ―
 信頼しているのか見くびっているのか、みのりの溝口に対する評価は微妙なところだ。
『― そもそも数百年生きている我からすれば汝など赤子のようなものだしな ―』
― なによぅ、私だって年頃のレディーなんだから!! ―
『― “れでぃー”にしてはお転婆すぎると思うがな ―』
― なんですってぇーー!? ―
 もはや、みのりと皐月雨はいつもどおりのノリを取り戻していた。
 他の誰にも決して聞き取られることの無い、たわいのないやりとりが続く。ちなみに、結局この日の悪鬼祓いは中止ということになった。
― ……ふぁ……あふ。いけない、もうこんな時間!明日も学校だからもう少し寝とかなきゃ!! ―
 気がつけば、夜明けに近づいていた。
『― む、そうか。すまんな、誤解を解く手間をかけさせて ―』
― ん、まぁいいよ。だって…… ―
『― ん? ―』
― 一応、心配してくれたんでしょ? ―
『― ……まぁ、な ―』
― 余計なお世話っていえばそれまでだけど……ま、ありがとね。おやすみっ!! ―
『― ……ああ。おやすみ、みのり ―』
 皐月雨はみのりとの魂の共振を抑え、会話を終えた。
『……やれやれ……くだらんな、我としたことが。これではまるで、娘を想う父親ではないか』
 しかも、子離れできない親バカの部類だ。主の人生の自由は尊重しなければならない。
 やはり長い歳月を経て老けただろうか、と思う皐月雨。
『……いや、あるいは』
 皐月雨は一人呟く。
『……あるいは……重ねているのか? “あいつ”の面影を……』
 その言葉は誰にも届くことなく、五月の夜空の闇に溶けていき。
『……それこそ馬鹿馬鹿しい。今更世迷いごとを。……我は、全て覚悟の上でこの道を選んだのだから、な』
 やがて訪れた、夜明けの光にかき消されたのだった。

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