――それは、今から六百年ほど前の話。
この地の村に、とある青年と乙女がいた。
彼らは幼馴染みで、幼い頃はいつも共にいた。
青年は健康と根気強さだけが取り柄のごく平凡な農夫。
そして、乙女はこの地方の神社の娘であり、神に仕える巫女。
家柄に差はあるが、巫女は生まれた家柄などは気にせず人と接する気質で、
よく言えば気さくな、しかし悪く言えば少々転婆な女だったため、二人の間にそんな“無意味な”しがらみは実質存在しないも同然だった。
“彼女”は成長し年頃となった後も、ちょくちょく暇を見ては青年と二人でたわいもないことを語り合っていた。
とはいっても、その間柄は恋愛とは程遠く、彼らはお互いに悪友であると自覚していた。
……ある時、都から大勢の武士や、僧を中心とした“術者”達がこの地を訪れた。
彼らが言うには、かつて時の征夷大将軍によって討伐されたと伝えられている“悪路王”が東北の地にて復活。周囲に大きな災厄を招く力を持つその妖魔が南下してきている、との知らせを受け、都に被害が及ぶ前にこの地で迎え撃つべく集結したのだという。
そして、術者達が到着してから数日後。この地を異変が襲った。
獣は怯え、植物はざわざわと騒ぎたてる。禍々しい空気が辺りを支配し、人々の中には原因不明の体調不良を訴える者が続出した。
さらには、毎晩夜が更けると、闇に紛れて世にも恐ろしい姿をした人外の化生……悪鬼どもが徘徊(はいかい)するようになったのだ。
悪鬼は実体を持たないため、武士達の刀は通じない。
そのくせ悪鬼側からは攻撃の一瞬だけ爪を実体化させることで、容易に人間を傷つけることができる。
頼みの綱は術者達の“祓いの術”のみだった。
やがて、術者達は悪鬼達を統率している悪路王を見つけ出し、大勢の名のある術者達が悪路王に闘いを挑んだ。
だが、誰一人として倒すことはかなわず、出来たのは悪路王の周りに幾重にも結界を張り、結界外へ出られぬよう、また結界内では思うように動けぬよう縛り付けることだけだった。
足止めという意味では成功したため、事態は小康状態を迎えたかに見えた。
……術者達は見落としていた。動きは封じることが出来ても、その妖力は封じられていないということを。
そもそも悪路王は現代の悪鬼や王鬼とは比べ物にならない力を持ち、その力は自然界すら狂わせるほどだった。
動きを封じられた悪路王は怒り狂い、それほどの強大な力を、“呪い”として全力で放出していたのだ。
……その結果。この地に、大規模な干ばつが訪れることになる。
術者達は、悪路王を倒しうるありとあらゆる方法を探した。その過程で、ある奇妙な点に気付く。
人間が不調を訴えるのは、悪鬼が取り憑き精神力を奪っているためだということは早い段階でわかっていた。
だが、悪鬼は決してその人間の精神力が枯渇し、死に至るまで奪いつくすことはなかった。
死者が出なかったわけではないが、悪鬼はある程度宿主が弱ると離れるのが常で、宿主が死に至るのは病など、副次的な要因によるものであった。
その点から、悪路王をはじめとする悪鬼という生命体は、生物に取り憑いているとき、その生命は宿主の命と密接に関わることがわかった。
……つまり、取り憑いている対象が死ぬ時、悪鬼の命にも甚大な被害が出るということである。
もはや手段は選ばれなかった。解明は迅速に進み、憑かれている宿主ともども確実に悪鬼の命を断つ呪殺の法や、悪鬼を強制的に特定の者に憑かせる呪法が編み出された。
同時に、悪路王ほどの強い悪鬼を逃がさずに強制的に憑かせ続けるには、高い法力を持つ者を憑代(よりしろ)に選ぶ必要があることがわかった。
そして……その憑代に選ばれたのが、この地の神社の娘であり巫女である“彼女”だった。
多くの名のある術者がいたにもかかわらず、なぜ彼女が選ばれたのか、その過程の真実はわからない。
ただ一つ言える事は、当時、寺は国寄り、神社は民寄りの存在だった、ということ。国の意向が色濃かったといっても過言ではないだろう。
とはいえ、実のところ技術こそ術者達には及ばないものの、彼女の素養はそのとき集まった術者達を遥かに上回っていたし、なにより彼女自身、憑代となることを覚悟していた。
村の者達は巫女が犠牲になることを嘆いた。しかし、干ばつが続けば土地ごと滅ぶ。
それを考えると、若い身空で犠牲となる巫女を哀れに思いながらも、口を閉ざすより他はなかった。
……ただ一人、彼女の幼馴染の青年を除いては。
彼は国すら敵に回す覚悟で断固反対し続けた。
だが、所詮若造一人が騒いだところで決定は覆らない。
それに、彼が巫女に考え直すよう言っても、彼女は己の運命を受け入れ、静かに微笑むばかりだった。
……それどころか、あまりに青年がしつこく来るときには、神社から力づくで叩き出したりもした。
己の死期が定まってなお、その勝気な性格が損なわれることはなかった。
――やがて、青年は無謀にも悪路王に単身闘いを挑む。
敗退した武士が使っていたひびの入った刀と、巫女たる幼馴染が並の悪鬼を避ける為に使っていた護符数枚だけを手に。
……実に、愚かだった。彼自身、そのことは自覚していた。
それでも。彼に迷いなどなかった。
もはや彼は勝ち負けなど考えていなかった。
彼はただ、大切な者を守れない、自身の無力さが許せなかった。
守られるだけの存在ではいたくなかった。
若さが可能とさせる、この上なく無謀で、自分勝手で、衝動的で……そして、限りなく純粋な。
そんな想いだけを胸に、彼は悪路王に立ち向かっていった――。
――どんなに強い意志だろうと、それだけで理由なき奇跡など起こせはしない。
触れられぬ相手に歯が立つはずもなく、彼は重傷を負い、立ち向かうことすら不可能になった――
……気がつけば、倒れ伏(ふ)す彼の前に、一人の初老の男が立っていた。
存在そのものがおぼろげとすら思えるその男は、人よりもむしろ悪鬼などの化生(けしょう)の類に似た気配を持っていた。
男は青年に問う。
"なぜ汝は無駄と知りながら闘いを挑んだのか"と。
青年は答える。
『理由らしい理由などない。ただ、大切な女性(ひと)が犠牲になろうとしているのに、何もしないではいられなかっただけだ』と。
言いながら、青年は自分が“彼女”を一人の女性として見ていたことに気付き、その今更な認識に苦笑した。
それを聞いて、男は幽かに笑い、そして言った。
"汝ほど愚かな者はそうはいない。……だが、なればこそ。汝にしか出来ぬことを、我は知っている"と。
そのときになって初めて、青年は目の前の不可解な男が何者なのかを疑問に思い、訊ねた。
男は自分について多くを語らなかった。
ただ、"悪路王を倒すことこそ己の生における至上"としていること、そのために呪術妖術の類に精通し、
さらには外法(げほう)・禁術(きんじゅつ)にまで手を染めていること、悪路王を追ってこの地を訪れたことだけを青年に伝えた。
そして男は青年に問いかける。
"汝には、己を犠牲としてでも大切な者を守るという覚悟があるか?"と。
青年は答えた。
『彼女を救えるのなら命など惜しくはない』と。
だが、男は首を横に振りこう言った。
"汝に与えられるのは死ではない。永遠に闘い続ける責務だ"と。
たとえ悪路王を倒したとしても、十干十二支からなる干支(かんし)が一巡(めぐ)りする六十年ごとにその後継となる悪鬼の王が現れるだろう、と男は予言する。
"人の命は短い。汝は永き時の中で家族が逝き、友が逝き、大切な女性(ひと)が逝った先も、ただ独り悪鬼と闘い続ける為だけの生命を貫く、それだけの覚悟があるのか?"と、青年の意志を試すように問いかける。
青年はしばし迷いを見せたが、やがて言い放った。
『ならば己(おれ)は家族の、友の、そして彼女の子孫達を見守り続けよう。そして彼らを守るために闘おう』と。――
――やがて運命の日が訪れる。巫女である“彼女”が悪路王のもとへと赴く日。
彼女が自室で独り死地へと赴く準備をしていると、厳重な警備下にあるはずのその部屋に突如として初老の男が現れる。
驚き警戒する彼女に、男は一振りの刀を差し出した。
"貴女の幼馴染からの贈り物だ。これで悪路王を斬りつけるが良い。彼が貴女を護るだろう"と言って。
巫女は、しばらく前に行方知れずになった幼馴染からの贈り物と聞き、信じるべきか戸惑いながらも刀を受け取った。
そして彼女は悪路王と対峙する。
周囲の術者達が術を行使し、彼女の身体へと悪路王を引き寄せる。
予定ではそのまま憑依され、悪路王ともども呪殺される手筈だった。
だが、彼女は幼馴染を信じ、悪路王が乗り移るその刹那、初老の男から託された刀を突き出した。
刀は悪路王に深く突き刺さったかと思うとまばゆい光を発し、見事悪路王を跡形もなく消し去ったのだった――
――彼女が村に帰る頃には、この地に一気に大雨が降り注ぎ始めていた。
村中が歓喜の声に包まれる中、彼女は再び初老の男に出会った。
そして自らを救った不思議な刀の正体を聞くことになる。
……刀には、幼馴染の青年の魂が宿っていた。
精神体である悪鬼を倒すには、より強い精神の力をぶつけるしかない。
初老の男は禁術を使い、人並み外れた強い意志を持つ“彼”の魂を刀に移し、悪鬼を最も効率良く祓う力を持つ『妖刀』として転生させたのだ。
初老の男は彼女に青年の“人間として”の最後の言葉を伝える。
――『己(おれ)はもうお前と共に生きることは叶わない。
だから己(おれ)は今までの名を捨て、一振りの刀としてお前やその子孫達を護るために存在し続ける』――
彼女は雨の中静かに涙し、妖刀を抱きしめて言った。
「ならば私が貴方に新たな名前をつけましょう。……そう、貴方はまるで雨のよう。大地を潤し、私の涙を優しく隠してくれる……
この、永(なが)く降り続く、恵みの雨――」
そして彼女は初老の男に、“絆の術”をかけてもらう。妖刀となった彼の責務の半分を請け負うため、自分の子孫が代々この妖刀の主となるように。
「――……“皐月雨”。それが貴方の新しい名前よ」
「……まさか六百年前の大干ばつにそんな逸話があったとはね……」
みのりが思わず声に出して呟く。
『む? 現代にはどう伝わっているのだ? その言い方だと、干ばつ自体は知っているようだが……』
皐月雨がみのりの記憶から得た情報はごく一般的な常識に限るため、こういった特殊なことについては知らない。
(うん、大干ばつがあったってことだけは伝わってるんだよ。この辺りの五月祭りの元になった出来事としてね。)
史実によると、六百年前の大干ばつの際に人々は雨乞いをし、それが祭の起源になったとされている。
犠牲を前提とした“討伐”が、そのエゴをオブラートで包んで伝えられる間に“雨乞い”という表記に変わっていったのかもしれない。
(しっかし、ねぇ……)
『……? なんだ?』
静かに頬を緩ませたみのりを、皐月雨はいぶかしむ。それに対しみのりは、少し茶化すような調子に、しかし感嘆を持って言う。
(いやいや。……“惚れた女の為に自分の身を投げ出す”か。……かっこいいじゃん、皐月雨)
『ぐ! ……茶化すな。当時は己(おれ)も若かったんだ……』
明らかに照れ隠しとわかるような、ぶっきらぼうな言葉を返す皐月雨。
しかしみのりはなおも微笑む。茶化すでもなく、皐月雨という一人の“漢(おとこ)”のまっすぐな心を讃えて。
(照れない照れない……ん? “オレ”?)
『……っと。しまった、地が出てしまったな』
(地が出て、って……え? “我”っていうの、もしかしてわざと言ってたの?)
『……失敗したな。そうだ。実を言えば、話し方も含めて、元々このような言葉遣いをしていたわけではない。今では馴染んでしまったが、
元は貫禄を出すためにそれらしく喋ろうとしてこうなったのだ』
ちなみに手本は自分を妖刀にした初老の男だ、と皐月雨は付け足した。
(……な、なんだかな〜……)
みのりは呆れと笑いと疑問の入り混じった複雑な表情になる。そして、微妙にさっきまでの感動がぶち壊しだな、と苦笑した。
『いやいや、第一印象というのは大事だぞ。その時代の人間を仮にも歴史ある闘いに巻き込むのだから、
その発端である己も由緒ある妖刀らしくなければ信用されにくいからな』
(そんなもん?)
『もっとも、御前(おまえ)には通用しなかったがな。普通に無かった事にしようとしやがって……』
初めて会った日のみのりの無視っぷりを思い出し、苦々しく言う皐月雨。
(あ、あはは……えっと、あれだよ。どんまい?)
みのりは笑ってごまかしつつ、皐月雨が“おまえ”や“しやがって”などの言葉を使う違和感に新鮮さを感じて、内心面白がっていた。
『まぁ、過ぎたことだからいいが。……話がそれたな』
話題を元に戻すべく、皐月雨は口調を元通りに正す。
『要するに、だ。我は正義という格式ばった大儀などではなく、ささやかな私情のためだけにこうなることを選んだ。
禁忌とされる力まで使っても、結局犠牲を彼女から“人間としての自分”に代えただけ。それが“正しい”事だったのかは今でもわからぬ。……だがな』
皐月雨は、一片の迷いも感じさせない、はっきりとした口調で言う。
『ただ一つ、はっきりと言えることは。我はこの道を選んだことを決して後悔していない、ということだ。それは特別我が強いなどというわけではない。
むしろ我は自分が大切な者を失うことを恐れ、結果として逆に相手にその思いをさせる道を選んだ弱き者だ』
そしてやや自嘲気味に自分の弱さを語り、だがしかし自信を持って言葉を続ける。
『……それでも。残してきた者達への申し訳なさも含めて、我は自分が護りたかった者を護り、その子孫を護り続けられる今の結果に満足し、受け入れた。“正義”を語ることはできないが、我は己にとって“正しい”ことをしていると信じている。……それが、我の意志の源泉。我の生き方だ』
「……結果を受け入れる、か……」
みのりは呟き、自己をかえりみる。
自分の正義を貫いたために、クラスメートとの不和を招いた。自分はその結果を受け入れられていなかったのか。
……正義に疑問を持ったということは、つまりそういうことなのかもしれない。
自分がその時正しいと思い、そして今も間違っていなかったと自信を持って言えること。
それを正義と呼ぶならば、少なくとも自分が招いた結果を受け入れなければならないのだろう。
それが皐月雨流の考え方であり、揺るがぬ意志の基盤なのだ。
『そうだな……。汝は、“自身の正義”と“一般の正義”の境で迷ったのではないか? 無論、一般の正義も大切だが、それでも……』
(それでも、譲れない時がある。そんな時は自分の正義を信じて、どんな結果も覚悟して意志を貫き通す。それが後悔しない生き方……、ってとこかな?)
みのりが皐月雨の言葉をさえぎり、続きの言葉を自分で継ぐ。その顔に浮かぶ悪戯っぽい笑みには、どこか吹っ切れた印象があった。
『まぁ、そんなところだ。あくまで我の流儀だがな』
そんなみのりに、皐月雨は満足そうにそう答えた。
(うん。貴重な意見ありがと。参考にさせてもらうよ)
もう二度と、妖刀としての己の斬れ味が鈍ることはないだろうという確信を持って。
(さぁて、と。そろそろ帰ろっか? もう“悪鬼の時間”も過ぎる頃だし)
みのりが腕時計を見つつ皐月雨にたずねる。
時刻は、悪鬼が最も活発に動く丑(うし)の刻(現代で言う午前1時〜3時)があと少しで終わるというところだった。
『そうだな、……?!!』
言いかけて、皐月雨が“何か”に気付いたのか、黙る。
(? どうし……!?)
やや遅れて、みのりはその理由を知った。
突如、世界に違和感が走った。目に映る何もかもが一変したように感じる。
……否、実際は景色も空気も、さっきまでとなんら変わることはない。
“その感覚”はみのりの内側から来るもの。
(ぐッ……?!!)
虚脱。嫌悪。絶望。……本来意味無く現れたりはしないはずの負の感情が、心の奥底からふつふつととわきあがり、世界の“見え方”を歪ませていく。
『みのり!!』
が、皐月雨に声をかけられた瞬間、それらは瞬時に霧散した。
(……あれ? 私……?)
我に返ったみのりが、ふと自分の体を見ると、淡い青紫の光に包まれていることに気付いた。
『守護の術を強化した!! 汝は悪鬼の邪気にあてられていたのだ』
その光はみのりの異変に気付いた皐月雨によるものだった。
(邪気? なにそれ、初耳だよ!! 悪鬼にそんなことができるの!?)
『そこらの雑魚にそんな芸当が出来るわけは無い!! そんな真似ができるのは……』
(……王鬼?)
みのりは立ち上がり、周囲の気配を探る。
『ああ……。さっき一度気配をすぐ近くに感じたのだが……』
今は感じない、という風に言う皐月雨。
……だが、みのりはその間に見つけていた。近くの電柱の頂点に立つ、一つの影を。
しかしてそれは、予想された醜悪な悪鬼の姿ではなかった。
満ちかけの月を背に立つその影。普通なら逆光でよく見えない姿を、みのりの紅(くれない)の妖魔眼はしっかりと捉えていた。
落ち着いた色調の緑のブレザーの下に、カーキ色のワイシャツ。
胸元には赤いリボン。
黒の地に、ワイシャツと同色のラインが横に一本入ったスカート。
電柱の頂点という狭い面積にたたずむ脚はダークブラウンのオーバーニーソックスに包まれている。
ざぁ、と木々に不吉なざわめきを起こさせた風に、肩に届く程度の長さのストレートの黒髪がなびく。
……そう。そこにいたのは、ごく普通の少女だった。
顔にかかる長めの前髪の隙間から覗く瞳が、青白い光を宿している以外は。
その光は、悪鬼の眼のそれと同じだった。
『あの娘は……?! まさか……いや、しかしそんなことが……?』
皐月雨も少女の存在に気付き、困惑の声を上げる。
だが、呆然とするみのりには聞こえていなかった。
そのブレザーには見覚えがあった。緑というのは珍しいが、その色合いが五月の生き生きした木々を連想させて、結構気に入っていたから。
それに限らず、ワイシャツの色やスカートのデザイン等も含めて、その“制服”には見覚えがあった。ほぼ毎日嫌でも目にし、また自分自身ほぼ毎日着ているのだから。
……そして、その顔には見覚えがあった。“いつもなら”、顔を半分隠している前髪はヘアバンドで頭上に止められていたし、今はうつろな瞳の前には、常に知的な眼鏡が掛けられていたはずだけれど。
「……な……んで……?」
『……みのり?』
……なにより、"彼女"を忘れるはずがない。
「……なんで……?」
なぜなら、"彼女"は……
「……なんで……、なんで、“あの子”が!!?」
ついこないだみのりの“正義”を揺るがすきっかけになった、あのクラスメイトだったのだから。
……いつしか、月には雲がかかり。
五月の夜の、全てを暗黒に染めるような闇の中。
叫びにも似た戸惑いの声をあげるみのりを見て、"彼女"は静かに嘲笑(ほほえ)んだ。