陸.決闘という名の生存「闘」争

前編.王鬼


 ――時は進み、五月二十三日、夕刻。
 神明神社を、一人の女子高生が訪れた。
 落ち着いた色調の緑のブレザーの下に、カーキ色のワイシャツ。
 胸元には赤いリボン。
 黒の地に、ワイシャツと同色のラインが横に一本入ったスカート。
 いつもは溌剌(はつらつ)とした表情を浮かべている顔は、しかし今日は少々物憂げである。
 彼女は境内をまっすぐ突っ切り、物置へと向かう。
 そして静かに戸を開けると、
「皐月雨、ただいまー……ってのも変か」
 彼女だけが知っている、意思ある妖刀・皐月雨に語りかけた。
『おかえり、みのり。……どうだった、"彼女"は?』
 皐月雨は挨拶を返して早々、みのりのクラスメイトのことを尋ねた。
(やっぱり来なかったよ。風邪で寝込んでるから休む、ってお母さんから連絡があったって)
『そうか……。家出騒動でも起こるかと危惧していたのだが。御家族の目を盗んで行動を起こしているのか、あるいは……』
(大丈夫かな、あの子の家族とか……)
『命に関わることはなかろう。悪鬼は寄生こそすれ、積極的に人間を殺傷することは無い。自分を認識できず、危害を加えてくる危険の無い“栄養源”をわざわざ損なう必要性は無いからな。それに……』
 身もふたも無い表現にみのりが顔をしかめたが、皐月雨は構わず続ける。“その程度の些細なこと”を気にしている場合ではない、と言わんばかりに。
『昨夜言葉を交わした限りでは、……今回の王鬼は、標的である我ら以外にはさしたる危害を与える気が無いようだったしな』
 未だに信じられんが、と付け足す皐月雨。
(そうだね……。一体、何を考えてるんだろう。あの子に憑いてる奴は……)
 同意しながら、みのりは昨夜のことを思い起こした――


『彼女が件(くだん)の……? 何故こんなところに……しかも、あれは……』
 二十二日深夜、みのり達の前に突如現れたみのりのクラスメイト。
 電柱の頂点に立つ"彼女"は、みのり『達』を一瞥(いちべつ)し笑みを浮かべると、みのり達の目の前に舞い降りた。
 ふわりと。音も無く。
 その瞬間だけ、赤紫の光を纏(まと)って。
「あ……あのッ……えと……!? ……な……?」
 みのりは知り合いであるはずの"彼女"に声をかけようとするが、頭の中で次々と疑問が浮かんでは別の疑問に上書きされ、言葉として口まで出てこない。
 対する"彼女"はみのりには興味を示さず、青白い光を灯(とも)す瞳をみのりの手元へと向け、
"久しぶりデすね……いや、初めマして、というべキですか? 我ラが仇敵(きゅうてき)、妖刀よ"
『!!?』
「?!!」
 挑戦的な微笑を浮かべ、“皐月雨に”語りかけた。それが当然であるかのように。
 その声は、歳相応の少女らしい高い声だった。……“普通の耳”しか持たぬ者にとっては。
 つまり、皐月雨とみのりには聴こえていたのだ。それに重なる、地の底から響くような重く低い声。
 ……鬼の声が。
 その声は、ところどころノイズが入ったラジオかなにかのように発音が歪んでいる。加えて妙に丁寧な口調が一層不気味さを際立たせていた。
『やはりこの娘、王鬼に操られている!? しかも、まさか……王とはいえ、悪鬼が人語を解するとは……』
 皐月雨が思わず呟く。その言葉はみのりにしか届かないが、みのりは混乱を通り越して茫然自失としており、反応は無い。
 が。意外にも、応える者は別にいた。
"ふン……。結局アナタ達は、ワタシ達を単なる“人外の何か”とシか見ていなイんですネ……"
『な……!! 我の言葉まで聞き取れるのか。……しかしどういう意味だ?』
 明らかに自分の言葉に対する反応を示した王鬼に対し、皐月雨が問う。
 しかし、問いに対する答えはなかなか返ってこなかった。王鬼……"彼女"の瞳は、どこか遠い眼差しで思案しているように見えた。
『……? どうした、我の声が聞こえるのではなかったのか?』
 皐月雨に念を押されて、やっと王鬼はやや気だるそうに答えた。そこにはなにか、諦めのようなものを感じさせる雰囲気があった。
"……いエ、そウですね。通常のワタシ達に人語を操ル理性が無いノは確かです。あルのは生存本能と人間への憎悪、それダけでした。……が"
 言葉が区切られ、"彼女"の右手親指が自身の胸を指す。
"ヨり強く生き延ビるため、新たナ“在(あ)り方”を求めるさナか。他なラぬ人間と存在を“同調”させたこトで、ワタシは失わレた理知性を取り戻したノですよ。まったクの偶然、副次的な効果ではありマすが、ね"
『……同調だと? 乗っ取るの間違いではないのか?』
「……!? その子に何をしたの?!! すぐにその子を開放しなさい!! さもないと……!!」
 皐月雨の言葉に、呆然としていたみのりが我を取り戻し、しかし冷静さは取り戻せないまま王鬼に食って掛かる。
"さもナいと……娘ごト斬る、と?"
「ッ!? ……くっ……!!」
 王鬼の言葉に、みのりは歯噛みする。彼女を傷つけずに王鬼だけを祓う手段は、今の所持っていない。
『卑怯な……!!』
 皐月雨は卑劣な手段に怒りをあらわにする。
 しかし、王鬼は不思議そうな顔で言った。
"……何をそンなに怒ってるんでス? こノ宿主はその小娘の敵対者でショう?"
「な!?」
『……どういう意味だ?』
"ワタシは見ましたヨ。数日前、この宿主トその小娘が“コウコウ”なる場所の一角で激しくイがみあっていル様を"
「コウコウ……高校!? あ、あの時!?」
『数日前のあの話か……』
"ソのときワタシはまだ別の人間に憑いテいました。しかシ偶然にもアナタの妖力の残滓(ざんし)をマとったその小娘を見かケて、ほぼ同時にその状況に出クわしたんです。既に人間ノ身体を借りて闘うことは決めていましタが、やはリ同族相手では闘いにくイでしょう? せめテ心情的に闘い易い相手ヲ、と配慮したつモりだったんですが? その後モ強く反目し続けていタようですし"
「そんな……! 違う、それは!!」
 見当違いの王鬼の話に、みのりが悲鳴じみた声で否定する。皐月雨がそれに補足を加えた。
『我が主とその娘はまぎれもない級友だ。単に思想の食い違いにより論を戦わせていただけで、険悪さも若さゆえに過ぎぬ』
"ナんてこと……、そうでシたか。憑いてカらしばラくは潜伏して様子ヲ見ていタのに気付けないなンて。ワタシもまダまだ正しい人間の感覚ハ得らレていないヨうですね"
「わかったならその子から出て行きなさい!!」
故意でなかったと匂わせる王鬼の態度に、少しばかりの希望を持ってクラスメイトを解放するよう促すみのり。しかし一方では、王鬼が少女の内に潜伏していた数日間、少女のみのりへの敵対意識が衰えず続いていた事実を知り、心にちくりとした痛みを感じてもいた。
"まァ待ってくだサい。ワタシだって、なにも人質を取るナどという卑怯な手が使いタかったわけジャないんですよ。……結果的にそウなってしまったコとに関してはお詫ビします"
「何が“お詫び”よ!! 謝るくらいならさっさと……」
"ですガ"
 みのりの言葉をさえぎるように強く言葉を発する王鬼。
"ですが……こちラもじぶん自身が生き残るたメの戦略デすのでね。……なにしロ、ワタシ達の身体は朧(おぼろ)。 ……だカらこそ普通の攻撃ハ受けませんが、直接精神体を斬ル妖刀相手では、肉体の守護が無イワタシ達は簡単にやらレてしまう。 じぶンを守る肉体を欲スるのは当然のことデしょう? "
『……!! 同調した相手を妖力で強化する……まさか、その力は!?』
 突然、皐月雨が何かに気付き、驚愕の声を上げる。
"気付きまシたか。おソらくアナタが思ってイる通リです。“受け継いでいた”んでスよ、三代前の王鬼からネ。……今回、理性ヲ取り戻すまデは使いコなせませンでしたガ"
『やはり、180年前の……!!』
「……?」
 王鬼と皐月雨の話についていけないみのり。だが、今はそれを詳しく訊いている余裕はなさそうだ。
"まァ安心してくだサい。こノ人には決して危害を加えませン。それヨり、決着の方法ですガ……"
「本当でしょうね!! ……って、」
『方法、だと?』
"えエ。はからズもワタシは人質をとっテしまった事になリます。このまマでは公正な勝負にナりませんからね。そチらに有利な条件で相殺しなくテは"
「随分殊勝なこというじゃない? てっきり因縁の敵相手なら仲間を呼んで取り囲んできたりするかと思ったのに」
 勝気な発言をするみのり。実際そうされても困るが、そうなったらなったで切り抜ける気概だけはある。
"……見損なワないでほしイですね。宿主と同調しテ取り戻しタのは、理性だけじゃなイんですよ? 今のワタシは誇りだって持っテる"
『さっきは三匹同時にけしかけてきたようだが?』
"アナタ達ヲ試しただケのことです。あの程度ノ状況を突破できズにワタシに勝てルとは思わないでくダさい"
「うっわむかつく。見てなさい、後悔させてあげるから!!」
"ふ……その意気デす"
 挑戦的に紅き妖魔眼をひときわ輝かせるみのりに、王鬼は愉快そうに笑う。
"さテ。方法は決闘としまセんか? 一対一……イや、二対二ですか。いズれにせよ、余計な他者の介入を許さヌ果し合い、というわケです。 日時は……そウですね、宿主を傷つケずにワタシを倒すにハ準備がいるでショう。 相応の期間を用意してあげタいところですが、あいニくと明後日……満月の晩に、ワタシの王鬼としテの力は完全覚醒しマす。そうなれバ次の日からは……分かりマすね?"
「……わかってる」
 王鬼の力が完全覚醒すれば他の悪鬼達も勢いを増す。人々に多大な悪影響が出始めることだろう。
"まァ、ワタシは別に構わナいですが、あなタ達はそウもいかないデしょう? ヨって、決着の日は遅くとも明後日ヲ勧めますが、いかガです?"
『……みのり』
 皐月雨がみのりに意思を尋ねる。
「うん。私はそれで構わない。……でも、それまでその子にひどいことしないでよ。そうなったら許さないから!!」
"ふふ……安心してクださい。ワタシにとっテも大事な宿主。むしろ普通に生きてイる人間達より安全であると保証しまス"
 ――その後、時間は深夜24時ごろ開始で意見が一致、場所は神明神社ということになった。
"丑三つ時ももうスぐ終わる……今宵はそロそろ失礼するとシましょう。決着ノ日を楽しみにしてマすよ……"
 そう言い終わるが早いか、王鬼はみのり達の方を向いたまま背後へ天高く跳躍し、深遠なる五月闇の先へと姿を消した。


(……ん? そういえば……)
 実時間にして数秒。回想を終了させたみのりは、ある疑問が残ったままであることに気付いた。
(そういえば皐月雨。昨日王鬼の力について、180年前がどうとか言ってたけど、あれ何の話?)
『ああ……その話か……』
 皐月雨はあまり気乗りしない様子で手短に語った。
 いわく、今から三代前の王鬼との最後の闘いで、皐月雨は一度折れてしまったのだという。
 媒体である刀が二つに折れ、皐月雨は魂が引き裂かれるような生き地獄を味わった。
 最後の力を振り絞って、辛くもその代の王鬼を祓うことには成功したが、そのまま皐月雨は意識を失った。
 死を覚悟した皐月雨だが、それから60年後、今からでいうと120年前、皐月雨は再び覚醒した。
 いつのまにか新しい刀身を媒体として得て。
 その代の主の話によると、皐月雨が折れてからしばらくして謎の鍛冶師が現れ、皐月雨を打ち直したのだという。
 皐月雨の過去の話に出てきた、妖刀皐月雨の生みの親である初老の男と雰囲気が似ていたとのことから、どうやらその縁者らしい。 とはいえ、皐月雨を打ち直してすぐ姿をくらましたため、詳しいことはわからないとのことだった。
(ふーん……で、それと今回の王鬼とどんな関係があるの?)
『うむ。今回の王鬼の、宿主を強化する術。あれは元はと言えば、我の力だ』
(皐月雨の? どういうこと?)
『奴はあの力を三代前の王鬼から"受け継いだ"と言っていた。そんなことが出来ること自体驚愕に値するが、では三代前の王鬼はなぜその力を得たのか。……恐らくは180年前、折れた状態で当時の王鬼にとどめを刺したとき、媒体が破損して不安定になっていた、我の妖刀としての力が王鬼に取り込まれたのだろう』
(力を、取り込んで……受け継ぐ……? そんなバトル系少年漫画みたいなことができるもんなの?)
 みのりが困惑した表情で尋ねる。元々悪鬼は普通の生物らしくは無かったが、この話はますます常識離れしている。
『精神のみの存在だからこそ可能な芸当だろう。おそらく、それも一つの進化の形なのだ』
(進化、ね。……まあ結局、問題はそれに対して私達はどう闘うのか、だよね。あの子を傷つけずに王鬼だけ倒す方法を考えなきゃ)
 みのりは小難しい話を打ち切り、実際問題に話題を向けた。皐月雨はどうも説明好きらしく、うっかりするとどんどん難しい方向まで理屈が進んでしまう。
『方法、か……。一つだけ、思い当たる節がある』
(え、あったの? なぁんだ早く言ってよ〜。てっきりこれから新しく奇想天外な方法でも編み出さなきゃいけないかと思ったよ)
 安心したようにみのりが言うが、皐月雨は浮かない声で続ける。
『いや……あるにはあるのだが、危険な方法だ。それに前提条件を揃えなければ成功しない』
(危険って、あの子が? それとも私が?)
『む? ああ、どちらかといえばあの少女よりみのりのほうが危険だな』
(じゃ、大丈夫!!)
『はぁ!?』
 やたらきっぱりと言い切るみのりに、皐月雨が思わず素っ頓狂な声を上げる。
『何がどう大丈夫だというのだ? 言っておくが、我の守護まで考慮したうえでなお危険だ、と言う意味だぞ? 』
(んー……でも他の方法は今の所ないんでしょ? 明日の深夜に間に合わせるには、新しい方法を考えてるほど余裕はないし、ある程度はしかたないんじゃない?)
『まぁ、それはそうだが……』
(それに)
 言い渋る皐月雨に、みのりはさらに言葉を重ねる。
(私には私の正義がある。後悔しない生き方をしたい。何も遊びで闘うわけじゃないよ。友達を護るためなら、それなりの危険は覚悟するって)
 あの子が巻き込まれたのは私のせいでもあるしね、と言ってみのりは笑う。
 巻き込んでしまった責任を思い落ち込むのではなく、助ける責任を果たすための気概を込めて、笑う。
 その姿は、かつて面倒ごとを避けるために皐月雨を無視しようとしたときとはもはや別人だった。
 今では、彼女は悪鬼をめぐる物事を正確に捉え、自分の身の危険も承知している。
 そして、それでもなお。彼女の正義(いし)は揺るがない。
『みのり……。そうか。汝の決意はわかった。ならば早速万全を期すための計画を立てようか』
(りょ〜かい!!)


 ――そして、五月二十四日、火曜日。
 みのりと皐月雨は、満月に照らされた神明神社にたたずんでいた。
 時刻はまもなく日付が変わろうかという頃。神社とその周りはいつにも増して人の気配がなく、それどころか虫の声、木のさざめきさえも無い。
 それは皐月雨の力が、神社という“特別な場所”に作用しているからだ。
 ……二日前の夜、王鬼が場所の選択を任せると言ってきたとき、神明神社を指定したのは皐月雨だった。
 術のほとんどが廃(すた)れた現代でも、寺社は守護術の媒介として非常に優れた性質を残している。そのうえ自分達の本拠地でもある神明神社は、みのり達にとっては相当有利な場所だった。
 しかし王鬼はあっさり承諾した。それどころか、
"せイぜい入念に準備ヲしておくことデす。罠でも、結界デも、なンでもネ"
 と挑発さえした。
 そして、今。神明神社は、境内全体が皐月雨の張った守護結界に包まれている。
 神社という媒体を対象とするがゆえに、人払い、悪鬼の侵入の妨害、内部の建築物の保護といった強力な効果が、従来より遥かに少ない妖力で効率良く実現できていた。
(でもさ)
 みのりがふと尋ねる。
(王鬼まで入ってこれなかったり……しないよね?)
『いや、それは恐らく……』
 皐月雨が言いかけるのとほぼ同時に、あたりに静電気のような音が響き、同時に神社を覆う結界が揺らぐ。
 かと思うと、みのり達の正面数メートル離れた位置に、制服姿の少女が“降って”きた。
 結界を真上から突き抜けてきた少女は、着地の直前全身に赤紫の光を纏い、静かに境内に降り立った。
『……無用の心配だったようだぞ』
「だね。……午前0時ジャスト。几帳面だね、王鬼さん?」
"いえ、失礼。もウ少し早めに来ようとハ思ったんでスけど、少々支度に手間取ってしまっテ。この“セイフク”っていウのは着方がよくわかりまセんね"
 顔にかかる長い前髪を手で横に流しながら少女……否、少女に憑いた王鬼はそう言った。
『着方? わざわざ着替えて……いや、着替えさせてきたのか?』
 皐月雨が呆れたように王鬼に問う。
"ええ、宿主の無意識はドうやらこの姿の時が一番“引き締まる”みたいナので。主導権はワタシにあルとはいえ、その影響は色々ト大きいんデすよ。このかシこまった言葉遣いとかネ。ただ、宿主ノ知識がまだ断片的にシか見えなくて、どうニも勝手が……結局、最低限の体裁を繕うことしカできませんデした"
 そうぼやく王鬼を見れば、胸元のリボンは結ばれることなく垂れ下がっている。ブレザーはちゃんと着られているが、ワイシャツの小さいボタンは止めず、ブレザーの比較的大きなボタンで押さえられる胸元部分まではだけていた。
 実を言うと、みのりは最初この姿を見て“いかにも悪そうな迫力のある着こなしだ”と思っていた。
 だが、その原因が“うまく着れなかった”などという間の抜けたものだと知り、結果。
(……皐月雨、あの子の胸元見ちゃ駄目だからね)
『(誰が見るか。……大体、元より妖刀である我は人間的な視覚は持ち合わせてない)』
 こんな緊張感の欠片もないやり取りを思わずするまでに毒気(どっき)を抜かれてしまった。
 ……しかし。
"さテ、そろソろ準備でもするトしましょうか"
「『……!』」
 一瞬にして、そんなふぬけた空気は吹き飛んだ。
 結界内の景色が一瞬揺らいだかと思うと、目に見えぬ何か……“気”のようなものの流れが、王鬼の右腕に向かって凄い勢いで集中しだす。それをみのり達は直感的に感じたのだ。
"……良イ守護結界ですね。外とは完全に遮断さレて“気”を引き寄せられなイし、結界内もよく保護されてアまり“奪えない”。まぁ、今まで貯メた分でも充分ですけド"
 そう言うと王鬼の右腕からぼんやりとした赤紫の光が発せられる。その光が宿主の華奢な右腕を芯に、凶悪な鬼の腕を形成した。
『むぅ……。依代(よりしろ)を得た事でより強靭に実体化しているようだ。油断ならんな』
「みたいだね。皐月雨、こっちも準備お願い」
『心得た』
 竹箒の柄のほうの末端に、青紫の光球が現れる。みのりはそれを左手の平に当て、左手をその光で包ませる。
"タしか纏った対象を保護すルと同時に、ワタシ達に干渉できるヨうにする術でしタね。……刀は抜かないンですか?"
『我らにとっては、ただ単に汝を祓えば良い、という問題ではないのでな』
「そうそう。万が一にもその子を傷つけちゃったらいけないからね」
 もう一つ現れた青紫の光球を竹箒自体に当てつつ答える。
 みのり達は王鬼の取り憑いている少女の身を案じて、皐月雨の刃を収めたまま闘うことに決めていた。
"心配しなくテも今のワタシの守護障壁は、簡単に斬レるほど弱クはないんですけドね。……まあ好きニしてください。アナタ達のこト、あえて主力武器を使わなイってことは、代わりの策を用意済みなんデしょう?"
 王鬼の見透かそうとするような言動に、
「さあね?」
『そのうち嫌でも分かるさ』
 不敵な笑みを浮かべ、右手のみで皐月雨の仕込まれた竹箒を構えるみのり。
 穂先を相手に向けた竹箒は、いつしか強い光に包まれていた。
"それは楽しミでスね。じゃァ、始めましょうカ……。互いの命運を賭ケた闘いを!!"
 双方の戦闘準備が整ったことを確認した王鬼は、そう言ってみのり達に向かって突進した。

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