陸.決闘という名の生存「闘」争

後編.生存闘争 〜異なるモノとの闘い〜


 王鬼が動き出したのにコンマ1秒だけ遅れて、みのりも王鬼に向かって地を蹴る。
 そして、激突。妖力のぶつかり合いによる、強い静電気のような破裂音が響き渡る。
 せり合う得物ごしに、王鬼の蒼とみのりの紅、二つの視線がぶつかり合う。
"……ふゥん、なかナかのチカラじゃないデすか"
「……そっちこそ、さすがに親玉だけあるね」
 単純な力比べではほぼ同等。だが、長尺物を使うみのりよりも、腕を直接武器とする王鬼のほうが小回りが利く。
 全く同時に強くはじきあったのち、次の一撃は王鬼のほうが早かった。鋭い爪がみのりの頭を狙い突き出される。
 対するみのりは、右手の竹箒での防御が間に合わないと知るや、淡く光る左手を繰り出した。
 まっすぐ向かってくる王鬼の腕に対し、正面からぶつけ合わずに、外側から横へ、絶妙のタイミングで掌手を当てる。
 それにより攻撃の軌道を自分の右肩のほうへ誘導すると同時に、上半身を右に捻(ひね)ることで避けた。
 その捻りはそのまま、逆手に持った竹箒を振るう“溜め”となる。
 捻りを元に戻す回転に腕の力を上乗せし、王鬼の胴を狙って一気に真一文字に振りぬく。
 しかし……。
 みのりの視界に映ったのは、高速で横切る竹箒の残像と、それを余裕で飛び越える革靴のつま先だけだった。
 王鬼は、宙返りしながらみのりの頭上を過ぎていく。
 ……そのごくわずかな時間に。
(……! 皐月雨!!)
『応!!』
 みのりは背後からの殺気に即座に反応する。
 そして皐月雨は、“心で呼びかける”という、口での発音より遥かに短いその一瞬でみのりの意図を理解し、身体感覚の強化を最優先にする。
 その間にみのりは竹箒を、逆手に持った右手から、左手で順手に持ち直す。
 そして身体をさらに左に捻りつつ、竹箒を斜め左背後へ振り上げた。
 それはまさにみのりの背を狙って突き出されつつあった王鬼の右腕に命中し……、
"ッッ!!?"
 ……瞬間、閃光と爆音を発して王鬼を吹き飛ばした。
 刹那の流れるような攻防を制したみのりは、バランス無視で身体を捻ったために、背から地面に激突しそうになる。
 だが強化された身体感覚をフル活用し、宙返りの要領で地を蹴ったのち右手を地につき勢いを制御、さらに右腕の屈伸で飛び退き体制を整える。
「ッ痛!」
 その時、右の二の腕に、弱くはあるが鋭い痛みを感じる。
 着地後に見ると、白衣の右袖が斬り裂かれ、腕に浅い斬り傷が出来ていた。
 一方、吹き飛ばされた王鬼も、空中でバランスを整え、器用に着地する。
『さすがに、普通の防護障壁では防ぎきれんか……』
(へへっ。まいったなぁ。これは油断できないね)
 みのりは少しもまいっていない強気の笑みで、王鬼に目を据えた。


 妖刀の主である巫女が、有り得ない体勢から繰り出してきた一撃。
 それが自身の腕に接触した瞬間、王鬼は閃光と爆音、そして衝撃を一度に受けて吹き飛ばされた。
 一瞬の混乱ののち、猫のように空中でバランスを整え、器用に着地する。
 右腕を見ると、肘から先は鬼としての腕はほとんど消え去り、感覚のない宿主の手があるだけだった。
 その華奢な腕に外傷は一切ない。それを操っていた自身の精神体部分のみが消し飛んでいた。
――宿主に重なっていた部分以外は吹き飛ばされた、か。修復できないことはないが、しばらくは使い物にならない――
 精神だけの存在である悪鬼は、肉体を持つ生物と違い、エネルギーの消費さえすれば精神体を修復できる。
 が、修復にはそれなりの意識の集中と時間がかかる。時間を短縮しようとすればそれだけ多くの妖気を消費することになるのだ。
――あの光。“烈”と言っていたか。牽制(けんせい)程度の意義しかないと思っていたが――
 先日同時にけしかけた3体の悪鬼のうち、逃げ帰ってきた1体より“受け継いだ”記憶を思い返す。
 しかし、今の状況はその記憶による判断が甘かったことを証明していた。
――まさか直接炸裂させることでこれほどの威力を発揮するとは……―
"……!!"
 思考により停止している短い間に、巫女は再度攻撃を仕掛けてきていた。
 恐らく、妖刀から王鬼の再生能力について聞き、あまり様子を見ている暇はないと踏んだのだろう。
 焦りのためか、一度目の攻撃と違って隙が多い。
――ふん……しょせん、にわか仕込みの素人か――
 王鬼はその『あからさまな焦り』が見え見えの攻撃にやや失望し、上段から振り下ろされた竹箒を右へ軽く避ける。

 バヂッ

"?"
 奇怪な音がした方を見ると、右手首が巫女の左手に掴まれていた。
 残存していた王鬼の妖気と、妖刀由来の妖力が反発した音だったのだ。
 ……そう認識している間に。
"うァ!?"
 右腕が物凄い勢いで引張られたかと思うと。
 世界が、回転した。
 突然の変化に一瞬、ほんの刹那の間だけ呆然とする。 我にかえったときには、仰向けに地に伏していた。
 そして、自分が“投げ技を受けた”のだという事実を認識するより先に。
 巫女が妖力の爆発を秘めた得物を振り下ろそうとしている光景を見せられた。
"?!!"
 がむしゃらに転がり紙一重で避けると、竹箒に凝縮された妖力が地面に当たって爆散し、衝撃波をもろに受けた。
"ちィッ!!"
 素早く起き上がり、背後へ跳躍し距離をとる。
――隙が多いのではなかった。彼らにとって、『常識的な隙』のほとんどは敵を引き寄せる“罠”なのだ――
 今の攻撃による、ダメージ自体はゼロに等しい。
 だが、王鬼の慢心を打ち砕くのには充分な威力を持っていた。
 王鬼は左手で目元を覆い、己(おのれ)の迂闊さに溜息をつく。
――…………やってくれる……!!――
 次の瞬間、左腕は鬼のそれへと変貌する。
 無骨な指の間から覗く表情は、好敵手を見つけた喜びの笑みに満ちていた。


(うわ、本気モードっぽい。もう少し油断しててくれたら助かったのに)
『やむを得まい。右腕を“押さえる”ことが出来ただけでも良いほうだ……後ろへ飛べッ!!』
(わッ!?)
 言葉を交わす間に電光石火の如く接近した王鬼の攻撃を、間一髪で避ける。
 元より王鬼は力を出し惜しみしていたわけではなく、素早さや力の強さ自体は変わっていない。だが、さっきまでに比べて動きの切れ、気迫の鋭さが格段に増していた。
(……ッこの!)
 もう一度“烈”を発動させ、王鬼の左半身側へ――ダメージにより反撃の可能性が低い右腕の側でなく、あえて鬼の爪を持つ左腕の側へ―― 回り込むように移動し、袈裟斬りに攻撃を加える。
 それに対し、王鬼は。
(……避けない!?)
 その左腕で……みのり達がまさに狙っていた、鬼の腕で防ぐ体制を取った。

 響く爆音。炸裂する閃光。

 ……しかし、右腕のときと違い、王鬼の腕はその鬼としての様相を少しも損なわずに竹箒を受けきっていた。
 妖力を集中させることで、防御力を倍増させたのだろう。その腕は通常よりも強い光を纏っている。
(……ッぐ?!)
 そして、王鬼の右脚による蹴りがみのりの左わき腹に当たり、防御障壁と火花を散らす。
 間髪容れず左腕で相手の右脚を逃さぬよう抱え込むみのり。
 だが、王鬼は左足で地を蹴り、その掴まれた右脚を軸に、身体へ右の側方回転をかける。
 それにより右脚をみのりから振りほどくと同時に、左足による蹴りをみのりの側頭部に命中させた。
(〜〜!!)
 脳を揺らされつつも、みのりは数回連続で飛びのいて距離をとる。
(……ぐぅ〜ッ!頭の中が揺れてクラクラするッ!!)
『大丈夫か!? ぬぅ……防御障壁の欠点を突かれたか』
 防御障壁は例えるならば強固な鎧。斬撃や貫通力は力を分散させて防ぐことが出来る。
 だがその性質上、攻撃の命中による衝撃や振動までは無効化できず、特に平衡感覚を司る器官のある頭部に攻撃を受ければ、それらによるダメージは防げない。
『単なる強化のみの蹴りだったのは幸いだったな。気をつけろよ、爪では防げぬ!!』
(わかってるよ!)
 言葉を返しつつ、“烈”を発動し直す。
 それを見て、王鬼は。
"ふム……。チカラを集めレば受けきれルとはいエ、やはりソの技は強力でスね。ドれ……ワタシも使っテみるとシますか"
 そう言いながら急速に距離を縮め、左腕を振るう。
 みのりが竹箒でそれを受け、……そして、そのみのりに向かって、妖力の爆発が起こった。
『!!』
「きゃぁ!?」
 衝撃により吹っ飛ばされ、小型倉庫の一つに衝突する。こちら側の“烈”によってある程度威力が相殺されたおかげか、倉庫の壁はややへこんだだけでみのりを受け止めた。
『ぬかった……! 我の力の一部を取り込んだとはいえ、術式まで使いこなすとは!!』
「ぐ……いったぁ……って!? 竹箒が!!」
 目を開くと、皐月雨の鞘である竹箒の部分が、打ち合った箇所で砕け散り、ほとんど本来の白刃があらわになっていた。
"ふふ……チょうど良イじゃないですカ。そロそろ“刃を向けない”なんテ余裕ぶったコとを言っていられなクなってきた所でしょウ?"
 挑発的にせせら笑い、みのりが体勢を立て直すのを待つ王鬼。
「ふんっ! そっちこそ、そんなこと言って油断してていいの? また一泡ふかせちゃうよ?」
『まぁ、慢心してくれたほうがこちらはありがたいがな』
 みのりは立ち上がってびゅん、と皐月雨を振り回し、わずかに刀身に残った竹箒の残骸を乱暴に振るい落とす。
"慢心なんテしてませんよ。その証拠に、スでにアナタ達が仕掛けた罠もいくラか見抜キました"
『何……?』
 辺りをゆっくり見回しながら王鬼が続ける。
"砂利にまジッて、故意に固定サれた石が複数ありますネ。配置からしテ封印結界、それも結構な数のヨうで"
(……!)
『むぅ……』
 たしかにそれは、あらかじめみのり達が昼のうちに用意しておいた策だった。
"サっきの攻撃で確信しまシたよ、妖刀。アナタ、六百年前ノ再現をするツもりですね?"
 六百年前。みのりの先祖は、結界により動きを封じられ、憑依術によって自分の身体に強引に引き寄せられてきた悪路王……王鬼の祖を、妖刀で迎え撃った。
 そして現代、皐月雨とみのりは、宿主を傷つけずに王鬼を斬るには、その方法が最も確実だという結論に達したのだった。
"おおカたワタシの四肢を“烈”とやラで封じタあと結界で縛り、術で宿主かラ引き剥がして斬るつもリだったんでしょう……でモ"
 言うと、王鬼の左腕を包む光が、赤紫から青紫へ……そう、ちょうど皐月雨の妖力と同じ色彩へと変わる。
 その腕が軽く振るわれる。と同時に、神社境域内にみのり達が仕掛けた封術結界が起動した。
 それも一斉にだ。その数、実に数十。
"……ヨくもまァ、これほド多く仕掛けタものですね"
 王鬼が呆れたように言う。
 数多の結界の放つ光で、境内全体がまんべんなく照らされるほどなのだから、呆れるのも無理もないかもしれない。
 結界が複数あるのには気付いたものの、正確な数までは把握できていなかったらしい。
 一方みのり達は……。
「えッ? 皐月雨!?」
『否、起動したのは我ではない! これは……!!』
 ところどころ重なりさえしながら境内を埋め尽くす円形方陣の輝きの中で、当惑していた。
 本来、いまこの境内にある方陣を起動させられるのは、その礎(いしずえ)を設置した皐月雨だけのはずだった。
 否、もっと突き詰めて言えば、“皐月雨の妖力”でなければ設置した術の礎に干渉できないようになっているのだ。
(ということは……!)
『うむ……。腕の光の色の変化からして間違いあるまい。』
 皐月雨が何が起きたかを察したと見た王鬼はにやりと笑い、
"そノとおり。アナタの力の一部を取り込ンだおかゲで、この通リ……"
 言ってもう一度左腕を振ると、その動きに吹き飛ばされたかのようにすべての封術結界が消え去る。
"アナタの術はワタシにも干渉できルんです。かツての手ハもう効きませンよ?"
 腰に右手をあて、あえて得意げな笑みで挑発する王鬼。しかしみのり達は迂闊に動くわけにもいかず、苦い顔をするしかない。
(まさか、術に割り込むなんて……)
『つくづく厄介な相手だ。……だが、幸いそれも“完全ではない”ようだ。……気付いているな?』
(まあね。でもそれにしたって、あの子を傷つけないためにも迂闊に皐月雨を振れないし。……せめて峰打ちの練習しとくんだった)
"どうシたんですか? まさか策を一ツ破られたクらいで終わりじゃナいでしょう?"
 相談をしている間に、王鬼が攻撃の間合いに踏み込んでくる。
「くっ……!」
 みのりは繰り出される数々の爪撃を確実に皐月雨で受けていく。が、宿主の少女を傷つけるのを恐れるあまり、どうしても防戦寄りになってしまう。
 刃とは恐ろしいものだ。使い方を誤れば、意図せずとも斬り裂くことが出来てしまう。
 それを、傷つけぬよう配慮しつつ級友に向けるのは、技術以上に心理的に至難の業なのである。
 結局数回打ち合ったのち、相手を強くはじいて距離をとった。
(それに……たとえ当てたとしても生半可な威力じゃ、あの左手を封じることはできない。なにか……! なにか方法は……)
 王鬼が追随してくるが、ひたすら逃げ回ることに徹する。少しでも策を練る時間を稼ぐために。
 あくまで倒すのは王鬼だけ。その為にはまず攻撃力をそぐのが先決である。必然的に狙いは左手に集中する。
 だが、術式“烈”単発ではあの左手の防御力に歯が立たない。ならば……
 そこまで考えながら何度目かの後退をしたとき、王鬼が呟いた。
"……まっタく、逃げてバかりじゃないデすか。ただ追うのにモいいかげん飽きましタよ?"
 溜息をつく王鬼。だがすぐに何かを思いついたのか、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
"ソうか。考えてみレば、器による媒介にコだわる必要もナいんですよね。威力は劣るケど……"
 言いつつ、脇下まで左手を引き、ちょうど正拳突きの構えのような体勢をとる。
"必殺の一撃デ無くても良いんダし……"
 一人ごちる王鬼に、みのり達は不審に思いつつも構えて警戒する以外に術がない。
『……? 何をする気だ?』
(あんな離れた所から……まさか何か皐月雨の術でも使う気?)
『いや、遠距離攻撃の術など無いはずだが……』
 それでも、何かを企んでいるのは確かである。迂闊に近づくのは危険、と判断した矢先。
"……ワタシも少シ、“工夫”してミるとしましょう"
 王鬼が左手を突きのごとく繰り出し。
「嘘ッ!?」
 その左腕が突き出された勢いのまま長く伸び、まるで獲物に襲い掛かる瞬間の蛇の如く、高速で襲い掛かってきた。
 無論その腕とは、宿主の少女のもののことではない。鋭利な爪を持つ、王鬼の精神体の腕である。
 みのりは急ぎ飛び退いて避ける。が、王鬼は腕を伸ばしただけでなく、自分自身も移動していた。
 避けた先に王鬼が接近し、左足による横薙ぎの蹴りを放つ。
 頭を狙ってきたその蹴りを、なんとか左手で受け止めた。
「っせぇいッッ!」
 そしてみのりはそのまま王鬼の足首を掴んで上半身を左に捻り、力任せに背後へと振り回す。
 途中で手を離したため、王鬼は宙へ投げ飛ばされる形となる。
 対する王鬼は上空で器用に体勢を整え、その位置からみのりめがけて再度高速で腕を伸ばす。
(ちょ……また?! 遠距離攻撃の術はなかったんじゃないの!?)
 後ろに飛び退き、自分が直前までいた地面に突き刺さる王鬼の腕を横目にみのりが聞く。
『いや、あれは術というよりも……単純に妖力を消費して、精神体の腕を変形させている!!』
(そんな無茶な!?)
 そうして問答している間に、王鬼は着地したのち、伸びた腕をしならせるようにして自分の元に引き寄せる。
『むぅ……元々精神体は“在り方”の自由度が高い存在なのだろう。知性を持つことで、形質を意図的に変えることを覚えたか』
(うんちくはいいから! ……ん? なんか、前にも似たようなこと聞いたことがあるような……ってうわッ!)
 今度は鞭を叩きつけるようにして伸ばされてきた王鬼の腕を避ける。どうやら王鬼はこの方法の可能性を探るため、攻撃ついでにいろいろ試しているらしい。
『闘いながらさらに学習してきているのか……! まずいな』
(ねぇ、皐月雨)
 再度“烈”を発動した皐月雨に、みのりが突然、思案する顔で尋ねる。
(たしか、皐月雨の刃って、私が“悪鬼を斬れるもの”って思うことで妖力がその通りになる……だったよね?)
『ああ、概ねその通りだが?』
(王鬼が精神体を意図的に変えるっていうのと、似てない? だから……)
 王鬼がその腕を、伸ばしたまま横に凪ぐように振るってきたのを飛び越しつつ言う。
(……試してみる価値はあると思うんだ)
『みのり? 一体何をするつもりだ?』
 答えずに皐月雨を構えたみのりは、自己を鼓舞するために、即興で芝居がかった言葉を呟く。
「……強く、思い描け。心の内に……鋼ではない、もう一つの刃……!」
 それにあわせて心の中に、出来る限りはっきりと刀のイメージを浮かべる。その鋭利な刀身、鈍い銀色の輝き、掴む手にかかる重みまで。そして……。


「術式・“烈――」
 巫女が肩越しに妖刀を振りかぶる。
 その様子を見た王鬼は当初、烈の妖力を地面で爆発させてこちらの気を散らすつもりだろうと推測した。 だが、今までもそうしてたかをくくる度に、相手は予想だにしない結果を叩きつけてきた。そのため警戒を怠るような愚考は二度とすまい、と思い直す。
「――空”ッ!!」
『な』
"に!?"
 ……それでも。自分に向かって一直線に飛んでくる白刃を目にしたとき、驚かざるを得なかった。
――妖刀を、投げた!?――
 “受け継いだ”経験上、妖刀の契約者が身体能力強化や防御障壁などの力を使えるのは、妖刀に触れている間だけのはずである。
 闘いのさなかに妖刀を手放すということは、誇張無しに命を手放すようなものである。
 しかし実際にその白刃はすぐ目の前まで迫っている。今すべきは詮索ではなく判断。
――……ともかく、遠くへ弾き飛ばす!――
 王鬼はそれを鬼の左手で横に振り払おうとした。……それが皐月雨だと、信じ込んで。
 そして……接触した瞬間、白刃は“破裂”する。
 その白刃は、本物の皐月雨と見まがうほどに高密度に練り上げられた、妖力の塊。
 王鬼はその事実と自身の予測との隔たりに、一瞬硬直せざるを得なかった。
 その刹那。
 妖力を飛ばすと同時に“烈”をもう一度発動し、即座に肉薄していたみのりが。
 妖力の白刃が破裂した点に、鋼の白刃の峰を叩きつけた。


 ……みのりは、新たな術を編み出してなどいない。
 彼女は、強く、ただ強くイメージしただけだった。
 刀を振るう瞬間、“刃が手からすっぽ抜けてまっすぐ飛んでいく”、そんな致命的な失敗を、あえて。
 ただし、竹で出来た柄を、軋ませるぐらい強く握り締めた上で。
 そして。主の想像力により形作られた妖力の刃は、鋼の器から解き放たれ、翔(と)んだ。
 ……みのりは、やはり柔軟な思考の持ち主らしい。


 二重の妖力の爆発が、強固な王鬼の妖気だけを吹き飛ばし、鬼の腕を宿主の少女の腕に戻す。
 その腕を、みのりの左手が掴むのと。
 ……王鬼の右腕が再生したのは、全くの同時だった。
 みのりの紅き妖魔眼に、自分の胴へと迫りくる鋭利な爪が映る。

「ッ!! かッ……は」

 そして、彼女は身体に直接響く衝撃を受ける。防護障壁で防いだときには、決して受けることのない衝撃を。
 みのりの背から、鬼の爪が生える。みのりの左手は、ゆっくりと王鬼の腕から離れ――




"……あなタ……! 一体、どウやって!?"
 ――その左手で、ひきつった表情を浮かべる王鬼の額を鷲掴みにした。
 みのりの背中から生えた王鬼の爪は、しかし彼女の身体を貫いてはいなかった。
 ただ単に、実体化を解かれた幻が“通り抜けて”いただけだったのだ。
 つまり、みのりの身体に実際に打ち込まれたのは、宿主の少女の華奢な拳に過ぎない。
 その手首には、蒼く輝く『印』が浮かんでいた。真円の内側に漢字のような紋様がびっしりと書き込まれ、印の中心にあるひときわ大きな紋様は『火』という文字に見える。
「いっ……たいなぁもぉッ!!」
"がぁアッ?!"
 王鬼を掴む左手に万力のように力が込められ、接触面には妖力同士の干渉によって、電光のごとく光がほとばしる。
 たまらず振りほどき、飛び退く王鬼。
"……!?"
 だが、本来数メートルはゆうに跳べるはずの跳躍は、まるでただの人間であるかのように僅かなもので。
 着地のタイミングが狂った王鬼は尻餅をつく。
"ど、ドうして? ……!! これは!?"
 異変に気付いて両足を見れば、そこには右手にあるのと同じ……否、よく似ているが少しずつ異なる『印』が、それぞれの足首に輝いていた。
 しかも、足だけではない。おもわずその『印』へと伸ばした左手首にも、その蒼い輝きはあった。
 それを見て、王鬼は先程鷲掴みにされた額にもその『印』があることを、実際に見ずとも悟った。
 そう。戦闘中、不自然に、そして執拗に“掴む”ことを狙い続けたみのりの左手。あれこそがこれらの『印』を形作ったのだ。
『妖力そのものを拡散させる封術の印を、宿主の身体に直接定着させた。爪の実体化はおろか、能力強化もできまい』
「防御障壁とかと発動を両立できないって欠点はあるけどね。普通のパンチでも結構効いたよ……」
 拳を受けたみぞおちあたりをさすりながら、みのりはぼやく。
"クっ……こンなもの……!"
 解術は多少の妖力とその制御を必要とするため不可能。
 妖力を引き出し強引に破ろうとするが、そうすると身体の表面をつたうように印同士の間に光の線が走り、封術が強まるだけだ。
 しかし、王鬼はそれでも、全ての力を注ぐ勢いで封術を無理矢理破ろうとする。
"確かに厄介でスが……この程度ノ術、敗れなイことはありまセん!"
 それを可能にするだけの力が、王鬼にはある。……が。
「破るも何も、この術式はまだ完成してないよ?」
"……な?"
 さらりと言うみのりに、王鬼は絶句させられる。
『仕上げに移るぞ』
「うん。……ねぇ、王鬼さん?」
 皐月雨を、刃を下に地面と垂直に構えながら、みのりが王鬼に語りかける。
「神道の成り立ちって、陰陽道の影響を受けてるらしいんだけど……『五行相生(ごぎょうそうしょう)』って、知ってる?」
"……!!"
 その言葉に反応し、王鬼の意識に宿主から知識が送り込まれてくる。
 万物は木火土金水の五行からなり、木は火を生じ、火は土を、土は金を、金は水を、そして水は木を生じる。
 その順序により、五行は互いに補いあう。
 そして。右手に『火』、右足に『木』、左足に『水』、左手に『金』、おそらく額には『土』。
 王鬼を縛る封術印は、まさしくその五つ。
『組織化五重特殊術式……』
「“星(セイ)”」
 みのりは言葉と共に、いつの間にか足元に現れていた直径20cmほどの小さな方陣の中心めがけて皐月雨を突き刺した。
 それが鍵となり、境内に無数に仕掛けられていた結界用の石――王鬼が干渉できることを示し、無力化されたはずだった礎(いしずえ)が光球となり浮かび上がる。
"ぐ……アぁ!!?"
 同時に、王鬼に定着した五つの封術印がいっそう輝きを強め、宿主ごと王鬼を宙に浮かせる。
 生じた光球の全てがそこへ集い、輝きの軌跡を残しながら舞う。
 ……舞う? 否、その光景はもはや光の嵐とすら形容できる。
 荒れ狂う光の奔流は、やがて五つの封術印を頂点とした五芒星を中心に据えた、大規模な方陣を形成する。
"ぐ……ッ! くソぉ!!"
 王鬼はその方陣に磔(はりつけ)のような状態となる。
 五行相生の環により術の力は強めあい、五行相剋(ごぎょうそうこく)の五芒星により王鬼の力は打ち消される。 その力により、王鬼は自由を完全に封じられた。
 みのりは自分の白装束の上、胸部の中心に、王鬼を縛る方陣と対になる、小型の五芒星の印を浮かばせる。方陣の五芒星と印の五芒星、それぞれの対応する頂点が光線で繋がる。
 それら5本の光線に囲まれた空間……王鬼をおのが身体に引き寄せる軌道を狙い、突きの構えを取る。
「……“来(ライ)”!!」
 自分を依り代とした憑依の術の発動合図により、方陣の五行の印がひときわ強く輝きだし、王鬼の魂が宿主の身体から引き剥がされてゆく。
 五芒星の五つの頂点たる『印』は、星の形を維持したまま宿主の少女の胸部中心へと収縮。それにあわせて王鬼の魂は、その方陣の中心へ囚われ、圧縮される。
 方陣がみのりの胸の印と同じくらいの大きさになったところで、圧縮された王鬼の魂が、みのりに向かって高速で吸い寄せられていく。まるで撃ちだされた砲丸のように。
 みのりはそれに正確に狙いを定め、皐月雨の刃を突き出した。


 ……王鬼の力を封じるための術は、重ねあわせを利用することで強力なものとなった。
 しかし、宿主から引き剥がすには、過去と同様に妖刀の主自身を依り代にせねばならず、失敗すれば身体を乗っ取られるリスクは避けて通れないものだった。
 とはいっても、王鬼が封術方陣から術者の印に到達するまでの時間は非常に短い時間であり、隙はほとんどないといっていい。実際は印に到達する前に皐月雨による突きで迎え撃つので、さらに隙の出来る時間はせばまる。
 ……つまり、逆にいえば、隙が全く無いわけではないのだ。理論上は。
 それでも。王鬼が皐月雨の突きに半身を削られつつ、完全には倒されなかったのは驚愕に値する出来事だった。
「……あっ……!?」
 みのりは胸の印に手負いの王鬼が入り込む衝撃を受ける。
 それは、単に何かがぶつかったような感触ではなく、水に物が落ちたときを連想するような、反発しきらずに入り込んでくるような、不可思議な衝撃だった。
『しまった!! …………っかりし……のり!!』
 そして。皐月雨の必死の呼びかけを途切れ途切れに聴きつつ、みのりは意識を失い、その場に静かに倒れ伏したのだった。

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