跋.“夜明け”


 
 ……深夜。日付が五月最後の日に変わってから、二時間ほどたった頃。
 神社の境内に、空から巫女が舞い降りる。
 その手にはひどく古びた装飾の刀……意志ある妖刀が握られている。
「今日も異常なし……っと」
『うむ。平穏無事で何より』
 彼ら……みのりと皐月雨は、悪路王を祓ったあとも、念のために深夜の巡回を続けていた。
 悪鬼達が禍年固有の衝動を失い、おとなしくなっているかの最終確認である。
 そしてそれも、今日で最後になる予定だった。
 なぜならば。夜の世界で闘ってきた彼らにとって、五月三十一日の太陽が沈んだ先にある深夜は、もはや六月の夜なのだから。
『これならば我も安心して眠りにつけると言うものだ。いや、その前に可能なら壊れた竹箒をなんとかしたいところだが。みのり、なにかいい案は……おい、みのり?』
「…………あ、え、なに?」
 ぼんやりしているみのりに皐月雨が声をかける。
『またか……。一体どうした? 昨夜から様子が変だが。またあの級友と仲違いでも起こしたのか?』
 一週間ほど前、悪路王の宿主として立ちはだかった少女とみのりの確執を思い出し、たずねる。
(え、ううん? あの子とは決着がついたよ)
『そうか……ん?』
 なにか発音に違和感を感じる皐月雨。“あの事は決着がついた”ならわかるが、みのりの言ったニュアンスは“あの子とは”だった。
『みのり、決着とは……』
(うん。機会をみて再戦を申し込んでね、今度はお互い変に感情的にならないように気をつけつつ、心ゆくまで論を闘わせたの。 大丈夫、結論から言えば仲直りしたから)
 どうやら、言葉どおり級友相手に決着をつけてきたらしい。
『なんというか……普通に謝罪しあって仲直り、とかでないところが汝らしいというか……』
(いや、別に私だって普通の仲直りをしない人ってわけじゃないんだけど。ただ、今回の場合は私もあの子も頑固だからね。 “なりゆきでなんとなく仲直り”ってより、どっちも納得するまでとことん語りあったほうがわかり合える、って思ったんだよ。 実際、かえって前より仲良くなっちゃったし)
『ふむ。結果“おぅらい”というやつだな。まあ解決してよかったではないか』
(まあね〜。……)
 みのりは相槌を打ったのち、少し黙る。
 何かを躊躇しているのか、しばしそわそわしたのち。
(……で、さ。ぼ〜っとしちゃってた原因は他にあるわけで……。場合によっては、皐月雨が寝ちゃう前に相談したいかな〜、とか)
 意を決して、そんなことを言った。
『ふむ? 言ってみるがいい』
 柄にもなく、やたらもじもじしているみのりをいぶかしみつつ、皐月雨は続きを促す。
(……えっと、昨日お祭りあったでしょ?五月祭り。そのあとにね……)
 少しだけ頬を紅潮させ、目線を泳がせつつ。
(……こくはく、されたの。……それも、俗に言う愛の告白、ってやつ)
 みのりは、“告白された”ことを告白した。
『ほほう? めでたいことではないか』
 皐月雨の声に茶化すような印象があるのは気のせいではない。だが、意外にもみのりはそれに気付かない。
「いや、でもさ、私、そんなの受けたの生まれて初めてだし!? ……それに、その人のことあんまりそういう風には意識してなかったから、曖昧な返事しかしてなくて。 ……えと、だから、どうしよう? とか、誰かに聞いてみたかったり?」
 両手でせわしなく意味不明のジェスチャーをしながら、しどろもどろ言うみのり。
 そうして、声を出さずとも聴こえる相手に思わず声を出して喋っていたのに気付き、ばつが悪そうにこほん、と咳払いする。
 初めて告白されたせいか、いつもと違って珍しく弱気だ。
 皐月雨はそんなみのりを微笑ましく思う。
『……ふむ。力になりたいのは山々だが、あいにくと我が言えることは一つだけだ』
(……あ、なんかやな予感)
 愉快そうに言う皐月雨に、みのりはちょっと相談したことを後悔する。
『“好きにすれば”よかろう? こればかりは汝の問題だから、我に助言できることはない』
 かつてみのりが悩める知人、溝口に言い放ったのと同じ事を言う。
 それは、これ以上ない皮肉だった。なぜなら……
(う゛〜。やっぱり……。溝口さんと違って優しくないなぁ、皐月雨は)
『ほぉう? “溝口さんと違って”とな?』
(………………待って、ごめん、イマノナシ)
 その溝口こそが、みのりに愛の告白をした“ある人”に他ならないのだから。
 自らの失言に、耳まで真っ赤になってうろたえるみのり。それこそ顔から火を噴くという表現がふさわしい。
 こうなってはもはや“ある人”とやらが溝口であることは、誰の目にも火を見るより明らかである。もとより皐月雨は感づいていたが。
(で、でもさ。ずるいと思わない? 溝口さんたら、仕事でここを離れて、もう戻ってこないかも、なんて状況でそんなこと言うんだよ?)
『……何? 溝口殿はこの地を離れるのか?』
(……ん。新人研修が終わって、配属先が遠くになんだってさ。……もーっ! 告白するだけしておいて、すぐお別れなんて勝手なんだからっ!!)
『……む』
 みのりがいつになく弱気だったのは、初めて愛の告白を受けたからというだけではなかった。
 異性に……それも、おそらくは自覚なしに好意を寄せていた相手に告白されながら、すぐに離れ離れになってしまうがゆえの苦悩があったのだ。
 皐月雨は茶化した己を恥じる。
 その事情にみのりの雰囲気から気付けなかったこともだが、それ以上に別の理由で。
(置いていかれるほうの身にもなってほしいよ。……………………溝口さんの、ばーか…………)
 ちょっと拗ねた感じで、この場にいない想い人(?)への悪態をつくみのり。
『…………むぅ……』
(……? どしたの、皐月雨?)
 皐月雨は、そんなみのりを見て、まるで自分が叱られているかのように弱々しく唸っていた。
『いや、なに。我としても耳が痛い、と。そう思った』
(え、なんで? ……あ。そっか、もしかして、皐月雨が刀になったときのこと……?)
『……ああ』
 皐月雨はかつて、一人の女性を守るために己が身を差し出し、妖刀となった。
 だがそれはある意味、勝手に助けた上でその女性を置き去りにした、ということでもある。
 “その地を離れる”か『人の世を離れる』か、度合いに大きな違いはあれど、皐月雨は、そんな自身と溝口を重ね見ていたのだ。
(で、でもそれは仕方のなかったことでしょ? 皐月雨が気に病むことじゃないよ)
『それを言うならば、溝口殿にだって当てはまる。仕事で転勤するのは仕方のないことだ。 ……そして、置いていかれる側の心情にとっては“仕方のないこと”では片付けられないのもまた、やむを得ぬことなのだろうな』
(む……なんか悟ってるね、皐月雨)
 前半の溝口のことで言い返そうとしたのに、後半で先にその心情を看破され、みのりは微妙に不満そうにそう尋ねる。
『……妖刀になってから最初の眠りにつくまで、散々“彼女”――汝の祖先に恨み言を言われたからな』
(そうなの? ……あ、そっか! 王鬼を倒したあともしばらくは起きていられるんだもんね。話も出来るか)
 現に、今まさにこうして闘いが終わったあとも会話していることに気付き、みのりは気軽に言う。
『……いや。彼女と言葉を交わしたのは、人間だったうちが最後だ』
 が、皐月雨は溜息混じりにそう言う。
(え!? なんで、だって妖刀になっても今みたいに……)
『創られた当初、我は他者と言葉を交わすと言う機能がなかった。いつか言っただろう?  我の力は最初からなんでも有りだったのではない、長い年月の間に少しずつ付け足されていった結果だと』
(そんな……じゃあ、ご先祖様の恨み言って言うのは……)
『……ああ、彼女は我が六十年の眠りにつくまでの数日間、毎日声をかけてくれた。かろうじて我が眠っているか否かくらいの違いはわかったらしくてな。 それは恨み言も言いたくなるだろう。……まぁ、その。たとえ恨み言まじりでも語りかけてくれるのは嬉しく……そして、言葉を返せないのを申し訳なく思ったのだが、な』
(…………)
 みのりは絶句していた。自分達より数倍過酷な別れ方への同情よりも、皐月雨と自分の先祖の、絆の深さに。
(本当に……強いね。皐月雨も、ご先祖様も)
 そうして、その感嘆をうまく言葉に表せず、かろうじて“強い”という言葉で代用して呟く。
『……さてな。だがみのり。“強さ”というものは人それぞれだと思うぞ?』
(え?)
『時代が変われば必要な“強さ”も変わる。様々な目的に応じた“強さ”は別個のもので、それらを比べることなどできまい。 我らが持つべきだった強さと、汝が欲すべき強さは異なるものだ』
(……そう、なのかな?)
『……惑わされるな。汝は汝なりの強さを手にすれば良い。そしてそれは既に汝の中にあるのだ。……汝の言うところの、“正義”としてな』
(……!)
 目を見張るみのり。そう、答えそのものではないが、答えを出すための指針は、最初から持っていたのだ。
(……そっか。そんなものかもしれないね)
『ああ。そんなものだ』
 迷いを振り切ったのだろう、晴れ晴れとした表情で伸びをしながら、星空を見上げるみのり。
「決めたっ!! 私はやっぱり、私らしくする。ただそれだけの、シンプルな答えで充分っ!!」
『……ふ。そうだな、それがみのりらしい』
 そして、どちらともなく、笑い出す。深夜の神社で、巫女と妖刀が穏やかに笑いあう。
 …………ちなみに。このやり取りがのちに、みのりが一年にわたって溝口にメールの返事をしないというスタンスを貫く結果に繋がるとは、 当然ながら皐月雨は知るよしもなかった。




『……そろそろ、夜明けだな』
(そうだね。……あ〜あ、今日は一気に二人とお別れかぁ。しかもせっかくの一切気兼ねなく話せる貴重な相手が両方とも)
 五月最後の朝が来る。そうすれば溝口は遠方へ旅立ち、皐月雨は次の闘いに備えてふたたび長い眠りにつく。
『まぁ、今生の別れとも限るまい。溝口殿ももう一度転勤でこちらに来るかもしれぬし、我にいたっては倉庫で寝ているだけだからな。 下手すると六十年後にまた顔をつき合わせるかもしれぬ』
(げ、溝口さんは歓迎するけど、七十歳のおばあちゃんになってからまた皐月雨に会うってのはなんか複雑かも)
『ふ、まぁそうだろうな』
 しかし彼らは普段の様子とかわらず、たわいもない話で笑いあう。きっとそれが、神明みのりのスタンスなのだろう。
『……ところで、汝は早く帰ったほうがいいのではないか? 今日も学校はあるのだろう?』
(うん、でも今日はしばらくここにいるよ。皐月雨が眠ったあともね)
『……? それは、どうしてまた?』
 予想外の言葉に、皐月雨は理解が及ばない。そしてみのりは、
(きっと、溝口さんが来ると思うから)
 想い人の再来を、予言した。
『ほう、見送りの約束でもしたのか?』
(ううん、なんにも?)
『何? では、何を根拠に来ると思うのだ?』
(ん〜と、直感?)
『……馬鹿な。では、もしも来なかったらどうするのだ』
 皐月雨は問い詰める。みのりは強い心を持っている。だが、もし溝口が今日ここを訪れなければ。彼女は静かに、少しだけ傷つくだろう。
 皐月雨は、それが心配で仕方がなかったのだ。
 ……が。
(ううん。……来るよ。溝口さんは。だって、単純だもん)
 みのりは断言する。ニュアンスによっては悪口とも取れるが、その言葉は暖かさに満ち溢れていた。
『……ふ、まったく。敵わんな、汝には』
(? なにモレさんと同じこと言ってるの?)
『なに、正直な感想を言っただけさ。我も、あの男もな』
 世の中には、妖力や鬼の力などなくても人を感服させる者がいる。闘いに身をおく者だからこそ、それを強く実感するのだ。
『……さて。そろそろ元の物置に運んでくれないか』
(ああ、そうだね)
 そう言ってみのりは、皐月雨を持って境内にある大きな物置に入る。
 かつて代わりの竹箒を探して立ち入った時のことは、もはや懐かしくさえ思えた。
 奥行きのある物置の最奥、もとあった場所に、皐月雨を戻す。
「……よし、と。……んーと、じゃあ、その」
 ここでなら声を出して会話しても聞くものは誰もいない、と思い、普通に喋りだすみのり。
 さて別れの言葉をどうしようか、などと思っていると、
『……改めて。汝の協力に感謝する、みのり。おかげで今回も我は使命を果たすことが出来た』
 皐月雨が先手を打った。
「うん、まあ。どういたしまして。最初は面倒だとしか思ってなかったけど、けっこうやりがいがあって楽しかったよ」
『そうか。そういってもらえるとありがたい。……まあ、なんだ。我も汝と行動を共にしているのは、心地よかったぞ』
「ふふ、それはどーも」
 静かに笑いあう二人。共に闘った戦友としての友情がここにあった。
「……でさ。普通ならお別れの挨拶って“さよなら”とかだけど、皐月雨は眠ってるだけでずっとここにいるんだし、なんかしっくり来ないと思うんだよね」
『ふむ? なるほど、そう言われればそうかもしれんな』
 みのりの一風変わった意見に、皐月雨は同意する。
「でしょ? だからさ。結局、いつもと同じアレでいいんじゃないかなと思うんだよね。」
『アレか。……そうだな。それがいい』
 納得しあう二人。
 じゃあ、と言ってみのりはきびすを返し、物置の入り口まで行ってから皐月雨を振り返る。
 ……最後に交わす言葉は、出会ってから毎日、ごがつの夜が終わるときに口にしていた言葉。

「――おやすみ。」
『――おやすみ。』


 それで、終わり。
 味気ないけれど、最大限の友情と敬意を込めた別れ。
 物置の扉は優しく閉ざされ、少女は気持ちを切り替えて拝殿前へと歩いていく。
 もう一人の大切な人を待つために。
 いつもその彼と一緒に座っている、拝殿前の石階段に腰を下ろし、静かに空を見上げる。
 長く天を支配していた五月の夜空は、朝焼けに少しずつ溶かされ始めていた。

 それは、夜明け。
 夜の終わりであり、一日の始まりでもある。
 ここに、ごがつの夜の物語は終わりを告げ。
 本来のごがつの物語、その最後の一日が、始まっていく。

〜了〜



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