|
「半死半生」ではなくて、 「この宇宙とは別に、もうひとつの並行宇宙がある」などと言い出す人もいる。これもまた、誤解による。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「命題の真偽値」が中間値を取るのに、「確率の値」と「メンバーシップ値」がどちらも量子化している、というのを認めると、どうにも困ってしまって、「並行宇宙」なんてものを持ち出すわけだ。
もちろん、こんな奇天烈なものを持ち出す必要はない。「確信度」が中間的な値を取る、と考えれば済むからだ。そして実際、そう考えるのが最も適切である。
※ 彼が観測した瞬間に「猫の生死の状態が確定する」ということはありえない。なぜなら、彼より前にこっそり覗いていた人[彼女]は、猫の生死の状態を知っている。彼にとっては自分が見た瞬間に猫の生死が判別するが、彼女にとってはそれ以前に猫の生死は判別している。「観測が状態を決定する」などということはありえないのだ。正しくは「観測が判断を決定する」である。このように考えれば、「シュレーディンガーの猫」の問題は、すっかり理解できる。
[ 付記 ]
上記のような結論を出せたのは、「拡張されたファジー理論」を使ったからである。
[ 付記 ]
「確信度」は、「可能性」と呼んでもよい。前者だと、判断する主体が明らかになるが、後者だと、判断する主体が曖昧になる。そういう言葉のニュアンスの違いはあるが、それだけだ。
【 追加 】 ( 2003-10-09 )
結局、「シュレーディンガーの猫のパラドックスは、量子力学の問題ではない」(論理学の問題である)と言える。このことを、よく納得できない物理学者もいるだろう。そこで、そのことを完璧に証明しておこう。
そのためには、「シュレーディンガーの猫」のかわりに、「ナンドウの猫」というものを使う。これは、「シュレーディンガーの猫」にそっくりだが、一箇所だけ、違う。確率の発生する理由が、量子力学的に決まるのではなくて、単なる確率現象として決まる。たとえば、コマのように回転してから倒れるコインだ。
□━━━━━━━━━━━Ю
量子検出器 猫毒殺の装置
□━━━━━━━━━━━Ю
回転コイン検出器 猫毒殺の装置
この二つを比べてみよう。
どちらも、「確率50%の現象」に対して、その情報を受けて、猫の生死が決まる。ただし、「確率50%の現象」を発生させる仕組みが、前者は量子力学的であり、後者は単なる数学的な仕組みである。(後者の装置は、現実の物質的な装置であると考えるより、抽象的な確率発生装置であると考えるといい。一種の数学的なモデルである。)
ここで、前者は「シュレーディンガーの猫」であり、後者は「ナンドウの猫」である。
前者に対しては、「猫を観測した瞬間に、確率が一挙に変化する」とか、「猫を観測するまでは、猫は、生きた猫と死んだ猫を重ね合わせている」とか、量子力学的に解釈する説がある。
では、後者では、どうか? 後者でもやはり、「猫を観測した瞬間に、確率が一挙に変化する」とか、「猫を観測するまでは、猫は、生きた猫と死んだ猫を重ね合わせている」とか、量子力学的に解釈する説が成立する。しかし、後者では、量子力学的なシステムは、一切存在していない。これは単純な数学モデル(もしくは論理学モデル)である。
「シュレーディンガーの猫は、量子力学の問題だ」と解釈することは、「ナンドウの猫は、量子力学の問題だ」と解釈することと同じである。それはつまり、「量子力学の原理が働いていない世界の現象を、量子力学で解釈する」ということだ。
これは、デタラメの極みと言えよう。「確率の問題を、量子力学で説明する」というのは、いわば、「ユークリッド幾何学の定理を、量子力学で解こうとする」というのと同様である。あるいは、「フェルマーの定理を、シュレーディンガー方程式を使って解こうとする」というのと同じだ。「トンチンカン」または「お門違い」と言うしかない。
結論。
「シュレーディンガーの猫」は、「ナンドウの猫」と、本質的には同じである。どちらも、ただの論理学の問題であって、量子力学の問題ではない。なのに、量子力学の問題ではないことを、量子力学によって解こうとすることは、お門違いである。
論理学の問題を、量子力学で解こうとしても、しょせん、解くことはできない。解けないことを、無理に解こうとすれば、必ず、どこかでおかしな結論が出てくる。それが、「シュレーディンガーの猫」のパラドックスの理由だ。
( ※ ピンと来ない人のために説明しておくと、こうだ。シュレーディンガーの猫の図式では、量子検出器として、□ という箱があった。ここだけでは、量子力学が働く。しかし、この箱の外では、量子力学は関係ないのだ。関係ないことを、量子力学で無理に説明しようとするから、デタラメな結論が出てしまうのだ。……量子力学は、量子のことを研究するのであって、猫の毛色やキャットフードの研究をするのではない。このことを、しっかりと、わきまえておこう。)
( ※ ときどき物理学者の論文で、「シュレーディンガーの猫の実験をした」という話が出る。たいていは、量子力学的に計算して、量子に対する観測の影響を考慮している。しかし、それでは、□ のなかの現象にしかならないから、「シュレーディンガーの猫」とは、全然別の話となる。「シュレーディンガーの猫」のパラドックスは、□ の中にある量子の現象を扱うときに発生するものではなく、□ の外にいる現実の猫を扱うときに発生するものである。この点を勘違いしないように、注意しよう。……たいていの物理学者は、この点を勘違いしているから、見当違いの論文を読んでも、同じことだと思っているのである。彼らはたぶん、「量子力学には論理矛盾がある」と証明したがっているのだろう。あほくさ。)
* * * * * * * * * * * * *
《 補足 》
より根源的に、本質を示そう。
シュレーディンガーの猫の問題は、ナンドウの猫の問題と同じである。そのことは、次のように説明し直すことができる。
シュレーディンガーの猫では、生死の確率が 50%である。このことを「生の状態と、死の状態とが、半々で混じっている」というふうに解釈するのが、従来の説だ。
しかし、これが成立するとしたら、ナンドウの猫についても同様のことが成立するはずだ。そして、ナンドウの猫の問題は、コインの裏表が半々である問題と同じである。すなわち、従来の解釈によれば、こうなるはずだ。
「テーブルで回転しているコイン(またはトスして空中で回転しているコイン)は、裏表の確率が半々である。ゆえに、裏と表とが、半々で混じっている(または裏の状態と表の状態が並存している)」
なるほど、これは、「成立する」と見なしてもいいかもしれない。では、このコインが倒れたあとは、どうだろうか? 倒れたあとでも、見ていないならば、裏か表かはわからない。とはいえ、いったん倒れれば、裏か表かは、どちらかに決まるのだ。
・ 倒れる前 (決定されていないので、事実として不明)
・ 倒れた後 (決定されているのだが、観測者には不明)
この二つの事象がある。そして、従来の説は、この二つの事象を勘違いしている。どちらの事象でも、裏か表かは、半々だ。ただし、半々(50%)という値は同じでも、事象は別だ。
コインが倒れる前(回転している間)では、状態は未確定である。ここでは、「二つの状態が混じっている」と解釈することもできなくはない。ともあれ、この値は確率の値である。
コインが倒れた後では、二つの状態のうちのどちらか一方に確定している。となると、この値は「確信度」である。つまり「推測した値」である。(その推測した値は、通常、確率の値と同じだ。なぜなら、推測者は、科学的に考えるからだ。ただし、科学的に考えない人なら、別の値を出す。たとえば、超能力者とか、ジンクスを信じる人など。)
結局、コインが倒れる前と、コインが倒れた後では、事象が異なる。その二つの事象では、二つの値は、数値の意味が異なる。二つの値は、数値としてはどちらも 50%であって同じだが、前者は確率であり、後者は確信度である。(前出。)
この二つは異なる。異なるものを同じものだと混同すると、シュレーディンガーの猫の問題が発生する。── コインが回転している間は、裏と表という二つの状態が混じっていると考えてもいい。しかし、コインが倒れた後では、二つの状態は混じっていることはない。なのに、その二つの事象を区別できないと、論理が錯乱して、シュレーディンガーの猫の問題が起こるわけだ。
( ※ 「二つの状態が混じっている」と見なしてもいい、と述べたが、本当は、この解釈は不正確である。コインが回転している間には、「表」と「裏」という二つの宇宙が存在するわけでもないし、「表」と「裏」という二つの宇宙が観測者によって観測されるわけでもない。では、本当は? 「どちらでもない」つまり「未確定だ」というのが正解だ。)
( ※ 生死で言えば、「生と死が未確定」という状態はあっても、「生と死が混じっている」ということはありえない。「裏と表が未確定」という状態はあっても、「裏と表が混じっている」ということはありえない。それが確率の本質だ。)
( ※ 数学的に確率というものを理解すれば、以上のことがわかる。なのに、数学音痴の人々が、シュレーディンガーの猫という問題を見て、首をひねるわけだ。シュレーディンガーの猫の問題があるのは、物理学者が、数学の確率論というものを本質的に理解できていないからだ。[ → 誤差の話 ])
( ※ 結局、数学の確率論を本質的に理解するべきだ。そうすれば、量子力学については、[ 続編 ]で述べるような解釈以外には、ありえない。)
シュレーディンガーの猫 | ナンドウの猫 |
(1) ミクロ: 量子の状態Aと状態Bは、重ね合わせ状態にある。(決定していない) | (1) コインは回転している。(決定していない) |
(2) マクロ: 猫の生きた状態と死んだ状態は、重ね合わせ状態にある。(決定していない) | (2) コインは停止している。(決定しているが、判明していない。) |
(3) 猫: 観測で判明する(そのことで決定する) | (3) コイン:観測で判明する(その前に決定している) |
以上の(1)(2)(3)ゆえに、「観測が状態を決定する」。 | 以上の(1)(2)(3)ゆえに、「観測は状態を決定しない」。 |
猫の状態の決定は、観測によってなされる。 | コインの状態の決定は、観測以前になされる。それはコインの停止によってなされる。 |
コペンハーゲン解釈 | 新しい解釈 |
未決定状態の量子とは、いわば、表のコインと裏のコインの重ね合わせ状態である。 | 未決定状態の量子とは、いわば、回転しているコインである。 |
コインには裏と表という二つの状態しかない。その両者の重ね合わせ状態として、中間値が得られる。 | コインには、裏と表という二つの状態のほかに、回転状態がある。回転状態として、中間値が得られる。 |
決定とは、表のコインと裏のコインの重ね合わせ状態から、(表と裏の)どちらかの状態に決まることだ。 | 決定とは、回転状態から停止状態に転じることだ。 (量子で言えば、「波から粒子に転じること」に相当する。) |
量子に話を戻すと、量子の状態の決定は、量子を観測したときになされる。 なぜなら、観測が状態を決定するからだ。 | 量子に話を戻すと、量子の状態の決定は、量子を観測する前になされる。 なぜなら、状態が決定するのは、「量子が波から粒子になったとき」だからだ。 |
すべての前提は、「量子は粒子であること」だ。ここからすべての結論が得られる。 | すべての前提は、「量子は粒子の波であること」だ。ここからすべての結論が得られる。 |
「量子は粒子であること」が真実であるからには、「重ね合わせ」という概念も真実だ。 | 「量子は粒子の波であること」が真実であるとすれば、「重ね合わせ」という概念は不要だ。 |
|
[ 付記 ]
「確率というものは、事象の数が1のときには意味をもたない」と述べたが、これはもちろん、「何の意味もない」ということではない。ごくわずかの意味はある。ただ、それは、「確率」としての本来の意味ではない。
「2回に1回の割合で表になる」という言明は、事象の数が大きければ大きいほど意味をもつ。事象の数が1回だけならば、(ほとんど)無意味である。……そういうことだ。
[ 付記 ]
「シュレーディンガーの猫の問題は、量子力学では解決不可能だ」
とも言える。なぜなら、それは論理学の問題であって、量子力学の問題ではないからだ。
量子力学の扱えるのは、量子力学の問題だけであり、料理や音楽の問題は扱えない。そういうものだ。論理学がいくら頑張っても量子力学を導き出せないように、量子力学がいくら頑張っても論理学は導き出せないのだ。
このことを理解しないと、物理学者は、いつまでたっても、見当違いのことに悩み続けるだろう。ちょうど、「物理学でいくら研究しても、キャットフードの作り方が見出せない」と悩むように。あるいは、「物理学でいくら研究しても、猫の飼い方が見出せない」と悩むように。
[ 補足 ]
「シュレーディンガーの猫」と「コインのトス」との等価性は、自明だろう。ただ、よりわかりやすくするには、次のことでも示せる。
(1) 「シュレーディンガーの猫」の本来のシステムを用意する。つまり「量子検出器」→「猫の毒殺器」
(2) その (1) のシステムで、「猫の毒殺器」の箇所だけを、「コインの反転器」に置き換える。もともと「表」であったコインを、反転するような装置にするわけだ。これが、量子検出と同時に、作動して、コインを反転する。(猫を殺すかわりに。)
(3) その (2) のシステムで、「猫の毒殺器」の箇所だけを、「コインを高速回転させてから、倒す装置」に置き換える。……これによると、量子検出の結果にかかかわらず、常に「表」の確率が 50% になる。(だから、「猫の毒殺器」を無視していよい。)(なお、コインを高速回転させる前に、「コインをいったん表にする」という操作を加えてもよい。こうすると、(2) に近くなるので、わかりやすい。また、こうしても、結果には影響しない。)
(4) コインを手で投げて、トスする。
以上の (1) 〜 (4) は、いずれも確率が 50% になり、システムとして等価である。つまり、「シュレーディンガーの猫」と「コインのトス」は、システムとして等価である。(確率が 50% になる、という点で。)
[ 余談 ]
確率について。
サイコロであれ、コインのトスであれ、現実的な現象について、「古典力学的に完璧に予測が付くはずだ。それは確率的な事象ではない」と主張する人がいる。
しかし、この説は誤り。
このことは、「複雑系の科学」を理解すれば、すぐにわかる。小さな初期値の変動が、最終的に大きな変動をもたらすことがある。
具体的に数式で示そう。
プランク定数を h とすると、量子の位置 x の大きさには、プランク定数程度の不確定性がある。(不確定性原理。)
さて、
f(x) = sin( h/x )
であるとき、x のプランク定数程度の微小な変動が、 f(x) の変動をもたらすが、それは、値域の全区間 [-1,+1] におよぶ。 だから、この f(x) は まったく不確定である。
つまり、x をどれほど正確に測定しても、 f(x) を正確に予測することはまったく不可能である。
これは、「原因となる事象がいくら正確にわかっていても、結果となる事象がまったく予測不可能である」ということのモデルとなっている。
( ※ 実を言うと、これは厳密ではない。厳密に言うと、量子の「位置」ではなくて、「位置と運動量との積」を取る。また、適当に定数倍する必要がある。ただ、話の核心は、上述の通り。)
※ 以上の確率についての説明について、疑問を感じる人が多い。
「ミクロにおける量子の問題と、マクロにおけるコインの問題とは、全然違うぞ」
というふうに。そう思うのであれば、「物理学における問題」のページを参照。
そこでは、次の図とともに、この件を扱っている。(回転するコインは、確率的であり未確定。
つまり、「表でも裏でもない」と言える。これは、「表でも裏でもある」というのとは違う。)
共存 = 空間的共存
回転中 = 未確定
詳しい説明は、該当箇所を参照。
このあとは、続きのページへ。
[ THE END ]