猫の生死(要旨)  

      by  南堂久史




 この文書では、「シュレーディンガーの猫」の問題で、猫の生死を考える。
 「シュレーディンガーの猫」の量子論的な意味は、すでに「シュレーディンガーの猫の核心」という文書で示した。それは、ミクロのレベルの話であり、量子論的な話だった。
 一方、マクロのレベルの話もある。それは論理学的な話となる。それをこの文書で扱う。
 この文書のテーマは、話が長くなるので、「本論1」 ,「本論2 」へと続くことになる。
 この文書では、それらの要旨となる話を、ごく簡単に示す。

 なお、本質的に言えば、「観測問題」や「パラドックス」の問題になる。(物理学的な問題というのとはちょっと違う。)


「核心」の要約


 「シュレーディンガーの猫の核心」では、量子力学的な話を述べた。それを要約すれば、次のようになる。

        *       *       *       *       *       *       *

 量子は本当は、「空間的または時間的に細分された」状態にある。しかしそれを巨視的に見ると、「二つの状態の重ね合わせ」というふうに誤認しがちだ。

 図で示そう。本当は、空間的または時間的に細分された赤または青がある。次の図のように。


         


 これを巨視的に見ると、「赤と青の重ね合わせ」というふうに見える。
 そこで、「まさしく赤と青とが重なっているのだ」というふうに誤認しがちだ。次の図のように。

    ━━━━━━━
             +
    ━━━━━━━

 しかし、そう解釈するのは、もちろん誤認(錯覚)である。本当は、(赤と青の)重ね合わせ状態ではなく、細分された状態があるだけだ。

 このことは、テレビで考えるとわかる。



             紫    =    赤点 と 青点 の「散在」




 この図では、巨視的には「赤と青の重ね合わせ(紫)」があるように見える。しかし本当は、細分された赤と青があるだけだ。(虫眼鏡で拡大してみるとわかる。)

 結論。
 「二つの状態の重ね合わせがある」という認識は、誤認である。正しくは「細分された状態がある」ということだ。
 量子については、そういうふうに言える。

 なお、具体的に言えば、こうだ。
 粒子は常に振動している。このことは、「粒子反粒子振動」という言葉でも説明されるし、「超球の回転」という言葉でも説明される。ここでは、白と黒の重ね合わせがあるのではなく、白と黒の振動がある。


ミクロとマクロの違い


 では、上述のこと(量子論のこと)は、マクロ的な猫にも成立するだろうか?
 もし成立するとすれば、次のことが成立しなくてはならない。
 「猫の生死は細分された状態にある」
 あるいは、同じことだが、こうだ。
 「猫の生死は振動している」

 こういうことは、あるか? もちろん、ない。
 猫の生死が振動しているとしたら、一匹の猫が「生きた猫」と「死んだ猫」とを周期的に交替していることになる。そんなことは、絶対にあり得ない。なぜなら、いったん死んだ猫は、生き返らないからだ。「生死の振動」というものは、あり得ない。
 とすれば、こう結論できる。
 「ミクロの状態とマクロの状態を結びつけることはできない」

 これが本質だ。このことを改め手間取れば、対比する形で、次のように書ける。

 (1) 量子の世界では、量子の状態が振動するので、一見、重ね合わせのように見える状態を作ることができる
 (2) マクロの世界では、猫の生死が振動しないので、絶対、重ね合わせのように見える状態を作ることができない


   図示すると、次の通り。

    量子 :  ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●  → 時間

     猫 :  生 死 生 死 生 死 生 死 生 死 生 死 生 死  → 時間


 ( ※ 量子の周期的交替と、猫の生死の周期的交替。前者はあるが、後者はあり得ない。)


パラドックスの理由


 では、シュレーディンガーの猫のパラドックスは、どこから来たか? それは、こうだ。
 「できもしないことを、できると仮定したので、奇妙な結論が生じる」

 一般に、論理学では、次のことが成立する。
  「 偽 ならば P 」は、真である。
      ( ※ ただし P は任意の命題 )

 つまり、前件が「偽」であれば、後件がどんな命題であっても、真になる。
 たとえば、次のように。
  「 1=2 ならば 世界は滅びる」
  「 1=0 ならば 地球を破壊することは正しい」
  「ヒトラーが生き返れば、ヒトラーが世界を破壊することは正しい」
 これらはいずれも真である。前件が「偽」であれば、後件がどんなにメチャクチャな命題であっても、「前件 ならば 後件」は真となる。

 シュレーディンガーの猫のパラドックスも、同様だ。ここでは、前件として、次の「偽」が導入された。
  「量子の状態と、マクロの猫の状態を、結びつけることができる」

 これは、次のことと等価である。
  「猫の生死は、細かく振動している」

 これは、「偽」である。この前件が「偽」であるがゆえに、後件が「偽」であっても、構わないことになる。つまり、次のことは真である。
  「猫は生きているのと死んでいるのと、両方の状態に成立する」
  「一匹の猫は、生きていて、かつ、死んでいる」

 これらは現実世界では、まったくあり得ないことだが、「前件が満たされれば」という仮定のもとでは、このことは成立することになる。

 当然ながら、次のいずれも、「真」となる。

  「猫は生きているのと死んでいるのと、両方の状態にない」
  「量子力学者は、ウルトラ級の天才ばかりである」
  「量子力学者は、超ハンサムと超美人ばかりである」
  「量子力学者は、ビル・ゲイツ以上の金持ちばかりである」
  「 1=2 である」
  「 10÷3= π である」

  これらはいずれも、真である。ただし、「ミクロの状態とマクロの状態を結びつけることができれば」という前件が成立すれば、の話だが。

 こうして、パラドックスの理由は、論理的に解明されたことになる。
 要するに、ありもしないことをあると仮定した妄想の上で生じた、ただの夢にすぎない。夢を見ている人の世界では、どんなメチャクチャなことでも、本当の真実のように感じられる。それだけのことだ。

 ここでは、「夢のなかでは真実か」を論じても無意味である。「この人が夢を見ている」ということだけを指摘すればいい。それがつまり、
  「ミクロの状態とマクロの状態を結びつけることはできない」
 ということであり、その本質は、
  「量子の状態は振動するが、猫の生死は振動しない」
 ということだ。

 結局、すべては、勝手な妄想を前提した物理学者の見た夢だ、というふうになりそうだ。 ……(*)


 [ 余談 ]
 この (*) は、皮肉な結論だが、美しい結論である。
 「物理学者は正しいのに、自然がこんぐらがっている」という結論は、ちっとも美しくない。だが、「自然は整然としているが、物理学者の頭がこんぐらがっている」という結論は、とても美しい。
 とはいえ、たいていの物理学者は、異を立てるだろう。「おれは正しい! おれは絶対に間違っていない! 間違っているのは、おれではなく、あっちの方だ!」と。



まとめ


 最後に、この文書の内容を簡潔にまとめれば、次の通り。

 「量子の状態は振動するが、猫の生死は振動しない。量子は、粒子になったり反粒子になったりするが、猫は、生きている猫になったり死んだ猫になったりしない。」
 「ゆえに、ミクロとマクロを結びつけることはできない。なのに、できもしないことを『できる』と仮定したことから、パラドックスが生じた」


[ 付記 ] 論理学的な詳細


 ちょっと付言しておこう。いくらか説明不足に感じるかもしれないので。

 上記では、こう述べた。
 「ミクロとマクロを結びつけることはできない
 では、なぜ、「結びつけることはできない」と言えるのか? 「いや、シュレーディンガーの猫の毒殺システムは、ミクロの世界とマクロの世界を、うまく結びつけているぞ」── という疑問を感じる人もいるだろう。
 
 しかし、この毒殺システムは、ただの「確率的システム」であって、「ミクロの世界とマクロの世界を結びつけるシステム」ではない。そこに注意しよう。
 このシステムは、ただの確率的システムである。その意味は、次の通り。
 「たくさんの毒殺システムが存在する場合には、そのたくさんの毒殺システムにおけるたくさんの猫が、ミクロの世界の分布に合致する」
 「しかし、(ただ一つの毒殺システムにおける)ただ一つの猫に着目すれば、ただ一つの猫については何も言えない」(結びつけ不可能)

 量子力学で言えるのは、確率的なことだけだ。たとえば、二重スリット実験でも、電子の分布は確率的に言えるが、特定の一回(一個)の電子については、どこに生じるかを明言できない。言えることは確率的なことだけだ。
 猫毒殺システムも同様。たくさんの猫については確率的に言えるが、特定の猫については何も言えない。これがつまり、「ミクロとマクロとを結びつけることはできない」ということだ。

 要するに、ミクロは、「たくさんのマクロ」に結びつけることはできるが、「特定の一回のマクロ」に結びつけることはできない。
 したがって、特定の一匹の猫については、何も言えないわけだ。(二重スリット実験の電子について、特定の一回については何も言えないのと同様。)
 
 なお、このことは、確率の本質であって、量子力学は関係ない。同様のことは、量子論を使わずに説明できる。それは「ナンドウの猫」である。
 こういう確率的な話は、やや面倒な話になるので、以後の「本編1,2」を参照のこと。







  このあとは、続きの 本編1 へ。





  このページについて

    氏 名   南堂久史
    メール   nando@js2.so-net.ne.jp
    URL    http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwja0.htm  (本ページ)
          http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwja.htm (猫の表紙)


[ THE END ]