テイクワンレコードのCDは500枚限定だそうです。ファンはアマゾンかHMVへ急げ

富樫雅彦ディスクレビュー(その3)

と言う訳でレコードレビュー(その3)

富樫雅彦のページへ戻るにはtogasi.htmlです。

「UPDATE/J.J.Sprits」(1995年)

むきー、素晴らしい!三重のインデペンデントレーベルのテイクワンレコードから発売されているCDですが、ようやくHMVから届きました!4か月近くかかりましたよ。いやはや。でも、残っててよかったー。なんと500枚限定再版なんて文字もあったりして、かなり恐い世界でしたよ。テイクワンレコードはWebページは存在しないみたいですが、HMVとアマゾンでは注文可能になってます。

さて、このUPDATE!ですが、全曲J.J.Spritsのオリジナルです。で、私は、「またフリーじゃねーだろうなー」とびびっていました。

スタンダードでは無い事はたしかです。フリーに近い範疇でしょう。かなりがっくりです。しかしながら、不幸にも、このアルバム、出来た結果は大変素晴らしいものです!

このスイング感はハンパじゃないですよ。要するにメロディがスタンダードではないだけで、きっちりビバップなスイングを出しています。みんな、早く手に入れるんだぁぁぁ!!!

なんというか、フリーのメロディでスタンダードをやっている、というのか、はたまた、スタンダードのイディオムでフリーをやっているのか、ってな感じで、メインストリームの皆さまも違和感なく聞けるのでは無いでしょうか。

また、富樫さんのシンバルがいい味出しているんですよ、スタンダードっぽく。ベースの井野さんも、いい感じっす。意外なのは峰さんが、わりとフリーな旋律をスタンダードっぽく達者にこなしていて、私、かなり峰さんに興味が沸いてきました。(^^;)

「VALENCIA/富樫雅彦・加古隆」(1980年)

1980年、ちょうどデンオンとの専属契約が切れるか切れないか、という頃のレギュラーグループのピアノ加古さんとのDUO作品です。(ちなみにメンバーは富樫雅彦(perc)、翠川敬基(bass,cell)、藤川義明(ts)、加古隆(p)というもので、翠川、藤川さんは梅津さんとイースターシアオーケストラとしても時々ライブやってますね)

ちょうど、自分としては第1期富樫さん熱中時代でリアルタイムに聞いている性もあって、加古さんとのピアノが一番しっくり来ますね。加古隆と言う人はクラシックの現代音楽畑の人で、多分中川昌三経由で紹介されたんじゃないのかなぁ、と思っています。多分、中川さんは翠川さん経由でしょうね。(おお、勝手に人脈作ってるぜ?)

で、此処で告白してしまいましょう。私は実は加古さんがシンセサイザー、富樫さんがパーカッション、翠川さんがcellでプルチネラという喫茶店でミニコンサートをしていたのを聞いたことがあるんです。

で、ですね、実はコンサートの半分は寝てました(爆笑

と言う訳で、実に私は聞く耳が無いという衝撃の告白でありました(爆笑

そういう私の言う事ですから、あまり信用が無いかもしれませんが、これは傑作ですよ。やはり。メロディックな旋律もグッドですし、そこから展開されるフリーに縦横無尽に跳ね回るパーカッションとピアノ、特にピアノの展開の方法はやはり加古隆色豊かな展開で、佐藤允彦さん、菊地雅章さんとも違う独特の色です。

富樫さん、加古さん比較的抑制されたアドリブで、シンバルの余韻を活用したドラミングと現代音楽っぽい展開のピアノが非常にいい感じです。ただ、ゴリゴリバリバリという感じではありません。

元々、富樫さんはゴリゴリバリバリ系じゃないですが、最近は山下さんとゴリゴリバリバリに盛り上がる時もあるみたいなので、正直そっちの方に行ってみてもいいのになぁ、という気もしますね。というのも、実はそのプルチネラのコンサートで富樫さんが「なんかいつも通りでつまらねぇ」加古さんも「シンセサイザーまで持ってきたのに普段とかわらないねぇ」と言って「ちっきしょう、なんか変わったことやりてぇなぁ」と富樫さんが言っているのを聞いて、「要するに自分の限界をアドリブで打ち破りたいのだな」と思ったのでした。でもさ、私はそういう無意識のアクションで違った地平へは行けないと思うのですよ。型を徹底的に踏襲する事を通して型を越えていく以外に自分の限界ってのは破れないと思っているからで。

だから、実は私J.J.Spritsの方法の方が可能性があるんではないか、と思っていたりするのです。

だけど、素直に流している(これは肯定的な評価のつもり)このアルバムなんかで、コレだけのモノが出来てしまうとなかなか大変デスヨネ。いや、本当に。

「INTER-ACTION/富樫雅彦とINTER-ACTION」(1995年)

三重の方にある、テイクワンレコードという所から富樫雅彦40周年記念の3枚(インターアクション、UPDATE,エターナルデュオ95)のウチの一枚。多分、40周年記念コンサートってのがあって、そこでの会場で出されたんじゃないかなぁ、と思っていますが、総て推測ですから、信じないように。(情報を求めます)

さて、このパーソネルは富樫(perc)、佐藤允彦(p)、井野信義(bass)、広瀬淳二(ts)というメンバーで、J.J.Spritsとts以外同じジャンというメンバーですが趣は大分違います。

こちらはモーション(1977年)の流れをくむ正当なフリーでゴリゴリタイプですね。勿論、山下さんのグループの様に破壊力で突進、という訳ではなくて、そこには静謐な間というものが確実にありますが。

広瀬さんは以前「ESSENCE OF JAZZ」でのグループにも参加しているので、非常にフリーの旨い方ではあるのですが、どういう素性の方かさっぱり分かりません。結構なお年の方なんで、昔からjazzと係わっている人だとは思うんですが。

で、このグループはスタンダードのイディオムには一切触っていない感じのグループで、実はJ.J.Spritsのフリーよりは私には非常に馴染みます。(逆に何故J.J.Spritsのフリーに対してああまでノレないのか、そっちが問題な気が。誰か絶賛したレビュー送ってくださいよぉ)

勿論、バリバリ系だけじゃなくて、ワルツステップとかリトルアイズというメロディアスなイントロからゴリゴリとフリーになだれ込んでいる曲を聞くと「やってるやってる」という感じでいいですね。

そして、最後のアンコールの「QUICK MOTION」。久しぶりのドシャメシャ系列で、広瀬さんのサックスも思いっきりノイジーなら、井野さんのアルコなベースもブリブリ!思いっきり羽目を外した、此処までくるともはや爽快なアンコールが凄まじいです。個人的にはもう少し聞いてみたかったナァ。

いま(2001年現在)富樫さんはJ.J.SpritsとInter-Actionで新宿ピットインの月一回のライブをやっていて、こういう感じでスタンダードとフリーの両方をやる事で、より一層幅がひろくなる、といいなぁと。個人的にはUPDATE!の感動が尾をひいていて、今や第二の絶頂へと進化しつつある時ではないのか、位に思っているのです。

「BREATH/山本邦山、富樫雅彦、山下洋輔」(1984年)

なんでこんなにポップなんだ!

尺八奏者、山本邦山と富樫-山下のトリオでのアルバムです。正直、この三者が組んだら、「日本の幽玄の美を沈黙の間合いで語る」なーんてアルバムになりそうじゃないですか。ところがどうしてどうして、ピアノもタイコも走る走る。尺八も日本音階ではなく、ましてや西洋音階でもなく、独特のポップな音を出しています。

思うにこれは山本邦山さんの力が大きいのではないでしょうか。なんてったって、「エリック・ドルフィー」のファンだそうですから。やるな邦山。私もドルフィーは大好きだ。(何を隠そう、まともに聞いたミュージシャンてドルフィーと富樫さんくらいなんですがね、あたしゃ)

と言う訳で、なんか気持いい感じで走っています。勿論ガチガチのフリージャズファンにはどうかな、という気持も無い訳ではありませんが、とにかくこれは良いです。

勿論尺八の正統的なイディオムの曲もありまして、どっちかというとこれは私にはあんまり面白くないです。勿論インプロビゼーションのレベルや曲のクオリティは上々ですが、あまり新規な、というか、このメンツでやる必要はないでしょう、という感じ。それよりもBreathのテーマとかのなんというか、今までにないジャンルという感じのする曲の方が聞いてて楽しいし、ポップなアバンギャルドという相反する楽しさがあります。

いや、これは良いですよ。

「双晶/富樫雅彦・佐藤允彦」(1973年)

富樫さんが例の下半身不随になった後のはじめてのライブです。事故後トレーニングで1年(でしたっけ?違ったら掲示板でも、メールでもご指摘下さい)を費やした後の、佐藤允彦さんとのデュオで、実はこれがニュー富樫(?)の初のライブアルバムです。

なんちゅうか、非常に息のあったDuoで、なおかつ、日本人にしか出せない(と思われる)幽玄の間ってんでしょうか、非常に濃い「沈黙」が有機的に音と絡み合っていい音をだしてます。ただサウンドの流れは正直、この二人がやるフリーの場合、ほとんど同じ、って気もしますね。逆にいうとこの時点ですでに完成の息に達していたという事ではないでしょうか。

ただ、この時代にはじめて聞くと「こりゃ凄過ぎ」という感じでしょうけど私は時代を遡って聞いている訳で、そういう意味であんまりインパクトは無いナァ。凄いイイアルバムなんですけど、ディシプリン期のキングクリムゾンのライブアルバムみたいです(意味不明)

このライブが凄いな、と思うのは、実はリハーサルなしでぶっつけ本番でやったらしいということ。このアルバムは「インスピレーション&パワー14」という2週間にわたる新進気鋭のジャズ演奏家が(高柳さんとか沖至さんとかの濃いフリージャズ系)2週間に渡って入れ代わり立ち代わり演奏するという非常に濃いライブの正に7月7日の七夕の日に行われたという事です。で、観客から「どれくらいリハーサルしたんですか?」という問いに対して佐藤允彦いわく「練習は2年前にESSG(富樫さんとのトリオユニット)でたっぷりしました」と言い放ったという事です。くー、かっこいいぜ!

逆にリハーサルはあんまりしなくても富樫/佐藤さんはお互いの手の内を理解しているので、たとえ2年前とは違って足が動かない富樫さんでも全然問題ない、と佐藤さんは思っていた、という事でしょう?上のセリフにはお互いのそういう信頼関係がバシッと入っているし、逆に佐藤さんがいまだに富樫さんとお付き合いが続いているのはそういう確固たる信頼関係があるからだろう、と思います。(余談だけド、加古さんとか翠川さんがもはや富樫さんとお付き合いないのは、やっぱり富樫さんメチャメチャ口が悪いせいもあるのではないかな。これは完全な邪推ですが)

ところで、カバーの裏を見ると、いかにも全共闘!って感じの聴衆が大部分を占めていて、この時代のフリージャズの聞かれ方を想像してしまいます。音楽性じゃなくて、思想的にフリージャズが好まれていたんですね。大体、ミンガスだって差別主義の知事をからかった曲があったからこの時代にヒットしたらしくて、この時代の聴衆がミンガスの楽曲そのものを愛していた気配は希薄なんです。そういう音楽の聞かれ方としては不幸な時代だったんだろうな、等とカバーを見て思います。

「パラジウム/佐藤允彦トリオ」(1969年)

1969年の佐藤允彦さんがバークレー音楽院からの帰国第1作、という作品だそうです。この当時、フリー全盛であったし、富樫さんはこの後、おひつじ座の詩とか、アイソレーションとかの完全にアバンギャルドな作品を作っていましたので、わたし、かなり身構えて聞き始ました。特に高校生の時に聞いて「ツライ」と思った記憶があるので、なおさらです。

試聴一番「真っ当なスタンダードだ!」

いや、富樫/佐藤/荒川康男(b)と癖のある連中ですから、フツーのスタンダードじゃないですよ、勿論。でも、この味は、ノリは基本がビバップです、絶対。

そして、やはりこの当時はパラジウムという名前に連想されるように、ちょっとロマンチック入ってますね。「ザルツルブルグの小枝」とか「ミッシェル(ビートルズのあれ)」とか曲名を見てもウンウンって感じです。いや、それでも万人向けとは言い難いですが、私はこれ、かなりの名盤だと思いマスです。

高校生の時にはなんで受けなかったノカナァ・・・。多分スピリチュアルネイチャーの感動をもう一度(曲名もそれらしいし)なんでピンと来なかったのかなぁ。それに、これを高校生の時にかった時にはまだ、JAZZって富樫さん以外の奴って聞いた事なかった気がする。そういえば(大笑い)

とにかく、これ、オススメです。

「ソング・オブ・ソイル/富樫雅彦パリセッションVol1」(1979年)

1979年にオランダのジャズフェスティバルに出演依頼され、(加古隆さんの紹介によるものらしいです)オランダに行くついでに、加古さんのいるパリに行き、せっかくだから、という流れでドン・チェリー、チャーリー・ヘイデンという超一流のミュージシャンとセッションをした、という流れで出来たアルバムです。

ドン・チェリーもチャーリー・ヘイデンもジャズに留まらないフリーな音楽活動をしていますが、リズムの根底はやはりビバップであるためか、20代前後にこのアルバムを聞いていた時には「?」が多いに付くアルバムでした。いや、だって超一流のビッグネームのミュージシャンなのに、ちっとも面白くなかったのですよ(汗考えてみれば、ワタシはこの当時マイク・オールドフィールドやキング・クリムゾンに狂っていて、こういうリズム主体の音楽ではなくて、メロディ主体のアルバム大好きな人間ではあったのです。

さすがに、大学あたりから、エリック・ドルフィー、マル・ウォドロン等を聞いて若干Jazzの耐性が出来て耳が出来たのかどうか、今聞くと何故これがワタシに受けなかったノカ非常に不思議。(余談だがワタシはマルのレフト・アローンって聞いたことがないんですな。レイシーとコンビを組むあたりのマルがスキなのヨ。余談ですが、マルがDIWで吹き込んだ80年代のヒット曲をジャズで演奏したアルバムは凄い傑作だと思う。アルバム名は忘れたが、ビート・イットが入ってました)

傑作の「ブラ・ブラ」よりもイイんじゃないですか?ブラ・ブラがコンサートで演奏される弦楽4重奏団の演奏とすれば、これは気のおけない友人が、大きな部屋で好き勝手に、なおかつ密に連携して演奏している雰囲気といいましょうか。なんちゅうか 非常にフリーキーに固めているのですが、ベースの芯がガチっとしている性か、あさっての方に行かずに非常にタイトに繋がっています。しかもこのタイトな繋がりが相互の演奏を縛るのではなく、逆に開放していくような躍動感があります。この躍動感の主体は間違いなくドン・チェリーですね。ドン・チェリーはジャケット裏写真の笑顔を見ても分かるように、なんかフリーをやっていても、メチャメチャ明るい人の様で、演奏もメチャメチャ明るいんですよね。フリーだからって眉間に皺を寄せて演奏する必要はないよ!という事でありますね。

余談っす
この録音の時に、たまたまお遊びでスタンダードの演奏が始まって、ノリノリだったんだそうですけど、「あ、俺はバスドラを叩けない!」と気が付いて止めちゃって二人に「どうして止めちゃうんだ」と言われたそうですな。実はその辺から既にスタンダードもイイなと思いはじめていたらしい。実はメチャメチャ御機嫌だったと富樫さんがJ.J.Spritsのライナーノーツで言っています。残念ながらこの時の富樫さんは「スタンダードをやるためにはバスドラが絶対必要」と思っていて、だから意識して「スタンダード・ステ」と思っていたらしい。ううむ、この断片のテープがどっからか発掘されないかと思っている富樫ファンはけして少なくないと思うのですがどうか。

・・・なんか青木和富さんの解説みたいだね、これ(笑い
いや、いきなり話が逸れますが、音楽の解説、レビューで非常にツライのは音楽をどう表現するか。聞いたことのない人に、こういう音なんだという事を伝えたいのですが、言葉じゃどうしょうもないよね、という事で。ああ、容量無制限のWebページがあればmp3を置いておくんですが。<ってそれは犯罪だろう。

「カラー・オブ・ドリーム/富樫雅彦パリセッションVol2」(1979年)

こちらは、「ソング・オブ・ソイル」と同じ時期にパリでのセッションですが、メンツはアルバート・マンゲルスドルフ(trombone),加古隆(p),J-F・ジェニー・クラーク(b)という組み合わせ。

マンゲルスドルフという人は残念ながらワタシはほとんど知りませんが、凄く達者な人ですね。それにワタシのご贔屓ジェニー・クラーク様がブイブイとベースを弾いていらっしゃるので、これがよくない訳が無いだろう、ってなもんで。加古さんも相変わらず決まったピアノを披露してくれますし、 ごく普通のフリー・ジャズですね、これは。勿論練達の士が4人も揃っているのですから相当レベルは高いのですが。

多分、大学生の頃はかなり聞き込んでいたのですが、ワタシちっとも良いと思っていなかった気がしますね。この辺から惰性で買っているんだけれどもなんかピンと来ない時期が続いていて、何故か「ガンダム」に突入してしまっていきなりアニメオタクになってしまった(大笑い)

というワタシも、鮭が生れ故郷の川に返るように何故か富樫雅彦の世界に返ってきた訳ですね。あ、勿論その前に突入していたプログレの世界にも再突入しているのですが。余談はさておき。

で、なんか、このアルバムについては、非常に気楽に聞けるのですよ。聞く側の先入観としては「フランスにわざわざご当地の練達の士を集めてセッション、つまり日の丸をショッテ気合いが入った演奏だな」等というかなり入れ込んだ物があるのですが、音楽を聞く限りでは毎日それとなく演奏している仲間が気楽にジャムセッションしている、ような感じといいましょうか。ワタシはトロンボーンという楽器をあまり聞かないので余りスピードを出すのに向かない楽器なのでは、とか考えていましたが、何々、どうしてどうして、いい感じのアルバムではないでしょうか。

また、加古さんがあまりでしゃばらずに、音に陰影を与えるような使い方をしていて、これがまた好印象といいましょうか。とにかく気楽に聞けるフリージャズという感じですし、なかなかいい感じです。未だアマゾンでも入手可能です。500枚限定の割に未だ残っているというのがちょっと悲しい(2001年末現在)ので、皆さん是非買いましょう(ワハハ

「Moment Aug15/富樫雅彦」(1997年)

さて、長い事レビューページが開店休業状態でしたが、おそらく年末までには作業を一段落させる覚悟であります。<本当か、ソレ

このアルバムは(ワタシの記憶が確かなら)富樫さんの5作目の「ソロアルバム」です。ただし、このアルバムの特異な点として、「オーバーダビングなし」「即興一発取り」状態である、という事です。

富樫さんのソロアルバム自体についてはワタシ自身は(今までも述べていて薄々気が付いていると思いますが)「リングス以外まるっきりわからねー」状態だったのですね。で、どうしてもコレをレビューする場合、「わからねー」で終わりそうな気がしてなかなか入ることが出来ませんでした。

しかし、待てば海路の日よりあり、突然「富樫さんが聞きてー」状態に(半年ぶり)突入して、コレを最初に聞きました。

一聴するなり「いいじゃないですか、これ。」

勿論、これにはワタシの聞き方が大幅に変化した事があげられます。そもそも「リングス」至上主義なワタシとしては、どうしてもメロディアスな、構造をもった音楽を期待している訳です。ただ、富樫さん自体が「構造」を持った音楽ではなく、スリリングな「即興」を重視する方向に動いてしまっていて(おそらく「構造」を入れ込んでいたのは「リングス」で最後)「叩いて、演奏してキモチイイ」という方向になっている訳です。で、このアルバム自体は「構造を見つけようとせず、音の連なりをただあるがままにBGMの様に」聴くという聞き方で良いのではないかなー、と思うのです。実際それでキモチイイ訳ですし。

ワタシは「フリー」な音楽の構造ってのはどっかに隠れていて、自分はそれを見つけられないだけなのだー、と思っていたのですが昨今「なーに、あらゆる音楽は演奏者自身がキモチイイ音を出しているだけ」で、背後に何も隠れていない、と考えて聴いた方がグンと面白く聴ける、という「悟り」を得ましたね、ええ。

で、このアルバム自体はメロディなど何もないし、ただパーカッションが叩かれるだけですからそのテのメロディアスな音楽が聴きたい時にはあんまり面白くなくて、なんつーか、カシンッ!と来るそのパーカッシブな音を聴きたい、という時に「ガツン」と来るアルバムです。

ただねぇ、あまりにも一般的じゃない音楽デスナァ。よっぽどこの音楽と「当たる」時に聴かないと大変でしょう。いえ、ワタシは「コツ」を掴んだからいつ聴いても大丈夫になりましたけどv(^^)。

「ballads for you(Live at ケルン) /富樫雅彦トリオ」(1998年)

ホントにバラッド調の曲ばかりです。意外な事にWaltz Stepでも「ドシャメシャ」に走らずにしっとりと聴かせてます。最近(といっても2年近く前ですが)再販された「バラード、マイ・フィエバリット」に通じるものがあります。とはいえ、大体ピアノが山下さんで、こんなに抑え気味にしかし凄みのあるプレイをするのは意外といえば意外。勿論実力があるのは知っているのですが、山下さんの本領はドシャメシャにある、と30年前に聴いた時には思っていたので意外な感じ。

勿論バラードと言ってもイージーリスニング的ではなく、それなりにフリージャズの成果を踏まえたバラードなので、聴き込めば屈曲したソングラインにシビれるでしょうし、普通に聞き流しても聴きやすいというゴキゲンなアルバムだとワタシは思います。

しかし、こういうバッキングに徹した感じの富樫さんはいいねー。凄いリラックスして聴けるし、聴き込めばやはり深い。ベースの井野さんもばっちりと支えていますし。これは良いです。

2006年11月05記入

「エターナルデュオ'95/富樫雅彦・スティーブ・レイシー」(1998年)

お互いの手の内を知り尽くした達人同士がリラックスして演奏する、と言った風の作品です。バリバリ・ゴリゴリではないですが、現代的な音列を駆使してフリーなディキシーという感のアルバムです。

渋く、しかし明るいなんとも言えない色調の作品です。ただ聞き手が年取ってこないとあんまし来ないかもしれませんね。

作品自体は落ち着いた色調のもので、良いのです。ただやはりお互い手の内を知り尽くしている事から来るのか、聞いてて得体の知れない緊張感をまったく感じません。これが心地好く聞けるか、なるく感じるかはその時の聞き手側の心理的な状態によるんではないでしょうか。

元々ソプラノサックスの音色が全く好きではない私にとってこのアルバムは鬼門でした。レイシーさんは素晴らしいプレイヤーであるし、作品も素晴らしいのですが、どうしても駄目だー、と思ってました。昨日まで。

実は5年前にレビューが途絶したのはこのアルバムをどうしても聞けないからで、それくらいソプラノサックスの音色がつらいのでした。

が、何故か今は非常にラクに聞けるのですが、なんででしょうか。

2006年11月12記入

「ミラージュ/沖至」(1977年)

加古隆(p)富樫雅彦、翠川敬基(bass),と組んだ沖至(tp)の作品。ですけど、最初の「チトン通り11番」の(意図的に)微妙にずれたリフから始まる音を聞いていると、むしろ加古隆主導という気もします。あいかわらず冴えている富樫・翠川のラインとヨーロッパ的なフリーキーなフレーズの加古さんにかこまれてリーダー作だというのに気負った風もなく淡々としぶーいアドリブが炸裂する沖至さん、という感じ。

非常にイー感じで吹いている沖さんなのですが、ホントにこれリーダー作なのか?という位にブリバリ吹いてない。むしろ加古さんが音数からいったら主導権を握っているといわれても信じますね。

ほとんど同時期のパリセッションと比べてもあんまり違和感ない感じ。そもそも加古さんもパリに留学してますし、沖さんはこの後パリに渡ってしまったし、この時代のフリージャズの本場は何故かヨーロッパだったんだなー、と思わせます。イー感じ。

渋く、しかし明るいなんとも言えない色調の作品です。。

2006年11月26日記入


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