第五章 亡命政権
首都を失ったビザンツ帝国でしたが、滅び去ったわけではありませんでした。



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1214年
▲旧ビザンツ帝国周辺(1214年)
赤字はビザンツ勢力による国家
青字は占領軍による国家

 コンスタンティノープルは陥落しましたが、ビザンツ貴族による亡命政権が抵抗を続けました。

 最初にコンスタンティノープル奪回を目指したのはトレビゾンド帝国(1204-1461)でした。
 トレビゾンド帝国は、第4回十字軍のコンスタンティノープル占領の際、地中海沿岸の都市トレビゾンドに落ちのびたビザンツ貴族アレクシオス・大コムネノスによって建国されました。
 いち早くコンスタンティノープル奪回を目指して 1204年末には西進を始め、コンスタンティノープルに迫る勢いを見せました。しかし、同じビザンツ人のニケーア帝国によって追い返されてしまいます。
 その後も西はニケーア帝国、南はセルジューク=トルコに圧迫され続けて領土的には振るいませんでしたが、東方への交易路の出発点として経済的に繁栄し続けました。
 1453年にビザンツ帝国が最終的に滅ぼされたあとも続きましたが、やがてオスマン・トルコの軍隊に囲まれ、皇帝ダビドは戦わずして首都を明け渡しました(1461)。

 続いてエピルス帝国(1204-1340)がコンスタンティノープルを目指して動きました。
 エピルス帝国は第4回十字軍のコンスタンティノープル占領の際、アンゲロス家のミカエル1世によって建国されました。
 次代皇帝テオドロス1世はテサロニカ王国を滅ぼし(1224)、この頃にローマ人の皇帝を名乗ってビザンツ帝国再建の意思を鮮明にしました。
 この頃ブルガリア帝国が復活しており、その皇帝イワン・アッセン2世はコンスタンティノープルとローマ皇帝位を狙っていました。
 コンスタンティノープル遠征前に背後の憂いをなくしておこうと考えたエピルス帝国は、ブルガリア帝国に戦いを挑みました。しかしこの戦いで逆に壊滅的打撃を受け(1230)、コンスタンティノープル争奪戦から脱落します。
 やがてエピルス帝国は、ニケーア帝国によって復活したビザンツ帝国に吸収されました(1340)。

 最終的にビザンツ帝国を継ぐことになるニケーア帝国(1204-1261?)は、『一晩皇帝』コンスタンティノス・ラスカリスの弟テオドロス1世によって建国されました。
 ラテン帝国だけでなくセルジューク=トルコ帝国とも対峙しなければならなかったニケーア帝国は、1211年の対トルコ戦で敵スルタンを戦死させるなど勢いを見せます。
 1240年代にはブルガリアとエピルスを打ち負かし、バルカン半島にも勢力を広げてラテン帝国を囲いこみました。

 1261年7月、ニケーア帝国のある将軍が小部隊を率いてコンスタンティノープル付近を通りかかったところ、町にはまったく守備隊がいませんでした。ラテン帝国軍はベネチア艦隊とともに遠征に出かけていたのです。ニケーア帝国の兵士ははしごを使ってコンスタンティノープルに入城、かつてのビザンツ帝都をあっけなく奪回しました。それを指揮した将軍は、勝手な事をして上から怒られないかと心配したそうです。


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