独り言



2004年6月19日(土)

付き合いが大事だ、というのは必ずしもそこで売った恩とか作ったコネが後に役に立つってことだけでもない。
他人の持っている世界を覗かせてもらうことで、自分の世界が広がったり相対化されたりするというのはとても楽しいこと。

…でも、世界が広がるってのは凄い表現だね。
記事ナンバー:21


2004年6月17日(木)

音楽って何なのか、知りたいような知りたくないような。知っていることが増えると、それはそれで不安になる。もちろん、知らないことを知って安心したりもするが。

…とりあえず、既存の知識を詰め込んで安心感にでも浸るか。
記事ナンバー:22


2004年6月16日(水)

疲れが抜けない…。もう歳か。しかしまぁ、それぐらいたまにはカラダをいじめるのも限界を知る意味でいいかもしれない。
でも、もしこれが体力でなく知力だったら恐いな、とも思う。
自分が頭のデキで限界を感じるのはいつの日で、それに対してどう許容していくのだろう。
記事ナンバー:23


2004年6月12日(土)

たまには逆に日記を一日に2度書くのもいいだろう。
というか、さっきから数分しか経っていないけれど。

時々、自分が変わるように人が変わっていくということを忘れそうになることがある。
だから、周りの変化を見て、自分の変化だと錯覚してしまうこともある。
例えば、誰かの態度が冷たくなったとして、それは自分のせいなのか、相手のせいなのか。逆もまたしかり。

全ての変化にプラスとマイナスがあるとは思わないけれど、それでもプラスが増える方法ってないのかな。
ないような気もするな。でも、あって欲しいと願うのは個人の勝手だと思う。
記事ナンバー:24


2004年6月12日(土)

時が経つのは速いものだな、と思う。
もう日記を久しぶりに書き始めて一月半が経つのかと思うと感慨深い。
時を自分が操る生活と、時に自分が操られる生活。
どちらも体験してみると、一長一短があるようだ。

いっそ、時と一体化できないかな。 それがどういうことなのかは分からないけれど。
記事ナンバー:25


2004年6月10日(木)

自分を証明したいから何かを創ってるのだな、といつも気付くのに、それを忘れてることは多い。
もう忘れないように日記につけておこう。せめて、忘れても読み返した時気付けるように。

未来に僕は何を求めているのだろう。短くあって欲しいと思う時と、永遠に続いて欲しい時とある。 そもそも未来って何だろう。 原因から結果を辿れるなら、結果から原因も辿れるはずで、そうすると未来から過去へも進めるんじゃないだろうか。

人間とは逆向きに生きている生物も居るかもしれない。 恐竜も滅びたのではなく、これから長い年月を経て生まれるのかもしれない。
記事ナンバー:26


2004年6月6日(日)

期限の切られた多忙さの方が、期限の無い多忙さよりはましかもしれない。
それでも、最近はあんまり書いてないということは逃避の必要を感じていなかったのか。それはそれでいいことだけど。
記事ナンバー:27


2004年5月30日(日)

ときどき、人間の体について考える。
精神的に抑圧された状態が続くと、それをこらえようと脳が頑張るわけだから、テンションを上げる方向で体が記憶していくだろう。

そうすると、抑圧をどかしたら躁になったりして。躁でもないか。
記事ナンバー:28


2004年5月24日(月)

希望が見えたからと言って油断してはいけない。
その先にもっと高い山があるかもしれないから。

…でも、油断もちょっとぐらいしないとしんどいよね。
記事ナンバー:29


2004年5月23日(日)

音楽とは何なのだろう。考えると深い。
美術との違いは、一瞬ではないというところだろう。
絵を見るというのは、一瞬で視野に有るものを捕らえるということ。
それに対し、音楽は範囲を意識して区切っているのである。

この差は何だろう? 分からないから学びたいと思う。自然な考えだ。
記事ナンバー:30



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