独り言



2004年5月18日(火)

ワーカホリックという病気があるとして、時々羨ましくなる。
それでも、全く気持ちが分からないわけでもない。
働いている自分は間違っていない、ということだろう。
仕事をこなしている限り、その人は自分を誇りに思えるし、周りの評価も勝ち得る。
ただ、逆に言えば、そんな人がもし仕事をこなすことができなくなったら。
誇りを失い、無力な自分を呪い、無理解な周りに不快になるかもしれない。
まぁいわゆる鬱というものだ。

つまり、ワーカホリックの問題点は仕事が出来なくなったときに明らかになる。
そう言えば、少し前に会社を辞めさせられたことを苦にして上司に対して犯罪を犯した事件があった。
定年退職だそうだが、本人は無給でも働きたいのに働けなかったことが苦しかったらしい。

今後成果主義が普及していくと、より必死に働くようになるし、それで働けなかった人は苦しむのだろう。

何のために必死に働いてるんだっけ?
記事ナンバー:31


2004年5月15日(土)

人の目を意識しなくていいというのは楽なもので、替わりに練習効率が悪いとも言える。
伸び伸びとゆとり教育したらどうなるか、とかスパルタで性格は歪むか、とか
まぁいろいろと考える。

睡眠時間についても似たようなもので、よく寝た後の少ない充実した起床時間と寝たりないけど豊富に時間を使えるのとどちらがいいのだろう。

まぁ結果論だけは避けたいものだが。
記事ナンバー:32


2004年5月9日(日)

また、自分を忙しいほうに追い込んでしまった。
八方美人な上に人に尊敬されたがりな自分の困った性分。
まぁ、ちゃんとそれで尊敬されるなら別にストレスも溜まらないし、成功することを願って今は突き進もう。
記事ナンバー:33


2004年5月7日(金)

日記というのは、毎日書くから日記なのか、それとも一日のことを書けば一つでも日記なのか。
やりたいことをやってない人というのは、やりたくもないことをする時間があるものだ。
宿題だとか、なんだとか、やることがあるからこそ、逃避して日記をつける。
そうでもないと、こんな面倒なこと誰がするものか。
(いや、する人も居るし、そういう人は尊敬に値するが)
今日も今日とて、忙しくなることを脳の端の方で感じつつ、気付かないようにしている自分に気付いている。

こんなことばかり考えてると頭がおかしくなるので気をつけよう。
まぁ、そうした自分を受け入れることである程度克服はできるのだが。
(つまり、積極的逃避とでも言うべきか)

こんなぐだぐだでも日記なのか。今日の出来事など何も書いていない。
そういえば、GW明けなのに大学は随分混んでいた。
随分真面目な大学だ。自分は真面目じゃないのに、他人は真面目な方が好きだ。真面目で、馬鹿をやれれば言うことは無い。

…真面目になるか。
記事ナンバー:34


2004年5月5日(水)

ゴールデンウィークも最終日。
買い物やら何やらで忙しくて、大したこともできずに終わる。
後悔先に立たずと言うけれど、反省はともかく後悔して意味あることなんてそれほど無いかもしれないと思う。

最近あまり本を読んでいない。それでも、たまに本を読むと、自分がどれくらい変わったのか、考えさせられる。
昔読んだのと同じ本を読んだときは特にそうで、退屈だと感じていた本に魅せられたりする。
ある意味では、何かを評価するのが恐くなる。
きっと、今見えている「真実」めいたものを否定する日がやがて来るんじゃないか。
どこまで行けば、相対的な尺度を絶対的な尺度に近づけられるのだろう。

結局、子供の無謀さを失っていくのは、こうした良識の気付き、だけれど、もし意識的に無謀と慎重とを使い分けられるなら便利だろうに。

話はズレるけれど、誰にも読まれない日記と同様に、誰にも読まれない掲示板というのがあって、まぁこのサイトの掲示板もずっとほったらかし。

…いい加減、リンクを外すか。
記事ナンバー:35


2004年5月1日(土)

さて、早速何日も空けての更新となってしまった。
便りが無いのは良い知らせ、とはよく言ったもので、それなりに充実していたと思うが、そう言えば久しぶりにあった友達に連絡を取るのを忘れていた。
一度、連絡の機会を逸すると、なかなか踏ん切りがつかないものだ。

案ずるより産むが易し、の通り、こうした時には結局連絡を取るに越したことは無いというのが経験則による私なりの結論であるが、案ずること自体には意味が無いかというと、そんなことはない。
例えば、艱難汝を玉にす、あるいは若いときの苦労は買ってでもしろ、という通り、易しい解を避けること自体にも意味がある。
もちろん、考えること、それを厭わないこと自体も価値がある。

大胆さ、豪胆さ、そういったものは無謀さとは違う。
飛び込む前にする計算の精度は高い方がいいし、それを可能にするのが案ずる能力である。
案じた上で、リスクを恐れずにリターンを得に行くことが大胆さだろう。

…まぁ結局、私に大胆さが足りないという意味では変わりないが。
記事ナンバー:36


2004年4月27日(火)

久しぶりに日記をつけてみる。
日記どころか、何もかもこのwebページに関することをやるのは久しぶりだから、何から手を着けていいのか分からない。
昔は打てたHTMLタグも、もしやり直すなら一から覚えなおさないといけない。
そもそも、このサイトを作ったときと今とでは、やることも為すことも全然違う、それでも昔のコンテンツを残すことに意味はあるのか、分からない。
更新するかも分からない。
ただ、何かを書いてみたくなった、そういう衝動で書き始めただけだから、昔のようにまた衝動で消えてしまうかもしれない。

サイトの更新をやめてから2〜3年は経つだろうか。
突然やめたことで迷惑をかけた方々には、謝る言葉も無い。
しかし、だからこそこのサイトはこのままで、この形のままで、あの頃のままで維持しなければいけない。そんな観念に囚われている。
日々は自分の心を変え、姿も変え、生き方も変えた。
そのことを後悔してはいないけれど、だからと言って過去を否定すべきでも無いだろうし、意思として否定したくない。

前以上に、書けないことが増えるのは仕方ないけれど、何かしら思索的なことは書き残していけるかもしれない。
昔の日記を読むのは恥ずかしくもあるけれど楽しい行為だから、きっと今何かを残すことは、未来の自分を相対化する手がかりにはなるだろう。

ただいま。
記事ナンバー:37



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