■デジクリトーク
●植字工万歳。
白石昇
●植字工万歳。
白石昇です。バナナは木ではない。巨大な草である、と言う事実に気づいたのはつい最近のことだ。毎年暑季になるとこれでもかといわんばかりに太陽の光を吸収したバナナの葉が巨大な緑色で景色を染め、雨季の雨水を吸い込む準備を始める。
僕は原文中の理解不能な箇所の意味を確認するために、五月になってから定期的に著作者事務所に通い始めた。著作者事務所は都内郊外の住宅街にあり、僕の仕事場は都外の工業地帯にある。バスを乗り換えて行っても、まず三時間は覚悟しなければならない。往復六時間だ。
そのようにして週二回から三回通い、出版するために作らなければならないデータの形式について、事務所サイドであれこれアドバイスして貰って。余白はどのように開けるとか、使う画像の精度だとか言った類の、本のページを作りあげる為に必要な基本的なことだ。
運良く彼の事務所では、版下入稿という形を取っており、最近では事務所費用で出版をしているので、そのあたりのスキルはいくらでもあったし、
初めて事務所を訪れたときにラーメン食ってたチーフマネージャー的立場の人自身、何冊も自分の著作を持っている人だったから、いろんなアドバイスをしてもらえた。
当然のように、まだ、訳文は完全に満足の行く品質のにっぽん語には整備されていなかったのだが、僕は少し他の作業をやりながら訳文から離れる必要性を感じていたのだ。要するに僕は、自分の書いた訳文によって耐えられないくらいの中毒症状を起こしていた。しばらく訳文は見たくなかった。
版下はベクトル形式のデータで入稿しなければならない。出版社側の印刷機が接続されているタイ語仕様のパソコンで出力できなければ印刷が出来ないからである。要するに僕は、フォントをアウトライン化して、ベクトルの画像データを作らねばならないと言うことなのである。
だから僕は一頁分ずつ文章をはめ込んでいき、それを一頁ずつ絵のデータとして変換しなければいけない。
DTPに詳しい友人が親身になって一冊まるまる一つのファイルとして編集するタイプの形式のソフトウェアを使ってPDFで保存し、そのファイルに日本語フォントを埋め込むということを試みてくれたが、失敗に終わった。
他にも、PDFに日本語フォントを埋め込めるソフトがあるらしかったが、そのようなものを購入している友人など僕にはなかった。仕方がない、一〇〇頁以上のテキストをずれないようにはめ込んでゆくしかない。
僕はまず訳註を整理した。訳註は軽く一五〇以上あり、そのうち一〇〇近くに画像をつける必要があった。しかもその訳註は文末にまとめてではなく、テキストの下面に位置する。要するに番号がずれたら後から作業が大変になるのだ。
僕は友人のパソコンで作業をさせて貰いながら、本文がずれることに関しては考えないようにした。まだ訳文の書き直しが完全ではないのだから、本文がずれることは間違いない。二度手間になるのは明らかなのだが、いまの僕は訳文から離れる必要があるのだ。
僕は作業を進めながら、こんなもの一文字ずつ拾ってったんだから、昔の植字工さんってえらいよなあ、と思った。DTPが主流になる前ならば、こんな風に一人で本を作るなんて事が出来るわけがない。
しかし同時に、こんな風に人為的コストが格段に低いのだから、買った人に納得していただく価格で提供しなければならないとも思う。
ページ数は全部で一六〇頁ほどになりそうだった。
つづく。
初出・【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1125 2002/07/15.Mon.発行
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