あなたは子供の頃、"科学"派でしたか、"学習"派でしたか?
なんの話かわからない?
すいません。
学研という会社があって、そこで出している子供用雑誌なのであるが、どういう経緯でかは分からないのであるが、私が子供の頃は、なぜか小学校の体育館とかで月一回売っていたのである。
なぜ特定の教材会社が、学校という公共の場でそのようなものを販売できたか、全く分からない。
ともかくこの月一回の販売は、"X年の科学","X年の学習"という形で売られていたのだった。
Xには、1から6の数字が入る。
私はといえば、ご想像がつくと思うが、当然のごとく"科学"派であった。
"科学"には、付録が付いてくるからだ。
いつもはあまり大したことない付録なのであるが、何ヶ月かにいっぺんそれまで稼いだ金を放出するかのように、劇的な付録が付いてくるのだった。
ずるいヤツは、この特大付録がついてくるときだけ"科学"を買うというヤツもいたようだった。
いつも"科学"と"学習"の両方を買うという、とんでもないヤツもいた。
裕福で教育熱心な家の子供が、"X年、両方っ!"というのを聞くと、ものすごくうらやましかった。
私は基本的には"科学"派であったが、"学習"のお話も好きだった。
学期の中間にある特大号は、"科学"ではなかったが、いつも購入していた。
もちろん、"学習"の巻末にあるナントカ問題集は、一度として解いたことはない。
いまにして思えば、この"学習"に載っていたお話も大抵は定価何千円として単独販売されている絵本などの部分抜粋が多く、いわゆる"宣伝"もかねていたのであるが、子供の頃の私はそんな大人の世界の事情に考えが回るはずもなかった。
が、基本的には私はいつも"科学"を買い、"学習"は何年か下ものを弟に買わせて、それを巻き上げて読むというスタイルをとっていたのだった。
記憶にある最大付録は、たぶん"ラジオ"であろう。
しかし、この"ラジオ"が結構くせものだったのである。
普通、ラジオの検波に使うダイオードなどというものは、プラプラのリードがついていものであるが、付録のラジオについてくるダイオードは違った。
頑丈一徹。
ラジオペンチで渾身の力を込めて曲げようと思っても、小学生くらいの力ではフニャリと弓なりにしなる程度にしか曲がらない、とんでもない太さのリードがついていた。
線を巻きつけておしまい結線タイプのものであったので、曲がる必要がなかったらしい。
無理矢理曲げようとすると、ダイオードのほうが逝ってしまうということになっていた。
何度かそのような付録が公開された後、苦情が多かったのか、この"自分で作ってみようラジオ"は息を潜め、初めから基板に作られたラジオが提供されるようになっていった。
子供の私も、"科学にトライしてみようという試みが、これでは本末転倒ではないか"という思いを巡らしたものだった。
それからしばらくたって、私は驚くべき状況に巡り会わした。
小学校の体育館という独占的状況で販売できたこの"科学と学習"は、やはり締め出しに合い、その販売場所を追い出されていった。
そこで、どうやら新聞のような配達販売というものをあみ出しようなのだったが、その配達アルバイトを自分の両親が始めたのだった。
配達といっても、まず初めは配達表に従っての仕分けから始まるのだ。
私は小六になっていたが、それが何年生のものでも、"科学"と"学習"全部欲しかった。
やってみると分かるのだが、配達用に家に届いた時点で、欠品や不良品があるのだった。
欠品である程度まともなものは、補充して配達に回されるのであるが、どうしようもないもの、回収されないものはそのまま家に残った。
それは雑誌のこともあれば、付録のこともあった。
配達月からしばらくすると、それらは子供の私に払い下げられた。
当然、説明書なしで付録が下げ渡されることもある。
そうして私は、説明書を読むことなしに製品を組み立てたり、いじったりすることが出来るようになっていった。
そういえば、お金を出して買ったのに、どうしても成功しないものもあった。
やっても成功しないもの、そのトップはだぶんダントツで"プランクトン育成"だろう。
孵化して泳ぎ出すくらいまでは行くのであるが、成虫にならないのだ。
足が毛の生えた手のようになるまでは、何度トライしてもならなかった。
そのうち卵はその存在すら忘れられ、何年か前に再度発見されたときは、水分が亡くなってポロポロになってしまっていた。
トライしていた頃から数えて云十年が経過していて、ダメだとは分かっていたが、懐かしくなって水を注いでみた。
当然だが、その卵からプランクトンが孵ることはなかった。
なんだか昔が懐かしくなって、どこかでプランクトンの卵を売ってないかなあなどと考えてしまった。
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